2023年12月11日

ファイナルはクールに始まりそして熱く燃えた!(第20回師走講演会報告)

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『The Final』と銘打って告知した第20回師走講演会。イルファー釧路20年の歴史を振り返りながらの成人式でもあり、解散式でもありました。今回の師走講演会には、会場に80人超、ウエブに44人の実に120人以上のかたが、私どもと時間を共有してくれたのでした。閉店セールに人が一番来ると言われればそれまでですが、みなさんの暖かい志に感謝です。
 ファイナルであっても、師走講演会の趣旨は、市民とのHIVの情報の共有です。いままで多くの優れた論客を全国各地から、時に海外からお呼びしてきましたが、20年間HIVエイズに学んで来た自分たちが今こそ壇上に立つ番だとの認識で、宮城島と須藤隆昭イルファー釧路事務局長がその役を担う事にしました。
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 宮城島は、『HIV/AIDS今昔物語、そして未来へ』として、自分とHIVとの関わりの端緒から話を始め、エイズの登場がいかに世界を震撼させ偏見差別に至ったのかを淡々と語りました。そして、その偏見差別は、HIVエイズだけの問題ではなく、つい最近の新型コロナ感染症も同じ文脈で語ることができ、戦後北海道礼文島ではじまったエヒノコッカス症、あるいは国策の最大の汚点ともいえるハンセン病隔離政策にも観られることを概説し、感染症には三つのフェーズがあると続けます。すなわち、1.生物学的感染。2.不安の感染。3.差別の感染。この負のスパイラルを止めるのは、不安の発生とその感染を止めることが肝要であり、それこそが、当該感染症に対する正確な知識を得ることに他ならないと結論付けます。
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 ここで改めてHIVエイズの正確な知識を共有し、現在では、薬の進歩により、HIVで死ぬことがなくなったばかりか、HIVウイルスが感度以下であれば、感染させない(U=U)というところまでいっているという事実は、感染者にわだかまる心の重圧を解放することになったと力説しました。なぜなら、感染者(陽性者)の心に抱く負い目の最大の原因は、人に「うつす」と言う事なのですから。こうやってHIVエイズは人類の性(さが)による蔓延、偏見差別から、人類の英知による感染症の克服へ40年かけて進んできました。すべてが解決したわけではありませんが、イルファー釧路としての市民へのHIV予防啓発はそろそろ終わってもいいころではないかと思われる所以でもあります。
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 二つ目の講演は、須藤隆昭による『イルファー釧路誕生秘話、そして明日への橋渡し』。
宮城島が静であったら、須藤はまさに、動。イルファー釧路の誕生から、20年の活動を概説しながら、志半ばでこの世を去った同志の追悼を交え、感情豊かに、自分勝手なイルファー釧路終息宣言と称して、思いの丈を激白したのでした。時に涙で言葉を詰まらせながら。イルファー釧路の究極の目的は何か。それは世界平和。ジョンレノンのイマジンの歌詞を口ずさみながら彼は平和の大切さを訴えたのでした。会場からもすすり泣きの声が、、、。彼の叫びは、みなの心にわだかまっていた平和の希求を解き放したのでした。
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 最後に、河野昭彦会計監査が、現在の予算状況を概説。現在190万円程度ある予算のなかから、今回の講演会費用、年度末の会報発行費用、その他事務経費を差し引いた120万円程度を、イルファー釧路が協働していた稲田プロジェクトとMCC(モヨ・チルドレン・センター)に全額寄付することを提案させていただいたのでした。
 私としては、最後であるということをとにかく意識せずに、事実だけを伝えようと淡々と始めた講演会でしたが、須藤くんの熱量にほだされ、顔のほてりを感じながら最後の懇親会に向かったのでした。当然のように、そこで泣いてしまったのを白状します。
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 イルファー釧路を暖かく見守り、協力してくれたすべてのみなさん。心から感謝申し上げます。形の上ではイルファー釧路は今年度をもちまして活動に終止符を打ちますが、これからは個々人で世界平和のためにそれぞれの一歩を歩み出すと確信しています。また、師走講演会は今回を限りに終わったわけではありません。来年からはHIV中核拠点病院である釧路ろうさい病院の活動として引き継いでいく所存であります。これからも注目していただけると幸いです。
 本当にありがとうございました。そしてまた明日お会いしましょう。
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2023年12月01日

