「始皇帝と大兵馬俑」に行きました。
行ったのは12月前半だから、もう二ヶ月の話なんですが。
始皇帝と言えば『キングダム』だ。
歴史物のネタバレは、どこまでが一般知識なのか線引きが難しい。
たとえば『本能寺の変』なら、中学生以上はだいたい知っているだろう。
しかし、『キングダム』の政が今後どうなるのかは微妙な気がする。
『キングダム』の未来についてネタバレになるかもしれませんが、「始皇帝と大兵馬俑」展の感想です。
帯鉤(たいこう)というベルトのバックルのような装身具や秦の首都・咸陽で使われていた水道管とかは、初めて知りました。
水道管がすでにあったとは、ローマにも負けてないですね。
そういう話も良いんですが、やっぱり目玉は兵馬俑ですよ。
『キングダム』で信たちが身につける鎧は、おそらく兵馬俑を参考資料としている。
粘土で再現されているが、皮や金属で四角の小片を作り、ヒモでつなげたものだ。
身分が上がると上腕をカバーする袖がつく。
さらに将軍になると胸部分が一枚板で補強されるようだ。
信もそろそろ将軍の鎧がもらえるか?
日本の鎧と比較すると、異なる点が二つある。
手と足の装備だ。
まず、手の装備について。
腕や手を守る、手甲がない。
剣や槍などで戦う時、身体の中でイチバン前にでる部位が手だ。
つまり、もっとも攻撃が当たりやすい。
守って損のない部位なんだけどな。
出土品には見つかっていないが、盾を装備するので手甲をつけていないのかも。
日本では盾が定着しなかったので、盾代わりにも使える手甲が流行ったのかもしれない。
足の装備についてだが、兵馬俑は全員クツをはいている。
兵種によってタイプは違うが全員クツだ。
ワラジは一人もいない。
三国志の劉備は内職でムシロやワラジを編んでいたというエピソードは有名だ。
映画『レッド・クリフ』でも、ワラジを渡していた。
時代の差でクツってワケじゃないだろう。
ワラジは歩きやすく滑りにくいので便利らしいが、摩耗が激しい。
戦闘中にダメになるリスクを避けて、クツにしているのだろう。
兵馬俑は始皇帝を守るために存在している。
つまり、皇帝直属の近衛兵ってワケだ。
体格・装備・練度が最高級の兵士なのだろう。
もっと下っ端の兵士は鎧も簡単で、ワラジをはいていたのかもしれない。
武器の出土物として、弩や矛、戈があった。
青銅製で、矛は製造年と製作者の名前入りだ。
しっかり品質管理されているので、素人目にも良くできているのがワカる。
この時代は、まだ鉄の精製技術が低く、鉄器は硬いがもろい物だった。
そのため、高価な青銅で作った武器の方が強力なのだ。
三国志の曹操も矢の鏃(やじり)は青銅製を使うようにと指示したらしい。
らしいというのは、まだ該当する文章を『三国志』から見つけられていないんですけど。
とにかく、こういう装備を見ても兵馬俑が精鋭の兵であることがワカる。
秦王・政が即位してすぐに、この墓と兵馬俑はつくりはじめられた。
他の国と戦争して併呑している後ろでは、こんな大事業をやっていたのだ。
つまり、秦にはそれだけの余力があったって事になる。
その余力を、もうちょっと民に還元してあげたら、秦は長続きしたのかもしれない。
行ったのは12月前半だから、もう二ヶ月の話なんですが。
始皇帝と言えば『キングダム』だ。
歴史物のネタバレは、どこまでが一般知識なのか線引きが難しい。
たとえば『本能寺の変』なら、中学生以上はだいたい知っているだろう。
しかし、『キングダム』の政が今後どうなるのかは微妙な気がする。
『キングダム』の未来についてネタバレになるかもしれませんが、「始皇帝と大兵馬俑」展の感想です。
帯鉤(たいこう)というベルトのバックルのような装身具や秦の首都・咸陽で使われていた水道管とかは、初めて知りました。
水道管がすでにあったとは、ローマにも負けてないですね。
そういう話も良いんですが、やっぱり目玉は兵馬俑ですよ。
『キングダム』で信たちが身につける鎧は、おそらく兵馬俑を参考資料としている。
粘土で再現されているが、皮や金属で四角の小片を作り、ヒモでつなげたものだ。
身分が上がると上腕をカバーする袖がつく。
さらに将軍になると胸部分が一枚板で補強されるようだ。
信もそろそろ将軍の鎧がもらえるか?
日本の鎧と比較すると、異なる点が二つある。
手と足の装備だ。
まず、手の装備について。
腕や手を守る、手甲がない。
剣や槍などで戦う時、身体の中でイチバン前にでる部位が手だ。
つまり、もっとも攻撃が当たりやすい。
守って損のない部位なんだけどな。
出土品には見つかっていないが、盾を装備するので手甲をつけていないのかも。
日本では盾が定着しなかったので、盾代わりにも使える手甲が流行ったのかもしれない。
足の装備についてだが、兵馬俑は全員クツをはいている。
兵種によってタイプは違うが全員クツだ。
ワラジは一人もいない。
三国志の劉備は内職でムシロやワラジを編んでいたというエピソードは有名だ。
映画『レッド・クリフ』でも、ワラジを渡していた。
時代の差でクツってワケじゃないだろう。
ワラジは歩きやすく滑りにくいので便利らしいが、摩耗が激しい。
戦闘中にダメになるリスクを避けて、クツにしているのだろう。
兵馬俑は始皇帝を守るために存在している。
つまり、皇帝直属の近衛兵ってワケだ。
体格・装備・練度が最高級の兵士なのだろう。
もっと下っ端の兵士は鎧も簡単で、ワラジをはいていたのかもしれない。
武器の出土物として、弩や矛、戈があった。
青銅製で、矛は製造年と製作者の名前入りだ。
しっかり品質管理されているので、素人目にも良くできているのがワカる。
この時代は、まだ鉄の精製技術が低く、鉄器は硬いがもろい物だった。
そのため、高価な青銅で作った武器の方が強力なのだ。
三国志の曹操も矢の鏃(やじり)は青銅製を使うようにと指示したらしい。
らしいというのは、まだ該当する文章を『三国志』から見つけられていないんですけど。
とにかく、こういう装備を見ても兵馬俑が精鋭の兵であることがワカる。
秦王・政が即位してすぐに、この墓と兵馬俑はつくりはじめられた。
他の国と戦争して併呑している後ろでは、こんな大事業をやっていたのだ。
つまり、秦にはそれだけの余力があったって事になる。
その余力を、もうちょっと民に還元してあげたら、秦は長続きしたのかもしれない。