2018年01月13日

切り拓いて切り開く

12月末に朝日新聞デジタルにBURAKU HERITAGEABDARCを取材していただいた記事が出たあと、ツイッターに自分も部落民だというアカウントから「寝た子を起こそうとするな。吐き気がする」というリプライが来た。

そのアカウントはその後私をブロックした上で、「能天気な東京育ちのガキが」「具体的にどう何を『東京で』差別されたってんだ」と私が東京に住んでいることを出して、「何がわかるんだ」を繰り返していた。ひどい差別を受けつつも、寝た子を起こさないことが差別をなくすことなんだと信じて告発もせずに出来ずに耐えてきた人なのだろうなと、寝た子を起こすなという言説の残酷さにどんよりしつつ、私は、「ああ、またこのパターンか」と思った。

 

「東京者に何がわかるんだ」「部落に住んでないやつに何がわかるんだ」という言い方は、私がず~っと投げつけられ続けている言葉だ。

 

いつも心の中で「じゃああなたは東京に住んでる部落民の気持ちがわかるのか」「部落に住んでるやつに部落に住んでない部落民の気持ちの何がわかるんだよ」って言ったらこの人はどう答えるんだろうと思いつつ、環境が同じだろうが違っていようが、その人の気持ちなんてその人にしかわからないんだから、そんな問い自体意味がないのにな、と思う。

大体そういう言葉は私が反論できない環境で、文字通り「投げつけられる」ように発せられるので言われっぱなしになることが多く、その言葉は少しずつ少しずつ私の心を削ってきた。

 

私の立場は社会の中でもマイノリティだけど、そのマイノリティのコミュニティの中でもまた「よそ者」「偽物」扱いされるマイノリティになるわけで、自分の居場所というのはまだどこにも用意されていないのだ、欲しければ自分で作るしかないのだというあきらめと覚悟を持ってずっと生きてきたように思う。

私が部落の出身者であることを隠さないということは、部落に対する差別を覚悟するのと共に、「あいつはよそ者だ」「偽物だ」という言説とも闘うことを同時に覚悟しなければいけないということなのだ。

 

でもある時、親と同世代の、部落の中でずっと生きてきた、とある部落のリーダー的な人にこんなことを言われた。


「上川さんに会ってみたいってずっと思ってたんです。今、部落の出身者たちを取り巻く環境は多様化していて、上川さんみたいに親が部落から出て部落の外で生まれ育つ人もこれからどんどん出てくる。でも、そういう人たちがどんな風に辛い思いをしたり、どんな課題を抱えているのかというのは、自分みたいに部落の中でどっぷり育って生きている人間にはわからない。だから、その多様化の最前線で闘いながら生きてきた上川さんに会って、直接体験とか気持ちとかを聞いてみたい、教えてもらいたいって思ってたんです。」

 

その時、私の中にあるオセロの黒い駒の一つが、パタンと白い駒になったような気がした。

そうか、私は最前線にいたのか()

 

この間、私と似た立場のマイノリティの友人とメッセージのやり取りをしていた時にこの話をして、「ヤバくない?」と聞いたら、「ヤバい!」と返ってきた。言いたいことが「ヤバくない?」で通じてしまう経験を友人もしたのだということに胸が痛くなりつつ、「理解されにくいのは最先端だからだし、これからも切り拓きまくるよ()」とかっこよさげにキメたつもりが、「切り開くよ」と書いてしまい、「あ、切り拓くでした…」と即座に訂正をした。

でも、友人から「切り開くでいいよ。道を広めに切り開いたらいいと思う」と返事が来て、変換ミスもたまにはいいな、と思った。私は広い道を、いろんな人と歩きたい。



ikonkon_ayakonkon at 12:53|Permalink 部落のこと | わたし

2017年07月01日

【イベント「私たちの部落問題」その②~私たち編~】

参加を断っていた裁判の被告が会場に入っていたことで、会場にいた参加者のみなさんにも、登壇者にも緊張が走ったように感じました。私はそこまで動揺しなかった方だと思うのですが、それでもレクチャ―の最初の方は頭に入ってきませんでした。

