2016年04月30日

カミングアウトする必要のない社会

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 LGBT。L;レズビアン、G;ゲイ、B;バイセクシャル、T;トランスジェンダーなどの性的マイノリティーの人たちを表す言葉です。
 どんなマイノリティーでも、マジョリティーの前では弱い立場に置かれがちで、時には差別の対象となります。このLGBTもしかり。今でこそ同性婚が世界各国で認知されるようになり、LGBTへの関心が高まっていますが、未だに議会で不適切な差別発言をする議員がいるのも事実です。
 先日、自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会において基本方針が取りまとめられました。
 目指すのは、「カミングアウトする必要のない社会」。
 すごい!と思いました。
 でも、特命委員会のアドバイザーが、繁内幸治さんだと知って合点が行きました。イルファー釧路が主催する師走講演会の第二回目の講演をしていただいた方です。ご自身がゲイであり、神戸でゲイのためのコミュニティーを主催し、HIVの予防啓発や性的マイノリティーの理解に努めてきた繁内さん。啓蒙ではなくて「啓発」、感染者ではなくて「陽性者」。これらは、どんな人でも平等に扱うことを信念とした繁内さんから学んだ言葉です。
 そして、「カミングアウトする必要のない社会」。
 これこそ彼の言葉だと思いました。
 私たちはHIVの予防啓発運動のなかで、HIVであることを「カミングアウト出来る社会」を目指してきました。社会がHIVを理解し受容できるようになれば、差別偏見がなくなる、だから陽性者が抵抗なくカミングアウト出来るそんな社会を作ろう。ただそこには、差別偏見があることを前提とした提言という意味が隠れています。そして、カミングアウトする必要のない社会は、さらに一歩進んだ社会です。そもそも差別偏見がないということを前提としているからです。
 性的指向も個性です。私は気が短いですが、これも個性です。いきなり初対面の人に、私は気が短いですとカミングアウトすることはありません。つまりカミングアウトする必要のないことです。個性とは付き合っているうちに自然と理解しあうもので、時に非難の対象となっても、差別偏見には繋がりません。性的指向もそのようなものであるべきだと言っているのです。
 カミングアウトしてはいけない、させないということではなく、そもそも特別なことではない性的指向を言う必要はないではないか、そのために理解を深める法案が必要だと言うことなのです。
 それは差別撤回法案、差別禁止法案ではありません。同性婚を容認する法案でもありません。子供の時から芽生えるLGBTの自認を教育の現場でも誰もが受け入れられるような環境作り、そのための法案を作るという意図に私は共感を覚えます。
 滅多に自民党を褒めることはありませんが、今回だけは許す(笑)。それにしても、繁内さん、大した男です。
 今年のイルファー釧路師走講演会(12月3日)は、この繁内幸治さんが再登場します。
 ご期待ください。


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2016年03月17日

ぶれない信念と継続の力

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NPOイルファー理事長の稲田頼太郎氏が第42回大山健康財団賞を受賞しました。

 大山健康財団は、予防医学的研究および健康増進に関する事業を援助推進して人類の健康と社会の福祉に寄与することを目的として、大山梅雄氏の寄付により1974年に設立された財団法人です。その目的達成のため学術研究助成事業と奨励顕彰事業を行っていますが、この奨励顕彰事業としての最高賞、大山健康財団賞を今回稲田氏が受賞することになったのです。
受賞対象は、発展途上国で長年(10年以上)医療協力に尽くし、特に感染症対策に尽力した医療関係者に贈られるものと規定されています。
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 研究者として赴いたアメリカでAIDSに出会い、次々と命を落としていく患者を目の前にしてこの病気と戦うことを決意した稲田氏。ニューヨーク(NY)在住日本人感染者のケアにあたりながら、1993年に日本でHIV/AIDSの診療にあたる医療従事者を養成するために、ラング医師とともに、稲田−ラングエイズ研究財団ILFARを設立、以後150名近くの日本人医療者研修をNYで行いました。2000年からケニアナイロビのスラム地区でエイズ医療体制構築のための無料診療所を開設し、現地での継続性のある活動のため、2010年には単身ケニアに移住。陽性者の支援、特に治療情報の提供や服薬指導を精力的に行っているのです。
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 今回受賞対象となった稲田氏の業績を簡単に述べることこうなりますが、決して簡単な道のりではなかったことは明白です。安定した生活からの脱却、賛同者との確執、現地行政の不誠実、現地スタッフの裏切り、活動資金の枯渇などなど、枚挙にいとまのない出来事を乗り越えてコツコツとその実績を積み上げてきたのです。
 多くの欧米研究者やボランティアは、研究対象や支援対象が変われば場所が変わっていきますし、計画年度が終わればさっさと引き上げてしまうのが多いのですが、稲田プロジェクトの凄さは、プムワニという定点で15年以上継続してきていることです。それは2001年からケニアに通い詰めている私が最も力を込めて言えることです。

