2016年08月11日

山の日に生まれて

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私は山の日に生まれました。

いえ、正しくありません。

私の生まれた日が山の日という国民の祝日になりました。と言うのが正解です。

子供のころ、学校で「今日は、なになにちゃんのお誕生日です!」と言ってみんなに祝福してもらうのが羨ましかった。なぜって、私の誕生日はいつも夏休みの真っ最中で、クラスメートから一斉に「おめでと〜」って言われた為しがなかったから。

社会人になって、8月11日が通常勤務日になると、同僚や患者さんから、義理でもなんでも祝福されたら、なんか嬉しい気持ちになるのは、子供のころの反動だったかもしれません。
そんなささやかな気持ちを、山の日の存在が水を差すのでした。
また休みになっちゃった。
子供のころに戻ったようです。
休みが一日増えたわけですから、いいのですが、ちょっと複雑な気持ち、わかっていただけますか?

でも、昨夜は、職場の同僚が57歳!の誕生祝いをしてくれました。嬉しい限りです。まだまだお前たちには負けないよ、とまた空元気が出てきました。
まだまだ伸びるゴム(56)の年から、五七調の歌(定型詩)の世界へ。和を大切にしながらリズムよく一年を乗り切りますよ。

今年の今日、生まれた子供たちは、物心ついてから、こう言うのでしょう。

私は山の日に生まれました。


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2016年07月31日

みんな違ってみんないい

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 第4回イル活が開催されました。
 生(いのち)と性を自由に語る一泊二日の研修会。昨日までの北海道豪雨で心配された天気も順調に回復、労災と市立の看護学生38人が元気に鶴居グリーンパークに集合しました。今年は、大人の実行委員長のサポートはあったものの、ほとんどを学生実行委員で企画。名実共に、若者の若者による若者のための真夏の勉強会となりました。

 労災の看護師より、HIV/AIDSの現状を、実際に関わっている陽性者のアンケートを中心にレクチャーがあり、看護学生としての陽性者との関わりを実感したようです。陽性であるからといって構えることもなにもないし、特別なこともないし、当然陽性者も社会のなかで特別な待遇(差別)を受けるいわれはないわけです。
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 次に、大人実行委員長の得田さんから、鍼灸師としてケニアに赴き治療をした体験を数々の写真を示しながら報告。感極まり言葉につまりながらの報告は、肌の色も言葉も文化も生活環境も違う人たちだけど、求めることも悩みもみんな一緒なんだとの言葉で締めくくられ、感動を呼びました。
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 そして、今回のメイン企画、3人のトランスジェンダー当事者からの、LGBTに関するレクチャー。セクシャリティーには、体の性、心の性、好きになる性の三つの要素があり、その組み合わせでセクシャリティーが決まるという基礎的理解から、性的マイノリティーについてわかりやすくお話ししてくれました。そして質問に答えるように体の性と心の性の違いに気がつき、多くの問題に直面しながらカミングアウトした今にいたる自分史を語ってくれました。学生38名のみならず、サポート参加の大人軍団も、食い入るように聞き入っていました。普通って何?普通って良いこと?普通じゃないっていけないことなの?彼らは素朴に問いかけて行きます。ものごころついた時から性の多様性を理解できるような社会にならなければ、決して解決しない問題だと思いながらも、まずは理解することを啓発し続ける必要性を感じました。気軽にカミングアウトすることのできる社会を涵養することが必要ですが、最終的には、カミングアウトする必要のない社会ですよね。
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 午後からは、いよいよグループワーク。
 AIDS、性感染症、LGBT、妊娠、営み(セックス)、男と女、の6つのキーワードをワールドカフェ方式で自由討論。学校という日常やしがらみから離れて大自然のなかで話し合う自由度は計り知れない気がします。みんな笑顔で自由な発想で検閲のない自由な言葉が飛び交います。最後は、6つのキーワードについてまとめが報告されましたが、すべては、相手がいることによるコミュニケーションの問題に集約されます。結局相手をいかに大切に思うか、自分を大切に思うか。自分という存在、自分の命を大切に思うことが出来て初めて相手を大切に思うことに他なりません。
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 真剣な討論が終わったとたん、焼肉と肝試しに弾けるのは、微笑ましい今時の若者の姿です。大人軍団は化粧やお面までして、霧雨にしっぽり濡れながらお化けに徹していました。
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 半分寝不足の顔で始まった、2日目のグループワーク。岩手のLSA(生と性及びAIDS教育を考える会)とのウエブ交流の準備です。10時、スカイプで釧路と岩手が繋がり、お互いの勉強の成果報告会となりました。LSAは高校生がHIVの基礎知識をわかりやすくパワーポイントにまとめて発表。今後学校祭への出店や中学校への出前を予定しているとのことで、ビアエジュケーションの道具作りをしっかりやっていることが感じられました。イルファー釧路からは、AIDS、性感染症、LGBT、妊娠について自分たちの考えを披露いたしました。まだまだ結論をまとめるという段階ではなく、未熟な発表になったのは仕方のないことですが、これらのキーワードから浮かんでくるたくさんの言葉のなかには、LSA側に気づきを与えるものもあり、その質疑応答は有意義なものとなったようです。
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 こうやって今年のイル活は終わりました。たった1日半の勉強で、明確な結論を持ち帰ることは期待していません。しかし今回の自由な討論のなかで、浮かんできたたくさんの言葉を、今後の生活の中で一つ一つ検証し、正確な知識へ昇華してくれることでしょう。そしてそれを次の世代に繋いでいく。これが私たちの求めるイル活に他なりません。
 今回の基調講演のテーマは、HIV陽性者の生活、ケニアの人々、LGBTでした。
 結局、みんな違ってみんないい(金子みすず)のです。
 違っているということをポジティブに捉えられること、そしてみんないいと言えるような正確な知識を持つこと。
 私たちの目指す、永遠のテーマです。
 そうなれば、HIVやLGBTへの壁はもちろんのこと、肌の違いや、宗教の違いで起こる争いやテロ、障がい者への悲惨な仕打ちはこの世の中から消えて無くなるに違いありません。

