2016年11月26日

Human rights-based approach

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今年のエイズ学会、臨床の分野では、治療法についてはほぼ出揃った感があります。
テノホビルTDFという極めて有効な逆転写阻害剤をさらに改良して副作用が少なくしたTAFが導入され、さらに治療法が洗練されてきました。一日一回一錠という標準は定着した感があります。ですから、エイズ学会と言えば新薬の報告花盛りという時代は終わり、おとなしい雰囲気であったと言えます。とにかくちゃんと薬を服用すればほほエイズにならないで天寿を全う出来るという文脈は既知のものとして事は進んでいるようです。
基礎分野では、いよいよHIVの潜伏感染をどう撲滅するかに向かってきています。HIVというウイルスは、休眠状態にあるリンパ球にもこっそりと侵入しじっとしています。そのためどんなに薬でウイルスの複製をやっつけても、ウイルスが完全に除去できないのです。その潜伏しているウイルスをどうやって駆逐するか。それが成功出来れば、ウイルスの完全排除になる。ひいては完治するわけです。まだまだ難しい問題がありますが、基礎で熱く議論されている所です。
何れにしても、薬剤の進歩により、HIVのコントロールは可能になりました。
だから、全ていいのかというとそうではありません。
薬がなくて、エイズは死ぬ事が運命つけられていた時代、社会と医学は、感染予防のために手を携え模索していました。そこに社会学的アプローチがあったのです。予防としてのコンドーム装着の促進、ハームリダクション、社会的スティグマ、偏見差別の払拭など。医学的アプローチが不十分だったからこそ、社会的アプローチの重要性が叫ばれていました。
誤解してはいけません。医学的進歩によりHIVが慢性病になったからと言って、社会的アプローチの必要性は減ったわけではないのです。むしろそういう時代だからこそ、社会的アプローチはますます必要になってきているのです。
そういう意味で今回は、社会学的セッションに多く参加してみました。
Human rights-based approach(HRBA)という言葉があります。健康課題や貧困、国際協力など様々な課題に取り組むにあたりその目的や方法にhuman rights(人権)の原則を適用することです。HIV/AIDSが持つスティグマと、そのリスクに脆弱とされる人々(LGBTやセックスワーカーや薬物依存者など)の抱えるスティグマへの取り組みには欠かせないアプローチ法です。HIV/AIDSのリスクに脆弱な人々には多くのハーム(災い)があります。差別偏見はもちろん、犯罪、薬物使用、感染伝播、死亡、医療費の高騰、家庭問題、失業、貧困などなど。これらのハームを取り除くことが必要であり、その前提に彼らの人権を認め擁護することが大切なのです。
例えば、薬物依存。これを非犯罪化することで新たなアプローチが開かれるのではないかと考えられて来ています。アルコール依存も薬物依存も同じ物質依存ですが、扱われ方や認識が異なるのはどうしてか?当事者は問いかけます。犯罪ではなくて病気としての認識が必要なわけで、犯罪という言葉は、やめなくてはいけない自分を作り出し、やめたい自分の邪魔をする。ここにもHRBAが必要なわけです。
例えばセックスワーカー。職業としての選択の自由の中にあるはずなのに、法の外に置かれることが多く、ハラスメント、殺人、感染というハームに晒されています。HRBAの元で、彼らの置かれているシステム、社会環境の整備を進めること以外に、HIV/AIDS感染リスクの脆弱性から抜けられる道はないのです。
例えばLGBT。彼らこそ人権保障が必要な人たちです。暴力を受けない権利、差別されない権利、健康に生きる権利(ジョグジャカルタ原則;LGBTの人権保障に関する原則)を了解することこそHRBAであり、HIV感染予防の出発点になるわけです。
薬が進歩したから、HIVが慢性病になったからもういいのではなくて、HRBAの理解を推し進めることが本当のHIV撲滅につながることを全世界の人々が理解することが大切だと改めて感じたエイズ学会でした。
そしてそれはHIV対策に限ったことでないことも。
あらゆる多様性を包み込む魔法こそが、HRBAなのでしょう。
トランプさんに聞かせてあげたい(笑)。
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2016年11月25日