 継続することで、地域との一体感、信頼関係が構築されるのは当然のことです。
毎年必ず来てくれる、裏切らない医療者たち。そして、地元に根をはり寝食をともにしている稲田氏への尊敬。アフリカ特有のポレポレ(何事も進行が遅い)と行政の怠慢(賄賂体質)に日々苦悩しがならも、15年かけての近隣医療施設との連携を構築してきたのです。
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 いま私は、授賞式に臨みながら、地道に継続することの凄さを実感しています。授賞式には多くの方が招待されました。東京でNPO法人の立ち上げに尽力された山下さんはじめ、片柳さん、森本さんら現在のスタッフ、ケニアで稲田氏をサポートしてくれていた女神の一人(もう一人はご存知五十嵐まきさん)ケニア紅茶の富塚比咲子さん。彼らのサポートがなければ、この継続もなし得なかったはずです。こうして、頑張った仲間たちが一同に会することはとても嬉しく名誉あることだと思っています。釧路のみなさんには申し訳ありませんでしたが、急遽外来を休診して駆けつけた甲斐がありました。

 記念講演での稲田先生の迫力ある述懐。なぜ自分はいまケニアにあるのか、NYで次々と死んでいったAIDSの患者の想いを胸に、二度と同じことがあってはいけないというぶれない信念でやってきたこの十数年の軌跡でした。そしてそれは奇跡でもありました。不思議な縁から彼と寄り添ってきたことに私は改めて運命を感じたのでした。
ケニアでの再会を合言葉に硬い握手をしました。

ぶれない信念と継続。
大きな力に圧倒された受賞式でした。
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2016年02月15日

宮城島のルーツと富士山

富士山三保
宮城島の祖先はいったいどこから?
おおかたの人は、沖縄ですか?宮城県ですか?と聞いてきます。
実は、宮城島のルーツは清水の三保村です。富士山とその周辺が世界遺産となったとき、グリコのおまけの様にくっついていたのが三保の松原。その三保です。
さかのぼること30有余年。私がまだ初々しい?医学生だったころです。

宮城島のルーツは静岡の清水らしいとは聞いていたので、広島でバスケットの全医体があったのを利用してその帰りにひとり清水にルーツ探しにいったのでした。もちろん新幹線なんて乗れません。在来線を乗り継いでとことこ行ったのです。
三保村に行きますと、どこもかしこも宮城島ばっかりでびっくりしたのを覚えています。
石を投げれば宮城島にあたる。まさにそんな印象。
宮城島酒屋本店もありました。
宮城島商店
鶴瓶の家族に乾杯よろしく、旧そうな宮城島さんの家を突然訪問して聞いたりもしました。御穂(みほ)神社を訪ねて、古文書から宮城島のいわれを探し当て、清水市役所に行って戸籍係の協力で北海道の宮城島をたどっていきました。
分かったことは源氏の出自で、明治のころは、国際派?でハワイやブラジルへずいぶん渡ったらしく、もちろん一部は屯田兵として北海道へ。その末裔が私ということです。
清水の次郎長とも関係が深かったようで(ヤクザ?)、彼の菩提寺の梅蔭禅寺に宮城島の墓もあります。
当時も三保の松原に行ったのだと思いますが、富士山の記憶がありません。雲がかかって見えなかったのか、若さゆえに見えていたとしてもたいした感動なくパスしたのかは定かではありません。

