August 06, 2008

再掲: 広島に生まれて。8月6日

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この日が来るたびに何度でも再掲します。一年とは短いものです。

 

通っていた小学校では、毎朝815分になるとサイレンが鳴りだしました。86日だけでなく、毎日です。その本川小学校は原爆ドームの川向いにあり、毎日登下校の時に、決まって美しい水面に映るドームの骨組みを見ながら育ちました。

その後、少し郊外にある広島学院という学校へ進みましたが、本川駅から広電の電車に乗るために、やはり毎朝ドームの姿が視界に入っていました。

 

広島学院は中高一貫のため高校受験がないおかげで、受験に関係のないさまざまなことを学ぶ時間がありました。原爆もその一つでした。その当時は各国が水爆実験などを繰り返していて、その度に「今回の水爆は広島型原爆100発分のエネルギーに相当」などと簡単に数値化してニュースで語られていました。あたかも、広島型原爆がたいしたことでもないかのごとく。

ここに掲げた写真を見てください。中央に原爆ドームがあります。その川向いが、私が育った本川町です。ここに映っている景色の中に、骨組みがかろうじて残っている建物がわずかにある以外は、何もありません。建物もすべて吹き飛ばされ、焼け落ちて消えたということは、そこに住んでいた人もやはり消えてしまっているのです。

 

母の友人に、原爆ドームとなった建物に勤めていた人がいました。毎日出勤していて、たまたま86日の朝だけ所用で出勤しなかったために生き残ったと言っていました。彼女の同僚はそのほとんどが、文字通り消えてしまったそうです。

ある知人の父親には、右耳がありませんでした。その朝、いつものように早めに出勤した彼は、同僚と並んで座っていたそうです。一瞬の閃光であたりは真っ白になり、気がついた瞬間には倒れた壁の間にいたそうです。座っていた場所の後ろに窓があり、そこから差し込んだ熱線で彼の右耳は失われましたが、それ以外は陰になっていたので助かったのです。しかし、隣に座っていた同僚は影も形も残っていなかったそうです。

 

原爆とは、これほどに恐ろしいことなのです。しかしその記憶も薄れつつあります。アメリカでの原爆の伝え方にも疑問を感じています。私自身も体験したわけではありませんから、体験された方々の記憶を次代に伝えることしかできません。しかしそれは、私たちに残された唯一の方法なのです。

上記の知人の父親は、亡くなる何年も前から日中もよく寝床にいることが多くなりましたが、その家族はそれでも常に明るく、子供たちは父親を尊敬していました。その父親の穏やかな顔と、楽しげに隣で笑っている子供たちの顔は忘れられません。

 

伝えていかなければ。それが私たちの使命ですから。

 

―(200586日の記事)



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この記事へのコメント
この記事を拝読するにつけ、

勝者の理論だけがまかり通っていいのか・・・

これはキリスト教やタリバンに代表されるイスラム教のような一神教徒たちが、

自分たちを正当化する『不当』な言いがかりのような気がします(怒)

Posted by わん太夫 at August 06, 2008 21:37
私の大学の恩師は被爆者です。今年79歳になられます。
一瞬にして8人家族が3人になったそうです。子供3人だけが残され親戚の家にばらばらに引き取られ、広島を離れたということです。
が、私が在学中に先生が被爆者団体の代表をなさっていたことは知っていましたが、詳しい「その時」のことは大学卒業後20年もたってから知りました。
先生は自分が老いていくことを自覚し、「その時」の体験を小さい冊子にまとめて送ってくださいました。私はその体験談をコピーして機会をとらえて他の方にも読んでもらうようにしています。現在、先生は後遺症といえる2度めの癌を患っていらっしゃいます。
体験者が少なくなってくる中、次世代に伝えていくこと、核兵器廃絶のために何か力を尽すことが大切だと私は思っています。
Posted by カサブランカ at August 07, 2008 00:29
> わん太夫さん

これまでもずっと「勝者の理論」で歴史が作られてきたわけですが、勝者が文化的支配をするのはあくまでも戦後の一定期間であって、長い目で見れば敗者側で文化的優位を構築した例がかなりあることも、歴史の面白い点ですね。
Posted by ike at August 09, 2008 15:31
> カサブランカさん

コメントありがとうございます。

差し支えなければ、その小冊子を入手する方法をお知らせください。
Posted by ike at August 09, 2008 15:33
>池さん

おはよう!

