2018年04月01日

釧路組に支えられて

内科看板

 今年も7人の内科医が去って行きました。平成6年の春に最初の仲間を送ってから25年、もう100人以上の内科医を釧路から送り出してきたことになります。若い先生の多くは、釧路での経験をもとに、大学院に入って行きました。時には一緒に働いていた看護師さんと連れ立って。サブスペシャルをすでに持って専門医として地域で活躍してしてくれた中堅はさらに高みを目指して大学や基幹施設に散って行きました。時にはきた時よりも家族が多くなって。

 いつしか釧路労災病院内科を旅立った者たちは、釧路組と呼ばれるようになります。経験値は上るけれど厳しい労働環境と厳しい気候と札幌から遠い環境という閉鎖空間で辛酸を舐めた者たちは何か一体感を覚えるのかもしれません。でも、そのような環境で多くの経験を積んだからこそ、一言を持つ医師になるのでしょうし、それゆえ次の職場でも、自信を持って発言し行動出来るのかもしれません。そういえば、釧路を出た医師は良くも悪くもよく意見をすると言われます。宮城島を真似ているとは思えませんが(笑)。

 去る者は追わず、来るものは拒まず。いつしか私の信条となったのは、そういう訳です。全ては医局の人事の中でのことです。それに従いながら淡々と時には葛藤しながら、この地域の医療を守るために、現場の医師のキャリアを上げるために、今いる仲間と切磋琢磨する。もう一回釧路に来たいと思ってもらえるように、一度は釧路に飛び込んでみたらと研修医を誘ってもらえるように頑張るのが私の役割となりました。

 そして、新しい年度がついに始まりました。嬉しいことに二人の新任部長は釧路組です。若い頃一緒に辛酸を舐めてきました。カムバックサーモン!喜んで戻ってくれたことに感謝です。しかも消化器病と血液の部長として。これで今年度の部長の4人が出戻りになりました(笑)。研修医の一人は、大学実習の時に労災組の医局員に釧路に行けと強く勧められたから来ましたと言ってくれました。来るものは拒まずどころではありません。こんな風に来るものは大歓迎です。さあ、新しい気持ちでまた新しい釧路組を作って行きます。

 ピースは目まぐるしく変われども、釧路労災病院内科は内外の釧路組に支えられながら地域医療を守って行きます。

注意;これはエイプリルフールではありません。

ilfar946 at 09:18|Permalink

2018年02月25日

「そだね〜」の底力(ソコヂカラ)

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 もともと密か的にカーリングには興味を持っていました。とりあえずルールを知らなくてはと、以前から結構真剣にカーリング競技を見ていたものです。しかし、平昌オリンピックになって、プレーヤーの会話がここまではっきりと拾われるとは思いもよりませんでした。でもすごく新鮮でした。あ〜なるほど、そうやって作戦を考えているのか〜と分かるのはもちろん、その場のプレーヤーの雰囲気が手に取るように分かる声の演出が見事です。

 最初に「そだね〜」を聞いた時、あ、やっぱ、北海道だ。と思いましたが、それより、賑やかな女子トークの中に自分が紛れ込んだような感じがしたものです。「そだね〜」を連発する雰囲気って、なんて明るくて開放的なんだろう。そのうちにSNSやマスコミで「そだね〜」がどんどん取り上げられ、日本中で話題沸騰となりましたが、一番最初に気がついていたのは自分だと考えているのは私だけではないでしょうね、きっと。それだけ印象深い言葉だったということです。

 その「そだね〜」が、銅メダルを取っちゃった!リアルタイムにその場面に遭遇したのは出張先の東京のホテルのテレビ画面でした。延長戦を覚悟した最後の相手(イギリス)の一投で、いつの間にか日本の黄色いストーンがスルスルとセンターに寄って行っての劇的な勝利。「そだね〜」の明るさと前向きな姿勢が、呼び込んだメダルでした。