富士山を見に行こう。それなら三保だ。
突然思い立って、2月の初旬、東京での所用を利用して、三保まで足を伸ばしました。
新幹線で静岡までたった1時間弱なのです。新幹線で行けば!
清水からは小さな水上バスに乗って三保村へ。そして35年前と変わらず『宮城島』が軒を連ねる小道を通り、神の道といわれる松並木のドームを抜けて、松原の海岸へ。
神の道羽衣の松
薄曇りでしたが、海原の向こうに富士山が悠然と姿を現しました。
自分のルーツに立ち、富士を眺める。
遙か遠い昔から、この地で私の祖先たちはこの風景を眺めていたのです。
富士山の前で自分のちっぽけさを感じながらしかし、連綿と繋がっている宮城島の血を感じたのでした。

翌朝、何気なく東京のホテルの窓から覗いたら、ビルの間から富士山がくっきりと顔を出していました。
富士山東京

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2016年01月27日

申(さる)年に想う

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今年はサル年。
猿といえば思い出すのが三猿。
いわゆる
見ざる・聞かざる・言わざる
日光東照宮の有名な彫刻にもありました。
東照宮の三猿は、まだ幼い子ども猿。子どもの時は世の中の悪いことを見たり、聞いたり、言ったりしないで素直に育ちなさいとでも言っているようにも見えます。
大人であれば、自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないが良いと言うことでしょう。
奥ゆかしい行いとも取れますが、事なかれ主義とも、人生斜(はす)に構えて通りすぎるがよいとも取れます。

でも、私たち医療者が、絶対にしてはいけないのが、
見ざる・聞かざる・言わざる
そして管理職ではなおさらです。

十二支の干支のサルは

と書きます。
モノ申すの『申』です。
本来はどんどんモノ申すべきが猿。

しっかりと相手を見て、良く話しを聞いて、適切で心のある言葉を申す。
患者さんへの対応も、部下への対応も
申すサルにならなくてはいけないのです。
今年が申年だからと言うわけではありませんが、
モノ申す三猿を目指します。


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2016年01月03日

Back to the 10years ago.

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爽やかな初日の出を自宅の部屋の窓から眺めて、出てきた言葉。
50代になって、着実に年をとる恥ずかしさ紛れに53(ゴミ)だの55(ゴーゴー)だの56(ゴム)だのいろいろと語呂合わせをしてその年を過ごしてきました。
さすがに還暦のほうが近い年になって、これでいいのだろうかと。とくに50代になって、副院長業務がだんだんと大きくなり、臨床現場の仕事が病院の運営や経営業務に侵食されてきているのを感じていました。
この20年、若い医者が着実に成長し、関連医局との連携が強化し、それぞれの専門分野をもった指導者が集い、学びを求めてさらに若い力が集まってくる体制が少なくとも内科では出来上がりつつあり、そろそろ私も研修医の指導を中心にしながら、病院のまとめ役(黒子)に徹する時代なんだと思ってきました。なんとなくjust faraway(去りゆく)感が頭を掠めるような。
ですから、ゴーゴーだのまだまだ伸びるゴムだのと威勢のイイことを言ってみて自分を鼓舞していたのかもしれません。
ところが、やっぱり、臨床が好きなのです。研修医と一緒にベッドサイドに立つとなんとなく感じる使命感。急変時にはアドレナリンが湧き出し、会議室から出て病棟を回っていると安堵感に包まれる。経営から離れたケニアでの診療で感じる純粋な高揚感。
この年末年始、私は自分を試すかのように、毎日病院に行ってみました。もちろん数少ないながら重症ゆえ病院に残らざるを得ない自分の患者さんの回診が目的ですが、自分の病院での立ち位置を見つめたいとの思いだったような気がします。
そして、結論はやっぱりベッドサイドが自分の居場所なのだと思いました。

1月2日午前、いつものように病院の玄関を入ろうとすると一台の救急車が止まりました。緊張した雰囲気が伝わります。救急隊が心臓マッサージをしている姿を救急車の窓越しに垣間見ました。CPA(心肺停止)搬送です。当直医が連絡を受けて待ち受けているはずだろうと、自分の部屋に向かいました。でも、それでいいのか?と、もう一人の自分が問いかけます。臨床医としてやることはそれかと。駆けつけなくていいいのか?後悔しないか?
白衣に着替えて急いで救急処置室に行き、救急隊から心臓マッサージを替わり当直医と蘇生の準備をしました。しかし心臓は戻りませんでした。阿寒の温泉からの搬送でした。AEDも出来ない電気的心停止でした。
臨終を伝えるため付き添ってきた娘さんに会って気がつきました。
静かに横たわっている小さなおばあさんは、私が20年来お付き合いしているまもなく93歳になるTさんでした。必死で蘇生対応しているときは、全く気がつきませんでした。
先生、ひ孫たちとみんなで温泉に行ってもいい?
どうぞ、どうぞ。行っておいで。
この会話が私の外来での最後になりました。