い・ま・じ・ん

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今日12月1日は世界エイズデー。
そして12月8日はジョンレノンの命日。


Imagine
想像してごらん。
All the people living life in peace
全世界の人々がただ平和に生きているということを。


 ジョンレノンがつぶやいた、天国も地獄も、国境も宗教も、欲も飢えもない世界。殺す理由も死ぬ理由もない世界。この曲を聴くたびに涙が出そうになります。聴く者に、こころから世界平和を念じさせる歌です。ただ想像するだけの夢想家dreamerのオセンチな曲ではありません。平和の想像が平和の創造になる日がきっと来る。レノンはそう信じて歌い続けたのではないでしょうか。

 人間は所詮動物です。本能的に縄張りには敏感で、争うことは生きるための性(さが)でした。たとえ理性をもったサルだと区別したとしても、有史以来、いや有史以前から、人間が争い合うことのなかった時代はありません。心ある人間たちがどんなに戦争反対と叫んでも、残念ながら国境やイデオロギーの争いは絶えることがありませんでした。

 レノンは戦争反対を声高に叫んでいません。Imagineでは平和を想像することを、Happy Christmas(war is over)では戦争が終わることを念じるだけです。世界の人々がすべからく平和を想像し、終結を望めば戦争は終わる。なんと静かな、しかしなんと強い信念でしょう。

 人間は争うことは止められない。自分と違うモノを受け入れたがらない。これは本能だから。そういう人間であることを理解した上で、私たちは何をすべきなのでしょうか。結局戦争はなくならないのであれば、戦争反対を唱えるのではなく戦争の形を変えるしかない。武器をもたない戦争というゲームを作るしかないのかもしれません。たとえばディベート。外交としてのディベートを戦争と定義して、徹底的に机を向かい合わせて言論で戦う。少なくともレノンの想像する殺す理由も死ぬ理由もない世界は出来るかもしれません。武器を作り戦士を養成するのではなく、教育や社会のなかでディベート力を徹底的に養成することが国を守ることに繋がるのです。

 HIV感染予防はセックスを、静脈麻薬使用を、同性愛を禁止することでは決してなし得ないと悟るところから始まりました。HIV感染予防としてセックスを禁止することは出来ないから、コンドームを適正使用するという解決法を見いだしました。HIV感染予防として静脈麻薬使用を完全に止められることが出来ないから、注射器や注射針の提供を行うという解決法を見いだしました。同性愛を疎ましがり、禁止することはHIVの偏見を助長するだけだから、性の多様性を認知し共有するという解決法を見いだしました。HIVエイズは、こうやって解決の道を模索してきたのです。

 人間の性(さが)をしっかりと受け止めること。そして全世界の平和を想像すること。人間の多様性を認め合う世界を想像すること。世界の人々がすべからく「想像」すれば、それは「創造」になると私は確信しています。
イルファー釧路も世界平和を想像(創造)します。
Someday you’ll join us and the world will live as one. by John Lennon

(イルファー釧路通信 Vol.21. 10周年記念特大号 巻頭言から)

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2023年11月10日

イルファー釧路物語(その四;どうする!イルファー釧路)

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とうする家康ロゴ
 イルファー釧路を立ち上げた当時は、本当に釧路地域の若者の性感染症率や中絶率が高く驚きを持って認識したのを今でも覚えています。