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2016年06月28日

見えてきた今年のイル活

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若者による若者のための性と命の学習会。
そんなコンセプトで、三年前から始まったイル活Boys & Girls。
今年も7月30日の鶴居キャンプを目指して、準備が着々と進んでいます。
イルファー釧路が主催しますが、実行委員たちは、労災看護学校の学生たち。4人の2年生と2人の1年生。そしてイルファー釧路からは大人の実行委員長として鍼灸師の得田さんが全体をオーガナイズしてくれます。また、このイル活の卒業生である川嶋看護師も副実行委員長としてサポート。
4年目にして、やっと屋根瓦的な体制が整ってきたことの嬉しさ。
彼らの会議を脇からながめながら一人ほくそ笑んでいるのが私です。
今年のテーマは、【イル活の理想の姿】とのことらしい。
性や生を語るには、理解するには、人間の多様性を理解すること。そんななかで、LGBTなどのセクシャルマイノリティの理解やHIVの理解を深めて行くことも大切ですが、命がどうやってこの世にもたらされ、その命の個性がどう作られていくのかを学ぶのも大切。全ては、人間同士のコミュニケーションに繋がっていく。そんな話し合いを通して、【イル活の理想の姿】を探っていくということでしょう。
彼らはどんな理想の姿を求めるのでしょう。

今年は、トランスジェンダーの当事者をお呼びして、みんなでディスカッションする企画もあります。彼らの感性に直接触れることは、理想の姿に近づく最良の方法かもしれません。
そして、岩手のLSA(生と性およびエイズ教育を考える会)との恒例のウエブ交流もあります。
地域の違う若者が同じテーマに向かって話し合う。これも彼らの理想の姿を模索するイベントです。
後一ヶ月になりました。実行委員たちは、実習や仕事の合間を縫って、一生懸命準備しています。
これから、ポスター作成や配布、参加者登録、Tシャツの作成などまだまだやることは山積していますが、彼らのモチベーションはますます上がっているようです。

楽しみです。
7月30日、31日イル活サマーキャンプ、グリーンパークつるいです。


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2016年05月30日

全国5位の意味

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 つい先日、2015年のエイズ発生動向が厚生労働省エイズ動向委員会よりリリースされました。
2015年に報告されたHIV感染者数は1006人。AIDS患者数は428人、合計1432人(凝固因子製剤による感染例を除く累計では25995人)となりました。久しぶりに1500人を切ったとはいえ、まだまだ高止まりであることは否めません。