エイズ学会、今昔物語

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気温差20℃。今年のエイズ学会は鹿児島です。しかし思わぬ寒波でこちらも結構風が冷たいです。ケニアレポートからすっかりご無沙汰の「代表のブログ」ですが、さすがにエイズ学会報告は外せません。
今年のテーマは、〜エイズ学の過去、現在、そして未来〜
エイズ学会は今年で30回(つまり30年)。エイズが世に現れたのが1981年。それからわずか5年後には日本エイズ学会が開かれたことになります。日本のエイズ患者が最初に報告されたのが1985年。ゲイの方でした。しかし本当の第1号は1984年の血友病患者さんでしたが、産学両者の種々の思惑で隠されていました。そこから日本での偏見差別が始まります。最初の報告が血友病患者さんだと正確に報道されていたら、日本人のエイズに対する見方は変わっていたかもしれません。他人事(ゲイの人たちのこと)ではなく、同情と支援をすべき対象へと。
日本のエイズ学会はそんな中で発足したのでした。治療法もなく死を待つだけの患者へ告知をどうするか、どう緩和に至るか、その予防は?と多くの問題に手探りで立ち向かい、感染者への偏見差別との戦い、薬害エイズ問題などのナイーブな事柄にも関わることを求められた学会でした。時には、発表演題について当事者に散々に批判された風景を見たこともありました。
エイズ学会が通常の医学系学会と違うところは、医者だけじゃない集合体であったということ。
患者、臨床医療関係者、基礎医学者、社会学者、行政、そして市民。みんなが、真剣に治療を模索し、偏見と戦っていた。それが日本エイズ学会の30年だったように思います。
私もエイズ学会に関わって15年以上になります。この業界の人たちとずいぶんおつきあいも出来ました。エイズという病気を通して医療のあり方を見直し、本来のヒューマンコミュニケーションを学びました。エイズに関わる人々の熱意を通して一つの殻に閉じこもらない積極性とグローバリゼーション、そして多様性を学びました。それが今の医師として、人間としての財産にもなっています。
この30年、エイズ学会もずいぶん変わりました。私もずいぶん変わりました。
エイズの今をレポートしたいと思っています。
とりあえず初日は、恒例のイルファー釧路通信を会場の最も目立つ所に置くというミッション。事前告知していないので、学会運営者にとっては迷惑なゲリラ戦法です。
鮮やかな色彩を放つ表紙のイルファー釧路通信は来年のエイズ学会開催告知フライヤーの横に何気なく鎮座することと相成りました。
私の口演は、初日朝一番のHIVと悪性腫瘍のセッショであまり人が集まらない中で(笑)無事終了。高橋道生氏のポスターも無事貼り終えとりあえず安心。
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おっと、岩室先生と遭遇。私のエイズの師であり、同志でもある尊敬する先生。
コンドームデザインのお揃いのネクタイで記念撮影。
夕方は、Human rights-based approachのお勉強と相成りました。
これについては、明日のブログで報告することにします。
では、また。
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2016年09月27日

帰国の日(総括)