二日間家族と楽しい時間を過ごし、温泉まで入って、ご飯もちゃんと食べたんですよ。
そしたら朝、車椅子に座ったまま息が止まっていました。居合わせたS先生に対応してもらったんですが。
娘さんが教えてくれました。
でも、おばあちゃん、先生を呼んだんですね。最後にまで看取ってもらって、本当にありがとうございました。
偶然にしてはタイミングよく救急車とハチ逢い、後ろ髪を引かれるように戻ったらそこにいたTさん。普段なら当直医の仕事と通り過ぎたかもしれないのです。
やっぱりTさんが呼んだんだろうな。と娘さんと話しながらその運命を思いました。
そして、Tさんは、迷ったら動けと!私の臨床医魂を鼓舞してくれたのだと思いました。
元旦の朝、ふと口をついて出た言葉。
Back to the 10years ago. 
なんとなく現実を許容できない後ろを振り返るような情けない言葉にも思えましたが、これが今年の私の誓いとなりました。Tさんが背中を押してくれたのでした。
10年前、イルファー釧路を立ち上げたころのワクワク感、怖いものなしで若い医師とどんどん突き進んでいった時期。
臨床医としての自分をもう一度見直し、もうひと花咲かせますよ。
迷ったら動け!です。







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2015年12月24日

イルファー釧路の一年(2015)

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今年はホワイトクリスマスになりそうもないと思っていたら、辻つまを合わせるかのようにちゃんと雪が釧路の街を覆ってくれました。
積もったら積もったで、つるつる路面に気をつけながら転ばないようにそぞろ歩き。
降らずには物足りなく降ればまたやっかい。それが雪。
暮れも押し迫って来て、師のみならずみんなが走っているように見えますが、いかがお過ごしでしょう。
イルファー釧路の今年はどんなだったか。十大ニュースとして思い出してみます。

1.前代未聞!一年で二つの師走講演会。(1月31日・11月28日どちらも師走ではありません、笑)
昨年12月に予定していた川田龍平さんの講演会が、選挙で1月に繰り越し。さあ、新年早々と思いきや、荒天降雪で飛行機が飛ばずに、フェイスタイムを使って川田さんの自宅からの配信となりました。冷や汗ものでしたが、みなさんの機転の利いた集中力で乗り切りました。そして今年11月28日の『再びケニア』。稲田先生と五十嵐真希さんの活動に勇気をもらったのは記憶に新しいところ。というわけで、今年は二回の師走講演会を開催した極めて希有な年になりました。

2.初めてのウエブ開催成功。(1月31日)
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前出のとおり、川田龍平さんの講演は、初めてづくしのウエブ講演。前日の夜に飛行機の欠航が予定され、急遽ウエブでの可能性を検討。大坪先生はじめ労災の職員総出で回線やソフトのテストで大わらわ。川田さんのPC端末(タブレット)ではスカイプは繋がらず、フェイスタイムを使っての講演となりました。これにより、演者が来なくてもなんとかなるという変な自信が出来ました。

3.ケニア再び。聴衆は過去最高を記録。(11月28日)
稲田先生は3回目の出演。もちろん真希さんは釧路初登場。ケニアでの医療キャンプが15周年を迎え、それにコミットしていたイルファー釧路も設立10年が過ぎ、原点に帰る思いでの『再びケニア』でした。真希さんの国境を超えた国際人としての素晴らしい医療保健活動、そして稲田先生の鬼気迫る語りに会場は圧倒されたのでした。立ち見が出るほどの大盛況でスタッフを入れた入場者数は160人を超えていました。労災病院講堂で開催したなかで過去最高です。

