MINDS美容室オーナーの丸秘裏話

美容師として日々感じていることを書き綴っています。かなり、プライベートな内容です。

2年目のスタッフの誕生日に。

22歳おめでとうございます。

1年半たって思うのは、同期がいて本当によかったね、ということです。

私も勉強させてもらった横浜のお店に、U君という同期がいます。

たまにうちのお店に来るのでわかるかな。

彼がいたから、今の自分がある。

彼も、私がいたから今の彼がある。

そう思います。


まだわからないかもしれません。

でも、10年後、20年後、50年後、一生懸命生きていれば必ずわかります。

人は一人では生きていけないことはいつも言います。

人は弱いのです。

同期が何をしてくれたとか、そういうことではないのです。

一緒にいること、一緒に同じ目標に向かっていることが重要なのです。

ただそこに一緒にいること。

そこにあるとき、ふと意味のあることに気づきます。

ちょうど今の自分がそうです。

今、彼に助けられています。

ただ、彼もまたそうやって自分が勉強できているのです。

私たちは一生懸命生きています。

自分のために、そして自分にかかわる人すべての人のために。


20代のあなたはとにかく自分のために生きてください。

自分が成長する事のみしっかり考えて生きてください。

面白い事にそれが、まわりの人を生き生きとさせるのです。

自分が一生懸命生きることが周りの人を幸せにするのです。

そう、あなたが楽しく笑顔でいることが、周りの人の幸せなのです。

みんながそう思えるお店を、そして会社を、環境を作っていきましょう。


私は一緒にいる時間が少ないので、あなたの浮き沈みが良くわかりません。

いつもニコニコしている印象です。

もし、そこに間違いが無いのなら、それはとても素晴らしい事です。

家から通っている事、家族と一緒に生活できている事、それらに感謝しつつ、自分で決めた額のお金や時間を自分に毎月投資していくといいと思います。

10年後、早ければ5年後には何倍にもなって返ってきます。

それをまた自分に投資するのです。

しばらくは、今の生活を維持し、増えたお金と時間を自分につぎ込んでみてください。

貯金なんて、お店を出す3年前から始めて十分間に合います。

でも、3年前から勉強を始めても間に合いません。

今は自分をとことん鍛える事。

今いる環境を十分利用してください。


1年後、23歳の誕生日を楽しみにしています。

 

 

 

 

「人づきあいの流儀」の感想文への返事

人づき合いの流儀

中村史明さんも言っています。

「人生とは出会いを活かすこと」だと。

稲盛和夫さんも言っています。

「人生を生きるうえで最も大事なのは考え方」だと。

 

私もいろんな人の意見を読み聞きしていくうえで、だんだんとその辺の事情が飲み込めてきたような気がします。

もちろん読み聞きだけでは身になりません。

読み聞きした事を実際に現実に落とし込んでみて、返って来た反応に対してまた考え行動に移すという事を繰り返してみた結果です。

そして、うまくいった経験よりも、うまくいかなかった経験のほうが、その後の自分をうまく導いてくれる糧になっているような気がします。

 

自分の反応に対して、相手がどう感じているかという事を知ることも大切な事です。

ただ、これを自分が知るには相当な経験が必要かと思います。

とにかく、一番わかりにくいのは自分だからです。

自分が相手からどう思われているかを知ることができたら、ものすごい勢いで成長する事でしょう。

孫子曰く

「相手を知り、己を知れば、百戦危うからず」

 

自分が相手を心から受け止めて、心を開けば相手も心を開いてくれます。

そうすれば、相手の様子、もしくは相手が直接自分というものについて教えてくれます。

でも、ある程度の教養がなければ、なかなかできるものではありません。

「余裕」が必要だからです。相手を受け止める。

経験の深さがそれを補ってくれます。

勉強して逃げず、また勉強して、チャレンジする。

この繰り返しですね。

 

上に立つ人間は、ひとつを知って十を知る必要があります。

作文の言葉の端々から様々な事が感じられます。

それは、書いた本人も気づかない事かもしれません。

自分が書いた文章を何度か読み直していますか?