 そしてケニア・プムワニでのHIV陽性率の高さは人類の終焉を感じさせるような絶望感に苛まれました。釧路もケニアも他人事じゃない。そんな思いで駆け抜けた20年でした。
 しかし、時代は変わりました。人間の性の営みの変化なのかわかりませんが、性感染症も人並みに落ち着き(梅毒だけは別です!)、HIVも治療薬の進歩と医療へのアクセスの充実により、少しずつ偏見差別から開放されつつあります。HIVを薬でコントロールされていれば相手にうつさない(U=U, Undetectable=Untransmittable)という事実は感染者の心の解放に繋がりました。したがってHIV予防啓発の対象は一般市民から、ゲイやセックスワーカー、薬物中毒者、囚人などの感染に脆弱な集団へ絞り込まれるようになってきました。
スタッフ集合
 そういう意味で、一般市民を対象に活動してきたイルファー釧路の役割もそろそろ考え直さなくてはならない時期だと感じるのは当然の成り行きだと思います。またケニアの医療支援も少なくともプムワニでの任務は終わりました。現在はコロナの中断をはさんで、まだ実働していない状況です。
 そして、イルファー釧路を動かしてきたコアメンバーの固定化、高齢化。これは避けては通れない事実です。私たちが若者のリクルートに失敗したのかもしれませんが、若者の興味が他の所に移っていく社会を反映しているのかもしれません。
 いずれにしても、このような諸事情(決して小さな理由ではなく)により、20年を迎える今、イルファー釧路を締める時が来たのではないかとの結論に至りました。正確には19年です。ケニア医療支援参加も19年連続で止まったという私にふさわしい19の符合ではないでしょうか(笑)。

 そして、迎える第20回師走講演会。『The Final』はまさに、最後を飾る、一大イベントとなります。論客は迎え入れるのではなく、イルファー釧路が務めます。

是非、現場に足を運んでいただき、HIVの歴史を振り返り、イルファー釧路の歩みを振り返っていただければと思います。
23年12月10日 16時開演。場所は釧路ろうさい病院管理棟3階 講堂です。
是非!!!!!
(完)

ウエブでも配信します。
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2023年11月09日

イルファー釧路物語(その三;ケニア)

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そもそも
宮城島が2001年に稲田博士の主宰するケニア・ナイロビ近郊のスラム街(プムワニ)で始めた医療キャンプに参加したのがきっかけでした。

 1990年代後半になると、HIV治療薬の進歩により、先進国ではHIVのコントロールが可能となっていました。N.Yでもエイズになる人やそれにより死ぬ人が減り、エイズケアプログラムは必然的に薬剤の行き渡らない低貧国に向かうことになります。稲田博士のILFARもその例に漏れず、ケニアでのHIVケアを目指したのでした。
 当時、貧困ゆえ医療アクセスに乏しいプムワニでは、住民の25%ほどがHIV陽性という惨状でした。その一角に医療キャンプをはり、一般診療をしながら、HIVを拾い上げ治療に結びつけていく。これがILFARのアウトリーチであり、私たちイルファー釧路もそれに参画することを是としました。
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 2001年に宮城島が参加してから、多くの内科医、歯科医、研修医、薬剤師、歯科衛生士そして鍼灸師がイルファー釧路から参加。宮城島は連続19年出場という快挙?を成し遂げたのでした。20回目が新型コロナで中断されたのが悔やまれるところです。
 医療キャンプを続けていく中で大切な横の絆も得ました。松下照美さんの主宰するモヨ・チルドレンセンターMCCとの連携です。ナイロビから車で一時間弱のところにあるティカという街でストリートチルドレンや養育放棄された子供たちを預かり育てる施設です。2012年釧路市での松下さんの講演をきっかけとして、ケニア訪問時に必ず、MCCを訪問して子供たちと交流するようになりました。また医療キャンプ開設時には松下さんはMCCのスタッフたちと訪れ、細かなお手伝いをしてくれました。DSCN3637
 残念なことに松下さんは昨年志半ばでお亡くなりになりましたが、佐藤南帆さんがしっかりとそのバトンを引き継ぎ頑張っている姿は感動的でもあり、今後も個人的にも支援を続けたいと思っています。