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1.医療専門職集団
今年のケニアキャンプも無事終了した。そして揃いも揃った医療専門者集団。内科医、小児科医、歯科医、歯科衛生士、鍼灸師、薬剤師、看護師。ここ数年、これ以上ない程の最強の布陣である。しかも全員がボランティア志願で自主的に集まってくる。すごいことになった。現地に到着したとたん、何をすべきかをとっさに把握し、その持ち場で動き出す。この集団のなかでの自主性主体性の素晴らしさ。確かにプムワニはresource limiting(医療資源の極めて乏しい)地域であり、日本でのやりかたを根本的に変えなくてはならないが、海外医療支援活動や保健衛生活動の経験豊富な人材たちは、頭の切り替えが極めて速い。そんななかで始まったキャンプだ。スムーズにいかないはずはないし、現地スタッフの統率のとれた身のこなし(受付、エスコート、診療助手、通訳)は10年前には考えられないほどの変わりようで、時間の無駄がなくミッションは進行した。
総受診患者は2000人を優に超え(処方箋総数2036枚)、歯科、鍼灸のブースでも昨年並みからそれ以上の数を記録している。HIVの陽性者は初日こそ29人中6人(20%)が陽性で、増加が危惧されたが、翌日からは一人か二人出るくらいで、二日目からはリピーターが増えたせいだろうと推測される。最終結果を待たねばわからないが、おそらく昨年並みかそれ以下の陽性率だろう。それでも、外来には一見してエイズの日和見感染を発症している新患を見つけることが出来るのが常で、しかしそういう人に限って、絶対に検査を受けないと言い張る。まだまだdiscrimination(差別偏見)がある地域なのだ。合わせて検査する梅毒はHBVについても、HIVとの共感染は散見される。いつも7%程度(日本では1%、北海道は少し高いが)となるHBVの陽性率も気になるところだ。
ただ、今後の布陣を考えるにあたり、毎日350以上(最終日は505枚)の処方箋の出る外来で、特に小児が多いとなれば、薬剤師一人ではかなりハードワークになる。実際青山さんは薬剤師がもう一人いると、看護師が本来の仕事に回せるだろうと言っている。小児科はマジュマがかかわってくれてほぼ四人体制はかなり充実していたと言っていい。今後もこの維持していきたい数字である。また内科の4人体制は現状でほぼ達成できる。歯科医と歯科衛生士のコンビネーションは絶対であり、今後もそれを維持する努力が必要だろう。
2.ロジスティック
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 HIV陽性者のmedical check upはプムワニのイルファー事務所で行われる。キャンプ初日その事務所に入って驚いた。だだっ広い粗末な一部屋だった二階が、仕切り(それもちゃんとした建材で!)でいくつかのブースに区画され、壁の色も統一されている。プライバシーに配慮された立派な診察室に生まれ変わっていた。素晴らしいリノベーションだ。しかもこれをすべて稲田先生とワンボゴ、アリの3人で成し得たのだ。
ロジスティシャン(物資調達、施設・機材・ 車両管理など幅広い業務を担当)は大切である。彼らの仕事により、医療キャンプなどのミッションの成否が左右される。16年間これをほとんど稲田先生ひとりで賄っている事実をもう一度考え直さなくてはいけない。ワンボゴやアリは現地スタッフとしてかなり頑張ってくれている。毎年の成長を肌で感じてはいる。しかし、これだけ規模が拡大したキャンプだ。薬剤の管理は青山さんが積極的に関与してくれているし、日本からの薬剤や物資の調達はメールでの連携で日本側も対応しているわけだが、もう少し現地でのロジスティシャンが必要だと思う。できれば日本人がいるといい。そういう意味で五十嵐さんや富塚さんは有能なロジスティシャンだった。
3.現地のニーズ
 15年前のプムワニは、貧困のためほとんどが医療の恩恵を受けられなかった。医療機関もかなり限られていた。そのため、我々の目的は、医療に接する機会のない人々に受診機会を提供し、同時に無料HIVテスト(VCT)実施し、HIV陽性者を拾い上げ、ケアすることだった。ところが、2005年ころからHIV検査が無料となり、VCTとしての役割は終わった。そのため、一般診療とHIV陽性者ケアを二本柱として今回まで継続してきた。その基本スタンスは変わりないし、むしろ稲田先生が現地でフォローアップ体制を確立してからは、陽性者のケア、近隣病院へのコンサルテーションが主体となりどんどん実績を上げている。
 一般外来をしていて最近気が付くのは、彼らの医療に対するニーズも変わってきているのではないかということだ。日常のなかで、医療に接するハードルがどんどん下がっているような気がする。なにかあれば気楽に近隣のクリニックを受診し、処方箋を書いてもらえるライフスタイルが定着しつつあるようだ。処方箋をもらったが、金がないので、ここで出してほしいというのは以前からあったが、最近はセカンドオピニオンを求めるような受診も散見されるようになってきた。現地で診断処方されたけど、よくならない。どうしたらいい?というような内容だ。日本の医療の質の高さに期待しているのかもしれないが、少なくとも貧困ゆえ病院に行けずに我々のクリニックを訪れる古典的な診療風景ではない。しかし我々の医療キャンプでの聴診器と触診、わずかの超音波機器のみでは、そういう人たちに対して現地医療機関を超えるだけの十分な診療をカバーできない。つまり彼らの期待に応えることが出来ない。仕方のないことだが、十分な説明しかやれることはない。このようなことはまだまだ例外的な事例だが、今後増えてくることが予想され、我々の診療体制も現地のニーズの変化に対応できることが求められるが、そこが限界でもある。
4.継続とチャレンジ。
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同じところで同じことを、着実に継続することは力であり信頼である。そこに新しい行動を組み込むことで進化となる。今年も二つ、新しいことに挑戦した。
一つは小児の体重測定による栄養指導。2歳児までの体重測定をして、3パーセンタイルを下回る小児に対して、マジュマによるスワヒリ語での栄養指導。さらに重症であれば、現地のヘルスケアコミュニティへの情報提供をした。そのような幼児は8%弱と予想以上に少なかったが、彼らの栄養管理や生活指導に繋げることで、健康な成長を担保できるだろう。今年は初めての試みだったが、来年からも継続することの意義を確信した。
もう一つはコトレンゴセンターでの、HIV陽性小児の診察。そのセンターのあるカリンという地域のHIVクリニックが患者コンサルトを通して稲田先生と繋がり、そこからの情報でコトレンゴセンターの子供たちの定期的medical check upを要請された。小児中心とはいえ、成人に達している利用者もいるし、歯のケアは必須だろうし、職員からは鍼灸への期待もあり、我々の医療スタッフ全員での対応が可能と判断し、今回の視察兼、診療となった。どのような段取りで、本当に必要な子供たちにどのような医療介入とコンサルテーションが出来るかは、まだ一回のトライではわからない。今後試行錯誤を繰り返しながらも、コトレンゴセンターと関わっていくことになるだろう。とにかく価値のある第一歩だったと思う。
5.治療サポート。
ここケニアではお金がなければ、癌の療法は受けられない。手術はもちろんだが、化学療法はなおさらだ。ブログで何度か登場した乳癌再発のベネット(仮名)。稲田プロジェクトの患者のひとり。HIVフォロー中に発見された乳癌で、治療に関してはイルファーがサポートしてきた。それは大切なサポートだと思うし彼女を特別扱いしているわけではない。しかしこれからフォローしているHIV陽性者にさまざまな癌が発生する可能性がある。続々と発生してくるかもしれない癌患者に対しすべからく治療サポートが出来るのかは保障がない。そのようなサポートをどうするのか、今後はNPOイルファーとも十分話し合わなくてはならない課題だろう。