他の登壇者のことがとても心配だったし、実際に普段とは様子が違っているように見える人もいました。でも、崩れてしまう人は誰もいなくて、ここで動揺してしまっては思うツボだし、気持ちを立て直してこのイベントをよりいいものにしよう、みたいな気迫をみんなから感じました。

トークセッションなんて、いかに会場から笑いが取れるかの競争になっていた気がしないこともないくらい(笑)みんなトークが上手いのなんのって。こういう一見堅そうな話題を伝えようとする時に、いかにユーモアに包むのかというスキルを磨かざるを得ないということなのかな、なんてことも考えました。

そんなトークスキルの猛者たちの中、私の隣では共にBURAKU HERITAGEのメンバーであるCが、自己紹介パートで短く話した以外、にこにこ笑いつつもずっと発言をせずに座っていました。Cはもともと人前に出るのが得意ではなくて、でも今回のイベントに協力したいと、勇気を出して登壇してくれたのです。

そんなCが、最後に登壇者一人ずつ会場にメッセージを、となった時にこんなことを言いました。「みんなが沢山喋っている中、私は緊張して全然話せませんでした。でも、こういう人も部落の中にはいて、あなたの隣にいる人もそうかもしれない。そういう想像力をもって、部落問題について考えていってほしい」

Cに登壇をお願いしてよかったと、心の底から思いました。こういうイベントではどうしても、話慣れている人とか、表に出ることがものすごく苦ではない人とかが中心になってしまうのだけど、本当はCのような人だってた~っくさんいるのです。なかなか表に出ないから想像力に任せるしかないだけで。

勇気を出して登壇してくれたCに感謝の気持ちしかありません。もちろん他の登壇者やスタッフのみなさんにも。ネットでいろんな情報が晒されて、裁判をしないといけないような状況になって、プライベートの時間を削ってABDARCサイトやったりイベントの準備したりして、大変なこといっぱいあったのに、被告が侵入してくるなんていうとんでもないことも起こったのに、イベントのことを思い出すと満たされた気持ちしか残っていません。

差別されることのしんどさよりも、共に闘ってくれる人、支援してくれる人たちがいることの心強さ、希望みたいなものの方が強く感じられるイベントだったからかな。今回のイベントを通じて更にいろんな人たちと繋がることが出来ました。また新たな人たちに巻き込まれてもらいながら、次のイベントも作っていければと思っています。

次回の裁判は9月25日14時~@東京地裁。前日の24日にはまたイベントも開催します。是非ご支援をお願いします。


ikonkon_ayakonkon at 17:53|Permalink 部落のこと 

2017年06月28日

イベント「私たちの部落問題」その①~カウンターのみなさん編~

6月25日に上智大学で開催したイベント「私たちの部落問題」、無事に終えることが出来ました。ご参加、ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

長くなりそうなので何回かに分けて感想を(笑)

今回のイベントは、ABDARCにとっては初めてのオープンなイベントでした。裁判の被告が原告側の集会や勉強会に紛れ込んでくるという事態が少し前から起きていて、今回も十分にそれは予想出来ることだったので、オープンなイベントにするのか、セキュリティはどうするのか、そういうことについては悩んだし不安もありました。

でも、一人でも多くの人にこの問題について知り、考え、ともに取り組んでもらうためには、リスクを承知した上でオープンにやろうと相談し、覚悟を決めての開催でした。

また、前回の裁判に駆け付けてくれた、ヘイトデモに対するカウンター行動をしている方たちが「これは自分たちマジョリティこそが取り組まなければいけない問題だ」と、実際に準備の中でその言葉を態度で示してくださったことも、覚悟を後押ししてくれました。

当日、イベントが始まってすぐに私がABDARCについての説明をしていたところ、会場の片隅で「何か」が起きていました。スタッフがこちらに向かって何かのジェスチャーをしていたので、そちらに目線を移して一瞬話が止まってしまい、参加者のみなさんにも「何か」が起きていることが伝わってしまったのだけど、その瞬間、客席に座っていた複数の人たちがさっと立ち上がり、そちらの方向に向かってくれました。

誰一人として、私の知り合いではありませんでした。何が起きているのかもわかりませんでした。
でも、その人たちが何らかのアクシデントが起きていることを察知して、咄嗟に力になろうと文字通り「立ち上がってくれた」ことはすぐにわかりました。