 プムワニでの医療キャンプはほぼ目的を達成(住民の新規陽性者の減少、医療アクセスの改善)され、今後は、まだHIV陽性率の高いケニアの西地区へのアウトリーチを目指し稲田博士は鋭意検討中とのこと。そのキーワードは、『西部劇』です。後は稲田先生の体力次第(笑)。
(続く)
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2023年11月08日

イルファー釧路物語(その二;継続することの大切さと、変わることの重要さ)

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最初の活動が、2004年冬の師走講演会でした。
 12月1日のエイズデーに合わせた市民を対象とした啓発講演会です。もちろん、記念すべき第一回はN.Y.から稲田先生をお呼びしました。
第一回師走講演会『ニューヨークからケニアそして釧路へ(世界のHIV物語)』と題してHIV/AIDSの始まりから、N.Y.での現状。偏見差別の生々しい記憶。新しい治療への期待。日本でのケアの未熟さと問題点。などなど、市民と共有する大切な情報が満載であったと記憶しています。
 この講演会は毎年続けられ、新型コロナ禍でもウエブで乗り切り、一度も途切れることなく今年12月10日に第20回を迎えるまでになりました。
 そして若者への情報発信として企画実行されたのが、LAAA(ライブ・アクト・アゲインスト・エイズ(君を想うから)。公立大学生実行委員の若々しい感性で始まったライブ活動でした。性感染の予防啓発は、オトナ(親の世代)が若者たちに上から目線で伝達しても、上手く伝わらない。同年代のメッセージこそが心に響くはずだとの考えで、ライブに集まってくる若者たちにライブ出演者たちがメッセージを投げかける。それがLAAA(君を想うから)の神髄でした。

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 LAAA(君を想うから)は2005年夏を皮切りに、2012年まで続きます。しかしここでふと立ち止まった。ライブの一発芸は一瞬の花火に似ている。その時伝わったメッセージがその場限りで終わってしまうのではないかとの危惧。予防啓発にもサスティナビリティー(持続性、継続性)が必要なのではないか。
 そのような反省から、2013年からライブは学生を対象とした性と命の学習会に変貌を遂げたのでした。イル活B&Gの誕生です。イルファーの活動を略してイル活。B&Gはboys and girls。男子も女子も垣根を越えて性のことを語り合おうという趣旨です。昨今の性差問題を考慮して、ここ数年はB&Gを協調せず、イル活だけの名称になっています。
 大自然のなかで、オープンマインドで、普段語られない性を語る。そこにはもちろんHIVの正確な知識の伝達も、性感染症の実体験も、LGBTQの語りもなんでも盛り込んでいました。鶴居グリーンパークでの一泊二日研修は、労災看護専門学校学生を中心に市内の看護学生ときには高校生の参加で毎年夏に開催されました。
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 参加した学生が翌年実行委員として会を企画するというサスティナビリティーが担保され、若者に受け継がれていく。これこそ私たちが求めていた活動だと自信をもっていった矢先に新型コロナが勃発し一泊二日研修は2019年をもって終了せざるを得ませんでした。しかし、2年の中止を挟んで、2022年夏には市内4つの看護学校をネットで結んでのHIV,LGBT学習会を敢行し、スタッフ一同ウエブ時代の幕開けを感じたのでした。2023年にはろうさい病院講堂で市内の看護学生が集まり、HIV陽性者のポジティブトークを開催、形をかえたイル活は健在ぶりを示したのでした。
(続く)


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2023年11月07日

イルファー釧路物語 ( その一;誕生秘話)