 メダル、メダルと求道者のように追い求めて、結局は取れなかったアスリートがあまたいる中で、「そだね〜」、「そだね〜」と掛け合っているうちに、あれ、メダルが来ちゃったという結末は、まさに、日本全体が癒された一瞬でした。しかも、LS北見というまさに北海道の地方都市の単独チーム。北海道人としては何よりも嬉しい出来事でした。

 北朝鮮問題が絡み、オリンピックが政治に利用されるようなきな臭さを感じて始まった平昌オリンピックでしたが、終わってみれば、「そだね〜」の響きが耳に残った、爽やかなオリンピックになりました。

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2018年01月24日

抱負

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「抱負」という言葉は子供の頃から好きではありませんでした。大きな夢(目標)に向かって立てた抱負(計画)なのに、抱いた先から負けてるなんて可笑しいじゃないですか。もちろん負は「負ける」という意味ではなくて、「背負う」という意味であることは、成長とともに知るところとなりますが、やはり「抱いて負ける」という最初の印象が強いのです。

 毎年の新年会で、内科の同僚たちに抱負を述べて貰いますが、いつの頃だったか、実は私は「抱負」という言葉が昔から嫌いだったと述懐しましたところ、先生は負けず嫌いだからと妙に納得されたという記憶があります。確かに昔はなんでも一番でなければ気が済まないところがあったかもしれません。しかし、アラ還にもなりますと何事にも「まあいいか」と妙に諦めと納得が早くなるのは熟成なのか風化なのか。

 そんなことを考えながら、今年の初詣はいの一番の元旦ではなくて、翌日の早朝にしました。なんとそこは誰も居ない境内でした。神社を独り占めしたような気分。初詣の喧騒など嘘のような、シンと静まり返った空気の中で新年の祈願を終えたのでした。ほら、一番である必要はないんだよ。神様がそう諭してくれたような気がしました。

 大願はもちろん、世界平和。毎年その四文字を唱えてくるのですが、テロ、核拡散、分断、差別が至る所で勃発している最近の世界情勢を見ると、ますますその祈りの必要性を感じつつ、今まで毎年祈っても効果がないこの現実にやり切れなさと徒労を感じざるを得ません。でも、結局祈願するだけでは何も動かないということです。やはりそこには抱負が必要なのです。負けるではなく負うという抱負。政治的力がなくても万人が出来る世界平和のための抱負(行動計画)。
 
 それは隣人への理解から始める事だと思うのですが、いかが?

 LGBTなどの性的マイノリティへの理解が少しずつ進んでるように、身近なところから他人への偏見差別を解消していくのが我々に出来ることに違いありません。地道な作業かもしれませんが、それが結局のところ、人種の違いはもちろん国家間のイデオロギーの違いや宗教間の教義の違いを尊重することに繋がり、世界的な分断が少しでも緩和することに寄与するのではないかと思うのです。「こうあるべきだ」ではなく、アラ還の「まあいいか」というあの諦観のつぶやきが、世界平和を作り出す素になると私は信じていますし、それこそ毎年掲げるべき「抱負」に違いありません。
(北海道新聞2018.1.18夕刊 『夕べの止まり木』 掲載)


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2017年12月31日

HIV/ASIDSを学び直す(イルファー釧路の一年)

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 今年の目標を「HIV/AIDSを学び直す」と掲げて、走り抜けたイルファー釧路。
効果的で飲みやすい抗NIV薬が浸透し、HIVが単なる慢性病と見なされるようになって、なんとなく社会の関心から退けられ忘れ去られようとしている印象がある中で、もう一度HIVを生と性から考え直し、学び直そうという意図でした。HIVは単なる感染症ではない。我々が手を取り合って生きることの教材として捉えて行かなくてはいけないという危機感もありました。
それゆえ、当会のメインイベントとしてのイル活と師走講演会はまさにそこに焦点を当てました。
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 7月29日、30日の鶴居でのサマーキャンプ(イル活)は、川嶋彗大人実行委員長を中心に6人の学生実行委員で企画運営されましたが、HIVを性感染であることを再確認し、他の性感染の体験談を踏まえて学び直し、HIV抗体検査について医学的側面と社会学的側面から学びを深めました。