その瞬間のことは目に焼き付いていて、今でも鮮明に思い出しては涙が出てきます。不安なこと、辛いこと、怖いこと、そういうマイナスなことがあったとしても、こうして立ち上がってくれる人がいると、そのマイナスがかき消されて感謝や勇気や心強さに変わるんだと、力強く感じさせてもらった瞬間でした。

後で、その時の「何か」は、チラシにも会場の張り紙にも「参加を断る」と明記していた裁判の被告が変装して会場に入り込んでいたことがわかったため退出を要請していたのだということがわかりました。

レクチャーの途中でそのことがアナウンスされ、会場にいた人たちも動揺したでしょうが、登壇者たちもそりゃ動揺しました。でも、その中で私たちはよくやったと思う!(笑)

やっぱり長くなってしまったので、そんな素敵な「私たち」の話は、また後日。



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2017年02月11日

子どもちゃんと部落の話をしました【血がきっかけ編】

子どもちゃんとはなぜかよくお風呂で語り会うことが多いんだけど、今回もお風呂で。
 
この間一緒に観たあるタレントさんのドキュメンタリーの中で、
「アメリカ人の血を引く父と、日本人の母の間に生まれた」
というナレーションがあり、その意味について子どもちゃんから聞かれたのがきっかけでした。
 
・血を引くというのはルーツがあるという意味であること
・でも、実際は「血」自体がどうというのではなくて、比喩的に「血」と言っていること
・「血」が〇〇という言い方は、ママはあんまり好きじゃないけど、世の中ではよく使われてるかな~ということ
 
なんかを話しているうちに、
「部落に関しても『部落の血が入るのはイヤ』みたいな言われ方することもある。」
という話をしました。
 
「なんじゃそれ~!ふざけるな~!!」
と子どもちゃん。
 
「ママはルーツが部落にあるし、自分のことを部落の人だと思ってる。さっきの『血』みたいな言い方でいうと、子どもちゃんも『ママの血をひいてる、部落の血をひいてる』ってこれから言われることがあるかもね。」
 
と、ちょっと思い切って言ってみました。
 
それに関しては、「ふ~ん。」と、まあそりゃそんなこといきなり言われてもそんなリアクションになるよな、という反応。
 
「子どもちゃんが、『ママは部落の人だけど、私は違う』って思うのか、『ママは部落の人で、その子どもの私も部落の人』って思うのかは、これからいろんなことを見聞きしてから考えていったらいいし、子どもちゃんが決めることだととは思うんだけど、子どもちゃんがどう思っていたとしても、周りの人が勝手に決めつけてくることもあるかもしれないの。」
 
と言ったところで、意味わかる?と聞いたら
 
「う~ん、ちょっと難しいかな?」
 
だよね、8歳だし、まだ難しいよね。
 
「でもね、周りの人がどう言おうと、嫌なこと言って来たりしようと、それはそういうこという人の方がいけないの。言われる方が何も悪いことしてるわけじゃないし、だってママ、何か悪いことしてる?」
 
「してない!部落だからって勝手に悪く言ってくる人が悪い!」
 
と、そこはちゃんとわかってくれている模様。
 
「あとさ、なんかこういうのって悲しい話に聞こえるかもしれないけど、でも、ママのことかわいそうって思う?」
 
と聞いてみたら、
 
「ううん、ママはいつも楽しそう!ぐふふ。」
と嬉しいお答えが。
 
「差別があることは悲しいことだけど、そのこととちゃんと向き合おうと思って向き合ってみたら、ママ、いろんな大切な人と出会えたり、向き合ってなかったら知らなかったことをたくさん知れて、ママは向き合えてよかったって思ってるんだよ。
〇〇くんも〇〇ちゃんも、ママがそう思っていろいろお仕事してて出会った人だから、ママが部落のことと向き合ってなかったら、」
 
「お誕生日会さみしかった!!!」
 
だって(笑)
 
解説しますと、子どもたちのお誕生日会には、子どもたちのお友達に加え、私が部落問題に関する活動をする中で出会って、日ごろから家に出入りしてくれている人たちも来てくれて、盛大に愛でて祝ってくれるのです。
 
「ママが部落問題に向き合ってなかったら、私のお誕生日会さみしかった!」
というオチがついたところでお風呂タイム終了!
 
