★団長日記★

          人として女として劇団代表としての喜怒哀楽を綴っています。                                  

飼い猫のお葬式でした

今日は年末から具合が悪くなっていた飼い猫のお葬式でした。

お葬式、とは言っても、遺体を焼きに行った、というだけのことなんですが、やはり大事な家族の一員だったので、昨日、息を引き取ってしまってからは何もする気が起きず。
そんな自分を奮い立たせて、午前中から、飼い猫が普段生活に使用していたものも、この何日間、放置していた部屋も何から何まで掃除して、バスタオルにくるんだ遺体をしっかり抱いて連れて行きました。

この猫は、なんと病院でも驚かれた20歳。犬や猫の20歳は人間で言えば96歳に換算されるそうです。
死因は、腎臓から徐々に弱る、いわゆる老衰でした。つまり、悪くなり始めたらもう手の施しようがない、というヤツです。検査結果が分からないうちから、すでにお医者さんに老衰だと思うと言われていたので、苦しんで永らえるよりは自然に任せようと、覚悟は決めてはいました。

この1ヶ月、人間で言えば要介護度5の状態。
夜中に何度もトイレにつれていかなくてはならなくなり、毎日、ご飯を食べたところを見計らって薬をのませ、最後は顔を支えて水を飲ませなくてはならないくらいに。
本当は全く目を離せない状態になっている子を置いて、稽古に行ったり家から出かけなくてはならないときは、毎回、「頼むから、帰るまで頑張っていて」と拝むような気持ちで車を運転していたものです。きっと、ペットを看取ったことがある方なら、この気持ち、分かってくれると思いますが、本当に、冗談でも大げさでもなく、身が引き裂かれるような思いでした。

それが、三日前から目に見えて悪くなり、今まで何匹も猫を飼ってきた私としてはもう何日も持たないと分かってしまうわけで、あちらこちらに連絡して最期を看取るようにしました。
最期は虫の息で小さくひと鳴きすると、慌てて抱き上げた私の腕の中で、二度ほどビクビクとけいれんした後、静かに息を引き取りました。

治療にあたってくれた病院でも、遺体を焼きに行った動物管理センターでも、「そこまで生きられて天寿をまっとうできたこの子は幸せですね」と言われましたが、飼い主としては、もっとこうしてやればよかった、ああしてやればよかったと思うことばかり。
遺体を手放すときには、人目をはばからず何度も抱きしめては泣いてしまいました。

お骨を手元に戻してもらうようなことは、私の場合は望みませんでした。
そこに、私を癒やしてくれたあの体の温かさも可愛い声もビー玉のような瞳もないからです。
死んでしまえば、もう遺体に何かが宿ることはない。土に帰るだけ。
だから、本当は何かしてあげたいなら、生きて元気なうちにしてあげるべき。
それがどこかで分かっているからこそ、人は死んでしまった後に後悔して、お墓だのなんだのと尽くしたくもなるのかもしれません。
私ももちろん沢山の後悔はありますが、会えなくなってしまってからいろいろやったって、自己満足だけだと分かっているし、死んでしまったペットのことを忘れたことなんてないので、自分なりの葬儀をしようと思いました。

今、思えば、なんと運のいい子だったんだろうと思います。
もし、本番中ならば、病院に預けて、たとえ危ないと連絡が入ったとしても駆けつけることは出来なかったからです。
家族同様だったものですから、つい、自分の父の、生死を分ける手術を前に本番に出ていたときと同じように、「頼むから居ないときに死なないで」と願って、その通りにはなったのですが、それでもやはり、この子はこれで幸せだったんだろうか?と何度も自問自答していました。
だから、動物管理センターのおじさんが、「20歳まで生きられるなんて、飼い主さんもよく頑張った」と言ってくれたことが、救いになりました。