 12月9日の師走講演会には、10年ぶりに岩室紳也先生をお呼びし、「オトナのための性教育講座」という演題ながら、遠大な人生の話の中で、人間と人間の繋がりの大切さ(絆)を説いていかれました。そこには性感染としてのHIVも、薬物依存も、自殺依存も生きるための教材であることが示されていました。自画自賛かもしれませんが、HIV/AIDSを学び直すというコンセプトに相応しい内容をいただいたと思っています。
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 さて、このふたつのイベントの他に今年のイルファー釧路の動きを振り返って見ます。
 2月には久光製薬株式会社ほっとハート倶楽部様より、我々の社会貢献に対して金一封を頂きました。製薬会社としての寄附が厳しい世情にあって、社員の自発的活動としての寄附は本当に嬉しいものです。

 3月には長年コアメンバーとして、そしてケニア医療キャンプにも2年連続参加してくれた大坪誠治先生が退職、転居され釧路を離れることになりました。とでも残念なことでしたが、これからも遠い?美唄からメンバーとして繋がってくれることを期待しています。

 6月3日には道東HIV拠点病院等連絡協議会講演会で元産経新聞記者の宮田一雄氏をお迎えし、「エイズの流行は終わるのか」と題して講演をいただきましたが、イルファー釧路のメンバーも参加し、まだまだ終わっていない世界のエイズを再確認し、改めてHIV/AIDSを学び直すことの必要性を理解しました。

 10月9日に開催されたくしろ健康まつりでは、労災病院、保健所と協働で恒例となったHIV抗体検査会を行いました。およそ100人の市民が検査に訪れましたが、もちろん陽性者はゼロ。それで良いのです。ただし、検査対象をもっと広げよう、イベント性をもっと出して啓発活動に繋げようという考えから、来年は、霧フェスティバルなどの大きなイベント会場での開催を目論んでいます。

 学生への啓発活動として、今年も別海高校(生と性を考える会;6月23日)、中標津高校(思春期講座;7月22日)での講演をさせていただきましたが、特筆すべきは、12月2日に釧路市の景雲中学校での道徳講演会に呼ばれ、「命の尊さ、大切さ」の中で、HIVをとりあげることが出来たことです。中学生の前で話すのは初めてのことでしたが、一生懸命に聞いてくれました。

 私だけではありません。10月28日には釧根地区放射線技師会学術大会で、須藤隆昭事務局長が「ケニアと釧路におけるHIV状況とボランティアについて」と題して発表しましたし、11月8日には全道高等学校ボランティア研究大会で大道寺梓さんがケニア医療キャンプ報告を行いました。こうやって、コアメンバーのそれぞれがそれぞれの目線で啓発活動としての講演を行なってくれることがまた、イルファー釧路の成長と進化を物語るものだと思います。

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 ケニア医療キャンプには、17回目の私の他に、藤盛歯科医(2回目)、更科内科医、川嶋看護師、大道
寺鍼灸師(いずれも初)が参加。2700人以上の患者の診察とコトレンゴセンター(HIV陽性の孤児院)でのメディカルチェックをしてきました。10月8日にはその現地報告を第二回地平線会議として行いました。藤盛先生の完成度の高い動画作品を交えながら多くの皆様に臨場感あふれる現場を報告出来たと思います。
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 ケニア繋がりでは、7月4日には来道した松下照美さん(ケニア在住でモヨチルドレンセンターを主宰し、ストリートチルドレンや養育拒否児童などを住まわせケアしている)を囲む会を催し親交を深めました。

 出会いの報告としては、5月に大坂で田村隆明さんと再会を果たしました。病気と闘いながらも元気なその笑顔といつも通りの腰の低さ(笑)に乾杯です。
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そして、11月のエイズ学会で、一昨年の師走講演会で講演をご依頼したものの爆弾低気圧に阻まれてついに釧路上陸を果たせなかった川田龍平さんとついに面会出来ました。雪にまみれた釧路労災病院の講堂と川田さんの東京の自宅をFace timeで繋いでウエブ講演したことが懐かしく思い出されました。
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 同じことを地道に繰り返しながら、少しづつ進歩して行く。これがイルファー釧路のスタンスですし、今年もそうやって過ぎていったと思います。でも、過ぎるのが早過ぎる。本当にあっという間の一年でした。

