感想

『風都探偵』と『クジラの子らは砂上に歌う』

 ビックコミックスピリッツで連載している『風都探偵』でついに左翔太郎とフィリップが変身した!
 いや、正確には変身したのは先週なんですけどね。
 ちゃんとカラーページで変身してくれて、仮面ライダーWファンは感涙まちがいなしだ!

 と言うワケで、仮面ライダーWの続編『風都探偵』が連載されている。
 今週は仮面ライダー特集で、オマケも充実だ。
 仮面ライダーW最終回後の風都ですが、まだメモリーによる怪事件が起きているし、探偵のお仕事も無くならない。

 写実系の絵柄のおかげで、情報屋や刑事さんたちも元の顔が思い浮かぶリアリティーですよ。
 翔太郎は相変わらずハードボイルドになりきれていないし、フィリップも相変わらずだ。
 だが、二人がいる限り風都の平和は守られる。

 月曜日に発売の雑誌だと感想を書くタイミングがつかめなくて、なかなか感想書けませんでした。
 だが、ヒーロータイムの感想は来週から月曜日に書く予定なので、ついでに感想を書いていくかもしれません。


 ヒーロータイムの感想をなぜ月曜日に書くことにするかと言うと梅田阿比の『クジラの子らは砂上に歌う』が次の日曜深夜からアニメ放送開始なんですよ。
 梅田先生は、チャンピオンで短期集中連載『人形師いろは』でその実力を見せ、『フルセット!』『幻仔譚じゃのめ』と連載していた人です。
 『クジラの子らは砂上に歌う』は不勉強で読んでなかったんですが、これを機に読んでいる。
 なので、来週から日曜日は『クジラの子らは砂上に歌う』感想です。


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100分de名著「三国志」感想もどき3

・第3回 孫権「信」がピンチを救う

 2回感想の後編をまだ書いていませんが、先に3回感想を書いちゃいます。

 呉は孫堅、孫策、孫権という父・兄・弟の三代がうちたてた。
 三国志の君主はほとんどが他地域からやって来た雇われ君主だと前に書きましたが、孫権だけは出身地(戸籍地)と同じところに勢力を築いている。
 と、言っても孫一族は弱小豪族なので、やっぱり外部から来た雇われ君主の要素が大きい。
 地元の呉郡には呉の四姓と言われる有力豪族「顧・陸・朱・張」を筆頭に数多くの豪族がいて、やっぱろ寄合政権のようになっていた。
 番組では周瑜の周一族が最大の名士として孫氏政権を支えたと言っているが、袁紹たちの袁一族ですら単独で独立できなかったように、周一族だけじゃたかが知れているのだろう。

 魯粛伝には、袁術に使えるが見限って周瑜と一緒に長江を渡り(つまり孫策陣営に行く。注によれば孫策と意気投合したらしい)、孫権の代になって将来が不安だったので 去ろうとしたら引きとめられたと書いてある。
 周瑜伝には、孫策陣営に行くのは袁術が皇帝僭称した翌年(198年)とあるので、孫策の独立を支援したというより、あとから参加したようだ。
 これを周瑜が孫策の独立を援助し、孫権が魯粛を見出したと解釈するなら、ちゃんと説明して欲しい。

 孫策・周瑜・魯粛が袁術を見限ったが、最初からの計画なのかどうかが気になる。
 袁術の皇帝僭称で人が離れた論は、その通りだと思うが、孫策たち以外に離れた人がどれだけいたのか良くわからん。
 この辺は計画的と思われる記述があちこちにあるんですが、全部書いてると長くなるんで省略します。

 今回の100分de名著「三国志」は、BGMがたぶんジャイアントロボだ。
 展開の強引さが似ているという事なんだろうか。
 どっちも、ちゃんと説明しろやとツッコミ入れたくなるところが似ている。

陳寿『三国志』 2017年5月 (100分 de 名著)
100分de名著「三国志」

100分de名著「三国志」感想もどき2前編

・第2回 曹操 乱世のリーダーの条件(前編)

 今回も感想書きます。
 いや、今回もあまり感想にならないと思いますが。
 
 今回の話は曹操メインなんだけど、正史を扱うと言っているのだから演義準拠で話をしないで欲しい。
 三国志大好き芸人の「諸説あります」テロップ付きのトークじゃないんだからさ。

