・第3回 孫権「信」がピンチを救う

 2回感想の後編をまだ書いていませんが、先に3回感想を書いちゃいます。

 呉は孫堅、孫策、孫権という父・兄・弟の三代がうちたてた。
 三国志の君主はほとんどが他地域からやって来た雇われ君主だと前に書きましたが、孫権だけは出身地(戸籍地)と同じところに勢力を築いている。
 と、言っても孫一族は弱小豪族なので、やっぱり外部から来た雇われ君主の要素が大きい。
 地元の呉郡には呉の四姓と言われる有力豪族「顧・陸・朱・張」を筆頭に数多くの豪族がいて、やっぱろ寄合政権のようになっていた。
 番組では周瑜の周一族が最大の名士として孫氏政権を支えたと言っているが、袁紹たちの袁一族ですら単独で独立できなかったように、周一族だけじゃたかが知れているのだろう。

 魯粛伝には、袁術に使えるが見限って周瑜と一緒に長江を渡り(つまり孫策陣営に行く。注によれば孫策と意気投合したらしい)、孫権の代になって将来が不安だったので 去ろうとしたら引きとめられたと書いてある。
 周瑜伝には、孫策陣営に行くのは袁術が皇帝僭称した翌年(198年)とあるので、孫策の独立を支援したというより、あとから参加したようだ。
 これを周瑜が孫策の独立を援助し、孫権が魯粛を見出したと解釈するなら、ちゃんと説明して欲しい。

 孫策・周瑜・魯粛が袁術を見限ったが、最初からの計画なのかどうかが気になる。
 袁術の皇帝僭称で人が離れた論は、その通りだと思うが、孫策たち以外に離れた人がどれだけいたのか良くわからん。
 この辺は計画的と思われる記述があちこちにあるんですが、全部書いてると長くなるんで省略します。

 今回の100分de名著「三国志」は、BGMがたぶんジャイアントロボだ。
 展開の強引さが似ているという事なんだろうか。
 どっちも、ちゃんと説明しろやとツッコミ入れたくなるところが似ている。

陳寿『三国志』 2017年5月 (100分 de 名著)
100分de名著「三国志」