2012年11月26日

先日、っていっても10月の話だ。
「ザ・スライドショー12〜みうらさん、今度は見仏記SPかよ!」みうらじゅん・いとうせいこうを見に行ってから、中学時代から愛好している「仏像愛」が再燃した。

で、彼らの文庫本の1巻目(現在6巻まで出ている)を再読し、奈良の阿修羅像に会いたくなった。
いつ振りだろうと思い返す。ま、去年には会ってるな…。などと思いながら。

そう、「見に行く」ではなく「会いたく」なったのだ。

阿修羅像は歳も変わらず、そのままでいる。ずーっとそのままだ。中学生のときはじめて見たときに衝撃を受けてからずっとそのまま、少年の顔をしていた。
なんだか、いろんな人にみられて、永遠のアイドルのようだ。

で、今までは仏像として好きだったのだけれど、「もういいや、【アイドル】にしちゃえ!」とおもいきってしまったのだった。これは、とても重要なことである。
なぜかというと、私の知らない間に阿修羅ファンクラブができていたのである。
興福寺の宝物殿も美しくなっているし、なんだかプロダクションを変えたアイドルのようだった。
だから、Tシャツを買い、手拭いを買った。まるでアイドルグッズのようであろう?
というわけで、ファンクラブにも入ろうか悩んでいる。
http://www.kohfukuji.com/fanclub/index.html  (阿修羅ファンクラブ)

きっと、入会するんだろうけど・・・(笑)。

【阿修羅ファンクラブ】
・入会方法
興福寺の国宝館受付で、ファンクラブ会員証付きの拝観券(一般のみ、1000円)を購入すると会員になれます。
有効期限は入会から2年間で、特典として次回以降、拝観料が半額(会員本人のみ300円)になります。
・阿修羅ファンクラブ公式ソング「愛の偶像(ラブ・アイドル)」作詞:みうらじゅん作曲:高見沢俊彦が興福寺ショップにて販売されている。


そのあと、ベタな東大寺に行き盧舎那仏も見てきた。相変わらず、大きいわー。
突然思い出したのが、「勇者ヨシヒコ」というTVに出てくる「仏」(役:佐藤二朗)である。
で、勝手に妄想してみる。
「寄り道?道草?・・・よりみち?みちくさ?・・・・いっしょじゃん!」というセリフをこの廬舎那仏が言ってるすがたを・・・。あ、やっぱ佐藤二朗さんだわ・・・(笑)。
http://www.tv-tokyo.co.jp/yoshihiko2/ (勇者ヨシヒコ)

池ぴょんikepyon41 at 01:40│コメント(2)トラックバック(0)

2011年09月14日

 本日、「限界論」と題した対談を拝聴してきた。
最近、富に忙しい名越先生ですが、1999年に開業したときは暇でリフレッシュしたという話から、独立の経緯を・・・。

お二人は古い付き合いらしく、名越先生がまだ病院に勤めていたときに、関大の植島先生の授業に参加していたお話からはじまり、先生の現地調査でバリに7泊10日で行ったときに、病院を辞めようと思ったとのこと。
緊張と緩和の繰り返しが必要だと。ここでは、赤ん坊にも性的欲求(いやらしい意味ではなく)があるという話から、満足と欠乏が必要。激務だった病院から閑暇な独立へ?

その時、よっぽど、病院勤務は大変だったのかしら?と思った。
でも、それを乗り越え今があるのだなと思うが、人当たりの良さと頭の良さと会話の良さが今の人気を支えているのだろうなと思いました。

さて、本題は宗教人類学者と精神科医の「限界論」の話ですが、周りの方をほんのりと照らし出すような内容でした。結論から言うと、「人間が到達しえないところの世界がある」ということだと思う。

三田に住む真言宗の大阿闍梨の中村公隆山主(サンシュ:住職の意も含め敬いをこめ山の主と呼ぶ)の不思議な体験や、お話を名越先生が語られる。また、真言宗のそれを補足するような形で植島先生が補足を入れられる。
「密教を生きる」(中村公隆著)が素晴らしい本だということを踏まえ、もともと神道と仏教は一つだった話から、真言宗とは、神道(本質)に仏教(手順)を合成したものであり、本質をとらえている、とのこと。


私が、真言宗ときくと、「空海(弘法大師)」を思い出す。中学生時代の歴史のテストだ。高野山で開創したまでかかねばならなかったような・・・。そーいえば、いま東京国立博物館で「空海と密教美術展」がやってた。
東寺の中が、かっらっぽじゃないかと思うほどの大規模な展覧会だ。