 ちょっと、「100分 de 名著」テキストから引用します。
『反董卓連合軍の結成時には、曹操は盟主となった袁紹から行奮武将軍に任じられました。しかし、董卓が早々に長安へ撤退すると、戦陣には厭戦ムードが蔓延し、袁紹、袁術ら参加者の大半は酒宴を繰り広げていました。』(略)曹操は『董卓軍の追撃を主張して、陣中で孤立します。』(略)『董卓は洛陽からの撤退時、追撃に備えて精強な涼州兵を残していきました。』

 三国志演義の汜水関・虎牢関の戦いあたりの話ですね。
 反董卓連合軍の攻勢で董卓は虎牢関から洛陽に撤退し、長安に遷都して洛陽に火をかけた。曹操は追撃を主張するが、賛同をえられず単独で追う。董卓は追撃対策としてケイ陽に伏兵をおく。ってのが大雑把な話だ。(三国志演義1

 この部分は時系列や地理関係、人物の活躍が虚実いりまじっている部分で、正史と演義の差を比較する場合に良く引き合いに使われる。
 そういう部分なのだから、ちゃんと正史の準拠で話をしてほしかった。

 比較として『三国志 武帝紀』から引用します。(なお、太祖は曹操のこと。年代は太陰暦と西暦で一致しないんだけど、見逃してください)

『太祖は陳留に行きつくと、家財を散じて義兵を集め、董卓を滅ぼそうと計画した。冬十二月、己吾(きご)において旗あげした。この年は忠平六年(一八九)である。』
『初平元年(一九〇)の春正月』(略)袁紹ら『は、同時にみな兵をあげた。軍勢はそれぞれ数万、袁紹を盟主に推挙した。太祖は奮武将軍を兼務した。』
『二月、董卓は挙兵のことを聞くと、天子を移居させて長安を都とした。董卓はそのまま洛陽に駐屯していたが、けっきょく宮室を焼き払った。この時、袁紹は河内に駐屯し、張バク・劉岱・橋瑁・袁遺は酸棗(さんそう) に駐屯し、袁術は南陽に駐屯し、孔チュウは潁川に駐屯し、韓馥はギョウにあった。董卓の軍が強力なので、袁紹らはあえて先頭をきって進軍しようとしなかった』
 曹操は進軍を主張し『張バクは、将軍衛茲に兵を分け与えて太祖に随行させたが、ケイ陽のベン水まで来ると、董卓の将軍徐栄と遭遇した。交戦したが負けいくさとなり』
『太祖は酸棗(さんそう)にたどりついたが、諸軍の兵十余万は、毎日酒盛りの大会議を開いており、積極的に攻勢に出るつもりはなかった。』
 曹操は揚州で兵を募集した。『〔揚州〕刺史 陳温と丹陽の太守 周昕は四千余人の兵を与えてくれた』が、龍亢(りゅうこう)まで来たところで兵が反乱を起こす。
『ふたたび兵を収容して千余人を手に入れ、進軍して河内に駐屯した。』
 反董卓連合は内部抗争をはじめる。
『二年春(一九一)、袁紹と韓馥はついに劉虞を皇帝に擁立したが、劉虞はあくまでも引き受けることを承知しなかった。
 夏四月、董卓は長安に引きあげた。
 秋七月、袁紹は韓馥を脅して、冀州を奪った。』

 読んでみると、反董卓連合は最初から戦っていないことがわかる。
 そして、全員集合してもいない。
 袁一族が分散して、各地を支配しているようにも見える。(袁遺は袁紹の従兄)

 さらに、董卓は洛陽から動いていない。
 曹操は洛陽にたどりつけず敗退するが、董卓が洛陽から出ていくのはその一年後だ。
 董卓が洛陽を出るのは、孫堅が地道に勝ちながら近づいてきたためだろう。
 そのあいだ、董卓は1年かけて弱火でじっくり洛陽を焼いていたのかもしれない。
 兵士の宿営場所として屋根や壁は必要だし、延焼しても困るので、盛大に焼くのは出ていく直前だと思うが。

 番組では、曹操の勇気ある行動が愛国的だと評価されたと言っている。
 実際に揚州で兵を募集したとき陳温と周昕が協力してくれているが、十余万の中の四千人で、しかも逃げられて千人だ。
 評価されても、この程度の協力しかしてもらえない。

 1回感想・前で書いたように、当時の豪族たちは主君とは操るものだと思っているようで、忠誠心が無い。
 曹操の愛国的な行動も、本音の部分では評価していないのだろう。
 で、名門中の名門である袁紹がやろうとしたことは、長安に拉致された献帝を見捨てて、新しい皇帝を立てようとすることだ。
 この計画は失敗はするが、名門の思考パターンがワカる一例である。

