★団長日記★

          人として女として劇団代表としての喜怒哀楽を綴っています。                                  

私も校則違反しました

生まれつき髪が赤いのに学校側から黒く染めろと言われて訴訟を起こしたという生徒さんのニュースを読んで。私も同じく、生まれつき髪が赤いために似たような目に遭ったことがあるので、つい興味深く読みました。

中学2年にあがったばかりの春、髪が肩より長く伸びてきたので、初めてポニー・テールなるものに挑戦して登校したその朝に、生活指導の先生から玄関を通ったところで呼び止められたことがあります。
「おい、なんだ、その髪は?」
「え?」
「赤いだろ、染めてるのか。」
「え?染めてません。」
「下の方も回っているぞ、それはパーマか?」
「違います。」
「嘘つくな。」
その後に、水道の蛇口の下に首を押さえて突っ込まれ、ゴムを乱暴に取られて髪を水でびしょ濡れにされました。こうやって思い出して書いてみると、こりゃ、先生もヒドイ。今ならこんなこと書いたら、一気に炎上だわ。
自分でも気がつかなかったけど、生まれつき髪が赤い子ってのは、時折、束になって赤くなっているところという部分があり、初めて髪を上げたときに、それが後ろ髪だったから、鏡で見ても私自身は赤いところがあるだなんて気がつかなかったのでした。
当然、私の場合はクセっ毛でもあったから、髪が濡れてもチリチリにならなかった。
で、そのまま、教室に行けと言われて黙って行きましたが、そこは大人しく従っても、この屈辱は、授業中、教師の言葉が全く頭の中に入ってこないほど、私にとってショッキングなものでした。
何がショックかと言えば、いきなり水をかけられたことよりも、「教師」が「大人」が、こちらが話していることを一度もまともに聞こうとはしてくれなかったことでした。

で、私は不登校になったか?いや、私の場合は、そこまでひどいことにはなりませんでした。
この場面を見ていたクラスメートたちから励まされながら授業は受け、その日の部活動にも出て、家に帰ると、仕事から帰ってきた母親から「担任の先生から電話があったけど、アンタ、今日、学校で怒られたんだって?」と聞かれたので、その日あったことを全部話し、親は私の前ですぐに学校に電話。担任に、自分も含めて私の家系は生まれつき髪が赤くてクセ毛であることを説明してくれました。どちらかと言えばうちの親は、腹が立っているときほど冷静に丁寧な言葉使いをするほうだったので、学校側にはうまく伝わったらしく、その後、私は学校側から髪のことで怒られることはなくなりましたが、それ以降、学校では、生まれつき髪の色が赤っぽい人やくせ毛の人は、親の印鑑を押した証明書を学校側に提出しろと言われるようになったのです。

新設校だったためか、とにかく校則が厳しかった。生徒は不満タラタラ。もちろん、私もです。だから、その事件後に担任に申し出て、校則を変える意見書を学校に提出したいと言ってクラスの中で話し合わせてくれと言いました。担任は寛大で、その時間を作ってくれました。で、まるで今ならドラマになるぞといわんばかりのこの行動がどうなったか。

大失敗でした。
クラスで私が議長になって話し合いをしてみたら、誰も意見なんて出してくれなかったのです。反対ならば意見を出してくれと言えば、みんな、シーンと下を見てしまうだけ。
あの時はショックだったなあ。カゲで言うなよと私は言っただけなのに。
でも、今なら分かる。
あの時、どうすればみんなが意見を言えるようになったのか。
誰も言いたくなかったわけではなく、ただ、どう言えばいいのか、どう言えば学校が変わるのか、誰も知らなかっただけ。私も含めて。先生さえも。なんだか「変革する」ことを、すごく大それたことのようにみんな捉えていたんだと思います。
そう言える根拠は、「何もないんだったら、このままでいいんですね?」と言って話し合いを打ち切ります、と言った私に、帰り時、みんなは優しかったから。
今、考えると、こんな話を持ちかけるときはそれ相応の準備が必要だったのに、私の話しの持ち出し方は乱暴なものでした。

後に、高校に上がってから割と生徒会が立派で、先生と生徒が話し合うところを沢山経験したし、まっすぐに向き合ってくる先生方も見たので、段々とそれらが分かるようになりました。学生時代が過ぎて後にアメリカに行った友人とやり取りするようになったのも、そういうトラウマを消してくれる情報が学べたからだと思います。イギリスやアメリカで暮らす友人たちから聞いた話では、あちらの学校ではもっと授業自体が討論形式で進むので、「話し合い」の時のルールやマナーさえ学校の時に学んでいる、ということでした。私があの頃、もっと話し合いというものや討論というものを経験していたなら、あの時、きっと何かを変えられたかもしれません。
でも、こんな失敗のおかげで、大人になってから人と話すときに我慢しなくてはならない時、言わねばならぬ時の決断はしやすくなったのだと思います。

