記事元:死んだら地獄行くとか絶対嘘だよな
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1462339553/

1 :名無しさん@おーぷん:2016/05/04(水)14:25:53 ID:LAv(主)
そんな証拠どこにもない
そもそも地獄とか人間が勝手に作り出した所だし
自殺者を出さないための戒めみたいなもんだったんじゃないかな



5 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:27:43 ID:LAv(主)
生物ってマジで死んだらどうなるんだろ



7 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:28:48 ID:Jbr
>>5
異世界へ転生する


9 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:29:37 ID:WGQ
>>5
その生物の意識をつくってる脳が活動停止するんだから無に帰すだけだよ
残るのは第三者からのその人・生き物に対する認識だけ



13 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:30:52 ID:hWf
>>5
弱くてニューゲーム



65 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)16:25:35 ID:I3A
>>5
>生物ってマジで死んだらどうなるんだろ

一定の期間を経て他の誰かに生まれ変わるだけ
地獄があるのかないのかはわからん
ただ生前に悪い事をやった奴や偏った考え方をしてた奴らの魂を清浄化する為に
地獄的なものがあるとかないとかって考え方はあるみたいだが



6 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:27:45 ID:jTp
絶対とは言い切れないが、可能性は極端に低いと思ってる



10 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:29:43 ID:LQb
雲の上の神様がやっちゃいけないリスト持ってお前を見張ってて、
それ破ったら永遠に地獄で苦しめられるんだよ
すごく現実的な話



14 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:30:56 ID:bvk
ヒトの脳が死ぬのを嫌がって死ぬ直前の瞬間を永遠に引き伸ばすという説に一票
家族に囲まれて死にたい



19 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:32:12 ID:ts5
まっ、ワシは生きてるうちに死後の事をあれこれ考えるよりも、
生きてるうちはこの世での事を考えるべきだとは思うが



21 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:34:46 ID:jTp
死んだら無だと思う
事故で脳に損傷おったら意識なくなるんだから
霊的な何かがあるなら現状も病気を補ってくれててもいいと思う



22 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:34:53 ID:xTt
俺達は生きとるんやぞ、死んだ時のことなんかわかってたまるか



25 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:38:01 ID:k9g
死の後の処置が人に平等に訪れるとは思えない。

地獄に行くやつもいれば、無になるやつもいると思うし
輪廻転生するやつとか色々あると思う。

だから死後の世界は色んな説がある。

って考えてる。



35 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)14:46:39 ID:Hev
でもワクワクするやん?俺天国いきたいやん?



36 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)15:08:02 ID:WGQ
俺は転生したい派だわ
記憶を保持したまま可愛い女の子に成れたらと考えないこともない



37 :名無しさん@おーぷん :2016/05/04(水)15:09:08 ID:v42
死んだら無じゃね?

今こうやって考えられるのも脳のおかげ。

死んだ跡の天国とか地獄とか生きてる俺らが都合よく
勝手に作り出した偶像に過ぎない



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 コメント一覧 (2)

    • 1. 名無し板拾い読み
    • 2018年02月23日 12:13
    • でもほぼ全ての人間は自分の意志は
      物質の因果関係から自立していると思っている。
      それなら、その物質原理とは異質の
      精神の因果律はどうなっているのか。
      合理的に考えると無にはならない。
      これは最初の仮定に問題があると思われるが
      考えると現れるパラドックスである。
    • 2. 名無し板拾い読み
    • 2018年02月23日 12:28
    • 悟りを宗教として利用し落とし込む為の理由付けが必要だったんだろう。
      何故に対する分かりやすい答え。
      本来は自分自身への何故への対話の過程が重要なんだが。
      宗教という組織においては、悟りなんぞ実際はどうでもいいし、寧ろ邪魔。
      信者が皆次々に悟りを得たら、誰も寺に来なくなるしね。

      自分の言葉が念仏なんてモノになるとは、彼は想像していたんかな。
      それさえも営みと理りの一つとして笑っていたんかな。