帰宅したら、どっと疲れて、何をしていても眠たい。
考えてみたら、最近、あまり熟睡していなかった。
ご飯の味が分かる。久しぶりに美味しいのが、また悲しい。
ああ、私はまだ、生きていられるんだな、と感じます。
動物の死を看取るといつも学ばされる。
生きていられることは、本当は、普通のことなんかじゃない。それだけで奇蹟なんだと。
最後の最後まで、自分で食べようとし、飲もうとし、もう動かなくなった後ろ足を引きずって、動きたいと前足を踏ん張る。ただ、最後まで生き抜こうとする姿に、今、まずは普通に生きているということに動物より大きな脳を持っている人間の自分が、無頓着で無感動になってはいけないと思わされる。

捨て猫の飼い主になって20年。
人生の五分の二を一緒に生きてこられたことに感謝。

もう会えないことより、癒やされてきた日々のことを大切にしたいと思います。








新年、明けましておめでとうございます

今年は穏やかな元旦からスタートでしたね。
皆さまはどんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
私は、新年早々、5日に、日頃からお付き合いのある乱拍子さんのお正月公演のお手伝いに。

写真は、終演後、残ったお客様と一緒に太鼓を叩いたメンバーがご挨拶しているところです。
で、この私は何をしていたかといいますと、ロビーで、乱拍子の団員の方の指導の下、お餅を作っていました。

この日の公演にはお客様が沢山いらしていたので、お客様と一緒にする餅つき大会用と、終演後にお客様が食べるのを楽しみにしている乱拍子お正月公演ではもう恒例となっているきなこ餅作りに、汗ダラッダラになりながら、もう時間に間に合わせるのに必死でした。

しかも、予定時間より終演予定が早くなっていると連絡を受けて、私と一緒に集まっていた餅係メンバーは大慌て。乱拍子のもとちゃん(団員さん)は手慣れたもので、冷静に対処してくれましたが、いざ、お客さんがホールから出てくると、手慣れた餅つきメンバーから次々とできあがるお餅を食べやすく丸めてきなこ餅にするまで、腰が痛くなるほど下を向きっぱなしでした。
もう、一緒に作っていたメンバーはみんな、夜中のお笑い芸人かってぐらいのハイ・テンションで、つきたてのアツアツのお餅を、手袋をはめた手で、引っ張って、こねて、丸めて、きなこを付ける、を繰り返す。
終わった後は、いただいたお餅がもう美味しくて美味しくて。

乱拍子の公演は、いつもグルーヴ感いっぱいなので私は大好きなんですが、お餅を作りながら(食べながら)和太鼓も堪能できて、こいつは春から縁起がえーわいえ!
というお正月でした!

稽古場を閉めてから、各団員はいろんな所で舞台のお手伝いをしたり、自分でスキル・アップするようにしてもらうと決めて、それぞれの活動をしていますが、その中で私は、基本的に乱拍子さんに関わることが多く、おかげさまで、ずいぶんと学ばせていただいてます。

乱拍子の方は、「私たちは舞台のことをよく分かっていないから助かる」と言ってくれますが、それを聞いても私のほうは、「舞台の中の裏方については知らなくても、舞台をみせるために一番大事な観客のことを、乱拍子の人たちはよく知っている」と常に感じているので、一緒に舞台を作ったりしていると、さすが、本番だらけで連日鍛えられているプロだと感心させられることばかりです。

今回も、年末に、この「お餅作り」の稽古をしていたと聞いて、なるほどなぁ、と感心することしきり。公演のゲネプロを進めているウラで、つい舞台の中のことだけで手一杯になってしまうところを、お客様をどうお迎えするのか、きっちり考えている。

私たちも、稽古場に限らず、公演の受付の体制などはよく練習したものですが、それ以上に楽しませる工夫をあれだけ大変な中で考えてやり抜く。
それが当然だと思っているから、不満やブーイングなどもでない。
心構えひとつで、舞台の準備の仕方もいろいろあるものですね。

そんなわけで、気持ちよくスタートしております。
今年も、どうぞよろしくお願いします!