互いに台本なしのガチンコで話しているので、話題がよく飛躍するのだが、会話にインスパイアされた形で、

中村公隆和尚 → 奥の細道 → 幻視(幻覚)→ 「月山」(森敦)

となる。なぜ、森敦氏がでてきたのか?という理由は、植島先生が近日まで山形県に行っていたからである。
森敦氏が62歳で「月山(げっさん)」で芥川賞を受賞したことは、最高年齢だそうだ。

植島先生が、「大事なことは貯めておいて、熟成させてだすものではないか。言葉や恋も。」とおっしゃっていたのが印象的だった。

それで、名越先生が、学生時代に森敦氏の講演(大学の文化祭)を聞かれたことがあるらしく、とても感動したとおっしゃっていた。
森敦氏の講演の最後で、「何が言いたいかというと、人間において何が大切であるかというと、【近傍】である」とおっしゃったそうである。その時の名越青年は、すごいものを聞いた!と感じたそうだ。

私も思わず、すごい!と思った。そのあと、「月山」を読もうと思った。
「近傍」とは、傍らにいる人々、もしくは事象の意だよね?日常の近傍の人々の重要性を考える。


その後、マージャンの話や勝負に勝つ話等の植島先生の経験談があり、「宗教の話を語らないで、宗教を語る」というのが植島先生のスタンスで、もっとも宗教から離れているところから宗教を現す。
「人間は自分以外の力を必ず必要とする」という。
寛容・謙虚さというのは、「道徳」である。
道徳の根っこにあるものは、宗教である。

根底とは、「宗教」であるが、その「宗教」がないと、道徳はない。という。


なるほど、と思ってみる。「宗教」とは、何か別なものを信じる力なのかもしれない。
パワースポット等に出没する人々。その人たち宗教性があるのかないのかにより、道徳はあるのかないのか?


言葉の情報と言葉の音の響きが、持つ力と、恋人同志の会話については、興味深かった。
恋人同士が続く会話には、制約の中で許された言葉の中での会話である。というものだ。
で、言葉は(支配)であるし、会話によってもたらされる情報は、相手の謎を薄めるものである。

聴講者からの質問を2.3個答え、
その後、無理やり(むちゃブリ)締めさされる。
「限界論」の輪郭を片鱗を語っただけですが、統べることはできない。「単音では本になるが、オーケストラだと、
まとまらない(本にできない)植島流である」とおっしゃっ対談は終了する。


わかったようなわからんような感じでした。

ふと、思い出した。

「君はもう二度とその話はしないのかと思った。」
「だって仕方がないじゃないの」
「話をすると思い出が消えちまうよ」
「だから、まわりのほうだけ話してるのよ」  
                                    アーネスト・ヘミングウェイ「陽はまた昇る」

私の感想もこんな感じ。



後、先生たちと有志で飲み会となる。

おまけ、
http://www.dai2ntv.jp/player/index.html?item_id=NtvI10010849

ゲバゲバ90分について、語る。



池ぴょんikepyon41 at 17:03│コメント(1)トラックバック(0)セミナー │

2011年04月08日

このたびの大震災、被災された方々にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
また、原発事故の収拾のために、命がけで戦ってくれている方達への敬意の念ととともに、心から感謝いたします。

 先日、小林賢太郎氏の「THE SPOT」に行ってきました。

私の誕生日ということもあり、自分へのプレゼントとしていってきました。

今じゃ、誰も祝ってくれない・・・。って祝ってほしい齢でもないか・・・。
(* ̄∇ ̄*)エヘヘ


一人コントと芝居であり、言葉と視覚を大層刺激されました。
まだ、公演も続くので、ネタバレするといけないので詳細は書きませんがコントの中の「男子自由型」がお気に入りで、マイペースな事をすると「自由型」とのたまいながら、日常用語化してました。

あと、4月1日の嘘は、プ「リーゼの義捐金箱の前に大きな落とし穴がありますので、気をつけて!」とカテコで行ってました(笑)。

さて、こんなときなのに?とおもう人も多々あるとはおもいますが、元気な人は元気に生活しましょう。

久しぶりの日記、

以下、小林賢太郎さんのメッセージです。

私は、「被災していない人が疑似被災してはいけません」ということがとても感心したのです。

全文はHPへ http://kentarokobayashi.net/message.html

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池ぴょんikepyon41 at 17:12│コメント(0)トラックバック(0)日記 │