前回感想で『シン・ゴジラ』は なぜスカイツリーを破壊しなかったのか?という疑問から、『シン・ゴジラ』はゴジラ映画の守破離をやっていると推測しました。
どのへんが守破離なのか?
また、『シン・ゴジラ』は守破離ごとにどのような魅力があるのかを書いていこうと思います。
『シン・ゴジラ』を3つのパートに分けると、次のようになる。(私見です)
(1) ゴジラ登場から、いちど海に帰るまで
(2) ゴジラ再登場から、休憩に入るまで
(3) ゴジラ休憩中から、最終決戦まで
これが、だいたい守破離にも対応している。
ただし、順番は破守離ですが。
それぞれに方法論が違うため、魅力も違う。
どの部分が好きかで、シン・ゴジラ占いができるかも。
(1) 破:ゴジラ登場から、いちど海に帰るまで
『シン・ゴジラ』はゴジラ映画の破からはじまる。
今までのゴジラ・怪獣映画で不足している要素はどこだろうか。
そう考えると、リアリティー不足という意見が出てくるだろう。
リアリティーの補強は平成ガメラシリーズがすでに行っている部分だが、『シン・ゴジラ』はさらにそこを強化している。
今までの特撮は映像のリアリティーは追及していたが、人間のリアリティーが弱かった。
『シン・ゴジラ』はそこを補強している。
未知の巨大生物があらわれた時、日本政府はどうするのか?
自衛隊や米軍はどう動くのだろう。
そういった部分をリアルに描こうとしている。
怪獣映画でありながら、一発の銃弾も発射できないというのが破のリアリティーだ!
もっとも、『シン・ゴジラ』のやり取りが本当にリアルなのかどうかは置いとく。
たとえば新井英樹が漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』の執筆で自衛隊に取材したら「怪獣が現われたときにはこういう対応をするんだ」と言われたらしい。(参考)
本当に怪獣が出現したら、もっとスムーズに対応できるのかも。
ただ、本当のリアルってのは誰にもわからない。
私は三国志演義が好きなので多少詳しい。作中の騎馬隊が現実的でない部分も知っている。
三国志演義の成立年代と、本来の三国志時代とは馬具や製鉄技術(武器・防具)、戦術、一騎討ちの発生件数などに違いがあると指摘はできるのだが、どんな戦いがリアルなのかわからない。
三国志演義が成立したころは、まだ騎馬隊が活躍していた時代だし本来ならその時代なりのリアルがあっても良いのだが、三国志演義での描かれかたは非常に小説的だ。
大多数の読者・観客は戦争のリアルを求めていなかったのかもしれない。
リアリティーは現実にあるのではなく、受ける側の頭の中にある。
政府がお役所仕事的な対応で協議ばっかりでなにも決められないという現実感を、観客はすでに持っているのだ。
そういう意味で、現実に問題を感じている人ほど、ぐだぐだで決められない政府の姿にリアリティーを感じるのだろう。
この部分が好きな人は、政治や時事問題にも関心のある人が多いだろう。
(2) 守:ゴジラ再登場から、休憩に入るまで
ここは従来のゴジラ映画と同じく、怪獣との戦闘が描かれる。
最初からゴジラもなじみのある姿だ!
ただし、前段階でリアリティーの保障がされているし、新たな進化をとげたゴジラの圧倒的破壊力が大きなカタルシスをうむ。
この部分については語るまい。
映像を見てね、としか言いようがない。
もちろん、ゴジラのアレが強い、これがスゴいと言いたいが、そこは割愛します。
語りだすと切りが無さそうなんで。
この部分が好きな人は、従来のゴジラ映画好きだろう。
私もここが好きだ。
BDになったら、何度もリピートして見たい。
(3) 離:ゴジラ休憩中から、最終決戦まで
そして、これが新しいゴジラだッ!
従来のゴジラ退治でありながら、まるで違う作戦が展開される。
ここに来て、ゴジラ以上に日本の作戦が虚構に見えていく。
ところで、この「ヤシオリ作戦」は『ゴジラ(1984年版)』で失敗した作戦と似ている。
『ゴジラ(1984年版)』では自衛隊の秘密兵器スーパーXが核反応を抑制するカドミウム弾をゴジラの口中に撃ちこんで、飲みこませる。
ゴジラを一時活動停止にしたもののソ連の核ミサイル暴発が起点となってゴジラは復活してしまう。
そんなワケで、『シン・ゴジラ』を見ながら「核は失敗の可能性があるから撃たんでくれ」と祈っていた。
この部分は無人機・非軍事兵器で、各人が協力し作戦を成し遂げる。
プロジェクトX的な、組織の頑張りが燃えどころだ。
個人的にグッときたのが、ドイツがスパコンを二つ返事で貸してくれたあたりや、民間との協力だ。
今までグダグダ会議をしていたのがウソのように、目標に向けてまっすぐ進む。
日本の強味である現場力が最大限に活かされてたらゴジラにだって勝てる!
ゴジラを拘束するのは、戦後の焼け野原から復興した高層ビルと、勤勉な働き手を運ぶ電車だ!
日本の切り札は軍事兵器ではなく、築きあげてきた繁栄の建築物である。
ある意味、首都のド真ン中にゴジラを引きこんだ本土決戦だ。
ゴジラよ、瓦礫の海に沈め!
この部分が好きな人は、チームワークで戦うスポーツ系が好きな人が多いだろう。
士気を鼓舞する演説があるのも、このパートだけだし。
『シン・ゴジラ』には多彩な魅力がある。
自分がどの部分が好きなのか、人に勧める時はどこを推せばいいのか、参考になれば幸いです。
さて、ここまで考えて『シン・ゴジラ』の構造がある作品と似ていることに気がついた。
次回は、『シン・ゴジラ』と●●●●●●●の関係について書こうと思います。
どのへんが守破離なのか?