それも、自分を知るひとつの手立てかもしれません。

あいまいな表現、ちょっと自信のない表現、前向きな気持ちのもがき・・・。

 

今、自分のまわりにいる人に、正面から向き合う事が大事。

今の自分自身に、正面から向き合う事が大切なのだと思います。

自由に生きること(読書感想文の返事)

羽ばたけ俺の自由鳥

自由に生きられないのなら、こんなに苦しい事はありませんね。

私は大学生のころ特にやりたい事もなく、会社員になろうと思っていました。

会社員になって初めて、この先40年、ずっとこの仕事を続けていく事の苦しさを感じました。

もしかすると、ここで「せっかくいい会社に入ってお給料も良いし、休みも人並みにある。

特にやりたい仕事ではないけど、楽だし良いか。」と思ってしまう人がとても多いのかも知れません。

ここまで育ててくれた親の事を考えても、「妥協」せざるをえないのかもしれません。

 

私は親を裏切って美容師の道を選びました。

相談すれば必ず反対されるのがわかっていたので、全て事後報告です。

もしかすると、普通はこの辺のことができない事が、自由に生きられない理由なのかもしれませんね。

 

24歳で初めて美容室に勤務する事になったわたしにとって、当時はたくさんの「年下の先輩」がいました。

この世界は実力主義です。

4年以内に全ての先輩を抜くと決めました。

でも私にとって、年下でも先輩は先輩、美容師としての先輩です。

また、年上なら、実力が下でも先輩は先輩、人生の先輩だと考えるべきです。

この辺をわきまえずに、謙虚さを忘れた言動や行動を取ってしまうと

かえって自分を貶めるものになってしまいます。

また逆に先輩を先輩と敬うことは、自分自身にとってプラスになる事でしょう。

案外、後輩はその辺をしっかり観察しているものです。

 

実力で他を圧倒し、決してそれをひけらかさない。

それが、カッコいいというものだと私は思います。

「永遠の0」に出てくる主人公、「宮部」は下士官にも敬語を使っていました。

私はそれを読んだ時、カッコいいと思うと同時に、自分がC-Loopに勤め始めたときの店長がいつも自分をさん付けで呼んでいたのを思い出しました。

もちろん私は何も出来ないインターンで、店長より年下でした。

その店長は誰からも愛され、尊敬される方でした。

 

男の「カッコイイ」は私もずっと考えている事です。

きっとそれは「信念」とか「軸」とかの太さではないでしょうか。

そしてそれは自ら「試練」のようなものを潜り抜けていった回数に比例すると考えます。

つまり、人がやらないようなチャレンジを繰り返し、失敗したり、うまくいったりした経験の質と数に比例するのだと思います。

つまり、男とは言い訳をしない「逃げない」人のことだと私は考えています。

共に、「カッコいい男」を目指しましょう!

「そのまんま、そのまんま」の感想文への返事

わたしはこの本を読んではいないので、その内容についての細かいニュアンスはわかりません。

ただ、個人的な意見として、「ゆったりとのんびり生きる」「まあまあで幸せに生きる」という事に少し違和感を感じます。

ただ、人それぞれ生き方が違います。

あなたがそこにもし共感を感じるのなら、それもそうなんだろうなと理解できます。

 

その後に書かれている、「年代別に人生の味わいが変わってくる」という内容については共感します。

私自身がそう思ってこの53年を生きてきたと思っています。

男女では、微妙に感覚が違うのは当然だと思います。

私は18のころから、早く30才になりたかった。

18ではまだ親のすねをかじり、何もわからない。30才になれば、きっともっとカッコいい男になれるんじゃないかと考えていました。

実際30才になってみると、「まだまだだな、何も変わっていない」事がわかりました。

20代は知識も知恵も力も無いのに、自分ではなんか大人になった気がする。

ただただ我武者羅に、自分の力を付ける事だけを考えて黙々と突き進むだけ。

30代に入って、自分の力を思いっきり試せる舞台を用意して頂いた。

結果、自分自身の力がついた事を確認したけど、次の段階で使うべき能力にかけている事に気づきました。

その力は、「チャレンジと失敗」からしか学べない「経験」というやつでした。

私は「いい結果」しか出せず、「失敗」の数が足りなすぎたのです。

30代の「苦しみ」のおかげで、40代に入ってやっと「経験」値が上がってきました。

私の経験則です。気にしないでください。一つの「実体験からの学び」です。

「喜び」の大きさは、自分が経験した「苦しみ」「痛み」の大きさに比例します。

本気でスポーツをしていれば理解できるかもしれません。

もしくは、何でも良い「本気」で何かに打ち込んだ経験があれば。

そう、喜びは「流した汗」と「意味のある涙」の量に比例するのだと考えます。

 

