2018年09月21日

プムワニで咳止めはいらない?(9月20日)

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 雲ひとつない空だったが、半袖ではやや肌寒く感じる朝。タイヤのパンクも交通トラブルもなく、一行は予定通りに着いた。患者さんたちも、予定通りに(笑)早くから着いていた。すごい列に覚悟を決めた。今日はポレポレでは終わらない。
 診断ソースも時間も限られ、システミックには診断できない状況でどの様に薬を処方するか。そのコツは、症状と処方薬を一対一対応にしておくことだ。彼らの主訴は、目の痛み(刺激症状)咳、熱、頭痛、全身の痛み(関節痛やら足の裏やら背中やら下腹部やら)、腹痛、皮膚のトラブルに集約される。
目の痛み=抗アレルギー点眼薬。咳=咳止め。熱=アセトアミノフェン(現地ではパラセタモール)。頭痛=鎮痛剤。全身の痛み=鎮痛剤。上腹部痛、腹満、呑酸=制酸剤(PPI)。下腹部痛=駆虫剤、あるいは整腸剤。皮膚はちょっと複雑で、抗生物質軟膏、抗真菌軟膏、ステロイド軟膏を使い分けなくてはならないが、わからなければ、現地にはWhitefield Ointimentという何にでも効くと謳われている最強の軟膏がある(笑)。まずそれが基本中の基本。もちろんそれだけはない。その中で見逃してはいけないのが、肺炎や腸チフス(typhoid fever)、マラリアなどの重要な感染症や、比較的多い性感染症である。そんな中からHIVを拾い上げる。
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 毎年の処方状況を勘案して、釧路での薬剤調達を行なっているが、今年は予想以上に咳止めが不足する事態となった。そもそも現地の薬局にも、日本で売っている様ないわゆる咳止めは数少ない。子供のシロップはたくさんあるのにである。今回は咳を症状としている患者が予想以上に多かったのもあるが、そもそも咳止めはこの地域に必要なのか?と思わざるを得ない。この地域の一番の咳の原因。それは感染でも喘息でもない。おそらく、街中が排気ガスとダストに紛れている環境ではないか。とすれば、咳は止めてはいけないのだ。肺に入り込んだ細かなダスト粒子を外に運び出して気管をドレナージする作用が生理的な咳なのだから。マスクでの防衛や長期的な環境整備計画がなければ、刹那的なせき止の処方は決して有益性が担保できないのではないかと、今日、咳止めがなくなり悶々としながら考えた結論だった。
 午前中の診療がフルスロットで動いているころ、松下照美さんがスタッフとともにキャンプを訪問された。ケニアから車で一時間程度離れたティカという街でストリートチルドレンや養育拒否にあった子供達に生活の場(モヨホーム)を与え育てている人だ。我々のグループが、日曜日にモヨホームへ伺う様になってから、毎年キャンプを訪問(慰問)してくれている。その心使いに感謝。日曜日にモヨにいくまで頑張ろうという気になるから不思議だ。ケニアの仲間たちの横のつながりはとても強く感じる。それを同志というのだろう。
 流石に、最後の患者(99人目)を診た後は、安堵と共に強い脱力を感じた。
今日の受診者総勢514人(鍼51人、抜歯18本)。処方箋507枚。
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2018年09月20日

プムワニでグラム染色(9月19日)