 頭打ちのように見えるデータですが、本当に減ってきているのかといいますと、かなり怪しい。効率的に拾い上げられていないのではと勘ぐってしまいます。

 では、北海道は?
びっくりしたことですが、2015年のHIV新規報告者は35人(14年は19人)で、全国5位。1位東京都2位大阪府3位愛知県4位神奈川県という大都会のある不動の上位陣に肉薄しているのでした。AIDSの報告者数12人も全国8位の実力?です。

 確かに昨年の報告はHIV19人AIDS12人ですから、31人が一気に47人まで増えたということです。
釧路ろうさい病院で2015年の新規報告HIVは4人、AIDSは1人ですから、全道的に増えたと理解していいでしょう。

 北海道はどうなってるの?と、言われそうですが、考え方によっては、ちゃんと検査で拾い上げられているからなのかもしれません。
当科の5人も術前スクリーニング、性感染症、保健所を含む自主検査(2人)、そしてPCP(ニューモシステイス肺炎)で判明しています。
 
 どんな切っ掛けであれ、HIVスクリーニング検査をしなければ、HIVは判明しません。
医療従事者がHIV検査のハードルを下げる(すなわちHIVを鑑別診断にあげて検査する)ことはもちろん必要ですが、受ける側も検査するという心のハードルを下げる必要があるのです。さらに、行政が公的検査体制をサポートしなくては決して広まるものではありません。
それらの三位一体が有効に機能してはじめてHIVが拾い上げられ、適切な治療を導入することで陽性者の人生を変えることが出来るのです。

 北海道はHIV拾い上げが進んでいるのだと5位の意味をポジティブに考え、医療者と行政がさらにあたたかく感染不安者を包み込める環境を作り上げていくことが我々に求められているのだと思います。

 全国5位は、北海道の本気度が試されているのです。


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2016年04月30日

カミングアウトする必要のない社会

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 LGBT。L;レズビアン、G;ゲイ、B;バイセクシャル、T;トランスジェンダーなどの性的マイノリティーの人たちを表す言葉です。
 どんなマイノリティーでも、マジョリティーの前では弱い立場に置かれがちで、時には差別の対象となります。このLGBTもしかり。今でこそ同性婚が世界各国で認知されるようになり、LGBTへの関心が高まっていますが、未だに議会で不適切な差別発言をする議員がいるのも事実です。
 先日、自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会において基本方針が取りまとめられました。
 目指すのは、「カミングアウトする必要のない社会」。
 すごい!と思いました。
 でも、特命委員会のアドバイザーが、繁内幸治さんだと知って合点が行きました。イルファー釧路が主催する師走講演会の第二回目の講演をしていただいた方です。ご自身がゲイであり、神戸でゲイのためのコミュニティーを主催し、HIVの予防啓発や性的マイノリティーの理解に努めてきた繁内さん。啓蒙ではなくて「啓発」、感染者ではなくて「陽性者」。これらは、どんな人でも平等に扱うことを信念とした繁内さんから学んだ言葉です。
 そして、「カミングアウトする必要のない社会」。
 これこそ彼の言葉だと思いました。
 私たちはHIVの予防啓発運動のなかで、HIVであることを「カミングアウト出来る社会」を目指してきました。社会がHIVを理解し受容できるようになれば、差別偏見がなくなる、だから陽性者が抵抗なくカミングアウト出来るそんな社会を作ろう。ただそこには、差別偏見があることを前提とした提言という意味が隠れています。そして、カミングアウトする必要のない社会は、さらに一歩進んだ社会です。そもそも差別偏見がないということを前提としているからです。
 性的指向も個性です。私は気が短いですが、これも個性です。いきなり初対面の人に、私は気が短いですとカミングアウトすることはありません。つまりカミングアウトする必要のないことです。個性とは付き合っているうちに自然と理解しあうもので、時に非難の対象となっても、差別偏見には繋がりません。性的指向もそのようなものであるべきだと言っているのです。
 カミングアウトしてはいけない、させないということではなく、そもそも特別なことではない性的指向を言う必要はないではないか、そのために理解を深める法案が必要だと言うことなのです。
 それは差別撤回法案、差別禁止法案ではありません。同性婚を容認する法案でもありません。子供の時から芽生えるLGBTの自認を教育の現場でも誰もが受け入れられるような環境作り、そのための法案を作るという意図に私は共感を覚えます。
 滅多に自民党を褒めることはありませんが、今回だけは許す(笑)。それにしても、繁内さん、大した男です。
 今年のイルファー釧路師走講演会(12月3日)は、この繁内幸治さんが再登場します。
 ご期待ください。


