2013年12月18日

橋 幸夫のこと。


その頃の私は上京する前から橋幸夫(
昭和18年まれの同じ年)のデビューしてからのファンで彼のレコードは殆んど持っていたといっても過言では無かった位だ。

 ある事情である人にプレーヤーごと譲った(正直に云えば売ったのだが)その橋幸夫のショーを観たのは上京して二年目のことだった。

友人とぶらっと後楽園遊園地に遊びに行った時、偶然にその施設で「ロッテ歌のアルバム」の公開録画の看板が見えて大勢並んでたので私らも並んで整理券をもらって「ラッキー」って感じだった。

その頃の東京文京区の平日の後楽園は(現在の東京ドームなどの有る後楽園とエライ違いだった!)今の地方の遊園地の平日の午前中 みたいな位の人出でした。

その公開録画はその時代殆んどの国民が知ってた昼12時30分から玉置宏アナウンサーの名文句?「一週間のご無沙汰でした…」で放映された「ロッテ歌のアルバム」だ。

その頃の橋幸夫は絶頂期で出すレコードは売れに売れた時代だ。

デビュー曲「潮来笠」を始め おけさ唄えば・木曽ぶし三度笠・南海の美少年・沓掛時次郎等の時代物から故郷の花はいつでも紅い。明日を呼ぶ港,など歌った記憶がある。

 その時は「江梨子」がヒットしてた事も覚えてる。

その後吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」でレコード大賞を取ったり数々のヒット曲を出して大歌手に成った。

 それとその時に前座で出た「湖愁の 松島アキラ」が非常に記憶に残っている。

私は小さい頃から歌謡曲
が大好きだったので、その頃ブームを起こした、日劇ウエスタン・カーニバル にはあまり興味無かったのだが、平尾昌晃を知ってからは「星は何でも知っている。ミヨちゃん単車で飛ばそう」などはなじみの歌だったので多少は興味が出てきました。

ミッキー・カーチス  山下敬二郎等はその代名詞でしたね。

次は還暦過ぎの方々は知ってるでしょうが、ジャズ喫茶の「新宿ACB」の事書こうかな?…。、


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ikesan61 at 19:00コメント(0)トラックバック(0) 
橋幸夫 潮来笠 いつでも夢を 江利子 

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