早くから、集団の中で失敗を繰り返しておいて良かったと思うことなんて、大人になってからはいっぱいありました。その方が、社会に出てからは多少のことではくじけない。

大人になってからの方が社会的にイジメは横行している。人種差別なんて、その最たるものです。その中で自分らしく生きていくのは本当に大変なことです。だから、今、もし、友達の中で失敗して苦しんでいる人がいるとしたら伝えておきたい。今の失敗、ただそれだけで、自分の人生が全部決まるわけではないということをわかってほしい。そして、そのためだけに自分を諦めたりしないでほしい。だけど、それのどこが、なぜ悪かったのか、その問題からはずっと目をそらさずに生きていってほしい。それでメゲなければ、必ず将来その経験が役に立つときが来ます。

感動的なドラマでは、傷つけ合っても仲間でいられる、そんな集団が沢山登場します。
だけど、現実では、そこまでいくには人と本気で関わらなければならない。それは、確かに自分も沢山傷つくし、知らないところで人を傷つけていく経験でもあるから、ラクなことではありません。許されるより許す方が数倍も苦痛です。でも、それに挑戦して悔やんだことは、私は一度もありませんでした。

傷つけられたら人を信用できなくなるのは当然ですが、だからと言って、そのままの信用できない自分でいることは、実は、一番辛いことではないでしょうか。


ニュースになった生徒さんの傷ついた心が癒やされる日を心から願って。



本番、無事成功…の後、世の中は選挙一色だった

22日の教育文化会館での本番は、おかげさまで満員御礼。
東日本大震災の被災者の現状を演劇にしたものと、その支援を訴える和太鼓とアフリカンドラムの熱演だったためか、募金総額は主催者側もびっくりするほど。
カーテンコールの後、最後に募金の訴えという大任を担った私の挨拶に拍手と声援を贈って下さる観客の皆さまの笑顔。
「ああ、いい本番だったんだな」とホッとしました。

ご来場下さった皆さま、本当にありがとうごさいました!
時間がない中で、あのような舞台を上演することが出来たのは、ひとえに、協力してくれたスタッフの方たちの力ゆえ。そして、一緒に頑張ってくれた個性豊かな出演者たちの努力のたまものでした。

私はといえば、主催者側と舞台出演者側、そしてホールをどう繋いでいくか、ただもう必死にそれだけを考えて乗り切りました。
ひとつの劇団の上演とはわけが違う、いくつもの他団体での共演は、舞台監督の連絡ひとつで調和もすることもあれば破滅することもあるわけで、それだけに、本番までの1ヶ月は朝から番までスマホを手放せない日々が続きましたので、終わった本番当日の夜はスマホの電源も切って、自分でも驚くほどの二度寝をしてしまいました(^^;)

当然、終わった翌日とはいえ、まだまだ後片付けに関する連絡はあるわけで、寝坊はしてもまたスマホ片手に家事をする。
そんなときにテレビをつけてみると、世の中は選挙一色。
そして昨日、その選挙結果が報道されました。

私は、二十歳の頃から必ず投票には行ってきた人間で、自分が応援したい所も自分で見定めて決めてきましたから、昔から選挙戦に対するマスコミの報道には辟易している方です。だからいつも思う。なぜ、終わってから選挙特集なんだ?と。

ネット・ニュースをふと観たら、デーブ・スペクターさんが「終わってからの選挙特番なんて役に立たない」と意見したそうですが、それには全く賛同。
頼むから選挙中にやってほしい。そうしたら、もっと各党を見比べる手助けにもなるだろうに。ただ、果たして今の日本のマス・メディアがそうしたところで、本当に手助けになるかは大いに疑問です。

投票日、大阪方面では台風の影響で大変な災害がありました。報道番組に取り上げられている候補者がインタビューに応えたり、バンザイなんてやっている最中、自分の選挙結果も出ないうちから、被災地に足を運んでいた候補者や政党があったことを、どこの局もリポートしていませんでした。翌日、大手の新聞はその政党をただ「惨敗・大きく議席数を減らす」と報道しただけ。