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2004年8月、釧路公立大付近の喫茶店。暑い昼下がりだった記憶があります。
 そこに居たのはたった三人。須藤隆昭、田村隆明、宮城島拓人。
 2001年から稲田博士主宰のケニアHIV医療キャンプに参加していた宮城島。2003年にそのキャンプに帯同した須藤。帰りの機内で彼は、ケニア医療支援をする後方組織を釧路で作ろうと夢を語ります。どうせやるなら、釧路でのHIV予防啓発活動を加えようという考えに至り、とりわけ10代の性感染症の発症率や中絶率が高い(当時)釧路でやるのなら、HIVのみではなく性感染予防啓発活動としようとまで話が進んだのです。以前からHIV予防啓発に関心かつ市民活動の経験のある田村を加えて、ケニア医療支援と地域の性感染・HIV予防啓発を活動の二本柱とするイルファー釧路が誕生したのでした。
 イルファーとは稲田・ラング・エイズ研究団体(Inada-Lange Foundation for AIDS Research)の頭文字ILFARを綴ったもの。稲田先生がラング医師とニューヨーク(N.Y.)で立ち上げた団体です。私は1998年にN.Y.でエイズケアプログラムを学んだのですが、その受け入れ先がILFARだったのです。ゴロがいいので勝手連的にイルファーを拝借し、イルファー釧路としたのでした。ですから、イルファーの下部団体でもなんでもありません。もちろん稲田先生の許可は取りました。
 同じ頃、地域で性感染の予防啓発を積極的に行っていた釧路市健康推進課との連携を図るため、同課に挨拶に行った時のこと。最初は「イルファーってどこの新興宗教団体だ?」と訝しがられました(笑)が、同課の保健師などの積極的参加を得、さらには学校の先生、看護師、助産師、学生などが参画し、イルファー釧路は颯爽と動き出したのでした。
(続く)


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2023年07月29日

正確な知識の伝道師たち(イル活23報告)

 いまだ経験したことのないような連日の30℃近い釧路で、真夏の祭典、イル活が釧路ろうさい病院講堂で開催されました。昨年はまだコロナ規制のなかで、市内4つの看護学校をウエブで繋いで、HIVのことLGBTのことを学習しましたが、今年は一堂に会しての開催となりました。

 今年のテーマはHIVに対する偏見・差別とカミングアウト

 当事者が秘密を抱えることなくまた社会的な不利益を受けることのない当たり前の生活を送ることが出来るために、看護学生としての実現可能な行動を見出すことが出来ることを目的としました。
 20人の看護学生が学校の枠を超えて、5つのグループに分かれていよいよ開始。
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 基調講演として、私から「HIV/AIDS UPDATE」という題名でHIVの基礎と最新の知見の紹介を。治療の進歩、T as P, PreP, U=Uなどの概念にも言及しました。つい先日ですが、イルファー釧路のHPのお問い合わせフォームに、医療従事者として働き始めたHIV陽性者から、職場に陽性であることをカミングアウトすべきかどうかという質問があり、早速この質問を会場のみなと共有し、どう回答したらいいか投げかけました。
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 メインは、HIV陽性者のやすさん、みつるさんによる二人の掛け合い講演。お互いのプロフィールの紹介から、感染の経緯と、治療に至るまでの紆余曲折、そして家族との関係、職場にカミングアウトしたときの苦悩、多くの偏見・差別の体験談が決して湿っぽくではなく、時に陽気に、そして前向きな言動を織り交ぜながら、語ってくれました。聞き入る学生の真剣なまなざしと頻回の頷きが印象的でした。
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 その後グループディスカッションと発表(結果共有)。多くのグループから寄せられた意見としては、HIV/AIDSが身障者手帳の対象になることが知らなかった。∪気靴ぁ弊騎里福肪亮韻大切。C亮韻虜新が常に必要。ぐ緡貼昌者として正確な知識を伝えていくことが必要。正確な知識をもって行動することが大切。ゥミングアウトについては言わなくてもいいという選択を示すことも大切。など、知識不足からくる偏見差別がほとんどであるということを強烈に意識した内容になっていたことは、講演の意図がうまく伝わったと嬉しく思いました。また、身障者手帳については、薬害エイズの原告団が、感染経路の違いを問わないで、HIV陽性者すべてに身障者手帳を交付することを国と粘り強く折衝して勝ち得たものであることを追加説明させてもらって、学生たちは大きく頷いてくれました。
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 集まったのは、各学校からたった20人ではありましたが、彼らが伝道師となり、仲間たちに伝言ゲームのように、正確なHIV/AIDSの最新の知識を伝えて行ってくれたらと切に思いました。