4.頑張った!学生コアメンバーで大成功のイル活B & G。(8月1日2日)
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第三回目となるイル活B&G。今回は9人の学生実行委員にすべてを仕切ってもらい開催するという新企画でした。4月下旬に第一回の会合を開き、それから何度も話し合いながら、8月1日、2日のつるいキャンプを迎えました。若者たちが自ら企画し、参加する若者たちとHIVや性について学ぶ。そんな目標に一歩も二歩も近づいたイル活でした。来年の実行委員長もその場で決まり、将来が楽しみになりそうです。

5.15回目になるケニア医療キャンプ参加。(9月11日から23日)
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2001年に宮城島が初めてケニア医療キャンプに参加して、2003年に須藤事務局長が参加。それからイルファー釧路の人的支援が継続しています。今年も大坪歯科医、得田鍼灸師、宮城島がイルファー釧路から参加。労災病院から北原医師も加わり4人でミッションを全うしてきました。

6.ソロプチミスト日本財団から活動資金援助贈呈。(11月24日)
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ソロプチミスト釧路アミティが我々の地味な活動に光りをあてて本部に推薦してくれたおかげでいただけた賞でした。50万円いただきました。感謝です。



7.10周年記念特大号となったイルファー釧路通信。(8月)
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年に二回会員の皆さまに発送していたイルファー釧路通信ですが、今年は10周年特大号としてA4版しかもカラー版を発行。なかなかの好評でした。松原編集長ご苦労様です。今後は通信を年一回の発行として、師走講演会などのイベントには葉書で通知することにいたしました。




8.10周年記念DVDは映画顔負けの力作でした。(11月)
これは大坪先生のスキルと情熱がなければなし得なかったものです。師走講演会で先着100名様にお配りいたしました。見るたびにすごい!と思ってしまいます。

9.ケニアの松下照美さん来釧。楽しい交流会。(5月28日)
ケニアのティカというところでモヨホームを設立しストリートチルドレンや養育放棄された子供たちを育てている松下照美さんは私たちの同志です。帰国する折に釧路を訪れてくれます。今年5月に、釧路での報告会と懇親会が行われました。

10.コアメンバーの所さん、第2子誕生!おめでとう(福山ショックで早まったらしい)。
おなじくコアメンバーの成瀬院長の助産院マタニティアイで元気に誕生しました。


こんな一年でした。
イルファー釧路のコアメンバーも少しずつロートル化が進み、ともすればフットワークが鈍り気味になりますが、イル活の若者から刺激をもらいながら、毎年やるべきことを地道にやっていきます。
一年間ご理解ご支援ありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
そして、今日。
メリークリスマス!
集合

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2015年12月01日

梅毒は過去のものではない(エイズ学会15)

エイズ学会15
今年のエイズ学会は、東京です。東京ドームで、もとい、東京ドームホテルで国立国際医療センターの岡慎一先生を会長として開催されています。
予防、予防、予防 そして予防
という学会テーマを反映して、予防としての治療に関する講演が随所に見られます。
T as P(Treatment as Prevention)とは、パートナーへの感染予防として、感染者に対して治療を早期に行うこと。PrEP(Pre-Exposure Prophylaxis)とは、感染していない人に予防薬を投与することでその後の感染を減らすという予防法。
これらがあいついで実証され、実際の現場で導入される日も近いのです。さらには、CD4が十分に高いうちから治療介入することで、明らかに死亡が減ることがエビデンスとして示され、いよいよ世の中の動きは、HIV感染がわかったと同時に治療することに向かうでしょう。
ただ忘れてはならないのは、根源的な予防としてのセーファーセックスです。
最近、日本で梅毒が特に若い女性を中心に増えてきていると盛んに報道されています。しかしそれは男性も同じですし今に始まったことではありません。梅毒は過去ものではないというのが、最近のエイズ学会の雰囲気です。
実際に、HIV陽性者の梅毒陽性率は極めて高く、HIVはコントロールされているのにもかかわらず、梅毒の再感染例も無視できないと演者は訴えていました。それゆえ、HIV陽性者は少なくとも1年に一回は定期的に梅毒の検査をすべきだと。
HIVは性感染症であるというもっとも基本的なことを再度啓発し、日本の社会における性感染症対策を見直さないと、どんなにHIVの治療や予防が進化したとしても片手落ちなのです。
思わず笑ってしまいましたが、梅毒の予防啓発の厚労省公認マスコット(ゆるキャラ)は、
「ばいど君」と言うらしいです。
ばいど君
さて、当院では高橋道生薬剤師が、道東地域におけるARTの現状と副作用としての腎障害について、ポスター発表してくれました。
地域からの発信。これも永遠のテーマです。
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2015年11月29日