 最後になりましたが、これらの活動に賛同した104人の個人会員、法人会員の皆様からの会費としてのご支援に、改めて感謝申し上げ一年の締めにしたいと思います。
本当にありがとうございました。
来るべき年が皆様にとって良い年でありますように。

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2017年12月23日

プラージュからの贈り物

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 年末の最後のダウンでした。
 全国から釧路に集まったケニア医療チームの仲間たちと楽しい時間を過ごし無事送り出した翌日、なんかお腹の調子が悪くなり、あれ?!牡蠣にでも当たったのかなと思ったのですが、それから全身筋肉痛と発熱。一応インフルエンザは否定した上で、なんとか三日の業務をこなしたものの、発熱と著しい全身倦怠感でついにダウン。これは急性肝炎もありかとも思いましたが、食欲は落ちなかったし、黄疸もないということで、自己判断でそれは否定し検査もせずにそのまま自宅療養させてもらったのが木曜日。
 一日寝ていてかなり楽になり金曜日はよっしゃ、行けると同僚にメールを送ったところ、
駄目です!全て滞りなく業務は進んでいますので、ご心配なく。もう一日きっちりとお休みなさい。内科の総意です!との返信があり、ありがたいとは思いつつも無理にしゃしゃり出るのも迷惑かとなんとも腑に落ちない気持ちで、もう一日引きこもりとなった次第です。
 まあ確かに、今年も突っ走って来た一年でした。土日もほとんどは出張や学会だったし、5月の声を聞いた頃にはケニアの準備が始まり、ケニア終了後は、多くの講演や学会参加で飛び回っていました。11月のシンガポールも想定外の学会参加でした。師走は師走で宴会が目白押し(これは毎年のことですが)。なんか、ホット息ついたときに、私の脱力と免疫力低下を察知した名前不詳のウイルスが待ってましたとばかりに私に取り憑いたのでしょう。起こりうることが起こったと諦観し、今週の3っつの(3っつ!)忘年会をやり過ごしたのでした(宴会を休むなどどはほとんどあり得ないことでしたから)。
 ありがたい休養のおかげですっかり復調したものの、丸二日ずっと寝間着姿で、ヒゲも剃らずにいたものですから、しゃっきりリセットするつもりで、土曜日の朝、真っ先に向かったのは床屋。今年の春に馴染みの床屋の親父が鬼籍に入ったために(ブログご参照ください「いつものように、、」)、床屋ジプシーとなっていてたどり着いたのが、全国展開しているプラージュさん。カット、洗髪、剃り、セットがみんな分業制でクライアントが席を移りながら進むシステムで、ベルトコンベヤーに乗っている間に終了してしまうような感じですが、安くて早い。それに余計な世間話もなくてシンプル。
 ああさっぱりしたと会計をしたらいつもより安い。あれ?と思いながら、帰りがけにレシートをみると、割引200円となってる。しばらく考えて合点がいきました。プラージュでは60歳以上200円割引。
 病み上がりの無精髭男はめでたく60歳以上とご評価いただいたのでした。
 素敵なクリスマスプレゼントでした(;_;)。