 話が書ききれなかったので、後日つづきを書きます。

陳寿『三国志』 2017年5月 (100分 de 名著)
100分de名著「三国志」

100分de名著「三国志」感想もどき1後編

・「二袁」の盛衰
 後漢末でもっとも力をもっていた地方豪族(のちの貴族)は 袁紹袁術の袁一族だった。
 なので、三国志の前半ではこの二人が二大巨頭となって覇権を争う。
 勢力No.1と言いながら、袁紹も袁術も自分の出身地である豫州でなく、他の場所を本拠地にする。
 日本の戦国武将はほとんどが地元の有力者が大きくなっていく。
 逆に三国志の武将はほとんどが外部からやってきた雇われ君主だ。
 地方豪族(貴族)は、大将を立てて後ろからあやつる行動を好む、というワケです。

 袁一族は最大勢力と言いながら、単独で勢力を作ったりしない。
 最大勢力といっても単独では限界があるのだろう。

 袁紹・袁術の二人は名門だけどタイプがかなり違う。
 当時の人事評価は孝廉が基準だ。
 あと、家柄・外見・評判だ。
 袁紹は家柄も良く、見た目も良く、人格も良い。
 三国志 注『英雄記』には成廉と言う評判と喪に服す行動がホメられている。
 注を入れた裴松之は、この記述の信憑性を疑っているが、そういう高評価があったという点だけ考慮すれば良いだろう。

 対する袁術は、見た目と、孝廉の評判が無い。
 少なくとも良くは無いのだろう。
 いや、浪費家のエピソードはあるので、『廉』がダメだ。

 孝廉のフリをすることはできるのだが、誰もができるワケじゃない。
 そういう人は、何をアピールするのか?
 勉強して学識を高めるのか?
 いや、『侠気(おとこぎ)があることで知られた。』(袁術伝)とあるように、アウトローな行動でアピールしたのだ。

 ちょっとワキ道にそれますが、社会が求める孝廉という価値基準に対するアンチテーゼとしてか、この時代は奇矯な行動をする人が増える。
 宮城谷昌光の『三国志』では、この時代は勉強をする人が少なかったとある。
 なにしろ宮城谷昌光が書いているのだから論拠がある話なのだろう。(例えば、曹操が年とってからも勉強するのはオレと袁遺ぐらいと言うエピソードがある)
 反孝廉的な人たちは、のちに酒や薬でラリって議論をおこなう清談に興じるようになる。

 話をもどして、袁紹と袁術の盛衰についてだ。
 番組では袁紹は優柔不断で失敗したと話している。
 袁術は皇帝僭称により人心が離れていったと言っていた。
 おおむね、その通りなんだけど、これには歴史の結果バイアスがかかっている。
 つまり、結果から逆算して、敗者にはダメな部分があるから負けたのだと考えてしまう傾向だ。

 袁紹は曹操に敗れて滅ぶ。
 で、正史・袁紹伝を曹操と対立する前と後でくらべると、かなり露骨に失敗するようになってしまう。
 もちろん問題点もあるのだが(後で書きます)、曹操と争う以前は決断力と胆力のある行動が多い。
 だが、袁紹の決定的な問題点は自信過剰なところだ。

 番組では袁紹が優柔不断のため、沮授の意見を採用できないと言っていた。
 しかし、曹操と争う前は採用したこともある。
『従事の沮授が袁紹に進言した』(略:四方の敵を倒して漢を再興しましょう的な事を進言する)『袁紹は、「これこそ、私の思っていたことだ」と喜び、即刻、上奏文をたてまつり沮授を監軍・奮威将軍に任命した。』
 ここで重要なのは、袁紹が採用する策って自分と同じ意見だと言うことだ。
 袁紹は広く意見を聞くというポーズを取るが、けっきょく自分と同じ考えしか採用しない。
 もっとも、これは雇われ君主と支える地方豪族との権力闘争と言えるのかも。

 けっきょく自分の意見を採用するのであれば部下の意見を聞く意味が無い。
 袁紹は自分の能力に自信があるのだろうが、異なる意見を採用できないところに個人の限界がある。
 曹操と戦う前までは袁紹の方針で勝っていたので、成功体験から路線変更が出来なかったパターンと言えるのかも。