また、『シン・ゴジラ』は守破離ごとにどのような魅力があるのかを書いていこうと思います。
『シン・ゴジラ』を3つのパートに分けると、次のようになる。(私見です)
(1) ゴジラ登場から、いちど海に帰るまで
(2) ゴジラ再登場から、休憩に入るまで
(3) ゴジラ休憩中から、最終決戦まで
これが、だいたい守破離にも対応している。
ただし、順番は破守離ですが。
それぞれに方法論が違うため、魅力も違う。
どの部分が好きかで、シン・ゴジラ占いができるかも。
(1) 破:ゴジラ登場から、いちど海に帰るまで
『シン・ゴジラ』はゴジラ映画の破からはじまる。
今までのゴジラ・怪獣映画で不足している要素はどこだろうか。
そう考えると、リアリティー不足という意見が出てくるだろう。
リアリティーの補強は平成ガメラシリーズがすでに行っている部分だが、『シン・ゴジラ』はさらにそこを強化している。
今までの特撮は映像のリアリティーは追及していたが、人間のリアリティーが弱かった。
『シン・ゴジラ』はそこを補強している。
未知の巨大生物があらわれた時、日本政府はどうするのか?
自衛隊や米軍はどう動くのだろう。
そういった部分をリアルに描こうとしている。
怪獣映画でありながら、一発の銃弾も発射できないというのが破のリアリティーだ!
もっとも、『シン・ゴジラ』のやり取りが本当にリアルなのかどうかは置いとく。
たとえば新井英樹が漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』の執筆で自衛隊に取材したら「怪獣が現われたときにはこういう対応をするんだ」と言われたらしい。(参考)
本当に怪獣が出現したら、もっとスムーズに対応できるのかも。
ただ、本当のリアルってのは誰にもわからない。
私は三国志演義が好きなので多少詳しい。作中の騎馬隊が現実的でない部分も知っている。
三国志演義の成立年代と、本来の三国志時代とは馬具や製鉄技術(武器・防具)、戦術、一騎討ちの発生件数などに違いがあると指摘はできるのだが、どんな戦いがリアルなのかわからない。
三国志演義が成立したころは、まだ騎馬隊が活躍していた時代だし本来ならその時代なりのリアルがあっても良いのだが、三国志演義での描かれかたは非常に小説的だ。
大多数の読者・観客は戦争のリアルを求めていなかったのかもしれない。
リアリティーは現実にあるのではなく、受ける側の頭の中にある。
政府がお役所仕事的な対応で協議ばっかりでなにも決められないという現実感を、観客はすでに持っているのだ。
そういう意味で、現実に問題を感じている人ほど、ぐだぐだで決められない政府の姿にリアリティーを感じるのだろう。
この部分が好きな人は、政治や時事問題にも関心のある人が多いだろう。
(2) 守:ゴジラ再登場から、休憩に入るまで
ここは従来のゴジラ映画と同じく、怪獣との戦闘が描かれる。
最初からゴジラもなじみのある姿だ!
ただし、前段階でリアリティーの保障がされているし、新たな進化をとげたゴジラの圧倒的破壊力が大きなカタルシスをうむ。
この部分については語るまい。
映像を見てね、としか言いようがない。
もちろん、ゴジラのアレが強い、これがスゴいと言いたいが、そこは割愛します。
語りだすと切りが無さそうなんで。
この部分が好きな人は、従来のゴジラ映画好きだろう。
私もここが好きだ。
BDになったら、何度もリピートして見たい。
(3) 離:ゴジラ休憩中から、最終決戦まで
そして、これが新しいゴジラだッ!
従来のゴジラ退治でありながら、まるで違う作戦が展開される。
ここに来て、ゴジラ以上に日本の作戦が虚構に見えていく。
ところで、この「ヤシオリ作戦」は『ゴジラ(1984年版)』で失敗した作戦と似ている。
『ゴジラ(1984年版)』では自衛隊の秘密兵器スーパーXが核反応を抑制するカドミウム弾をゴジラの口中に撃ちこんで、飲みこませる。
ゴジラを一時活動停止にしたもののソ連の核ミサイル暴発が起点となってゴジラは復活してしまう。
そんなワケで、『シン・ゴジラ』を見ながら「核は失敗の可能性があるから撃たんでくれ」と祈っていた。
この部分は無人機・非軍事兵器で、各人が協力し作戦を成し遂げる。
プロジェクトX的な、組織の頑張りが燃えどころだ。
個人的にグッときたのが、ドイツがスパコンを二つ返事で貸してくれたあたりや、民間との協力だ。
今までグダグダ会議をしていたのがウソのように、目標に向けてまっすぐ進む。
日本の強味である現場力が最大限に活かされてたらゴジラにだって勝てる!
ゴジラを拘束するのは、戦後の焼け野原から復興した高層ビルと、勤勉な働き手を運ぶ電車だ!
日本の切り札は軍事兵器ではなく、築きあげてきた繁栄の建築物である。
ある意味、首都のド真ン中にゴジラを引きこんだ本土決戦だ。
ゴジラよ、瓦礫の海に沈め!
この部分が好きな人は、チームワークで戦うスポーツ系が好きな人が多いだろう。
士気を鼓舞する演説があるのも、このパートだけだし。
『シン・ゴジラ』には多彩な魅力がある。
自分がどの部分が好きなのか、人に勧める時はどこを推せばいいのか、参考になれば幸いです。
さて、ここまで考えて『シン・ゴジラ』の構造がある作品と似ていることに気がついた。
次回は、『シン・ゴジラ』と●●●●●●●の関係について書こうと思います。