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 エチオピア料理の魔性にかかったのか、1時間おきに目が覚めた。中途覚醒は特に珍しくはないが、1時半、2時半、3時半、、、、ときっかり一時間ごとに目が覚める。自分の体の生体リズムが一体どういうことになっているのかよくわからないが、5時半まで数えて起き上がった。まあ細切れな時間を足せばそれなりに寝てるのだろう。
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 外来3日目。さあ出発と思いきや、車がパンク。まあこれも日常茶飯事。とりあえず動く車一台で先発隊を搬送。一時間遅れで内科医一人、小児科医一人で外来を始めたが、待合はいきなり長蛇と化す。10時過ぎにやっと後発隊が到着して早々にブースに散る。ホッとした。
 いつものことだが、性感染症の症状を持った人たちが必ず訪れる。男性の場合は排尿痛や尿道口からの膿性分泌物を、女性の場合は帯下の増加や臭いで来ることが多い。多くはクラミジアか淋病かの鑑別になる。女性の場合はトリコモナス膣炎、瘙痒が主体ならばカンジダ膣炎なども考慮しなくてはいけない。もちろんこれらの感染症の中にHIVは紛れている。
 淋菌の同定には、分泌液のグラム染色が行われるが、それをプムワニでやってしまったドクターがいた。えびちゃんこと海老沢先生。彼は3回目になる参加で、何か現場で進歩あることをと考えて日本から持参したのが、顕微鏡とグラム染色キットだった!
 先生、来たよ。とそれらしい患者を知らせると、嬉々としてやって来るえびちゃんは、患者をラボブースの隅に連れて行き、尿道口からの膿性分泌液をスライドグラスに採取。翌日朝の朝食時はグラム染色標本のカンファレンスと化す。グラム染色の診断は相当の経験と技術がなければ安定しないが、そこは神戸大学感染症科のプロ。彼は、顕微鏡をプムワニのオフィスに置いていくと言っており、神戸大学の派遣が継続する限りこの診断技術は相当な武器となり得る。そしてその延長にはマラリア原虫の顕微鏡での診断がある。ただし、診断が薬剤の選択に直結すれば問題はないが、そこは資源に限界のあるゆえのジレンマがあるのは事実だ。
 午後は、恒例の学校訪問だった。スラムの巣窟のような足場の悪い細い道を通り抜け、炎天下の中を歩くこと数分。プムワニ・サバイバルスクールはそこにある。ノートや鉛筆などの文具にも困るところだ。現地で調達したノートを始め、各地から集められたボールペンなどの文具、そしてサッカーボール(釧路労災の高橋薬剤師さんが毎年用意してくれる)などなどを持参しての子供達との交流。お礼に踊りを披露してくれるのがとてもほのぼのとして楽しい。彼らは、貧困や孤児という厳しい環境の中で生き抜いている。幸福を追求する権利は誰にでもあるのだ!と心の中で叫んだ。
今日の受診者総勢373人(鍼29人、抜歯15本)。処方箋373枚。
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2018年09月19日

育成選手(9月18日)

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 いきなり朗報が飛び込んで来た。イルファーケニアのスタッフであり現地の医師としての重要な役割を担っているマジュマ(クリニカルオフィサー;ケニアでは医師と同じような薬剤の処方ができる医療従事者。いわゆるナースプラクティショナー、日本では特定機能看護師。)が、ナイロビ大学の放射線科のエコー検査資格のための講座に入学を許可されたのだ。エコーの活躍の場は先進国だろうが発展途上国だろうが、診断のツールとして極めて幅広い。ケニア医療キャンプでも数年前からスマホサイズのポータブルエコーを釧路から持参し、その威力(効果)を目の当たりにした稲田先生が、是非ともイルファーのコンサルティング医療には必要と判断、そこで白羽の矢が立ったのがマジュマだった。彼女もキャリアのステップアップの一つとしての重要な資格であるばかりか、イルファーとしての診療に厚さと信頼性を担保できる事になる。彼女は大学受講の一年間は現在の公職(オフィシャルなクリニックに務めている)から離れる必要があるが、そこをイルファーで支えながら育成選手として育てていく。最終的には現地の医療職で今の活動が継続できるようにすることが私たちの究極の目的なのだから。
 稲田先生の話では、コトレンゴの卒業生の中にも、看護師などの医療職に就いて、自分と同じような境遇のHIV陽性者のサポートをしたいと言う学生がいるらしい。そういう子供達の成長をイルファーがサポート出来るシステムを作り上げることが、イルファーの将来を決定着けるイベントになるような気がする。その先駆けがマジュマの受講許可なのだ。
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 覚悟で臨んだ外来二日目。しかしスタートは穏やかで拍子抜け気味。昨年このキャンプでHBsAbが陽性と判明した患者が来院した。やることは当然エコーでの肝臓のチェック。これはプムワニでも出来る持続性のある医療の一面かもしれない。エコーといえば、今日も胆石が見つかった。右季肋部が痛くて仕方ないと受診した老齢の肥満女性。多くの人たちは両方の下腹部をさすって痛い痛いと言うのだが(寄生虫の原因が多いような気がする)、左右差のある痛みは要注意だ。案の定、腫れた胆嚢と多数の胆石が見つかった。10月から放射線科に通うマジュマに画像をレクチャーして、有所見であるゆえ早々にケニアッタ病院へ紹介状を書いた。昨年はドクターのストライキで中核病院へ搬送することもままならなかったのを思い出し、昨年の今日だったら、この患者はどうしていただろうと肌寒い気持ちになった。
 そうなのだ、昨年は公的病院のドクターのストライキで、あぶれた患者が大挙して押し寄せたのだった。それがないから今年のキャンプは少し穏やかなのだろうか。でも、これが普通なのだ。今夜は初の外食。エチオピア料理に期待。
今日の受診者総勢389人(鍼33人、抜歯17本/16人中)。処方箋384枚。HIV陽性者が二人出たようだ。
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2018年09月18日