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2017年12月10日

絆(きずな・ほだし)/ 第14回師走講演会

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 12月9日、キリッと冷えた青空の中、岩室紳也先生は釧路に降り立ちました。
 毎年釧路の高校生たちに性と命を語り続けて17年。そのご縁とエイズの縁、そしてイルファーの繋がりでまた実現した岩室先生のご講演。2007年以来の2度目の師走講演会です。
 「オトナのための性教育講座」と題した今回の講演は性という小さな枠組を超えた壮大な行き方講演となりました。性という漢字は、心(りっしんべん)の生と書きます。心とは真ん中。すなわち性を語ることはど真ん中の生を語ることに他なりません。岩室先生はまさに、性をキーワードにど真ん中の生を語り出したのです。
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 性の問題も心の問題も薬物問題もネット問題もみんな根っこは同じだと語ります。全ては依存症。性依存、自分依存、薬物依存、ネット依存。繋がりや居場所がないから、依存症になる。居場所は依存先であり、心休まる依存先がないから、性依存、自分依存、薬物依存、ネット依存に陥る。だからどんどん依存先(居場所)を作りなさいと訴えかけます。東日本大震災後真っ先に陸前高田市に飛び、被災地絆づくりを始めた経験から出た重い言葉でした。
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 今の日本に欠けているのは、人と人との関わり、繋がり、支え合いだと指摘します。震災後各地で囁かれた、絆(きずな)。この言葉のもう一つの呼び方を知っていますかと問いかけられました。それが(ほだし)。ほだしの意味は、手かせ、足かせ、束縛、迷惑。(きずな)は繋がり、結びつきというある意味ポジティブなのに、(ほだし)はむしろネガティブ。でも、この両面が「絆」には必要だと語りかけます。繋がり結びつきが強くなりすぎると息苦しさを伴うこともある。(きずな)というネットワークと(ほだし)というお互い様精神がうまく循環して程よい居場所が生まれる。そういう居場所を作ることが、自分を自立させ、依存症から脱却できるのだと、性暴力、自殺、薬物中毒、SNSがらみの殺人などの社会問題を提示しながら、心に残る言葉を投げかけていきます。
 繋がり・居場所の反対語は依存症。対面による生きた言葉のキャッチボールが私たち現代人を救うのです。簡単にSNSなどで繫ることが出来るようになった現在こそ、生きた言葉のキャッチボールをしなくてはならないのです。SNSはSOSにならない。岩室先生の言葉がずっしりと心に落ちます。対話・関係性・絆(きずな・ほだし)というコミュニケーションが現代人を救うのです。 
 オトナのための性教育講座は、生き残るためのヒントを120人の聴衆の心に残してこうして幕を閉じました。
 イルファー釧路も、きずな・ほだしを大切により多くのみんなと繋がって行きたいと切に思いました。
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2017年11月09日

生と性、そして命

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『性』と聞いて感じることはあまたあるでしょう。
最もわかりやすい性は男性と女性でした。
でした?
今では最も複雑なのが、男性と女性かもしれませんね。昔は厳然と区別された男性と女性でしたが、今は性の多様性のなかでその括りは曖昧になっています。男性女性が個性になりつつある。それはそれで賛成です。『性』は個性であり性格であるということです。

こうやってなんとなく古風で陰湿な『性』というイメージが払拭されることで、白日の下で『性』を語ることが出来るようになれば、生きづらさが少しは和らぐかもしれません。

そもそも、『性』は『生』に繋がる言葉です。
「りっしんべん」は心の意味。心のある生、生の中心が、『性』なのですから、『性』は『生』より格上のそしてコアの『生』なのです。

生きるためには、性を抜きにはできません。個の性が個性、個性なくして生きられない。生きるということは、他とは違う自分を認められ、自分とは違う他を受容し、協働することです。生は性、生イコール性。そして生は命。

命を大切にすることは、一生懸命生きること。一生懸命生きることは『性』と向き合うこと。
少しでも生きづらさを軽くしたい。
そんな、講演会にしたいと思っています。

イルファー釧路・釧路労災病院 プレゼンツ
第14回師走講演会
12月9日午後4時半開場、午後5時開演。
『オトナのための性教育講座』
語るのは、生と性の伝道師、岩室紳也先生です。
もちろん入場無料。
是非、ご参集ください。


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2017年09月26日

総括(9月25日ケニアを発つ日)

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サファリに行く人たちは朝早く出かけて行った。のんびりと一人遅い朝を迎える。穏やかな天気だ。プムワニでは喧噪と埃と匂いのなかで、また新しい一週間が始まっていることだろう。車でたった30分程度しかない距離の決定的な差は貧困だ。貧富の差の距離を毎日行ったり来たりして我々は過ごした。