令和五年度の「世界エイズデー」のキャンペーンテーマは、
あなたが変わればエイズのイメージが変わる。UPDATE HIV!

 まさに真夏の昼の現実。真夏の夜の夢にならぬよう、これからも地道に正確な知識の伝道を続けていきたいと思っています。
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2023年07月04日

Think Globally, Act Locally.

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 平成5年に釧路ろうさい病院に入職(入植のほうが適切かもしれません)し、令和5年に勤続30年になりました。
 7月1日は、ろうさい病院の本店にあたる労働者健康安全機構(始まりは、労働福祉事業団)の事業創設記念日で、いわゆるろうさい病院の開院記念日とされてきました。さすがにここ十数年前から休日にはならなくなりましたが、今でも各病院、施設で勤続者(20年、30年)への式典は毎年執り行われます。
 そして今年、いよいよ私も30年の節目として表彰されることになりました。振り返ってみれば、大学院を終えた途端、当時の教授から釧路ろうさい病院への派遣を告げられ、二つ返事で(断るという選択枝は当時の医局にはありません:笑)家族共々釧路に舞い戻ってきたわけです。「舞い戻って」とは、大学院入学前の4年間も今で言う後期研修医として釧路ろうさい病院で働いていましたので、そう考えますと私の医者としての履歴のほとんどが釧路ろうさい病院勤務となります。こんな単純な履歴書を持つ医師もいるのですねと、他人事のように感心してしまいます。それを自虐的に揶揄する気持ちは毛頭ありません。本当に釧路ろうさい病院で育てられたと感謝の気持ちしかありません。かなり生意気で自信家でうぬぼれが強く、そして時に感情をむき出しにする宮城島研修医をいまの自分が指導したら、一発や二発ぶん殴るだけでは終わらないだろうと本気で思っていますから。
 いつも意識していたのは、「井の中の蛙」という自戒でした。そのため、井戸の上に拡がる天空にアンテナを絶えず張り巡らせて、広い世界と繋がることを意識していました。HIVを担当するようになってから、ケニアとも繋がり、20年近くにわたって、ケニア往診(ケニアも地域医療の一環)を果たせたのも井の中の蛙の意地だったのかもしれません。まさにThink Globally, Act Locally(グローバルに考え、地域で活動する)が私の座右の銘となりました。
 幸い多くの研修医に恵まれ、若い力と日々切磋琢磨出来たのも、いままで30年にわたり、自分のモチベーションを維持出来た誘因でもあります。そのおかげで、本(Dr.ミヤタクの研修医養成ギプス:金芳堂)まで上梓出来ました(笑)。
 ひとところに30年は他人事に思うとずいぶん長いのでしょう。しかし、自分にとっては、気がついたら30年が経っていたという程度のものです。
 継続は力と申します。この30年の継続がなんの力になったのかは、まだ答えがありません。ただ、一生懸命ならず、一所懸命にやってきたとは自信をもって言うことができるかもしれません。そしてこの地域とこの病院に対する愛は誰にも負けない自負はあります。
 とにかく、自分だけの力ではなし得なかった勤続30年。みなさまに助けられ見守られここまでこられたことの感謝を報告したく、本日キーボードを叩いた次第です。
 これからの30年に向かって(おっと90歳を越える!)一所懸命頑張って行きます。 
 これからもよろしくお願い申し上げます。
勤続30年表彰