ビバ!プムワニ!(9月17日)

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 昨日はコトレンゴへ行ったので、恒例になっていた午後からの会場設営は現地スタッフのみで行うことになっていた。「俺たちがやっておくから、大丈夫。」と言っていた彼らだったが、夕方青山さんらをピックアップしにプムワニに戻ったら、まだ何も出来ていなかった。まさにポレポレ(スワヒリ語で、ゆっくり、ゆっくりと言う意味)!ここはアフリカなのだ。仕方なく現地スタッフと一緒に支柱やら、机やら、薬剤棚(稲田先生が自分で作ってしまった)やらを炎天下の中せっせと搬入することに。あ、食材!途中で買い込んだ肉や魚が車のトランクに置いたままだった!この暑さはやばい。これ以上長居は出来ない。レイアウトは任せたぞ、と言うことで黄昏の中アパートに戻って来たのだが、本当に明朝完成しているのか少し不安のままタスカーを飲んで一夜を明かす。
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 杞憂だった。8時半に到着してみると、プムワニのコミュニティーホールは全てのレイアウトが終わって我々を待っていた。電気のない中、夜遅くまで頑張ってくれたスタッフたちよ、Good Job! しかし、画竜点睛を欠くのも良くあること。残念なことに、電気が来てなかった。その為ラボのセットアップが遅れ開始は10時を回っていた。長蛇の列を随分と待たせてしまったが、それからが本領だ。
 内科はオープンにした4つのブースで診療開始。神戸組は海老沢先生をスーパーバイズとして新人をサポート。私の隣の吉河先生は、慣れない環境と制限のある薬に手間取りながらも、徐々にペースを会得していた。歯科の二人は開始当初はスワヒリ語堪能のナース(柳瀬さんと柏谷さん)のサポートを受けながら順調に抜歯を敢行していった。これが午前中の最後の患者さんと言ってから随分と時間がたったのでどうしたのかとブースを訪れると、根が深くて大きく張り出していて最後は折れてしまい、完全除去に苦労しましたと、汗だくになって話す島崎、村田コンビ。早くもケニア人の抜歯の洗礼を受けていた。鍼灸も石島君が青年海外協力隊としてケニアで鍼やマッサージを指導した経験を生かし、滞りなくプロの技を披露している。小児科は堀越組3人とマジュマでいつもと変わらぬ流れるような診療をしていたが、特に若手2人の、診療の手が空いた途端に混雑極まりない薬局へ行って調剤のサポートをしている姿は「チーム」を感じる風景だった。そんな中でいつも笑顔を絶やさない二人の薬剤師さんが光って見えた。そしてそのブースの隙間を器用に埋めるナースたち。
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 終わってみれば、初日だろうがなんだろうが、いつもと変わらないプムワニ診療の風景。こうやって何年も診療初日を淡々と迎えていたのだと感慨を新たにする。ピースが変わってもチーム力は変わらないのだ。
 また来たぜ。ビバ・プムワニ。
 今日の受診者総勢321人(鍼24人、抜歯13人/18人中)。処方箋189枚。
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2018年09月17日

コトレンゴへ(9月16日)