なので、20代に「心の余裕を持ってゆったりとのんびり」が人間らしいのかどうかは私にはよくわかりません。

 

私はよく大好きなサミュエル・ウルマンの「青春」という詩を引き合いに使います。

何度も話しているので、ご存知だと思います。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」

 

20歳でも、とてもふけた老人のような人もいます。

80歳でも、若々しい若者のような人もいます。

そう、どちらを選択するかはその人の自由です。

私は理想を抱かえたまま、棺おけに入りたいと考えています。

「ブッダの言葉」の感想文への感想

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「穏やかに生きたい」のですね。

 

私はひねくれ者です。

もちろん「仏陀の言葉」は私の本です。(シータの本棚にあったものは)

 

以下は、私の持論です。

私は常々、「嬉しい」とか「喜び」とか「楽しい」とか言う事はその反対の「辛い」とか「苦しい」とか「きつい」とかそういったものを知らなければ存在しないものだと思っています。

普段みんなが「楽しい」とか「嬉しい」とか言う感情があると思いますが、それはその反対の「辛い」「苦しい」の程度に応じて表れてくると思います。

 

想像してみてください。

朝から晩までずーっと「心穏やか」だったら。

365日ずーっと「心穏やか」だったら。

10年間ずーっと「心穏やか」だったら。

 

なんか苦しくないですか?

ごめんなさい。本当にひねくれ物なんです。

「喜怒哀楽」

これが本当の人の生き方なんじゃないでしょうか。

静かに語るときもあれば、大声で叫ぶときもある。

抱き合って喜び合う事もあれば、大声を上げて泣き叫ぶときもある。

ひざをかけて泣く事もあれば、暖かい腕の中で安心できるときもある。

 

最近、感情を出さない若者が目に付きます。

すごく穏やかで、落ち着いています。

きっと心の中にいろんなことを考え、怒りや悲しみ、喜びを持っているはずなのに、

決して外に出していない・・・つもり。

実際は、「穏やか」を誤解しています。

若いうちに感情を消す事など出来ません。ばればれです。

そもそも消す気など無いのでしょう。どちらかというと、「下を向いて暗い顔してるけど、別に何も無いよ。でも、言葉でいえないから気づいてね」といったところでしょうか。

 

「死生観」を語るには、相当な経験が必要だと私は思います。

そもそも、「生きる」とは「死ぬ準備」だと私は思っています。

そこまでいけば、「心穏やかに」は意味を成してきますね。

 

若いうちは、目の前にあるやらなければならない事を、とにかく我武者羅に突き進む事です。

この時期は、そこからしか答えは見えてこないと思います。

失敗ってなんだろう?

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今回もスタッフの読書感想文の返事から。

自分がどこに行こうとしているのかをイメージしなければ、そこに行くことはありません。

なんとなくやっていたら、いつの間にかそこにたどり着いていた、などということは無いのです。

「自分に自信がないと行動出来ない」というのは失敗した時が怖いという意味でしょうか。

そもそも失敗とはなんでしょうか。

「やってみたけど出来なかった」ということでしょうか。

勘違いかもしれませんが、今のところそんな感じに受け取ってしまいました。

 

私の人生はほとんど失敗の連続です。

前にも書いたと思いますが、私がイメージしていた52歳の自分はこんな感じではありません。

まったく違います。

私はあまり迷いません。

正確には「どうやったら出来るだろうか、今すべきはなんなんだろうか。」という観点で物事を考えているからです。

つまり、「出来る」ということを前提に考えているのです。

迷うということは、出来るだろうか出来ないだろうか、成功するだろうか失敗するだろうか、秤にかけているからだと思います。

誰が考えても常識的に不可能ということ意外は「出来ない」ということを考えません。

およそ出来るか出来ないか考える余地がある物事に関しては、「出来ない」という観点が無いのです。

 

もう一つ、「やるしかない」という観点もあります。

私が今やらなくて、誰がやるのかという観点です。

きっとみんなは誰かがやると思っているからでしょう。

そして、あとでそれを「評価」するのです。

評論家です。

得てして、自分がそれをやってみると、案外それ以下のものしか出来ないものです。

面白いものです。

 

物事をよき方向に変えていけるのは、自分自身しかありません。

自分をどんどん変えていくしかありません。

今の現状、今の自分の力量にいつも疑問を投げかけ、どうやったらもっと前に進めるのかを考え、行動し続ける。

今の自分の精一杯が「がんばっている」ということではないと思います。

今の自分より、半歩だけ前に進もうと動いていることが「がんばっている」ということなのだと思います。

自分に足らない部分を常に埋めていこうとする気持ちと行動だけが自分を前に押し出してくれるのだと、私は思います。

「一歩を越える勇気」栗城史多の感想文への返事

人はなぜ危険を犯してまで山に登るのでしょうか?