16年、25回めのケニア医療キャンプは無事終了した。今年のナイロビは太陽が少なかった。我々は、プムワニの年に一回の太陽になれたのだろうか。
そう信じながらこのブログを閉じることにする。
今年は、ほぼ全員が元気で終えられたことに感謝。そして、日本で留守を守ってくれている同僚に感謝、家族、サポーターに感謝。
アサンテサーナ!
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2016年09月26日

最後の締めはモヨホーム・子供たちの未来(9月25日最終日)

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ナイロビから北へ高速道路をひた走りティカへ。ケニア診療の最終日にモヨホーム(モヨチルドレンセンター)に通うようになってもう何年になるだろうか。数年前知人の紹介で、釧路に来ていた松下照美さんのお話しと「チョコラ」(チョコラとは現地語で拾うという意味で、路上でものをひろって生活している子供の俗称で、松下さんとストリートチルドレンとのつながりを実写したドキュメント)という記録映画を見る機会があり、そこで繋がった。ティカで、ストリートチルドレンの更生のためにこんなにすごいことをやっている人がいる。逢いに行きませんか。と、稲田先生に提案したのが最初だった。
それから松下さんとは、同志のような繋がりを持っていただいている。毎年5月には活動報告と活動資金集めの途中に釧路に寄ってくれるし、9月は私が訪問する。つまり毎年5月と9月に再会する関係だ。特に今回は、コトレンゴセンターにも一緒に行ってくれて、診療を手伝っていただいた。
モヨチルドレンセンターでは、いつものように子供たちが大歓迎してくれる。どうしてこんなに明るく笑っていられるのだろうと思うほどだ。半分はストリートチルドレン、半分は養育放棄された子供たちと孤児。彼らにとってモヨホームは天国のようなところだ。笑顔をみるとわかる。しかし、いつまでもいられるわけではない。8年の学校生活を終えると、親元などへ戻るか自活の道へ入る。それが国の方針でもあり、モヨホームの信条でもある。厳しいように聞こえるが、それまでの間を心からケアし教育の機会を提供するのであり、そのモヨにいる期間こそ子供の心と体の成長に一番大切な期間なのだ。モヨチルドレンセンターの活動はそれだけではない。HIV陽性で施設に入っている子供や、障がい者への学校教育費用を肩代わりしたり、お金がなくて昼食が取れない子供たちに、ランチサポートをしたりしている。それも20年以上も。
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着いた早々、お互いの自己紹介。子供たちは、名前と学年年齢、そして将来何になりたいかを語る。ドライバー、パイロット、エンジニア、コック、兵士、医師、歯科医師、農夫などさまざまだが、目指せDreams come true! いまこの素晴らしい環境のなかで努力すれば必ず出来る。
その後、モヨチルドレンセンターの活動の記録DVDをみなで鑑賞し、今年の新しい試みが始まった。なんとディスコ大会。ノリのいい音楽に合わせて、みんなでわいわい踊りの競演。最初は控えめだった大人たちも子供のノリに誘われて、汗まみれになって飛び跳ねている光景はまさに一体化と言えるものだろう。