9月16日からの今年のキャンプもついに終了した。ただ終わったのは、診療行為だけであり、これからの陽性者のチェックやフォローアップ、薬剤の在庫管理などまだまだ残っていることがたくさんある。たった、一週間程度の外来診療である。終わってはいさよならでは、自己満足に過ぎない。
久しぶりの一人の時間を利用して、今年のキャンプを振り返ってみたいと思う。
1.医療専門職集団
今年も医療専門集団という最強のメンバーが集結した。医師では、派遣拠点が明確となりつつある。釧路労災病院、都立小児総合医療センター、神戸大学感染症科。今年もこの三施設から医師派遣が継続された。この強みは大きい。最近のケニア医療事情を考えると、現地で活動する医師登録がかなり厳格化されてきている。ゆえに、医師派遣元が固定されているということは、毎年の準備を早くからしやすいことに繋がる。と同時に、それぞれの施設で経験を仲間同士で共有出来、次の派遣医師への情報伝達がスムーズに行きやすい。どの三施設も毎年ケニアキャンプの報告会を開催しているのはその証左だ。
そして薬剤師。昨年の処方枚数の多さを考慮すると薬剤師一人では限界だと昨年の総括の中で報告したが、今年は二人体制になった。これでかなり激務が緩和すると思われたが、レジスターベースでの一般外来受診患者数は2724人と昨年を700人近く上回ったことで、薬剤業務の忙しさは変わらないように見えた。しかし、青山さん主導で看護師を交えてかなりシステミックに処方され、さしたる混乱にはならなかったように思う。毎年毎年多くの工夫が加えられ、処方がスムーズになるのは目をみはるばかりだ。ここにも素晴らしい専門集団がいる。
 看護師は今年4人参加した。川嶋君一人が初参加となったが、柳瀬、宮本、坂本さんは複数経験者。それぞれの個性と専門的技量で、あらゆる分野で野戦病院を支えた。
鍼灸師も毎年あんずの種から派遣され情報共有されてくるので、初参加であっても、診療体制は変わらないし、歯科衛生士は歯科医とのペアリングは必須だ。
昨夜の最終ミーティングで、多くの医療者が来年参加の意向を示してくれたのはとても頼もしい限りだ。来年のメンバーの青写真はほぼ固まっているといっても過言ではない。
2.行政との確執
 キャンプの準備のために、稲田先生が疲弊する姿を見てきた。彼や現地スタッフのアリやワンボゴだけではなく、ロジスティシャンの存在が必要だと指摘してきたところだが、今年は、それをサポートするべく、宮本さんと坂本さんが一週間先乗りしてくれた。ただ今回はいつもとちょっと事情が違った。行政のクリニック開設許可騒動である。どこの途上国での医療支援でも見られる光景がある。表面上は有効的で歓迎ムードであっても、どこか余計なお世話をするな的は冷えたまなざしが行政にはある。ケニアもその例外ではない。確かに、現地の医療体制は少しずつ改善されてきていると行政は考えているのかもしれない。住民の医療へのアクセスは私が初めてケニアを訪れた15年以上前よりは格段にハードルが低くなってきているとは思う。しかし、私たちが18年間定点で(プムワニで)継続してきた医療に対して、もう少し理解と協力が必要なのではないかと思う。なんだかんだとクリニック開設許可を先延ばしにし、結局200ドルの賄賂で決着せざるを得ないという事情を見過ごすわけにはいかない。この許可の遅れがすべてのロジスティックに影響した。せっかく二人の有能なロジスティシャンを先乗りさせていたのに、十分機能できなかったのは行政の怠慢としか言いようがない。加えて金曜日には、行政側から行政主催の研修会を開催するので、我々がキャンプで使用しているソシアルホールを引き渡せとの通達があった。こちらが先に使用届を出し、許可をもらっているのに横柄な暴挙だ。幸いすでに機能している我々のキャンプを止められないと悟ったのだろう、通達は実現することはなかった。
こんな確執が最近とみに多いような気がする。行政としては着実に実績を上げている我々の医療行為が目の上のたんこぶにしか見えないのだろうか。トップが代わるたびに出直しさせられることも相当のストレスだ。
そして、今年の医師たちのストライキ。もう3か月にもなるストは、公的病院の機能不全を引き起こし、受診難民たちが我々のキャンプにも大勢訪れていた。行政の対応の幼稚さずさんさが見て取れる。住民は大統領の交代しかないとかすかな期待をかける毎日。そんな政府だ。
