NHKで張家界天門山紹介番組をやっていた。
 番組で西暦263年に地震があり、山が門の形に崩れ、呉の皇帝孫休がこれを見て「天門山」の名前をつけたと紹介されていた。

 古代の中国では地震などの天変地異は、天から何らかの啓示であるとされている。
 なので大きな地震があれば史書に記録がのこるのだ。

 263年は三国志の時代なので、三国志を確認してみた。
 で、三国志・呉書の263年(永安六年)あたりに地震の記述は無かった。
 となると、地元の伝承って事だろうか。
 皇帝が関わる事だけに史書にのっていないのは信憑性に関わるが、まあイイか。

 念のため永安六年(263年)の前後を読んだんだけど、なんか天変地異が多い。
 以下、ちょっと抜粋してみます。

『永安二年(二五九)の春正月、震電(かみなり)があった。』

『永安三年(二六〇)の春三月、西陵から赤い烏が出現したとの報告があった。』

『永安四年(二六一)の夏五月、大雨が降って、川や谷が溢(あふ)れた。』
『九月、〔鬱林郡の〕布山から白い龍が出現したとの報告があった。』
『この歳、安呉の平民である陳焦(ちんしょう)が死亡し、埋葬したが、六日たって生きかえり、穴を穿(うが)って出てきた。』

『永安五年(二六二)の春二月、白虎門(建業城の正門)の北楼が火災で燃えた。』
『秋七月、〔新都郡の〕始新から黄色い龍が出現したとの報告があった。』
『八月壬午(じんご)(十三日)の日、大雨が降り雷が鳴って、川や谷が溢れた。』

『永安六年(二六三)の夏四月、〔零陵郡の〕泉陵から黄色い龍が出現したとの報告があった。』
『冬八月、蜀から、魏の攻撃を受けているとの知らせがやって来た。』(※ この年に蜀は滅ぶ)
『『呉歴』にいう。この歳、青い龍が長沙に出現し、白い燕が慈胡(慈湖)に出現し、赤い雀が豫章(よしょう)に出現した。』

『永安七年(二六四)』『秋七月』『癸未(きび)(二十五日)の日、孫休が逝去した。』
 そして、呉にとって最後の皇帝となる暴帝・孫晧が即位する。

 西暦263年前後は天変地異ばっかりだ。
 なかでも安呉の平民・陳焦が死後6日後に生きかえって土から出てきたってのがスゴい。
 平民の名前が史書にのるのは珍しい。やっぱり当時もインパクトがあったのだろう。
 なお、動く死体の妖怪キョンシー(殭屍)が文献に登場するのはもっとあとの事になる。
 生きかえった陳焦がどうなったのか気になるんですけど、その後が書いていないのが残念だ。