 また、ちょっと余談なんですが、この時期の皇帝は董卓につかまり長安にいる。
 この状態にもかかわらず、皇帝に「上奏文をたてまつ」っているのだ。
 しかも、こういう上奏文は袁紹だけでなく みんな出している。
 「三国志きらめく群像」でも、役職がかぶっている人もいるし、こういう上奏文がどれだけ意味があったのかとツッコミをいれている。
 ここでも、形式上は皇帝に仕えているけど、現実だと好き勝手にやっているのだろう。

 話をもどして、今度は袁術について。
 袁術が皇帝を僭称するのは問題なのだが、なんでそんな事をしたのか、だ。
 やとわれ君主である袁術は、豪族たちの支援の上で成りたっている。
 皇帝を名乗るような大事件は袁術の考えだけでできるようなことじゃないだろう。

 三国志には、袁術が皇帝になろうとしたとき、閻象が反対し、張烱の説を採用したとある。
 王や皇帝になる時は、部下がずらずらと名前を連ねた書を出すものだが、それが載っていない。
 失敗した事なので、消したい過去として文章を処分しちゃったのかも。

 袁術を皇帝にしてあやつろうとする豪族たちが、あるていど居たのは確かだろう。
 たとえ担がれたとしても足場が固まらないうちに皇帝になっちゃったのは袁術の失敗だ。
 だが、袁術と支援する豪族たちには、それなりの事情と考えがあったのだろう。

100分de名著「三国志」感想もどき1前編

 5月のEテレは100分de名著「三国志」をやっている。
 私の三国志ページは今見るとダメな部分が多いんですが、ずいぶん更新をしていない。
 ちょっと便乗して、情報更新がわりに感想書きます。
 と言うか、あまり感想になりませんでした。
 オマケに長すぎたので、2回に分けます。

 陳寿が「三国志」を書いた経緯は割愛して。
 「正史とは何か」とかは、高島俊男「三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)」を読むのがオススメです。
 番組での「正史とは正しい歴史という意味ではなく、時の政府が認定した歴史書」と言ったような言い回しは、「三国志きらめく群像」の影響を感じさせる。

 で、なんで後漢が崩壊して三国志みたいな乱世になってしまったのかと言う話だ。
 テレビでは尺が足りないのか簡単な説明だけだが、もちろん簡単な話じゃない。(テキスト版ではもう少し詳しく解説している)
 思いっきり簡単に言うと、地方豪族の貴族化にともない皇帝や国家の力が弱まった結果だ。
 ちょっと長い話になりますが、三国志の根幹にかかわる部分なのでお付き合いください。

・後漢の衰退と、貴族の誕生、その間の三国志

 そもそも……なんですが、劉邦が建国した前漢は王莽が政治的にのっとり、一度滅んでしまう。
 政治的にのっとったんですが、王莽の政策は非現実的なことが多く内乱・外乱が起きて大陸を大混乱の乱世にしてしまう。
 で、それを再統一したのが劉邦の末裔である光武帝・劉秀である。
 なので、後漢は漢の後継を名のっているが、微妙に方向性の違う国になった。

 光武帝・劉秀は、なぜ前漢が滅んだのかを分析する。
 王莽が国をのっとるとき、勉強のできる学者は大勢いたのに誰も阻止できなかった。
 ならば国を運営する人材は、頭が良いとかでない。
 私心無く、愛国心があり、度胸のすわった人間力のある人こそふさわしいのだ。

 と言うわけで、後漢は「孝廉」という人事評価を重視する。
 社会秩序を守るという意味での親孝行や、私欲のない清廉潔白な人材を求めていたのだ。
 こうして後漢は人間力重視の政治を約200年つづけた。
 いわば壮大な社会実験をやったようなものだ。

 で、三国志が始まる後漢末期にはどうなっていたのか?
 孝廉は行われていたのだが、形骸化していた。
 そもそも考廉をどう評価するのかが問題だ。
 親孝行も清廉潔白も、その気になれば演じることができる。
 表向きは清廉潔白を演じていても、私財を溜めこんでいた偽善者が増えるのだ。(『後漢書』劉虞伝の例など)

 さらに問題なのは、誰が考廉を判定するのかと言う問題である。
 光武帝は、人格的に立派な人を採用すれば、おなじく立派な人を評価すると考えていたのだろう。
 だが、偽善者などが入りこんで200年もたつと有力者(金持ち)が有力者の一族を評価して採用するようになる。
 へんに学力不問としちゃったので、ものすごく家柄がものを言う時代になってしまったのだ。