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2023年04月08日

ついに始まった全国行脚

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 松下照美さんの遺志を継いでMCC(モヨ・チルドレン・センター)の代表となった佐藤南帆さんの日本全国行脚が4月1日静岡を皮切りに始まりました。そして4月3日北海道入り。札幌の報告会を終え、4月5日ついに釧路に到着しました。
 平日の夜7時という遅い時間でしたが、35人の釧路住民が、フィッシャーマンズワーフMOOくしろ二階の港町ベース946BANYAに集まり、南帆さんの報告を熱心に聞き入ってくれました。
 現在のモヨの活動は、〇匐,燭繊兵腓縫好肇蝓璽肇船襯疋譽鵝砲離轡Д襯拭爾硫箸箸靴討MCC、¬物依存の子供たちを収容し更生させることを目的としたドラッグリハビリテーションセンター(農業に従事しながら、芸術、音楽、宗教などの多くのプログラムが用意されている)、5訖支援、こ愴饂抉腓あります。
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 これらの活動を全て仕切る立場になった南帆さん。相当な覚悟があったかと思いますが、とても物腰柔らかな優しい語り口で淡々と、時に熱く語ってくれました。
 松下照美さんの後を引き継ぐ決意をしたとき、「照美さんが履いていた同じ靴を履くことは出来ないかもしれない。でも彼女の足跡を追って、最善を尽くすことは出来る。」
と言っていたのを思い出します。
 松下照美さんは確かに偉大でした。カリスマ性もありました。だからといって松下照美さんがいなければ回らない組織は脆弱です。おそらく南帆さんはそれを見抜いたのでしょう。代表を引き継いでまだ一年を経過したばかりなのに、「OOが居ないと回らない組織からの脱却」を目指し、スタッフの業務内容の棚卸しから始まり、業務のマニュアル化、スタッフ評価制度の設定などを着々と進めている姿は、照美さんの足跡を照美さんの靴ではなく、南帆さん自身の靴で力強く歩んでいる姿そのものでした。今まで以上に現地スタッフがモチベーション高く、誠実に、同じ方向を見て進んでいくに違いないと想像したとともに、MCCの活動のサスティナビリティーは担保されたと確信しました。
 そのためには、活動の資金が持続的に供給されることが絶対に必要です。MCCではマンスリーサポーターとして月1000円からの寄付制度があります。みなさまのご協力があってこそ継続出来る活動です。
 ホームページからアクセス出来ますので、上記4つの活動の支援としてご利用いただければ幸いです。
 私も早速、ポチっとさせていただきました。
 南帆さんの全国行脚は、北は北海道、南は九州まで、5月15日まで続きます。みなさんのお住まいの地域でも活動報告会が開催されるかもしれませんので、ご注目あれ。

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モヨ・チルドレン・センター (moyochildren.com)

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2023年03月13日

Always Do your best

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 Always Do your best
 松下照美さんが、常日頃から子供たちやスタッフたちに伝えていた言葉だと、モヨ・チルドレン・センター代表の佐藤南帆さんが紹介しています。
 照美さんらしい言葉です。昨年2月に志し半ばでご逝去された照美さんと、その照美さんの言葉を引き継いで今、佐藤南帆さんが奮闘しています。
 おなじケニアで活動する同志として(こんなことを言ってはおこがましですが)、イルファー釧路はモヨ・チルドレン・センターの活動と、モヨ・チルドレン・センターの佐藤南帆さんを心より応援したいと思っています。
 昨年12月11日の師走講演会でケニアからウエブ講演していだいた佐藤南帆さんが、今年4月5日釧路に来られます。

是非、生の(笑)お姿とお声と志(こころざし)を共有しませんか。

4月5日(水曜日)午後7時 港町ベース946BANYA (MOO 2階)
佐藤南帆さん現地報告会
入場無料、ただし賛助金随時募集。

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