よく「そこに山があるからだ。」といいます。

もしかすると80%くらいの人は、山を避けて迂回して進んでいくのかもしれません。

山を登るのはつらいことです。

汗をかき、筋肉に負担をかけます。

呼吸もつらく、足を止めることが許されません。

 

私は自転車ですが、山を登るのが大好きです。

徒歩で上るなら、足を止めてもそこでとまっているだけです。

でも、自転車は足を止めたら倒れてしまいます。

角度が急になると、一度とめたら二度と自転車に乗れないような坂もあります。

 

山を登ることを人生にたとえることがあります。

 

人生もいろんなことがあります。

確かに、目の前の山を迂回して向こうに行くこともできます。

越えていくのと違うのは、時間がかかること。

見える景色が違うこと。

かいた汗の量が違うこと。

 

一度迂回してしまうと、もう山を越えていくことができません。

人生は、何度も目の前に山が立ちはだかります。

何度も何度も目の前の山を避けて、時間をかけて向こう側につきます。

気がつくと、山を越えていった人は徐々に体力もつき、今までよりもより早く山を越えられるようになっています。

気がつくと、いつか一緒だったその人は、遠く遥かなたにいることでしょう。

その人は体力もそうですが、山の上から見た素晴らしい景色を何度も見ています。

かいた汗が風に吹かれてすがすがしく、気持ちのいい気分を何度も味わいました。

その人は「越えていく」ということを身をもって知ることができたのです。

 

人はいかに小さく、大きな自然の一部でしかないことを知ります。

ちっぽけな人間が、人を疑い、いがみ合い、嫉妬心にさいなまれ・・・

なんと小さな生き物か。

 

山を登る。越える。挑戦する。達成する。逃げない勇気。

私は山を登るのが大好きです。

マインズの理念 その1「教育」 読書感想文の返事

教え方の教科書

人間が社会生活をしていく上で、それをもっとも円滑に、豊かにできるのは教育なのだと私は思います。

人と人との接点で、できればこんなにも素晴らしい結果が出るのだと思えるのも教育でしょう。

教師という立場よりも、仕事を通して教育していくということの難しさと有効性については常々深く感じています。

もはや、家庭で教育はできません。

プロフェッショナルとは何か?そんな命題から突き詰めていく時に、人間としての成長を促す「教育」についてしっかりと実感できるのかもしれません。

 

人間は社会の中でしか生きていくことができません。

この世に自分ひとりになってしまったら、きっと自殺してしまうのではないかと思います。

寂しいとか、そういうことではありません。

きっと、生きていく目的、生きている意味が消失してしまうのだと思います。

人は必ず、人に評価されることを望みます。

自分がどれほどのものか、今自分はどの程度のレベルにあるのか?常に自己診断し、人からの評価を待っているのだと私は考えます。

 


人は助け合わなければ生きていけません。

人は刺激しあわなければ生きていけません。

尊敬し、感謝し、軽蔑し、敬う。

期待し、あきらめ、喜び、悲しむ。

先達は後から来たものに経験を伝え、二度と過ちを犯さず、今までの反省から未来を作っていく。

与えられた未来は無味乾燥で、創りだした未来にこそ生きていく熱を感じる。

 

すべては小さな教えから始まり、悩みから前に進む力を与えられる。

耐え忍ぶことが終わりを告げようとする時、ひと時の安寧を得ることができる。

しかし、それはほんのひと時の安らぎであり、また新たな始まりであることに気づく。

 

教育というものを考える時、いつもそこに奥深い、人間の根本的なものを感じざるおえません。

家族の中での親子関係、組織の中での先輩後輩。

私たちがどこに行こうとしているのか?

どこに向かって歩いていけば良いのか?

道を間違わずに歩いていくために、また私たちは教育を考えながら自らと社会を育てることに腐心するのだ。

自虐的な喜びと共に。

親離れ、子離れ

学年びりの

この本はいつだったか誰かが感想文を書いていましたね。

私も少し気になってました。

買ったんですか?