今回も一斉に、与党圧勝なんて報道されたけれど、与党側はさすがで、これが圧勝じゃないことだけはよく分かっている。
小選挙区制という古い体質の選挙制度のおかげで、数を多くとった政党から順に比例票がドント式で加えられていく、つまりは、大政党にだけ有利な制度のおかげだということが、よく分かっているから、全体の三分の二をとった後も、声のトーンを落とし、いつになく神妙な面持ちで報道陣に向かっているのでしょう。実際に与党に入った比例票は全体の30%強なのに6割もの議席数に変換されるこの制度のカラクリを明確に伝える所はありません。
「野党が弱いから与党の受け皿がない」とこぞってマスコミでは言いますが、そもそもその野党を弱くするために敷かれた小選挙区制度というものを批判する声は、取り上げられません。その体質こそ、変えてくれたなら、私たちは今頃、もっと安定した、もっと国民本位の政治にありつけたことでしょう。

でも、いかにマスコミが批判精神を失いつつあろうとも、人間、30年も選挙に投票していれば、分かってくるものです。
選挙のたびに候補が言うことを変えるのは普通。そして、離合集散も何度も見てきた。
あの小池さんなんて、都知事選の時からグリーンな色でクリーンなイメージを前面に押し出していましたが、私の中では彼女のイメージこそカメレオンのグリーン。
政治の世界で強者の間をクルクルと自分の都合で泳いで渡ってきた一番、キライなタイプ。
それがどうして、「都民ファースト」などと言えるのか、テレビを見て笑っちゃいました。

今回、消費税を増税したらどう使用するかという政党の主張も新聞で読みましたけど、あんまり主婦をナメルなよ、と思いました。
消費税を始めるときに、時の与党はこぞって「これから20年後の社会保障を充実させるためだ」と言いましたが私は反対する政党に投票。なぜなら国会では、反対する政党の「では消費税を必ず全額、社会保障に充てるのか」という質問に与党がのらりくらりと逃げてまともに答えなかったから。
あれから20数年経って、消費税の恩恵など、アベノミクスと同じぐらい感じたことは一度もありません。「ヨーロッパ諸国では15%〜20%で国民所得は豊かになっている」とも言っておられた。だけど消費税の高い北欧の国ではそれが社会保障にあてがわれているから「老後の病院代?生活苦?って何?」と聞くほど日本の消費税とは使われ方が違うわけで。
そういうことを知るたびに、あの時、賛成しなくて本当に良かったと思っています。ただ、反対していた政党はやはり野党で数が少なかったから、消費税は取られるようになり、その後、増税もしないと言っていたのにまた上げられる。

だから、私は選挙のたびにため息が出ます。
だけど、これぞ私の権利だと思うから、投票には行き続けます。そして、選挙の時でなくとも、普段から、地道に駅前や公園前で訴え続けていた候補者を応援し続けています。
東西各国の人々が残した人生の名言に従って。

「常に批判するものがいなくなった国に独裁者は産まれる」
「賢人は歴史から学ぶ。しかし、その歴史とは強者が記したものではない。強者は己の国にとって都合のいいことしか記さない。」
「あなたとあなたの友人、家族の命を守りたいならば、あなたは権利を主張することをすべきである。権利とは、そのためにこそある。」



高文連大会終わったら、本番…!

先週8日を以て、高文連演劇部石狩支部大会が幕を下ろしました。
自分が外勤講師を勤めている定時制高校も上演したので、当然、関わっておりました。

生徒達が生き生きと舞台の上で躍動し、スタッフとして懸命に責任を果たす姿は、いつ見ても感動の連続です。
東京でずっと演劇制作を仕事にしている後輩がまた訪ねてきてくれたので、時間がある時は何作か一緒に観劇していたのですが、二人とも高校演劇出身だから、どの舞台を観てもいろいろと感慨深くて、観るたびに話も弾みました。

高校生にとっては闘って切磋琢磨する場としての大会ですが、卒業した後の人間にとって、こういう大会は、時折、別の大きな意味を持ちます。
大会を観て、また元気になって自分の活動場所へと帰って行った後輩は、今、人生の岐路に立っています。そんなときだからこそ、大会を観に来たのでしょう。

彼女にとって、今回の大会は、今の自分を作った原点というものがなんだったのかを思い出し、自分を見つめ直すために必要だったのだと思います。

私にしてみれば、こうして今も訪ねて来てくれる後輩たちが存在することは、幸せなことだと思います。彼女たちと芝居作りにやっきになっていたあの頃の自分は、今、考えるとまだまだ子どもで、辛抱も足らず、一体、何を教えられたと言うんだとさっぱりわからないのですが、ただ、一生懸命、正面から向き合っていたことだけは確かだったんだなと思えるからです。
そうすると、自分に自信がある、とかではなく、自分がやってきたことには自信が持てたりします。

また、来年会うときには、きっと、更に大きくなっているんだろうなと思いながら見送りました。

さて、そんな感慨にふけっている間もなく、明日は私も本番です。
高校生だけではなく、大人も闘っているんです!いつも、自分自身と。




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