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2016年03月17日

ぶれない信念と継続の力

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NPOイルファー理事長の稲田頼太郎氏が第42回大山健康財団賞を受賞しました。

 大山健康財団は、予防医学的研究および健康増進に関する事業を援助推進して人類の健康と社会の福祉に寄与することを目的として、大山梅雄氏の寄付により1974年に設立された財団法人です。その目的達成のため学術研究助成事業と奨励顕彰事業を行っていますが、この奨励顕彰事業としての最高賞、大山健康財団賞を今回稲田氏が受賞することになったのです。
受賞対象は、発展途上国で長年(10年以上)医療協力に尽くし、特に感染症対策に尽力した医療関係者に贈られるものと規定されています。
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 研究者として赴いたアメリカでAIDSに出会い、次々と命を落としていく患者を目の前にしてこの病気と戦うことを決意した稲田氏。ニューヨーク(NY)在住日本人感染者のケアにあたりながら、1993年に日本でHIV/AIDSの診療にあたる医療従事者を養成するために、ラング医師とともに、稲田−ラングエイズ研究財団ILFARを設立、以後150名近くの日本人医療者研修をNYで行いました。2000年からケニアナイロビのスラム地区でエイズ医療体制構築のための無料診療所を開設し、現地での継続性のある活動のため、2010年には単身ケニアに移住。陽性者の支援、特に治療情報の提供や服薬指導を精力的に行っているのです。
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 今回受賞対象となった稲田氏の業績を簡単に述べることこうなりますが、決して簡単な道のりではなかったことは明白です。安定した生活からの脱却、賛同者との確執、現地行政の不誠実、現地スタッフの裏切り、活動資金の枯渇などなど、枚挙にいとまのない出来事を乗り越えてコツコツとその実績を積み上げてきたのです。
 多くの欧米研究者やボランティアは、研究対象や支援対象が変われば場所が変わっていきますし、計画年度が終わればさっさと引き上げてしまうのが多いのですが、稲田プロジェクトの凄さは、プムワニという定点で15年以上継続してきていることです。それは2001年からケニアに通い詰めている私が最も力を込めて言えることです。

 継続することで、地域との一体感、信頼関係が構築されるのは当然のことです。
毎年必ず来てくれる、裏切らない医療者たち。そして、地元に根をはり寝食をともにしている稲田氏への尊敬。アフリカ特有のポレポレ(何事も進行が遅い)と行政の怠慢(賄賂体質)に日々苦悩しがならも、15年かけての近隣医療施設との連携を構築してきたのです。
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 いま私は、授賞式に臨みながら、地道に継続することの凄さを実感しています。授賞式には多くの方が招待されました。東京でNPO法人の立ち上げに尽力された山下さんはじめ、片柳さん、森本さんら現在のスタッフ、ケニアで稲田氏をサポートしてくれていた女神の一人(もう一人はご存知五十嵐まきさん)ケニア紅茶の富塚比咲子さん。彼らのサポートがなければ、この継続もなし得なかったはずです。こうして、頑張った仲間たちが一同に会することはとても嬉しく名誉あることだと思っています。釧路のみなさんには申し訳ありませんでしたが、急遽外来を休診して駆けつけた甲斐がありました。

 記念講演での稲田先生の迫力ある述懐。なぜ自分はいまケニアにあるのか、NYで次々と死んでいったAIDSの患者の想いを胸に、二度と同じことがあってはいけないというぶれない信念でやってきたこの十数年の軌跡でした。そしてそれは奇跡でもありました。不思議な縁から彼と寄り添ってきたことに私は改めて運命を感じたのでした。
ケニアでの再会を合言葉に硬い握手をしました。

ぶれない信念と継続。
大きな力に圧倒された受賞式でした。
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2016年02月15日