 この状態は以後も定着し、家柄で人を評価する貴族の世となる。
 試験で人材採用を行う科挙が完成する北宋までの約700年間を貴族は生きのびるのだ。(宮崎市定「科挙」)

 さて、三国志の時代に生まれはじめる貴族という存在には大きな問題があった。
 まず、能力が有ろうが無かろうが家柄で出世できるかどうかが決まるってのが問題だ。
 さらに、貴族には皇帝に対する忠誠心が薄いという点がさらに問題だった。
 貴族は皇帝よりも、自分の家や貴族社会を優先する。
 後漢の後、魏晋南北朝・隋・唐・五代十国と国や皇帝が次々に変わっても貴族は生きのびる。

 皇帝をないがしろにする、貴族の習性なんですが、これは古来から社会のイロイロなところにあるモノかもしれない。
 三国志演義、水滸伝、西遊記などの中国の物語では組織のリーダーが無力であり、活躍するのは強い部下という指摘がある。(井波律子「三国志演義」)
 また、「三国志きらめく群像」では三国志の群雄の一人・韓遂に対して「韓遂という男は、自分が大将になるよりも、誰か別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつるのが好きな男であった。もっともその韓遂も、もとを正せば北宮伯玉らにかつがれたのである。だからそれは、韓遂の好みというより、西方の異民族の習慣、ないし常套手段だったのかもしれない。」と言っている。
 その「別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつる」という習慣が西方の異民族だけでなく、民族や地域を越えた普遍的な習慣だったのではないだろうか。

 この「別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつる」と言うシステムだが、漢の更に前の秦にも原因があったと思う。
 秦は中央集権の政治システムをとっていた。
 どういうことかというと、州や県の役人を中央政府から派遣するのだ。
 現代日本では地元の人間が選挙で県知事や市長を選ぶ。
 古代中国では、県知事や市長(に相当する役職)は国から派遣されるのだ。

 地元との癒着防止のため、役人は自分の出身地に着任しない。
 もう少し後の時代の資料だと、任地の決まった役人には商人が近づいてきて旅行や通訳の手配を売り込みに来る。
 よその土地には当然友達も居ないので、詩仲間を客として同行させたりもするようだ。

 県知事や市長のような人は、よそ者なので(時に言葉も通じない)地元の人間の協力が必要となる。
 ここでも「別の者を大将に立ててそれをうしろからあやつる」システムが成り立っていたようだ。

 もちろん、赴任した長官は大人しく操られたりしないで逆襲に出たりもする。
 三国志の群雄のひとりである劉表は荊州刺史(日本でいえば、大きな県の知事ぐらいの役職)として赴任したとき、従わない地元勢力を謀略をもって倒している。(三国志 注「戦略」)
 倒すときに別の地元勢力である蔡瑁カイ越らの力を借りた。
 これも見方を変えれば、対立する地元勢力が新任の大将を利用したと解釈できる行動だ。

 長くなりましたので、いったんマトメます。
・三国志の世界は地方豪族が貴族化する過渡期である。
・地方豪族(貴族)は、大将を立てて後ろからあやつる行動を好む。

 元々、地方豪族にとって皇帝はお飾りみたいなものだったのだろう。
 なので三国志の群雄割拠は、皇帝がどうなろうと あまり関心の無い地方豪族が勝手に活動した結果だ。
 大将になる気の無い群雄は自ら皇帝になろうとしない傾向がある。

『鬼平 ONIHEI』雑感

 アニメ『鬼平 ONIHEI』の感想をリクエストされました。
 毎週楽しく見ているんですが、いまさら書くってのも遅すぎる気がするんで、ざっくりした感想で行きます。

 池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』をアニメ化だ。
 シブい。シブすぎる選択だ。
 これって、どの辺の層を狙ってんだろ。
 前に『ジョーカー・ゲーム』が同じ堀内賢雄主演でアニメ化していたんですが、シブいおっさん主人公アニメには底堅い需要があるんだろうか?
 『鬼平 ONIHEI』も『ジョーカー・ゲーム』も面白いので、こういう路線も良いんですが。

 鬼平と言えば、中村吉右衛門の鬼平というイメージが強い。
 それに比べると、『鬼平 ONIHEI』は若い。
 もう、お頭出すぎ! って感じにすぐ突出してしまう。
 応援もまたず単騎突入が多いですよ。
 命がけのお勤めしてんな!