 

「・・・だめな指導者がいるだけです。」はそうですね。

教わる側が思っちゃだめですけどね。

私にも、耳が痛いですね。

指導とは聞く事。つい語ってしまいますよね。反省です。

つき一冊の読書。三冊くらいになるといいですね。

読むのもそうですが、書くことも大事です。

みんな始めの頃よりも、ずいぶん読みやすくなりました。

 

新聞を読むこと。

なるべくスマホを観ないこと。

も大事なことだと思います。特に誰かと一緒にいるときはなおさらです。

フラットの時とか。

なんとなくですが、スマホに依存している人ほど「自分主義」な感じがします。

自分の考えから外れるものを、毛嫌いする。切れやすい。

ゆっくり紙に書かれた活字を読んでみましょう。

 

時間は効率と段取りです。

無駄を無くして、物事の本質になるべく近づけるように考えていきましょう。

 

「無謀なことにぶつかっても、あきらめずに立ち向かっていこう」

20代の子に無謀なことは頼みません。基本的にできることしか頼みません。

自分から「無謀なこと」に立ち向かうことはないでしょう。

要するに、無謀なことに遭遇する確立は相当低いはずです。

もし、「無謀なこと」に出会ってしまったなら、それは自分が自分の限界を引き下げているだけだと思います。

できるのに、できないと決め付けている。

この世に常識の範疇では、できないことなどほとんどないに等しいと思います。

その程度によりますが、深く考え、あらゆる場面を想定し、工夫し、場合によっては第三者の助けを求め、時間をかければ必ず達成されます。

私はそう思っています。

 

簡単に結論を出して、できないとしてしまうのは一番簡単なことです。

最近は子供に苦労をさせません。親がいろいろ手助けしてしまいます。

子供も自分で解決する能力が養われずに社会に出てしまいます。

社会に出ても、親は子供を子ども扱いします。

社会に出たら、親離れ子離れは必定です。

目の前に何があっても、必ずそこにいつまでにたどり着くのだという、決意と行動が人を幸せに導くのだと、私は信じて今を生きています。

読書感想文返事

スヌーピーこんな生き方探してみよう
なかなかいい視点の本を読みましたね。

「好きだからくじけない」

私がサラリーマンをやめて、美容を志したのもこれが理由です。

本当にやりたいもの、好きなものが何か?を真剣に考えた結果です。

サラリーマンは9ヶ月でやめましたが、美容師は30年続けています。

美容師をやめようと思ったことは一度もありません。

仕事として(お金を稼ごうとして)続けていくにはなかなかハードな仕事です。

ですが、好きならこんなに素敵な仕事もないと思います。

自分でどうにでも変えていけるし、最終的に出てくる結果は自分次第です。

サラリーマンの時の収入の半分になっても、美容師でよかったし楽しいと感じています。

 

「発想が違うから(なるほど)がある。」

私が常々遺憾に思うのは、アドバイスをしているつもりなのに、「否定された」と感じられてしまうことです。

「否定された」と感じる人は、得てして自分の世界が狭い人です。

話していても、大体一面的な意見しか持っていません。

要するに「頑固者」です。

自分の意見に賛成してくれないひとはすべて「批判者」になってしまいます。

感想文に書いてあるように、自分と違う視点を持つ人のアドバイスに耳を傾けて、柔軟に自分の意見を租借しながら、結論を導いていく考えの広さは必要です。

あまりにも人の意見に流されてしまうのも考え物ですけどね。

 

「幸せに偏差値はない」

確かに、ある人の読書感想文でも、「かわいそう」という感想について意見したことがあります。

例えば、人がある信念を持って誰かのために死んでいった時、その人は確かな達成感を持って死んで行ったのかもしれません。

死んだということに対しては、かわいそうなのかもしれませんが、ひとつのことを成すために自分から望んで死んでいったということに関しては、「かわいそう」というものでもないのかもしれません。

ひとつの喜びとさえ、感じられます。

価値観は人それぞれだということですね。

自分だけの偏狭な尺度で人を測ってはいけない。

それが分かるようになるには、相当な勉強と経験をつまなければなりません。

 

美容師は案外、その辺の勉強をしようとすればできる仕事です。

しようと思わなければ、何をやってもいつまでも狭い考えの中で苦しんでいくのでしょう。

できるだけ早く、その事に気づいて自分の志を固めて言った人が本当の幸せに行き着くのかもしれません。

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