宮城島のルーツと富士山

富士山三保
宮城島の祖先はいったいどこから?
おおかたの人は、沖縄ですか?宮城県ですか?と聞いてきます。
実は、宮城島のルーツは清水の三保村です。富士山とその周辺が世界遺産となったとき、グリコのおまけの様にくっついていたのが三保の松原。その三保です。
さかのぼること30有余年。私がまだ初々しい?医学生だったころです。

宮城島のルーツは静岡の清水らしいとは聞いていたので、広島でバスケットの全医体があったのを利用してその帰りにひとり清水にルーツ探しにいったのでした。もちろん新幹線なんて乗れません。在来線を乗り継いでとことこ行ったのです。
三保村に行きますと、どこもかしこも宮城島ばっかりでびっくりしたのを覚えています。
石を投げれば宮城島にあたる。まさにそんな印象。
宮城島酒屋本店もありました。
宮城島商店
鶴瓶の家族に乾杯よろしく、旧そうな宮城島さんの家を突然訪問して聞いたりもしました。御穂(みほ)神社を訪ねて、古文書から宮城島のいわれを探し当て、清水市役所に行って戸籍係の協力で北海道の宮城島をたどっていきました。
分かったことは源氏の出自で、明治のころは、国際派?でハワイやブラジルへずいぶん渡ったらしく、もちろん一部は屯田兵として北海道へ。その末裔が私ということです。
清水の次郎長とも関係が深かったようで(ヤクザ?)、彼の菩提寺の梅蔭禅寺に宮城島の墓もあります。
当時も三保の松原に行ったのだと思いますが、富士山の記憶がありません。雲がかかって見えなかったのか、若さゆえに見えていたとしてもたいした感動なくパスしたのかは定かではありません。

富士山を見に行こう。それなら三保だ。
突然思い立って、2月の初旬、東京での所用を利用して、三保まで足を伸ばしました。
新幹線で静岡までたった1時間弱なのです。新幹線で行けば!
清水からは小さな水上バスに乗って三保村へ。そして35年前と変わらず『宮城島』が軒を連ねる小道を通り、神の道といわれる松並木のドームを抜けて、松原の海岸へ。
神の道羽衣の松
薄曇りでしたが、海原の向こうに富士山が悠然と姿を現しました。
自分のルーツに立ち、富士を眺める。
遙か遠い昔から、この地で私の祖先たちはこの風景を眺めていたのです。
富士山の前で自分のちっぽけさを感じながらしかし、連綿と繋がっている宮城島の血を感じたのでした。

翌朝、何気なく東京のホテルの窓から覗いたら、ビルの間から富士山がくっきりと顔を出していました。
富士山東京

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2016年01月27日

申(さる)年に想う

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今年はサル年。
猿といえば思い出すのが三猿。
いわゆる
見ざる・聞かざる・言わざる
日光東照宮の有名な彫刻にもありました。
東照宮の三猿は、まだ幼い子ども猿。子どもの時は世の中の悪いことを見たり、聞いたり、言ったりしないで素直に育ちなさいとでも言っているようにも見えます。
大人であれば、自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないが良いと言うことでしょう。
奥ゆかしい行いとも取れますが、事なかれ主義とも、人生斜(はす)に構えて通りすぎるがよいとも取れます。

でも、私たち医療者が、絶対にしてはいけないのが、
見ざる・聞かざる・言わざる
そして管理職ではなおさらです。

十二支の干支のサルは

と書きます。
モノ申すの『申』です。
本来はどんどんモノ申すべきが猿。

しっかりと相手を見て、良く話しを聞いて、適切で心のある言葉を申す。
患者さんへの対応も、部下への対応も
申すサルにならなくてはいけないのです。
今年が申年だからと言うわけではありませんが、
モノ申す三猿を目指します。


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2016年01月03日

Back to the 10years ago.