いま、東京にいます

明日の夕方、羽田から伊丹に飛び、

阿部野橋から広島まで、夜行バス

の予定です。

いろいろ書き込んで、困惑させて

すまなかったね

でも、あたたかく見守ってくれて

ありがとう


人を許すことは並大抵のことじゃ

できないかも知れんけど、

それができんかったら、ずっと

高血圧は治らんじゃろうね


これは勝手な解釈やけど

「勉強」って漢字を眺めると

「免じる力を強くする」って

         見えん?



Posted by もりしたゆたか at August 26, 2008 06:09
伝えるということに対する疑問


「わしら、こんなひどいことされたんじゃ」

ということを、末代まで「伝承」セよと。

それは、いつか敵を討ってくれということなのか

それとも、あんなひどいことさせたけど、実は

わしらもやつらにちょっかい出したんで

あんなひどいことされてしもうたんじゃ

けっして人を傷つけちゃ、いけんで


ということを言いたいのか

池さんどう思う?


Posted by のりしたゆたか at August 30, 2008 23:22
> もりしたゆたかさん

そういう発想ではないと思うよ。

原爆を落としたアメリカを憎むことからは何も生まれない。
また、あの状況では開戦以外の道はなかっただろう、というところまで日本が追い込まれていたことも歴史的な事実。反省は必要だけど、必要以上に「自分たちが悪かった」と反省することだけで止まっていても、歴史は今後に生かされないのでは?

なぜ戦争が起きたか、なぜあの状況になったか、なぜ原爆が作られたか、なぜ落とされたか、それがどのようなものだったか。こうした事実だけを我々は考え続けていかないと、と思う。
Posted by ike at September 01, 2008 20:27

池さん、おはよう

それと、核放棄にたいする疑問だよ


俺は、核保有国がある国に核放棄を

迫る時、まずはその保有国が

核放棄をして見せてあげることが必要だと思う


そうしないと、

「自分のことは、棚にあげやがって!!」

と言われると思うよ


ところで、昨日アメリカのペリーさんが

原爆慰霊碑を米国要人としては初めて

お参りしてくださったそうだね


俺は昨夜はアメリカ産のスケソウ鱈の卵で

たらこスパゲッティー作って食べたよ

(オリーブオイルすこしまぶしてさ)

とてもハオチーだったよ(愉笑)


それじゃ、チャオね〜










Posted by もりしたゆたか at September 03, 2008 05:46
> もりしたゆたかさん

核保有国が、あらたな核保有国の誕生を禁止することの「違和感」は、僕もおおいに感じていますよ。

Posted by ike at September 04, 2008 14:25


こんばんは、池さん

今夜は、ニューヨーク・テロ犠牲者の

7回忌なんだね


昔、I♡NY キャンペーン って

あったよね



「違和感」って文字通り読むと

和と違う感覚?


大和魂、平和、和解、和やか…


「和感」って言葉あるんかなぁ



おやすみっす


Posted by もりしたゆたか at September 11, 2008 23:57


上記表示について

love が ♡ に

なっちゃったね(笑)
Posted by もりしたゆたか at September 12, 2008 00:00

<おはよう!

弐箇所訂正

阿部野橋じゃなくて阿倍野橋

(天王寺界隈の方、ごめんなさい)

ペリーさんじゃなく、ペロシさん

(でしたよね?)


黒船じゃなくて白豚、じゃなくて

ホワイトホープが来てくださった

ということかな?


Posted by もりしたゆたか at September 12, 2008 05:29

<ゆうへ

ホワイトホースじゃないの?

ホワイトハウスじゃないよね?


Posted by 濱カオリ at September 14, 2008 20:08
<カオリさん

ホワイトハウスが来たらすごいよね(笑)

そういえば、昔さ、

湖に浮かぶ家が建設されてさ、

水上で生活してる人がいてさ、

役所の人が、違法建築だって

撤去命令出してはったわ


南米のチチカカ湖の人たち

どないしはんねやろ?


ベネチアの家も水に浮いてんじゃなかったっけ?

池さん知ってる?


あ、かおりさん

ホワイトホープでいいねんで

ホープって言ったら

希望じゃけえね

(違ったっけ?)



ゆう
Posted by もりしたゆたか at September 14, 2008 20:15