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 時差のせいだろうか、4時にはすっかり目が覚めた。まだ鳥も鳴かない。それなのにイヌの遠吠えが、大型トラックのエンジン音とともに聞こえてくる。最近のナイロビの交通インフラの整備は著しい。ほとんどは中国が突貫工事的にどんどん作って行くらしいが、アパートの前の行き止まりだった道はいつの間にか幹線道路に結ばれ、朝の交通量が一段と多くなった。かと思えば、目の前のナイロビ大学があっという間に高層建築に生まれ変わり、ナイロビタワーと銘打っている。昨年は影も形もなかったものだ。多額の借金を主に中国に対して抱えながらも、都市機能のインフラを急ぐケニアに何か危うさを感じざるを得ない。
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 シェフの名前はアントニー。私たちがほぼ毎日のように朝食を摂りに行っていた、アパートの隣のホテルでもコックをやっていたらしい。今年は彼に朝食と一部の夕食のケータリングを依頼することにした。診療に疲れ切った体に、暖かな食事を自宅で食べられるのは幸せだ。もちろん家飲みのタスカーの量も半端なくなるだろう。それでも、外に食べに行く金銭的、肉体的、時間的損失を考えると、ケータリングは大歓迎だ。

 朝8時から、第一日目が始まった。まずは、日本から持参した薬剤や医療用具をプムワニに搬送。薬剤の事前管理のために青山、渡邊薬剤師を残して、HIV陽性孤児の待つコトレンゴ・コミュニティーへ向かう。
 車で小一時間のそこは、プムワニの喧騒とは全く異なる静寂の中にある。素晴らしい青空と爽やかな空気。ゆっくりと深呼吸をして、ミッションに取り掛かった。
 流れはこうである。受付で孤児たちは名札を受け取る。そして体重を測定し、写真撮影(成長の記録)、歯のチェックを終えて身体チェックと服薬確認、そしてCD4などの数値確認(データは電子カルテとしてエクセルデーター化してある)。最後に出口で名札を外し、終了のハンコを手の甲に押して解放。想定外の外部の子供たちも紛れてやってきたが、約80人の子供のチェックを終え、ほとんどの子供たちは、しっかり服薬ができており、治療効果も良好だった。しかし高校生が問題になっている。コトレンゴには中学卒業までしかいられないため、成長した彼らは寄宿制の高校に通う。その環境で一気に服薬アドヒアランスが悪化してしまうと言うのだ。確かに、今日来た高校生のCD4は20くらい。ちゃんと薬を飲んでいるというのに!しかし薬剤耐性はなかったということは、飲んでいないということに他ならない。コトレンゴでは服薬管理はシスターが行っており間違いないが、一人になるとアドヒアランスが極端に落ちる例だろう。稲田先生が、高校の先生が服薬管理できるシステムを構築しようとする意義はそこにある。
 歯科ブースでの受検者71人のうち、19人に齲歯が見つかったと島崎先生が報告してくれた。この割合はかなり多い。HIVには口腔ケアがとても大切であるのは言うまでもない。この情報は今後のケアの改善生かされることを期待して、コトレンゴを後にした。
 さあ、明日は、喧騒と埃(ほこり)のプムワニでいよいよ本番が始まる。
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2018年09月16日

泡のある風景(9月15日)

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 ドバイには予定通りついた。神戸組の3人とも無事落ち合い、いよいよ先発隊を除く12人のケニア部隊が揃った。今年の神戸は、3回連続の海老沢先生と、初参加の津村、森田の両女医さん。神戸大医学部の感染症科から継続して派遣していただいていることに感謝。
 トランジットの時間は生で喉を潤すのが定番。ハイネケンの薄さ爽やかさがタスカーを彷彿とさせる。