 ただ、この鬼平は若き日の鬼平なんだろう。
 あんまり美食に舌鼓をうたないし。
 もうすこし年をとると突撃も落ち着いて、美食もするようになるのだろう。

 ところで、歴史上の長谷川平蔵はどんな人間だったのだろうか?
 シグルイ感想などで二回ほど参考にした『旗本たちの昇進競争 鬼平と出世』(AA)に幾つかエピソードが書かれているので、これまたざっくり紹介します。

 鬼平こと長谷川平蔵は庶民の人気バツグンだったらしい。
 下々への思いやりにあふれ、罪人にたいしても温情をかけ、無宿の更生施設を設けるように建言したこともある。
 『鬼平 ONIHEI』でも描かれているように、元犯罪者を目明し(岡っ引き)として雇う。
 目明しは禁止されているらしいんで、上の評判は悪かったそうだが。

 そう、長谷川平蔵は庶民の人気が高いのだが、それが嫉妬を買って出世できなかったのだ。
 江戸時代は家柄で出世できる限界がだいたい決まっている。
 長谷川平蔵は充分に奉行になれる家柄だったのだが、いつまでも火付盗賊改方という激務を押しつけられたまま出世できず、病死したのだ。

よしの冊子』に平蔵の言葉が書かれている。
『平蔵は天役もなく、どれだけ職務に励んでも昇進の声がかからないので、大いに嘆息し、「もうおれも力がぬけ果てた。しかし越中殿の御ことばが涙のこぼれるほどありがたいから、それだけを力に勤めるほかには何の目当てもない。これではもう、酒ばかりを呑んで死ぬことになるだろう」と、同役などへ愚痴をこぼしているということだ。』
 越中殿とは老中の松平定信のこと。

 長谷川平蔵は出世できず無念のなかに死んだのかもしれない。
 だが、庶民は平蔵の温情と活躍を感謝し、忘れずにいた。
 教科書には松平定信の名前しか出てこないかもしれないが、現代人にとって長谷川平蔵――鬼平のほうがはるかに知名度がある。
 鬼平の活躍はけっして無駄ではなく、二百年以上たった今でもその輝きが残っているのだ。
 それを知れば長谷川平蔵の魂も、こぼすのはグチでなく涙のほうかもしれない。

『真田丸 45~最終回』感想

 今更ですが、最終回までの感想だッ!

 大坂の陣は真田幸村(信繁)が生涯最期に輝きを見せた場所なんだけど、行動が常にベストってワケじゃない。
 せっかく秀頼が前線の視察に行こうと言ったのに止めちゃうし。
 人間は初めての行動をするときの抵抗が大きい。
 普段から慣れておくのは重要だ。

 あと、和平交渉も最初からしておくべきだろう。
 豊臣側は負けないかもしれないが、勝てる見込みがない。
 だから最初から交渉しておいて、戦況に応じて押したり引いたりするものだろう。
 ただ、これは近代的な考えで江戸初期とは違うのかも。
 籠城している側の降伏って、城門破られた後とか間に合わなさそうなタイミングですることもあるらしいし。

 真田丸にこもる幸村は、意外と基本に忠実だ。
 挑発や爆破で戦闘開始のタイミングを操っているが、戦術は正攻法だった。
 けっきょく攻城戦は守るほうが有利ってことですね。

 しかし、戦術の勝利を積みかさねても戦略の勝利にはならない。
 幸村がどれだけガンバっても、そもそもの戦略がダメだと勝利につながらないのだ。
 けっきょく、トップの秀頼がダメだったという事なんだろうな。
 というか、頼れる側近がいなかったのが良くないのか。
 側近がいないという話になると、父・秀吉の代からの失敗ってことになる。
 豊臣恩顧の大名もぜんぜん仲間になってくれないし。

 幸村が最後の切り札にしたのは馬上筒だ!
 しかも、火打石式だよ。
 フリントロック式だと、時代的に早すぎる気もするが、最先端の輸入品ってことなのかも。
 フリントロック式は『ONE PIECE』で使われている銃ですね。

 火打石式は火打石をぶつけた火花で着火するという構造のため、火のついた縄を押しつけて着火する火縄式にくらべて衝撃が大きく命中率が下がる。
 それを馬上筒でやるんだから、ますます当たらんよな。
 幸村はこれを最後の切り札にした時点で、ちょっと不利な賭けになっていたって事だ。