どこに生まれても生抜くことの大切さ(第12回師走講演会)

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大荒れの予報に反して、釧路は晴天で稲田先生、真希さんを迎えてくれました。
私は前日副院長会議で東京入りしてましたので、羽田でお二人と落ち合い揃って釧路に降り立ったのです。
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会場となる釧路労災病院の講堂に着いてみると、すでに病院職員たちの手で今年の医療キャンプの写真が掲示されて、イルファー釧路のスタッフによりバザーの準備も整えられていました。
今年の写真展はいつものような私たちが診療の合間に撮ったスナップ写真とは大きく違います。プロの報道写真家中野さんがファインダー越しに見た迫力あるキャンプの風景です。キャンプの様子を芸術作品にまで高めてくれました。
どのくらいの人が来てくれるだろうかとの心配をよそに、開演前には立ち見がでるほどのお客さん。むんむんとした熱気のなか、イルファー釧路の若手スタッフの川嶋くん(新人看護師さん)の開会の挨拶で始まりです。
真希さん
大坪先生の司会で講演に立った五十嵐真希さんは、日本赤十字の海外要員として、アフリカをはじめとして各国で保健衛生活動を行っています。公平、中立、独立の赤十字の理念から呼び起こし、ケニアを中心としてやってきた活動の一端を熱く語ってくれました。水もない、医療もない、お金ももちろんない、「何もないところだが問題だけがある」という現地住民の言葉を紹介し、何もないところから、乳幼児死亡率の減少を目標に、手洗いの保健衛生の基本から、妊産婦健康指導、医療アクセスへのルート作り、ワクチン接種率向上などの実績を着々と上げ、ついには手術施設まで現地に作ってしまったその行動力とマネージメント能力に脱帽しました。そして今はレバノンで新たなプロジェクトに取り組んでいます。彼女のモチベーションは一体何なのでしょう。一度だって仕事をいやだと思ったことはないと言います。むしろ困難を楽しみに変えている。無駄な死を遂げて欲しくない、生き続けることできっといいことがあるという信念。そして子供たちの笑顔をみるためにやっているのだという極めてシンプルな動機。貧困の中で生きることが辛いことだってあるでしょう。でも、生き抜く環境を作ってあげることで、生きる意義は絶対あるはずだと彼女の目は語っていました。
稲田先生
そして、稲田頼太郎先生。張りのある大きな声で、自分がなぜケニアなのかを朗々と語ります。
HIVに感染したら死を待つしかなかった80年代の黎明期をニューヨークで経験し、プロテアーゼ阻害剤の登場により、先進国では死ぬ病気でなくなったHIV/AIDSであるにもかかわらず、薬の行き渡らないアフリカではどんどん死んでいくという命の不公平に心を痛め、そして動いた。感染率が30%を超えるナイロビのスラム(プムワニ村)に飛び込んでいったのです。現地できっちりとした治療を受けられるような医療体制構築のためにです。医療キャンプを通してHIV陽性者を拾い上げ、ケアし、地域の医療施設と連携し啓発することを始めて15年。成果は着実に地域に根付き始めています。
死ぬも地獄、生きるも地獄。どんなに治療が浸透し生き延びる人が増えたとしても、貧困というスパイラルから脱しない限り生きる意義を見出せないという社会的構造を変えなければいけないのはもちろんです。しかし、生き延びなければ何も解決しないではないか、生き延びないと幸せはない。彼の信念は、真希さんとここで繋がるのです。
保健衛生とHIV治療、手段こそ違いますが、日本という恵まれすぎている国と真逆のところで、生きる意義を見出すために生き延びるすべを模索し行動するお二人に私たちは心から共感したのでした。
イルファー釧路のスタッフ、労災病院職員、そして札幌から馳せ参じだケニア医療キャンプ参加者との懇親会の席で、稲田先生はイルファー釧路の結束に涙を流して感謝されました。でも、それは先生の活動に共感したからの結束だと、須藤事務局長も涙で答えました。
ケニアと釧路、一万キロも離れた場所での地域医療は一つになりました。
生き抜くことの意義は地域を越えて共有されたのです。
講演に足を運んでくれたみなさん、企画運営してくれたスタッフ、休日返上で関わってくれた労災病院職員のみんな、そして稲田先生、真希さん、本当にありがとうございました。
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2015年11月23日