しかし、だからといってもうやめた!というわけにはいかない。意地でもこのキャンプは途切れさせてはいけない。現地の住民がもう大丈夫ですと言うまでは。
3. 現地のニーズと診療の限界
 開設当初の患者は、明日までは確実に生きられるように処置、処方をする刹那的な医療介入であったのは否定し得ない。生きるのも過酷な本当にひどい貧困のなかに彼らは居たのだ。しかしケニアにおいてもHIVは薬剤の普及により死なない感染症になりつつあり、長生きが保証されるようになってくると、結局、糖尿病だの高血圧だのというメタボが蔓延してくる。そして、癌。メタボは生活習慣に負うところが多いのは確実で、特にふくよかな女性が多い現地では、喫緊の問題となりつつある。今年から血糖測定を導入したが、高血糖は予想以上に多い。しかし、たった一週間の外来のなかで、処方はできない。まさに「ケニアのスラムで高血圧は治さない;岩田健太郎先生著」。しかしながら本人と日々の生活のなかでどうすればいいのか、栄養指導を含めて指導することは可能だ。それが最も大切なことだろう。
残念ながら癌はそうはいかない。一昨年からポータブルエコーを持参した。多くの症状のなかで、エコーを駆使して診断に役立てるのは、医療者側としても患者側としてもストレスがなくいいことだと思っていた。医療者側からすればそれは間違いない。しかし、最近思うことがある。診断を明確にすることが、本人にとっていいことなのかと。HIVの治療薬はタダだが、その他の病気の治療には実費がかかる。特に癌やリンパ腫などでの化学療法は医療保険制度の整っていないケニアでは個人負担はかなりの額に及ぶ。エコー検査は確かに有効だ。しかし、治療できないのであればなにも知らないほうが、短い時間でも幸せに生きられることだってあるのではないか。今年のHIV合併リンパ腫のケースを通してそう思った。我々がどこまで診断すればいいのか。そのためにどこまで現代医療で介入すればいいのか。あるいはするべきではないのか。しばらくは禅問答が続きそうだ。
4.これからのあるべき姿
 医療集団はある程度確立したとはいえ、どんどん拡大していくには限界があるし、現地のニーズ、そして行政のニーズとも連携しながら今後のキャンプを考えていかなくてはいけない。当初のキャンプの目的は、無料でHIV検査をして陽性者を拾い上げることが大きな目的であった。当初はHIV陽性率が25%を超えるようなところであり、医療に接する機会のなかった貧困層の住民を一般診療で招き入れHIVスクリーニングをしていった。しかし最近では、ケニア国民のほとんどがHIV検査を経験するようになり、リピーターも増えた。今回のキャンプでのHIV陽性率は公式発表ではないがおよそ5%程度。このキャンプのHIV拾い上げの任務は第一義的ではなくなったと言える。加えて稲田先生が7年前より現地入りして、現地スタッフとともに200人以上の陽性者の継続的フォローアップが可能となった。昨年から始めたコトレンゴの子供たち80人のフォローも軌道に乗り、ますます現地での継続した陽性者の医学的フォローアップと医療機関へのコンサルテーションが活動の主体になっている。
では、これからのわずか一週間程度の医療キャンプがどのような意味を成すのか。
一つは、継続することによる現地の住民と信頼とそれにリンクして稲田先生の医療活動の担保である。我々日本の医療専門集団が年に一回であれ、定期的に訪れることで稲田先生の医療活動に広がりと信頼が付与されるのであれば、意義は大きい。
二つは、若手医療者たちの国際貢献の場の提供と教育。
今、考えられる医療キャンプの現実的意義はこの二つだと思う。しかし、キャンプ形態はニーズに合わせて変わってもいいと思う。
もちろんNPOイルファーの資金事情にもよるが、キャンプの規模を縮小して、陽性者のエコー検査外来や歯科外来、鍼灸外来、そしてコトレンゴのメディカルチェックを中心に据えるのも一つだ。
現在の形態をしばらくは継続しながら、行政の行動を伺いながら、そしてNPOの予算を確認しながら先を見据えたキャンプを考えてかなくてはいけない。継続することは素晴らしいが、進化があってこそ認められる。惰性ではだめなのだ。