 万策つき安居神社で休んでいるのは一般的な話と同じだな。
 ここで父直伝のケンカ必勝法を使うとはッ!
 つうか、こんな技を幼児に教えんなよ。
 でも、最後に敵を倒しているので、さすが真田昌幸の兵法だ。

 ところで、幸村は本当に死んだのだろうか?
 たしかに、兄・信之の六文銭が鳴ったのは死を連想させる演出だ。
 だが、いつものようにナレーションによる死亡確認が無かった。
 さらに言うと、秀頼の死も描かれていない。
 淀殿には生きのびるための策があると言っていたが……

 真田十勇士では幸村親子は秀頼と共に九州へ落ち延びることになっている。
 幸村の影武者は十勇士の穴山小助と根津甚八がつとめ、なんで幸村の首が二つもあるんだよ、バカ! って状態になるが、メインの影武者と以前戦った人がいて「コイツの顔は知っている。コイツが幸村です」となり一件落着するのだ。

 たとえば、幸村の気が変わって倒した兵士の鎧をうばい大坂城に戻り、秀頼と合流したとしよう。
 そうなると安居神社には幸村の鎧と、死体が二つのこることになる。
 後からきた人が自害した幸村だと思い首を持ちかえったとしても不思議はない。
 首検分でバレる可能性があるけど、死体の顔は判別しにくいだろし。

 とにかく、そういう解釈もできるのではないでしょうか?
 ナレーションに死亡確認されるまで、生きるのをあきらめるなッ!

『真田丸 37~44回』感想

 大坂城で砦『真田丸』を築き、ついにタイトルコールだ!
 44話はオープニングが無いな、と思っていたらこのタイトルコールに合わせてオープニングを入れてくる。
 まさにこの瞬間のため今まで見てきたようなものだ。
 幸村でなくても、これは たかぶるぞ!
 まさに長年の思いが結集した感じだよ。

 赤備えも完成し、決戦への準備も万端だ。
 真田幸村も残りの人生を完全燃焼させる気だな。
 負ける気がしないと言っているが、どこまで本気なんだろう。
 敵と戦う前に味方に足を引っ張られて苦しい戦いだ。

 敵をあざむくため老化変装したのが味方の信用度まで下げちゃったんだろうか。
 このヒゲも白くなり歯も抜けた容貌は幸村(信繁)が義兄の小山田茂誠あてた手紙だったらしい。
 その原本が100年ぶりに発見されたってのがタイムリーだ。
 ブラタモリの「真田丸スペシャル・沼田」で仕入れた、山が三度白くなると雪が降るってネタも入れてたりと、『真田丸』はイロイロな幸運が起きている感じがする。
 そして、ここからが真田幸村の灼熱の一年だ。
 のこりも少なくなっているが、ワクワクが止まらないぞ。

『真田丸 31~36回』感想

 『シン・ゴジラ』の感想書いていたら、関ケ原が終わってしまった!
 というワケで遅れを取りもどすべく『真田丸』の感想を書くぞ!
 シン・田丸だ!(※ まだ『シン・ゴジラ』の後遺症がのこっています)

 前田利家が出てこないと書いたら、出てきた。
 出てきたとたん病死しそうだ。
 前田利家が長生きしたら、ずいぶん歴史が変わっただろうに。

 石田三成は本当に感情の生き物だよな。
 理性だけで行動するなら、加藤清正をおだてて使いたおせば良いのに、感情がそれを許さない。
 多少ニガテでもがまんして、酒につきあってあげればいいのに。

 細川忠興への対応がマズいのも、不器用だよな。
 しかも、この一件で細川を恨んで、あとで無意味な包囲戦とかやっちゃうところも感情的だ。
 父・細川幽斎のこもる五百名の城を一万五千の兵で囲んじゃっている。(田辺城の戦い
 その兵を関ヶ原にまわしておけば……

 干し柿で激怒された三成だが、のちに市中引き回しの時にのどが渇いたので湯が欲しいと言ったら干し柿を出される。
 三成は体を気づかって喰わないんだけど、干し柿の因果がめぐってきて、どんなリアクションするのか気になるところだ。

 以前の感想で書いたが、領土を実効支配している側は有利だ。
 豊臣政権は現状維持で充分だったと思うのだが。
 もちろん、当時には当時の事情や予測があったのだろう。
 三成は頭がキレてネガティブ思考だから、悪い予想ばかり立ててジタバタしちゃったんだろうな。
 逆説的だけど、石田三成が強硬に家康を攻撃したことで、かえって豊臣政権が傾いちゃったような感じだ。

