今更ですが、最終回までの感想だッ!

 大坂の陣は真田幸村(信繁)が生涯最期に輝きを見せた場所なんだけど、行動が常にベストってワケじゃない。
 せっかく秀頼が前線の視察に行こうと言ったのに止めちゃうし。
 人間は初めての行動をするときの抵抗が大きい。
 普段から慣れておくのは重要だ。

 あと、和平交渉も最初からしておくべきだろう。
 豊臣側は負けないかもしれないが、勝てる見込みがない。
 だから最初から交渉しておいて、戦況に応じて押したり引いたりするものだろう。
 ただ、これは近代的な考えで江戸初期とは違うのかも。
 籠城している側の降伏って、城門破られた後とか間に合わなさそうなタイミングですることもあるらしいし。

 真田丸にこもる幸村は、意外と基本に忠実だ。
 挑発や爆破で戦闘開始のタイミングを操っているが、戦術は正攻法だった。
 けっきょく攻城戦は守るほうが有利ってことですね。

 しかし、戦術の勝利を積みかさねても戦略の勝利にはならない。
 幸村がどれだけガンバっても、そもそもの戦略がダメだと勝利につながらないのだ。
 けっきょく、トップの秀頼がダメだったという事なんだろうな。
 というか、頼れる側近がいなかったのが良くないのか。
 側近がいないという話になると、父・秀吉の代からの失敗ってことになる。
 豊臣恩顧の大名もぜんぜん仲間になってくれないし。

 幸村が最後の切り札にしたのは馬上筒だ!
 しかも、火打石式だよ。
 フリントロック式だと、時代的に早すぎる気もするが、最先端の輸入品ってことなのかも。
 フリントロック式は『ONE PIECE』で使われている銃ですね。

 火打石式は火打石をぶつけた火花で着火するという構造のため、火のついた縄を押しつけて着火する火縄式にくらべて衝撃が大きく命中率が下がる。
 それを馬上筒でやるんだから、ますます当たらんよな。
 幸村はこれを最後の切り札にした時点で、ちょっと不利な賭けになっていたって事だ。

 万策つき安居神社で休んでいるのは一般的な話と同じだな。
 ここで父直伝のケンカ必勝法を使うとはッ!
 つうか、こんな技を幼児に教えんなよ。
 でも、最後に敵を倒しているので、さすが真田昌幸の兵法だ。

 ところで、幸村は本当に死んだのだろうか?
 たしかに、兄・信之の六文銭が鳴ったのは死を連想させる演出だ。
 だが、いつものようにナレーションによる死亡確認が無かった。
 さらに言うと、秀頼の死も描かれていない。
 淀殿には生きのびるための策があると言っていたが……

 真田十勇士では幸村親子は秀頼と共に九州へ落ち延びることになっている。
 幸村の影武者は十勇士の穴山小助と根津甚八がつとめ、なんで幸村の首が二つもあるんだよ、バカ! って状態になるが、メインの影武者と以前戦った人がいて「コイツの顔は知っている。コイツが幸村です」となり一件落着するのだ。

 たとえば、幸村の気が変わって倒した兵士の鎧をうばい大坂城に戻り、秀頼と合流したとしよう。
 そうなると安居神社には幸村の鎧と、死体が二つのこることになる。
 後からきた人が自害した幸村だと思い首を持ちかえったとしても不思議はない。
 首検分でバレる可能性があるけど、死体の顔は判別しにくいだろし。

 とにかく、そういう解釈もできるのではないでしょうか?
 ナレーションに死亡確認されるまで、生きるのをあきらめるなッ!