昨日のコトレンゴ、そして今日のモヨ。それぞれ違った境遇の子供たちがいた。今後彼らがどうやって大人になっていくのか、じっと見守っていきたいと心から思うし、少しでも我々の出来ることがあれば関わってしていきたいと思う。コトレンゴ、モヨに関わる大人たち(私たちも含めて)が、どれだけのことが出来るのかはわからない。多くの不幸の子供たちのほんの一握りのケアをしているに過ぎないかもしれない。しかし、その子供たちが成長し、大人になり、社会を変えてくれるようなことをするかもしれない。不幸な子供たちが生まれないような社会に。そんな期待を込めてもいいのかなと思っている。
我々の未来はこの子供たちにかかっているのだと、改めて認識した一日だった。
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2016年09月25日

コトレンゴセンターを訪ねて(9月24日)

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ナイロビ郊外の西のはずれに、コトレンゴセンターがある。HIVに感染し放置されていた孤児たち(OVC’S;orphaned and vulnerable children due to HIV/AIDS)をケアする施設。キリスト教系のNGO団体が運営する。修道士のコトレンゴさんが1832年にイタリアで設立したLittle House of Divine Providence(神の摂理による小さな家)が元になっており、1994年にナイロビに作られて今に至る。おもに0歳から1歳のHIV陽性者や孤児たち総勢80人程度が暮らす。
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マサイマーケットでお土産を買いあさった午後に、向かったのはそこだった。ART(抗レトロウイルス治療すなわちHIVの治療)を受けている75人のリストを見ながら小児科医が中心にCD4の確認、服薬状況の確認そして健康チェックと歯科医の口腔チェック。並行して職員の鍼治療を行った。
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ARTの処方はおおむねガイドライン通りであり(バックボーンの薬剤が3剤という奇妙な処方もあった!)、シスターたちの介入によりアドヒアランスが確立され、半年に一度のCD4チェックまでされている。しかし、そのデータをその都度解釈し、治療内容の再考へ結びつけることが出来ていなかったようだ。今日のような我々の定期的なコンサルトと健康状態の把握により有効な薬剤の変更に繋げることが出来ればいいと思う。今回は初めての訪問で、段取りに手間取ったが、来年への手ごたえを感じた。
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それにしてもここコトレンゴセンターは閑静な郊外に位置し、綺麗な空気に包まれたこ心地よい環境にあった。HIVの孤児たちが、この環境のなかで、健やかに育つことを念じて止まない。
 これで今年のミッションはすべて終了した。すばらしき医療者集団の力量とパッションにこころから感謝。
明日は松下照美さんのモヨホームで子供たちと再会だ。



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2016年09月24日

最後の喧噪を乗り切った後のため息(9月23日キャンプ6日目)