 体感気温25度以下の涼しい風の吹くジョモケニアッタ空港では定番の稲田組の熱烈なお迎え。そして一年ぶりに嗅ぐ、ケニアの風と土の匂いに、また来たんだという実感が湧く。
 ノーフォーク・アパートメントという定宿に着くと、先発隊がそれぞれの部屋のレイアウトや食材の買い出しをして待っていてくれていた。懐かしい面々。日本からの医療者17人が揃った瞬間だ。台風や地震、停電などの自然のハンデを物ともせず、ここに揃った勇者たち。稲田先生を始め、アリ、ワンボゴ、マジュマら現地のスタッフの笑顔にも、ここまで準備してきた自負のような頼もしさを感じる。
 アパートの隣のホテルでのお決まりの、ウエルカムパーティー。そこにもお決まりのタスカーがあった。泡で始まり、泡で終わった移動の一日。
明日は、HIV陽性孤児が暮らす孤児院、コトレンゴセンターでの健康チェックがある。子供たちの笑顔に触れることが出来るか、ちょっとの期待と不安を胸に、夜更けの冷たいシャワーを浴びた。釧路の停電を思い出しながら。
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2018年09月14日

節電の中を行く

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北海道がすべからく停電になったのはわずか一週間前だった。北海道胆振東地震によるブラックアウト。自家発電を稼働しての野戦病院はわずか1日で収束したが、全道にいまだ大きな爪痕を残している。
計画停電が取り沙汰されるなかで、我々はケニアに向かう。
昨年は出発当日の朝に、北朝鮮ミサイルの北海道上空通過にJアラートが鳴り響いた。一昨年は夏の北海道集中豪雨でJRが寸断されて、札幌には行けないのにケニアに行けるパラドックスを味わった。そしてその一年前は台風直撃で出発さえ危ぶまれた。毎年なにかがあるこの時期だが、その何かが毎年威力を増している。
それでも、我々は飛ぶ。ケニアが発展途上国にある国だから医療の恩恵を与えたいという傲慢でも上目遣いでも決してない。自分たちの地域医療の延長線上にケニアがあっただけだ。それが毎年の「往診」という形でこうなった。
北海道釧路だけが、出発の危うさを秘めているわけではない。今年9月4日の関西への台風直撃で、関空が沈んだ。そのあおりを受けて、ケニア行き関空組が大変な苦労を強いられた。関空から飛べないから、名古屋(セントレア)→バンコク→ドバイ経由に急遽変更。そしてそれを果敢に受け入れて飛んだ。なんという決断力と実行力だ。なんとしてもケニアに行かねばならぬ事象は一体何なのだろう。きっと私と同じなのだ。自分たちの地域医療の延長線上にケニアがあったからだ。すでに、看護師(柳瀬さん4回目、宮本さん3回目、坂本さん3回目、柏谷さん2回目)と渡邉薬剤師(2回目)の先発隊は昨日にはケニア入りして、ロジスティック作業に当たってくれている。
今年の釧路組は、18年目の私と、初参加の三人。吉河内科医、彼は当院の研修医を経て今年また舞い戻ってきた。嶋崎歯科医師、昨年まで二年続けて参加した藤盛先生の愛弟子で、手品が趣味。村田歯科衛生士、当院の歯科口腔外科に勤務している元気印の女性で、急な参加要請に二つ返事で応えてくれた。
節電の中の釧路空港は淡々としていた。イルファーのスタッフや家族に見送られ、4人の釧路組は羽田発最終便に乗り込んだ。
羽田で合流したのは、東京都立小児総合医療センターの3人の小児科医、堀越先生(5回目)、荒木先生(3回目)、米田先生(初参加)と石島鍼灸師(2回目)そして6回目の常連、青山薬剤師。さあ、目指すはドバイ。そこでバンコク経由の神戸組に落ち合うことになる。いよいよ始まった今年のケニア医療キャンプ。なぜこれほどまでに常連が集まるのかその魅力か魔力を解き明かすエピソードを現地から逐一報告するつもりでいる。
では出国!
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2018年09月08日