理性と本能の同居は可能か

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芸能界音痴だから仕方がありませんが、私にとってチャーリー・シーンが米国でどれほどの有名俳優かはよく知りません。
しかし、今回のHIVカミングアウト事件はかなりセンセーショナルになっているようです。とくにハリウッド周辺では、もっと詳細に言えば、チャーリーと関係を持ったとても多くの(本当か?) 女性たち周辺では、大パニックになっているようです。
4年前に感染の事実を知り得ながら、無防備なセックスを繰り返してきたために、多くの性的パートナーから脅迫を受け、口止め料を払い続けていたのがとうとう限界に来て、陽性を公表したとのことですが、身勝手なチャーリーを攻めるべきなのか、そんな男と関係を持った脅迫女を責めるべきなのか、よくわかりません。
ただ、感染を知っていて、相手に感染をさせた場合には法的責任は免れないことは事実ですので、司法当局も動くのは当然なのかもしれません。

そんなことより、これだけHIVの感染経路が認知され予防の必要性が啓発されている時代に、まだまだこんなことが起こりうること、そしてそれが新聞の一面に大々的に報道されることが不思議です。やはり性という問題に絡むと誰もが週刊誌的色眼鏡でみてしまう。理性と本能(享楽)は同居しないとでも言っているような。

チャーリーも売れっ子俳優としての地位が脅かされるから、カミングアウト出来なかったと言っているようですが、自由と思われているアメリカでさえもまだまだHIV陽性であることを伝えるのに抵抗があるのです。
これがHIVなのですね。
まだまだ、社会的差別や偏見を恐れている。
性的多様性先進国アメリカでさえそうなのですから、日本はまだまだ、性的マイノリティーやHIVと共存出来る社会的成熟には至っていません。ましてやケニアでは、信じられないほどの差別、偏見が現存しているのを目にします。

だから、地道な啓発が必要なのでしょう。
理性と本能をどう同居させるか。
人間の存在を問うような永遠の課題に私たちは対峙しているということです。


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2015年10月21日

再びケニア(ケニアで活躍する仲間たち)

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イルファー釧路が稲田頼太郎氏の主宰するケニア(プムワニ)医療支援に係わって15年。
当初は住民の20%以上がHIVに感染し、すさまじい感染爆発が起こっていました。無料HIV検査による感染者の拾い上げとケアを行ってきた15年間に、ケニア(プムワニ)はどう変わり、どう変わらなかったのでしょう。そしてこれからの活動はどこに向いていくのでしょうか。今年の師走講演会で3度目の登場となる稲田氏をお招きし、ケニアに移り住んでまで日々格闘する彼から直接聞いてみたい。

そして、日本赤十字から海外事業管理要員としてケニアに派遣され、8年もの間ケニアとその周辺地域の保健衛生活動に従事してきた五十嵐真希さん。と同時にケニアでのイルファーの医療活動にも献身的に係わってくれた女神です。彼女は今年ケニアを離れて、現在シリア難民問題などを中心として中東・北アフリカ地域代表になり、さらに兼任として国際赤十字連盟の緊急救援・クライシス対応をおこなっています。
彼女の目にはケニアはどう映っているのでしょう。彼女のケニアでの活動のモチベーションは一体なんなのか聞いてみたい。

イルファー釧路の活動の一つの柱であるケニア医療支援・HIV支援の現状をもう一度現地からの声で語ってもらいたい。そういう想いで、このお二人をお呼びします。

再びケニア。
そして継続のケニア。
ケニアを通してもう一度HIVを学びませんか。

平成27年11月28日
午後4時開場・5時開演
釧路ろうさい病院3階管理棟 講堂
もちろん入場無料・託児所完備


お待ちしています。


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