いよいよプムワニでの一般外来最終日となった。
昨日からフォトジャーナリストの中野さんがキャンプ風景を激写してくれている。
昨年はイルファー釧路の師走講演会で、プロカメラマンの目からみたキャンプと題して中村さんの写真のプチ展覧会を行って好評だった。私たちが撮る記念のためのスナップとは段違いの迫力と構図。現場の雰囲気を直接伝える優れたメディアだ。日本でも展覧会を開催したいという。我々の活動が、写真を通してどのようにみなさまに伝わるのかそのときが楽しみだ。
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小児科のボス堀越先生は、最終日もいつもと変わらず、浮かれることも動じることもなく患者とその親をさばいている。子供の生活の背景を知ることはとても大切で、それは病気の根源や栄養状態の把握につながる。堪能な英語でそれらを次々と洗い出す力量はさすがだ。
今回から始まった2歳児までの体重測定は、その客観的評価に使われるべく導入されたが、3パーセンタイル未満の子は約8%で思った以上に少なかった。そのような子供たちは、母親が生活のために働きに出て、預け先で十分な保育が出来ていない場合が多いようだ。いつも子供をおんぶしながら作業をして頻回に授乳出来る農村とは違う都会の現象かもしれないと堀越先生は言う。しかし今回のキャンプで発見された発達障害児は、マジュマによる現地の状況に基づいた専門的な指導を受けたり、さらにひどい場合は地域の栄養サポートプログラムに紹介したりすることで、少しは彼らの未来を変えられることが出来るかもしれないという期待を持つ。体重測定によるトリアージは看護師の宮本母さん(みんなから母さんと呼ばれている)が孤軍奮闘してくれていた。
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鍼灸の畠中さんの孤軍奮闘もすごかった。あの小さな体でどこにそんなパワーがあるのかと思うほど、次々とくる患者をベッドと椅子をうまく使って精力的にこなす。超忙しいはずなのに、それを感じさせない笑顔が患者だけではなく我々スタッフにも癒しを与える。
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最終日の常だが、怒涛の患者が押し寄せる。昼過ぎの薬局は待ちあう人であふれかえり、手の空いたドクターたちも交代で処方対応に当たることになる。青山城はかなりパニックになっていたが外様のヘルプで落城はあり得ない。しかし子供たちのシロップもついに底をついたようだ。明日のコトレンゴ孤児院の訪問もあるので、また調達しなくてはならないだろう。午後にモヨの松下照美さんが会いに来てくれたが、この忙しさのなかで十分な時間が取れなかったのが申し訳ない。でも、夜がある。酒を飲みながらゆっくり語ることが出来るだろう。
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今日の総患者数は519人(500人を超えた!)、山村先生106人!、抜歯32本、鍼灸は75人!。
兎に角、ついに終わった。すべてが片づけられてだだっ広い空間となったホールをみて、大きなため息が出た。疲労と達成感と寂しさが入り混じっていた。
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2016年09月23日

生き抜くための学校(9月22日キャンプ5日目)

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久しぶりの綺麗な朝日だった。太陽は真東から上がってくる。さわやかな朝だ。
キャンプ5日目もきっかり午前9時にはじまった。最近の現地スタッフのマネージメントは立派だ。患者の受付、ブースへのエスコート、そして通訳、すべての役割分担が徹底している。時間通りに始まり時間通りに終わる。ここだけは、ポレポレ(アフリカののんびり精神)がないと思うほどで、むしろ日本的だ。しかし昨日一つ残念なことがあった。日本人スタッフのバックの中身が盗まれてしまったのだ。誰とはいえないが現地スタッフかもしれないし患者かもしれない。自分のものは自分で守る。やはりここはケニアだった。
5日目の診療も慣れた流れで無事に進み、午後は恒例のプムワニにあるチャイルド・サバイバル・スクール訪問。孤児や貧困の子供が通う小学校。
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炎天下のなか、徒歩で学校を訪れると、いきなり「稲田ダンス」が始まった。稲田先生に感謝を込めてイナダ〜イナダ〜と歌いながら踊る毎年のあれである。今年は声も大きいし振付も揃っているし、何よりも新しい曲が増えている。相当練習したのだろう。その中になんと「ミヤギシマ〜」というフレーズが出てきた!空耳ではない。何を言っているのかわからなかったが、嬉し恥ずかしの心境だった。これも継続のおかげか。
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面会式では子供たちの前にノートやボールペン、サッカーボールなど日本からトランクに詰めて運んできたものが並ぶ。稲田先生の挨拶の後、チームジャパンの紹介を任された。全員の紹介の後に一言だけ付け加えた。
Don’t forget that you have the right to the pursuit of happiness.
(幸福を追求する権利が君たちにあることを忘れないでほしい)
一生懸命勉強して、這い上がって、今の環境を打開してほしいと切に思う。
ここは、サバイバルスクールなのだ。
 今日の集計。総受診者394人。抜歯30本、鍼灸71人!
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2016年09月22日

影のなくなる日(9月21日キャンプ4日目)