徒然なる未曾有

ろうそく
 殺人的な未曾有の灼熱地獄から、中国・四国地方の広域に及んだ未曾有の大水害、関西空港を機能不全に陥入らせた未曾有のスーパー台風の関西上陸。対岸の火事ながらも心痛めていたら、突然此岸になってしまいました。
 9月6日未明の胆振東部地震。釧路は震度4で大した被害もなく、職場への緊急召集に至らないレベルと安堵して二度寝していたら、病院からの緊急連絡。全道停電で病院が機能不全!自家発電で必要最小限の機能は維持できることを確認し、外来を制限しながらも緊急対応を担保し診療に臨みました。広域停電の脅威は予想以上で、在宅酸素が切れた患者さんが大量に発生、続々と入院になったばかりか、近隣のクリニックでの透析が不能となり、緊急透析が発生したり、精密検査が出来ずに、振替に奔走したり。まさに野戦病院化、と思ったと同時に、停電になっても何事もなかったように診察しているケニアの診療を思い出していました。
 それにしても全道停電こそ未曾有の経験です。ろうそく一本の灯す明かりがどれだけ有り難く、心の癒しになったことか。期せずして静かな夜を体験しました。そして、満点の星空。これほどまでに星が存在していたのかと思うほどの、煌めき。星がひしめき合うのを初めて見ました。天頂には天の川まで見えるのでした。地上では停電、断水の中必死で生活を維持している人たちが居るのに、皮肉にも天空は素晴らしいスペクタルを演出してくれていたのでした。いや、違う。星空は古来から変わらずそこにあったのですが、人間の文明が勝手に見えなくしていたのでしょうね。
 入院患者の食事が2日分しかない。後は非常食になることを覚悟していた病院ですが、幸いにも夜中には復旧。我が家も翌日の朝には電気が戻り、断水も解除されました。段階的復旧とのことですので、まだ停電のところもあると聞いています。復旧しても節電は必須とされ、本日の釧路のお祭り。大漁どんぱく祭も中止になりました。祭で電気を使うのは無駄だとの行政の判断です。ただ、そのおかげで、どんぱくDE HIV(祭の会場でのHIV検査会)も中止となりました。労災病院とイルファー釧路が昨年から温めていた企画で、学生さんたちと協働して、学習会から、市民の検査誘導のシミュレーションをしてきたのに、残念です。
 そういうわけで、この土日の予定は何にもなくなりました。徒然なるままに、キーボードを叩いているわけです。考えてみると、今年は(今年も?)ほとんど土日に家にいることはありませんでした。来週からケニアです(この未曾有の災害が一週間ずれていたら、ケニアどころではなかったかもしれませんが)。ケニアの準備をしながら、天が与えてくれた時間をゆっくりと使いたいと思います。
 それにしても、ろうそくの灯りと満点の星空、今年一番の風景になりそうです。
 災害でお亡くなりになった方々、心よりご冥福をお祈りいたします。

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2018年08月11日

リーチ!

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山の日。
私の誕生日が後付けで国民の祝日になったのは2年前。お陰で誕生日の前の日はいつも金曜日気分で誕生会をしてもらえます。昨日も内科のスタッフに「宮城島拓人・生誕祭」を開いてもらいました。特別扱いされてちょっと気恥ずかしいですが、ありがたいことです。
Facebookのお友だちからも、次々とおめでとうコールをいただき、この日だけは「繫る」を実感しています。
59回目の誕生日。ついに還暦リーチです。
自分にとっては誕生日ですが、母親にとっては出産記念日。誕生日の方が日の目を浴びやすいですが、出産記念日もいい響きだな〜。母親は密かにその記念日に思いを馳せるのでしょう。やっぱりまず感謝するは母親なのだと、今更ながらですが、初孫をいただいた白髪混じりの頭で考えています。
58でジジになりました。本当に宮Gが宮爺になっちゃった。
還暦前のこれからの一年はどんな日々になるのでしょう。いつもと変わらない日々を誠実に生きることを実践しながら、変化することにも躊躇しない。
出来れば、59労(ゴクロウ)の年ではなくて、59楽(ゴクラク)の年になるように、憂いを59ん(ゴクン)と飲み込んで、悠々と還暦を迎えたいものです。
目指すはリボーン(re born 再生)です。
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2018年07月29日