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爽やかな初日の出を自宅の部屋の窓から眺めて、出てきた言葉。
50代になって、着実に年をとる恥ずかしさ紛れに53(ゴミ)だの55(ゴーゴー)だの56(ゴム)だのいろいろと語呂合わせをしてその年を過ごしてきました。
さすがに還暦のほうが近い年になって、これでいいのだろうかと。とくに50代になって、副院長業務がだんだんと大きくなり、臨床現場の仕事が病院の運営や経営業務に侵食されてきているのを感じていました。
この20年、若い医者が着実に成長し、関連医局との連携が強化し、それぞれの専門分野をもった指導者が集い、学びを求めてさらに若い力が集まってくる体制が少なくとも内科では出来上がりつつあり、そろそろ私も研修医の指導を中心にしながら、病院のまとめ役(黒子)に徹する時代なんだと思ってきました。なんとなくjust faraway(去りゆく)感が頭を掠めるような。
ですから、ゴーゴーだのまだまだ伸びるゴムだのと威勢のイイことを言ってみて自分を鼓舞していたのかもしれません。
ところが、やっぱり、臨床が好きなのです。研修医と一緒にベッドサイドに立つとなんとなく感じる使命感。急変時にはアドレナリンが湧き出し、会議室から出て病棟を回っていると安堵感に包まれる。経営から離れたケニアでの診療で感じる純粋な高揚感。
この年末年始、私は自分を試すかのように、毎日病院に行ってみました。もちろん数少ないながら重症ゆえ病院に残らざるを得ない自分の患者さんの回診が目的ですが、自分の病院での立ち位置を見つめたいとの思いだったような気がします。
そして、結論はやっぱりベッドサイドが自分の居場所なのだと思いました。

1月2日午前、いつものように病院の玄関を入ろうとすると一台の救急車が止まりました。緊張した雰囲気が伝わります。救急隊が心臓マッサージをしている姿を救急車の窓越しに垣間見ました。CPA(心肺停止)搬送です。当直医が連絡を受けて待ち受けているはずだろうと、自分の部屋に向かいました。でも、それでいいのか?と、もう一人の自分が問いかけます。臨床医としてやることはそれかと。駆けつけなくていいいのか?後悔しないか?
白衣に着替えて急いで救急処置室に行き、救急隊から心臓マッサージを替わり当直医と蘇生の準備をしました。しかし心臓は戻りませんでした。阿寒の温泉からの搬送でした。AEDも出来ない電気的心停止でした。
臨終を伝えるため付き添ってきた娘さんに会って気がつきました。
静かに横たわっている小さなおばあさんは、私が20年来お付き合いしているまもなく93歳になるTさんでした。必死で蘇生対応しているときは、全く気がつきませんでした。
先生、ひ孫たちとみんなで温泉に行ってもいい?
どうぞ、どうぞ。行っておいで。
この会話が私の外来での最後になりました。

二日間家族と楽しい時間を過ごし、温泉まで入って、ご飯もちゃんと食べたんですよ。
そしたら朝、車椅子に座ったまま息が止まっていました。居合わせたS先生に対応してもらったんですが。
娘さんが教えてくれました。
でも、おばあちゃん、先生を呼んだんですね。最後にまで看取ってもらって、本当にありがとうございました。
偶然にしてはタイミングよく救急車とハチ逢い、後ろ髪を引かれるように戻ったらそこにいたTさん。普段なら当直医の仕事と通り過ぎたかもしれないのです。
やっぱりTさんが呼んだんだろうな。と娘さんと話しながらその運命を思いました。
そして、Tさんは、迷ったら動けと!私の臨床医魂を鼓舞してくれたのだと思いました。
元旦の朝、ふと口をついて出た言葉。
Back to the 10years ago. 
なんとなく現実を許容できない後ろを振り返るような情けない言葉にも思えましたが、これが今年の私の誓いとなりました。Tさんが背中を押してくれたのでした。
10年前、イルファー釧路を立ち上げたころのワクワク感、怖いものなしで若い医師とどんどん突き進んでいった時期。
臨床医としての自分をもう一度見直し、もうひと花咲かせますよ。
迷ったら動け!です。







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2015年12月24日

イルファー釧路の一年(2015)

3人
今年はホワイトクリスマスになりそうもないと思っていたら、辻つまを合わせるかのようにちゃんと雪が釧路の街を覆ってくれました。
積もったら積もったで、つるつる路面に気をつけながら転ばないようにそぞろ歩き。
降らずには物足りなく降ればまたやっかい。それが雪。
暮れも押し迫って来て、師のみならずみんなが走っているように見えますが、いかがお過ごしでしょう。
イルファー釧路の今年はどんなだったか。十大ニュースとして思い出してみます。