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日本では秋分の日が近いこの時期、赤道のやや南に位置するナイロビでは、昼の太陽は天の中心にある。影がなくなる日だ。しかし、このころのナイロビは曇っていることが多い。Dry and chill(乾季なのに寒い)、通訳のモハメドはこの時期をこう表現した。赤道に近いとはいえ、標高1700mにあるナイロビゆえである。
想定された渋滞もそれほどでなく、一般外来キャンプ3日目は、9時少し前に開始された。
いきなり踵から下腿後面がえぐられた患者が来た。糖尿病性壊死のためケニアッタホスピタルでデブリ(壊死組織の掻把)を受けたはいいが、そのまま放り出されたらしい。一部はミイラ化し肉芽腫が一部形成されているだけで、今にも感染しそうだ。片方の足はすでに切断されてない。明日は別な病院のアポをとったから今日だけ治療してくれと飛び込んできた。継続性のある治療が出来ない不条理を感じるが、金のない者は放り出される。これがケニアの現状なのだ。それにしても傷の処置はなぜか私のところに回ってくる。
 小児でもマラリアは散発的に見つかっているようだ。マラリアといい昨日のブルセラ症といい、日本ではレアでもこの地ではよくある病気common diseaseとして認識して当たらなくては思わぬしっぺ返しをくらう(もうググってみろとは言われたくない)。治療中断例(お金がないから)、交通事故や喧嘩の外傷もよくあるものとして、平然と対処するくらいにならなくてはならないのだ。
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今年もエコーは威力を発揮している。セクターとリニアのプローブを備えたことで腹部の診察のみならず、表面の腫瘤にも対応可能となった。下顎部腫瘤の精査として歯科からも依頼がきた。
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 限られた資源はもちろん薬剤にもあてはまる。選択枝の少ない薬剤をいかに有効的に処方するか、それを考えるのは処方医よりも薬剤師によるところが大きい。もっと具体的にいえば、青山さんの薬剤管理能力にかかっている。今回で4回目の彼女は、ほぼ確実にそれを遂行している。そしてそれをサポートする柳瀬さん。スワヒリ語が堪能の彼女は服薬説明には欠かせない存在だ。
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 ドクターのニューフェイスたちもこの環境にほぼ馴染みながら診療をこなし始めた。
小児科の大田先生は次々に経験する疾患に高揚しながらも、落ち着いた流暢な英語で対応している。同じく小児科の荒木先生は、その笑顔で子供や親を和ませる。神戸組の海老沢、長田両先生は、次々とやってくる雑多な訴えに戸惑いながらも、感染症に目を光らせるのはさすが専門の力だ。HIV検査に誘導するのも一生懸命で、それゆえ陽性者を拾い上げることが多い。海老沢先生は皮膚のカポジ肉腫をみつけては写真に収めていた。釧路代表の山村先生は、どんな状況でも飄々とこなしていくのはさすがだ。ただやはり日本との診療のギャップは相当感じたようだ。
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このようにモチベーションの高い専門職たちがそれぞれの領域をしっかり守っている。待合室の喧噪のなかにあって、粛々という言葉が似合うのはそのあたりゆえなのかもしれない。
 終わってみれば個人的に95人の患者を診た。全体では423人。うち、抜歯は29人に達した。鍼灸も55人。すごい第三日となった。



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2016年09月21日

プムワニでググる!?(9月20日キャンプ3日目)

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とんでもなく早く起きた。まだ4時半。日本では10時半か。まあ早く起きたから出来ることをやろうとうごめき出す。目覚めのシャワー、お湯がでない!本当に目覚めとなる。
一般クリニック2日目になると、誰もが要領を把握し英語耳の馴化も進み、ただもくもくと患者を診断処方していくようになる。
 歯科抜歯も流れ作業だ。日本では絶対出来ないと笑いながら、待合患者の歯肉に次々と麻酔注射をする藤盛先生。治療ブースに入るころには麻酔が効いてきて、効率よく抜歯が出来る寸法だ。ニューヨークの歯科医がやっていた方法だ。決して患者に優しい対応ではないが、抜かなくてはならない人々が押し寄せている現状では、仕方のない妥協点だろう。
 ブルセラ症。山羊などの生乳やヨーグルトから感染する人畜共通感染症で、周期熱と皮疹を特徴とする。そう診断されたから、治療してくれと若い男がやってきた。日本ではほとんど経験がないから、よくわからないな〜と言うと、グーグルで検索してみろと。ここまでネット社会が浸透しているのだ。ググってみると、確かにある。貧困よりも情報。ケニアのスラム街でこんなシーンが訪れるとは、時代の変化を感ぜずにはいられなかった。
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 相変わらず膿んだ外傷がやってくる。一年前にデブリした傷を持つ患者がやってきた。一年間治っていないとはどんな傷なんだ。日本ではありえないことがここでは普通に起こっている。処置は明るい外が定番。洗浄や包交は看護師の坂本さんが行ってくれた。
 ラボブースでは、検査技師のデニスが今日も孤軍奮闘一生懸命即日検査を行っている。
HIV検査は40人になされ、2人が陽性。40人中4人に梅毒陽性。2人にHBV陽性が確認された。
本日の総患者数は365人。うち鍼は43人、歯科は25人だった。
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 初日から自分の休みを利用してエキストラで参加してくれた長野の看護学校の先生、内村さんが、今日でボランティア終了となり、夜はさよならパーティー。人懐っこさと笑顔で明るく薬局を守ってくれて感謝。この出会いはまた次に続くような気がしてならない。
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2016年09月20日

