・第4回 劉備の「仁」、諸葛亮の「知」

 三国志演義では主役あつかいの劉備と諸葛亮が〆の話となる。
 100分de名著では、劉備と諸葛亮の緊張関係にふれていた。

 だいたい、どこでも主従には緊張関係がある。
 権力の奪い合いであり、予算の奪い合いだったりで。
 漢の国家会計は、公共工事などに使う国家財政費と皇帝が私的に使ってよい帝室財政に分かれている。
 他の時代までは詳しくないのだが、まあ事情は同じだろう。

 私的と言っても先祖をまつったりとか公的性格の強い使いかたもあり、コレって公的で良くね?と予算を奪い合うこともあるらしい。
 前漢のころは、私的予算の方が大きかったりと、ワケのわからん状態だったらしい。
『元帝時代(前四八~前三三年)において、国家財政費は四〇億銭、帝室財政費は四三億銭であり、前者には武帝時代における増税策による収入が加わっていることを考えると、帝室財政の規模の大きさをうかがうことができる。』(世界歴史大系 中国史1

 だが、霊帝(黄巾の乱がおきた時の皇帝)が即位した時は、私的につかえる財産がかなり少なくなっていた。
 で、霊帝は役職を売る売官をやってしまう。
 このように、皇帝と家臣は互いの権力や予算をかけて争っていたのだ。

 「別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつる」と言う動きは、どの時代にも見えてくる。
 ただ、立てられた大将だって大人しくあやつられたりしない。
 また、大将を上手くあやつれない時は、自分が大将になろうとする者も出てくる。
 これが、君主と家臣の緊張関係だ。

 番組では劉備が諸葛亮に、我が子・劉禅に才が無ければお前がかわりになれと「乱命(従うことのできない命令)」を出したと紹介しています。
 跡継ぎに才が無ければお前がかわれってのは、常套句みたいなもので孫策も張昭に「もし仲謀(孫権)に仕事に当る能力がないようならば、あなた自身が政権を執ってほしい。」と言っている。(張昭伝 注・呉歴)
 ただ、「別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつる」という行動を考えると「責任をトップに押しつけて操ろうとするだけでなく、自分がトップになって責任を取る気になってやれ」という意味合いが出てくるのかもしれない。

 なお、諸葛亮と張昭はポジションが似ていて、地方勢力によそから来た知識人で、組織のNo.2なんだけど実質イチバン偉いみたいな立場で、先代から押しつけられた年上の存在である。
 孫権は張昭とかなりバチバチと権力争いをすることになった。
 劉禅はわりと諸葛亮の言いなりのようだ。
 そこは、大将の資質の差ってところだろうか。

 諸葛亮と劉禅の緊張関係については中村愿『三國志逍遥』が諸葛亮の「出師の表(出兵するさいの決意表明みたいなもの)」について面白いことを書いている。

『一読して解ることは「出師の表」が、劉禅と臣下ら(及び反諸葛亮派)に対して成都を留守にしている間の後事を指示した、事務的性格の強い文章だということである。
 それも強制と脅しを内に秘めた、死人に口なしの「先帝」の威厳を最大限に利用して、自己の功績と権威を控え目に強調し、さらに実力とは遠くかけ離れた妄想に近い軍事行動を、有無を言わさず承認させるための――。
 そこに臣下としての真の意味での"忠"(天子に尽くすことは、天子たらしめている天下(よのなかのひとびと)のために尽くすことである。)は、どこを捜しても見当たらない。』

 「出師の表」は有名なのでググればいくらでも出てきます。(こちらなど)
 もちろん一読しても、強制と脅しを内に秘めた文章だとはワカらん。
 その辺の説明は『三國志逍遥』を読んでください。
 まあ、こういう解釈もあるのかと言う感じ何ですが。
 100分de名著で言う通り劉備と諸葛亮の間に緊張関係があったからこそ、こういう説も出てくるのだろう。

 劉備の子・劉禅は暗君の代表みたいに言われているけど、権力の奪い合いでは家臣に勝っている。
 でも、人望がなかったのかも。
 国が亡びる時に諦めましょう、ここで試合終了ですよとか言われちゃうのは切ない。

 なお、『三國志逍遥』では『陳寿の手になる人物伝のなかで、もっとも人間的魅力の少ない者のひとりは劉備であろう。』とも言っている。
 悪い部分のみに注目すれば人間的魅力が少なく見えるだろうが、全体で見渡せば劉備はじゅうぶんに魅力がある。と私は思いますが。
 劉備の遺言とか道徳の教科書にのせても良いぐらいに感動的だし。

 このように歴史とはいろいろな解釈ができる。
 100分de名著で語られた三国志も、いくつかある解釈のひとつだ。
 そんなワケで、私の解釈もありますし、第二回の感想で書きそびれているので、その辺をちょっと補記する予定です。
 歴史ネタは 調べものをしなくちゃいけないんで、ちょっと時間がかかってしまうので、更新頻度は少なめになると思いますが。

陳寿『三国志』 2017年5月 (100分 de 名著)
100分de名著「三国志」