HIVが見える。絆が見える。

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 道東以外の日本列島が猛暑と台風豪雨に戦々恐々としている中、鶴居村は高原のような爽やかな薄曇りになりました。
 そんな中で看護学生を中心とした若者と大自然の中で生と性を語るイル活夏合宿が今年も開催されました。
 今年参集したのは、大半が釧路労災病院看護専門学校生ですが、少数ながら市立そして孝仁会の看護専門学校生合わせて37人。
 今年の目玉は HIV陽性者の語り。そして、釧路大漁どんぱくの祭会場でそぞろ歩く市民をHIV検査会にいかに誘導するか。
 一見、脈絡がないように思える二つの課題ですが、HIV陽性者の直面する問題を理解、共有し、彼らの積極的協力のもとに、予防啓発を行うための戦略を考える。その一つの戦略がHIVの拾いあげなのだとすれば、陽性者の理解と検査推奨は繋がるのです。
 陽性者は、転勤していく数年前まで、私とは医者・患者の関係でしたが、今はHIV予防啓発の同志。喜んで今回の要請に応じてくれました。そして同じくHIV陽性のパートナーと一緒に来てくれたのでした。両人は、HIV陽性であることをカミングアウトしています。今の世の中、それはまだまだ勇気のいることです。
 つい先日でした。北海道の病院で、HIV陽性の社会福祉士が面接で陽性の事実を告げなかったということで一度内定していた就職を取り消されたとのニュースが流れたばかりです。こんなことがまだ起こっている日本社会なのですから。
DSCN2531 たまたま私が主治医であったことから、感染判明から治療導入までの医学的側面をケースレポート風に提示した後、その本人が登場するというシナリオ。ゲイであること、HIV陽性が判明した時の心の葛藤、受容までの心情変化と、家族との関係、恋人への告知とその後、失敗だった職場での陽性告知のこと、そして治療に向かうまでのストーリーを淡々と時に感極まりながら、話してくれました。そして食い入るように彼を見つめる37人の学生。会場は一つの大きな絆で包まれているように見えました。DSCN2537
 その後、彼のパートナーが自分の陽性体験をベースとしながら、レッドリボン札幌で活動するようになった経緯とその活動内容、HIV=死ではなくなった現実を身をもって話してくれました。「今は自分がHIV陽性であることはほとんど考えて生活していません。それを思い出すのは、通院する時と恋愛する時、そしてこうやって講演する時しかありません。」そう明るく言う彼の言葉が心に残っていますが、そう言い切れるまでどれだけの葛藤があったかを感じざるを得ません。
 治療薬が進歩して死ななくなったとしても、感染したことで表出される心の動揺。それを乗り越えたとしても、生涯治療を続けなくてはならない宿命(国として、本人としての経済的損失もある)がある限り、予防が優先されるのは第一としても、早期発見もHIV対策の車の両輪であることは間違いありません。そのためにも、HIV検査のハードルを下げること。いつでも気楽に検査が受けられる体制と雰囲気を地域に作り出すこと。そこに、まつり会場でのHIV検査の意義があるのです。昨年まで、くしろ健康まつりの中でやっていたHIV検査会を、今年は思い切ってどんぱく祭りの花火大会の直前に持っていきます。もちろん釧路労災病院、行政、イルファー釧路の協働企画です。そこで祭りに浮かれている人々(特に若者)をいかにHIV即日検査に誘い込むか。これが今年のイル活の第二の課題です。
DSCN2543 グループワークでは、どんな言葉がHIV検査に結び付けられるか、どんなパフォーマンスが効果的かお揃いの紺のTシャツを着た学生たちが和気藹々と議論しています。DSCN2544
 さあ、ロールプレイが始まりました。通行人役とHIV検査客引き(笑)役。
 そのうちひとつをご紹介しましょう。
 いきなり”28750”というプラカードを差し出して、この数は何だと思います?日本のHIV陽性者の数ですよ。日本でも毎日4人が感染しているんですよ。知っていますか?、、、、、、。こうやって現実の数字を示して、関心を持ってもらって自身の検査へ誘導する。
他のグループも、昨日の陽性者のコトバを織り交ぜて、たくさんのメッセージを作っています。HIVは死ななくなりました。だから検査を受けてもいいんだよ。検査なんて簡単なんだよ。
なるほど。DSCN2562 
 HIVを見える化すること。そして陽性者と陰性者との絆を作ること。
 HIVが見える。絆が見える。
 今年のテーマは完結されたようです。
みなさん、ありがとう。そして来年また会いましょう。
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