パッション(9月19日一般外来初日)


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 今回のキャンプで小児科医として、時には鍼灸の助手としてサポートしてくれるクリニカルオフィサー(ケニアでは医師に準じた診療治療ができる医療職。基本的には現地では医師として活動する)のマジュマにストレートに聞いてみた。
What made you a clinical officer? (Why did you want to be a clinical officer? )
たった一言、笑顔で答えた。
 Passion!
父親の突然の死を経験し、決して豊かではない家庭環境のなかで、生命を助けたいというpassionで一生懸命勉強して今がある。ケニアでキャリアアップを目指す人たちには共通するものがある。モチベーションが極めてシンプルなのだ。
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 一般外来初日の今日、いつものソシアルホールは支柱とシーツでブースが区画されていた。懐かしい現地ボランティアの面々との再会の挨拶もそこそこに、10時きっかりにクリニックはスタートした。
 私の通訳担当はモハメド26歳男性。医療キャンプに初めて参加したという。コンピュータを利用したプリント業と、DVD(おそらく海賊版)、サッカー選手のレプリカジャージ(これもまがいもだろう)などを売る商売をしているのだという。夢は?と聞いたら、コックになりたいと。今の生業はコックになるための資金稼ぎ?そんなところらしい。なぜこのキャンプに参加したのかと聞いてみた。
Passion!
申し合わせたようにマジュマと一緒だ!でもその笑顔に、一瞬さわやかな風が吹き抜けるのを感じた。
 初めての先生たちのサポートをしながらも、それ以外は黙々とこなすのが初日の礼儀。ほかのブースを見学する暇もなく終わってみれば65人の患者を診療した。そのうちすでにHIV陽性であった人が5人。
 その中の一人、36歳のやせ細った女性がいた。主訴は発熱と食べたら吐く。1997年にHIVが判明したと言う。ART(HIVの治療)を受けているのかと問うと、そうだと言うが、飲んでいる薬はセプトリム(ST合剤でカリニ肺炎の予防薬)だけだった。どうみても日和見感染を併発しており、直ちに治療介入が必要と思われた。イルファーのサポートに入ることを希望し、早速PIMAでCD4の測定。待つこと20分、結果は212だった。こんな資源の少ない医療施設のなかで迅速にCD4まで測定出来るのは驚嘆に値する。近々連携の病院に紹介して治療となるだろう。
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 今年初めて導入した小児の成長評価。2歳までの子供の体重測定をして、3パーセントタイル以下の幼児に栄養指導を導入することにした。50人の計測でそれを下回ったのはたった3人。予想以上に成長障害は少なかった。その評価は、まだ下せないが、新しい試みはスムーズに移植された。土曜日に訪問するHIV陽性の孤児院の子供たちと比較することができればそれはまた今後を占う有意義なデータとなるだろう。
初日のデータは、受診者総数349人。そのうち、歯科抜歯は17人、頬粘膜の良性腫瘍切除1人。鍼灸は28人。上々の滑り出しだ。そしてHIV検査29人に対して陽性は6人。いつもより陽性率が高いが、内容の吟味はこれからだ。
そして今夜からベネット(仮名)の夕食のケータリングが始まった。乳がんの再発を克服するために頑張る彼女にみなから大きな拍手が上がった。


ilfar946 at 04:37|Permalink