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師走に走りながら

年末ですね。今年もあとわずか。
昨年までと違って、稽古場がないので、劇団員とメール、LINE、電話、ありとあらゆる連絡手段で会話しながら、年末の打ち合わせをしています。

今まで会計を担当してくれていた団員が病気療養のために退団してしまったので、慣れない会計作業もやりながら。クリスマスから大掃除も少しずつ始めて。
それなのに、こんな時に限って、飼い猫が年を取っているので具合が悪くなって動物病院に連れて行ったり。本当に、こんな時に限って。でも、ペットってやっぱり家族の一員じゃないですか。だから、何を放ってもまず、病院へ。

それにしても、病院だ、銀行だ、郵便局だと走り回る中、どうして年末ってこんなに道路が混むんだ、とイライラを通り越して、もう諦め気味で、運転中、普段は全く使用しないテレビをつけておりました。もちろん、運転中ですので画面はあんまり観ておりませんが、聞こえてくる話題は相撲協会の話ばっかり。一度聞けば十分じゃないか、とチャンネルを変えても変えても金太郎飴みたいにおんなじことばかり。
貴乃花親方がどうの、日馬富士がどうの、協会側としては云々…。お昼の奥様番組はもちろん、ニュースさえこれが冒頭に話題にされるってのもどうよ?
この年末に、一体、それが、わたしたち国民生活にどれだけ影響する話題だってんだ?

確かに相撲は国技ですよ。
でも、それ以上に重大な知らせておかなきゃならないことも、ほんとうは沢山あるんじゃないの?
例えば、教育費の無償化って言ってもカタチばかりで中身がないことばかり決められてるとか、別に、全員が無償化になるわけではないこととか、それを行うと学校の先生はもっと大変になるとか。税金がどう値上げされていくかとか。たばこ代が来年から一本十円も値上がりするとか(いや、これは私が喫煙者だからだが…)。

ちなみに、私はこのお相撲さんたちの事件については、貴乃花親方を全く悪いと思っていない側でして。(実はしっかり聞いていたり…)。
私も小さかろうとひとつの集団の代表をやっているもんだから、ついついひいき目で観てしまうのかもしれません。自分の所のメンバー1人を守ろうとする時は、誰が相手であろうと時が来るまで一切しゃべることなんて、責任ある立場だからこそ、しないと思う。
それは、たとえ自分が周りや身内からさえ悪く観られようとも、自分がしゃべることで誰かがまずい立場に追いやられるのが判っているならなおさら。貴乃花親方が言うことは、きっと、自分のところの仲間がどう見られるかだけではなくて、相撲業界がどう観られるかとか、モンゴル力士たちもどう観られてしまうかを知っているから言えないのではないかと。
親方って立場のものが発言するのと、そうでないものが発言するのとでは社会での受け取り方は全く違ってくるし、その大きさ、後の影響力を知るものなら、そうそう簡単に話せるかって。

こういう事件を観ていると、ついつい昔のことを思い出してしまいした。

高校時代、自分で言えない子の代わりに、クラスで発言したことがあります。
言われて思い当たる子や気を悪くする人がいるのは判っていたような内容でした。
その子たちが息巻いて、誰がそんなこと言ってるんだ!と集中砲火を浴びせてきても、私は彼女の名前を一度も口に出さなかった。それが原因で、そこから半年間、いじめにあうことに。でも、私には演劇部の活動があったし、部活に行けばやることはたくさんあって、まだ高校一年生だったので、いろいろ覚えることに忙しかったから、クラスでの時間をテキトーにやり過ごして部活に通うということを繰り返しているうちに、他のクラスの友人もたくさん出来たから、いじめるメンバーの方が少なくなって、とうとう普通に接してくれるようになりました。今と違って、昔の女子校。ぶつかってしまえば、けっこうみんなサッパリしていたもので、今ではすでに何十年も経っていい思い出になっています。

だから、私は昔から、自分に話をしてくれた人の名前を、他の人に勝手に明かすのはキライ。そんなわけで、貴乃花派。

組織の中の責任ある立場なんだから、と悪く言う人も多いけど、その人が今、置かれている立場やなぜ話せないかという現状なんて、その人と同じ立場に立ったこともない人間がよく言えるものだと思いながら、運転しておりました。
おかげさまで、おんなじ話ばっヵりなもんだから、たいして身も入らずに聞き流せるわけで、安全運転で走り回っております。

ここを読んで下さった方も、どうぞ、運転にはお気を付けて。

来年はもっと頻繁に更新しようと心に誓いながら(笑)

どうぞ、よいお年を!





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