1.前代未聞!一年で二つの師走講演会。(1月31日・11月28日どちらも師走ではありません、笑)
昨年12月に予定していた川田龍平さんの講演会が、選挙で1月に繰り越し。さあ、新年早々と思いきや、荒天降雪で飛行機が飛ばずに、フェイスタイムを使って川田さんの自宅からの配信となりました。冷や汗ものでしたが、みなさんの機転の利いた集中力で乗り切りました。そして今年11月28日の『再びケニア』。稲田先生と五十嵐真希さんの活動に勇気をもらったのは記憶に新しいところ。というわけで、今年は二回の師走講演会を開催した極めて希有な年になりました。

2.初めてのウエブ開催成功。(1月31日)
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前出のとおり、川田龍平さんの講演は、初めてづくしのウエブ講演。前日の夜に飛行機の欠航が予定され、急遽ウエブでの可能性を検討。大坪先生はじめ労災の職員総出で回線やソフトのテストで大わらわ。川田さんのPC端末(タブレット)ではスカイプは繋がらず、フェイスタイムを使っての講演となりました。これにより、演者が来なくてもなんとかなるという変な自信が出来ました。

3.ケニア再び。聴衆は過去最高を記録。(11月28日)
稲田先生は3回目の出演。もちろん真希さんは釧路初登場。ケニアでの医療キャンプが15周年を迎え、それにコミットしていたイルファー釧路も設立10年が過ぎ、原点に帰る思いでの『再びケニア』でした。真希さんの国境を超えた国際人としての素晴らしい医療保健活動、そして稲田先生の鬼気迫る語りに会場は圧倒されたのでした。立ち見が出るほどの大盛況でスタッフを入れた入場者数は160人を超えていました。労災病院講堂で開催したなかで過去最高です。

4.頑張った!学生コアメンバーで大成功のイル活B & G。(8月1日2日)
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第三回目となるイル活B&G。今回は9人の学生実行委員にすべてを仕切ってもらい開催するという新企画でした。4月下旬に第一回の会合を開き、それから何度も話し合いながら、8月1日、2日のつるいキャンプを迎えました。若者たちが自ら企画し、参加する若者たちとHIVや性について学ぶ。そんな目標に一歩も二歩も近づいたイル活でした。来年の実行委員長もその場で決まり、将来が楽しみになりそうです。

5.15回目になるケニア医療キャンプ参加。(9月11日から23日)
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2001年に宮城島が初めてケニア医療キャンプに参加して、2003年に須藤事務局長が参加。それからイルファー釧路の人的支援が継続しています。今年も大坪歯科医、得田鍼灸師、宮城島がイルファー釧路から参加。労災病院から北原医師も加わり4人でミッションを全うしてきました。

6.ソロプチミスト日本財団から活動資金援助贈呈。(11月24日)
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ソロプチミスト釧路アミティが我々の地味な活動に光りをあてて本部に推薦してくれたおかげでいただけた賞でした。50万円いただきました。感謝です。



7.10周年記念特大号となったイルファー釧路通信。(8月)
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年に二回会員の皆さまに発送していたイルファー釧路通信ですが、今年は10周年特大号としてA4版しかもカラー版を発行。なかなかの好評でした。松原編集長ご苦労様です。今後は通信を年一回の発行として、師走講演会などのイベントには葉書で通知することにいたしました。




8.10周年記念DVDは映画顔負けの力作でした。(11月)
これは大坪先生のスキルと情熱がなければなし得なかったものです。師走講演会で先着100名様にお配りいたしました。見るたびにすごい!と思ってしまいます。

9.ケニアの松下照美さん来釧。楽しい交流会。(5月28日)
ケニアのティカというところでモヨホームを設立しストリートチルドレンや養育放棄された子供たちを育てている松下照美さんは私たちの同志です。帰国する折に釧路を訪れてくれます。今年5月に、釧路での報告会と懇親会が行われました。

10.コアメンバーの所さん、第2子誕生!おめでとう(福山ショックで早まったらしい)。
おなじくコアメンバーの成瀬院長の助産院マタニティアイで元気に誕生しました。


こんな一年でした。
イルファー釧路のコアメンバーも少しずつロートル化が進み、ともすればフットワークが鈍り気味になりますが、イル活の若者から刺激をもらいながら、毎年やるべきことを地道にやっていきます。
一年間ご理解ご支援ありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
そして、今日。
メリークリスマス!
集合

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