 真田家も巻きこまれたような形で分裂してしまう。
 これから大坂夏の陣まで十数年あるんだけど、長く苦しい蟄居生活が待っているんだろうな。
 ドラマ的に、どーすんだろ。

『シン・ゴジラ』は『宇宙戦艦ヤマト』である(ネタバレ感想)

 『シン・ゴジラ』感想3回目です。
  なぜスカイツリーを破壊しなかったのか?という疑問から『シン・ゴジラ』の守破離に思いいたりました。
 そして、『シン・ゴジラ』の最終決戦が、ある作品と似た構図になっている事に気がつく。
 『シン・ゴジラ』は『宇宙戦艦ヤマト』だったんだッ!

・『宇宙戦艦ヤマト』のおさらい
 ほとんどの人が名前を知っているだろうけど、内容をしらない人もいるでしょうし、ちょっと説明します。
 宇宙戦艦ヤマトは地球を救うため宇宙へ旅立ち、異星人のガミラス帝国と戦う事になる。(※ かなり説明省いています)

 名前からわかる通り、宇宙戦艦ヤマトは日本人の心情によりそう存在だ。
 乗組員も日本人ばっかりだし。
 しかし、アニメ監督の庵野秀明はヤマトと戦うガミラスも実は日本であるという。
 米軍の空襲で焼野原になった日本と同じように、ヤマトの攻撃でガミラスも焼野原になる。

 ガミラスを滅ぼした古代進のセリフが象徴的だ。
「地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった。……我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。…愛し合うことだった」
 『宇宙戦艦ヤマト』とは、日本同士が戦い合う、言わば合わせ鏡のような戦争を描いた物語ではないか。

 また、ヤマトに兵器も人材も倒されたガミラスのとる作戦が本土決戦だった。
 武器の無いガミラスはあえてヤマトを母星に引きこみ、自爆攻撃にも似た攻撃をする。
 ヤマトよ、酸の海に沈め! だ。

   (※ この項目は朝日新聞WEBの連載記事「ヤマトをたどって」を参考にしています。うろ覚えですが。現在は読めないようですが片鱗はtogetterに、まとまっています)

・ゴジラはヤマトで、日本人がガミラスだッ!
 ヤマトの合わせ鏡構造を前提として考えると、圧倒的な戦闘力をもって強力なビームを撃つゴジラはヤマトである。
 そして、ゴジラによって自衛隊が無力となった日本人は本土決戦として自国のビル群を瓦礫に変えてゴジラの動きを封じた。
 ゴジラと愛し合うことができれば良かったけど、サイズ差とか障害が大きすぎて無理っぽいな。

 ゴジラがヤマトであるという事は、日本でもある。
 日のささない深海から生存権拡大のため陸上に進出したゴジラは、かつての日本と同じかもしれない。
 ゴジラは攻撃されても特に反撃しなかったが、大型貫通爆弾で出血するダメージを負い、火炎で反撃する。
 この行為は現代日本の防衛方針である専守防衛と同じだ。
 また、注がれる血液凝固剤をわりと素直に受け入れちゃうのも、NOと言えない日本に通じるものがある。

 ゴジラを消耗させる日本の作戦は無人兵器の特攻だった。
 無人を強調しすぎて、かえって本当は人が乗っているんじゃないかと思えてしまう。
 むしろ本土決戦と言う作戦からしたら、特攻のほうが似合いそうだ。

・『シン・ゴジラ』と戦争
 世間的に言われているように『シン・ゴジラ』は東日本大震災と原発事故の隠喩(メタファー)と考えるのがイチバン合う。
 だが、『シン・ゴジラ』は日本の経験した戦争の隠喩(メタファー)と考えることもできる。
 宇宙戦艦ヤマトは第二次世界大戦と切り離せないように、ゴジラも大戦を引きずっているのだ。

 日本の長である総理大臣は、なんども決断を迫られる。
 同じ光景は、過去の日本でもあったはずだ。
 日中戦争への決断、ドイツとの同盟の決断、米国と開戦をする決断、それらの決断を迫る事態があっただろう。

 ゴジラ退治に自衛隊は防衛出動をする必要がないらしい。
 だが、『シン・ゴジラ』が戦争だと考えるなら、やはり防衛出動でないとカッコつかないだろう。
 『シン・ゴジラ』は様々な見方ができる作品である。
 かつて起きた戦争をもう一度考えるための材料にもなりうるのだ。


◆関連書籍も10月に発売されるようです。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ
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