でもこれ、めっちゃ素敵なオチでしょ!
少しずつではあるけど、今のところはどうやら大切にしたいことが伝わっているらしいなと、少しホッとしたお風呂でのやり取りでした。


ikonkon_ayakonkon at 19:01|Permalink 子育て | 部落のこと

2016年06月05日

痛いくらいに後悔し反省している父親に対し、命を奪いかねない行為だったんだぞとネット上で非難することは、その父や子の命を奪いかねない行為ではないのだろうか。

北海道の行方不明だった子、見つかって本当に良かった。


私は20代の前半保育園で働いてて、いろんな親を見てきた。しんどい家庭、訳ありの家庭も多かったし、外国出身の親の家庭とは、文化の違い、価値観の違いもたくさん感じた。

子どもたちの話を聞いていて、連絡帳を読んでいて、「え?」「ひどい!」って思うこともいっぱいあって、私はもし自分に子どもが出来たら、こんなことは絶対にしないでおこう、と思っていた。

...

10年以上前のことだけど、ペラッペラだなぁと恥ずかしくなる。


あれから時がたって、私も親になった。


夫もいて、働いてて、家もあって、周りからそれなりのサポートも受けてて、専業主婦なんかしちゃって、そりゃ、こんだけ恵まれてれば子育てを楽しめますよね、良かったですね、と自分に皮肉のひとつでも言いたくなるような環境で子育てをしてる。


でも、それでも、あの時連絡帳を読みながら、「私はこんなことしないわ」と思ってたようなことをしてしまうこともある。


子どもちゃんは、「もう、じゃあママ先に帰るね」と歩き出すと、「待って〜!」と追いかけてくる子だった。めったにそんなこと言わなかったけど、何回かはこの手を使った。


ベビは、こういう手があまり通じない。


この間なんて、公園から帰らないというベビに、「じゃあ、ママ先に帰るね。」と言ったら、「うん、バイバイ」と言われ、歩き出してもついてこず、ならばこっそり隠れて見守っていようと思ったのに、私が家に入るまで見届けるように(公園から玄関が見える)こちらをずっと見ているので、めっちゃ焦った。


結局、一瞬家に入り、すぐに走って公園の茂みに隠れベビを見ていたら、楽しそうにひとりでブランコに乗り、隣のブランコに乗ってきたお兄さんに何やら話しかけ、お兄さんが行ってしまったら背中に向かってバイバ〜イと叫び、満足そうにブランコから降りて家の方向に歩き出したので、茂みの陰から出て「もういいの?」と聞いたら、「大冒険してやったぜ!」みたいな顔をして「うん、かえる!」と答えた。


子どもなんて親の思うようには動かない。ていうか、他者なんて思うようには動かせない。

そんなこと、わかってるけど、それでも、こうなるだろうと勝手に思ってしまうのも、人間ってそういうとこあるよね、と思う。


大江健三郎が子ども向けに書いた「自分の木の下で」という本に、「人間、たいていのことは取り戻せるから、恐れずやって、失敗すればいい。ただし、人を殺すことと、自分が死んでしまうことだけは、取り戻せないから、やってはいけない。」みたいなことが書いてあって、ず〜っと前に読んだ本だけど、そこだけは強烈に覚えてる。


北海道の子、生きてて良かった。お父さんも、子どもも、生きてれば取り戻せる。


でも、あんまりバッシングがひどいと、この先死んでしまうことだってあるかもしれないぞ、と、少し心配になる。


そうなったら、取り戻せないのは、この父子だけではない。叩いた「世間」も、命を取り戻すことは出来ない。


失敗して、しかもそれを痛いくらいに後悔して反省してる人を、これ以上苦しめる必要はない。失敗しちゃったけど、取り返しのつかない失敗じゃなくて良かったね、でいいじゃん。


「おい、父親、お前殺人未遂だぞ!」という書き込みは、それこそが殺人未遂かもしれない、という自覚はあるのかな。お父さんが置き去りを躾だと思っていたように、それが人を殺しかねない行為だとは思ってないのかな。

お父さんも子どもも、この先「世間」に殺されないでね、世間よ、この父子を殺すなよ、と、心から思う。



ikonkon_ayakonkon at 18:41|Permalink 子育て | わたし