また、考えることが増えてきた。とにかく今年の診療は終わった。日本に帰って日常の業務に忙殺されながらでも、今後のありかたをゆっくり考えていきたいと思う。
しかしながらこれは本当だ。多くのスタッフが少々体調を崩したが、最高のパフォーマンスを出せたキャンプだったことは誇りに思う。そして、参加者みんなに感謝したい。
日本の同僚、サポーター、そして家族にも。
ありがとう。
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2017年09月25日

マサイマーケット、そしてモヨへ(9月24日)

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炎天下のなかでのゲームショッピングはきつい。
ナイロビ市街のまんなかの広場で開催される青空市場。
私にはイルファー釧路のイベントバザーのために品物の調達が課せられている。実はプムワニの診療よりも体力と忍耐を必要とするのだ。
値段交渉には体力を要するが、結局自分が欲しい値段で折り合いをつける。まあウインウインになるところを見極めるしかない。というか、昔のような値引きして勝った気分は若気の至りと悟ったということだ。
それにしても、今回はスーパーマーケットの品薄がきつい。何件かハシゴしてやっと十数個のコーヒーをゲットした。結局中流以下の住民は品不足に難渋し、それ以上の人々は潤沢な品物を得ることが出来る構図が明確になっているだけだ。これからの大統領再選挙といいこの国の先行き不安が、マーケットの品薄になっていると思わざるを得ない。
とりあえず、任務を終え、ほっとしながらモヨのあるティカに向かった。束の間のドライブと思いきや、いきなり車中爆睡していた。

モヨホームでは、およそ20人の子供たちとスタッフが熱烈歓迎してくれた。まずは庭案内された。庭にある野菜畑は子供たちがそれぞれ区割りして育てているのだそうだ。ここがジョセフの畑、ここがアレックスの畑というように。各人の個人的裁量がものをいう仕組みだ。庭の奥に昨年にはなかった池があった。子供たちが穴を掘って魚を放し育てているのだという。ナマズもいるらしい。毎週ちゃんと水をとりかえたり、餌やりをするのは子供たちの仕事だ。大きくなったら食べるんだと。鶏小屋やウサギ小屋もあった。ウサギの繁殖はとても早く、子供たちがさばいて食用にしているのだという。
こうやって生きる仕組みと技術が植え付けられている。脆弱な子供たちをシェルターとしてかくまっているだけではないのだ。
子供たちとは、約一時間自己紹介をしあったり、贈り物のおもちゃで遊んだり。音楽に合わせて踊ったり(ディスコというのか?)、汗だくになり楽しい時間を過ごした。
現在、モヨでは農園作りが着々と進んでおり、農業を通じて子供たちの社会復帰の実現を目指す。来年は是非その農園を訪れてみたいと思った。
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終わった。
今年のケニアはこれですべて任務終了。
これから、アパートの一室で料理持ち寄り(と言っても女性チームの料理に頼りっきりというのが正解だ)の最後の晩餐。松下さんもマジュマも参加して盛大なものになるだろう。
明日の夜はケニアを離れるのだ。



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2017年09月24日

最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)

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昨日は外来中、いつもと違う腰痛(シャープな痛みではなくて、なんとなくおもだるい感じ)に見舞われ、診療が終わるまで辛かった。診療後大道寺さんに鍼を打ってもらい少しは改善したのだが、今度は夕食後に発熱。なるほど、あの腰の症状は、風邪の一部だったんだ。同時に下痢も出現。これは飲みすぎかもしれない(笑)。だたし、このキャンプ、何人のスタッフも下痢や体調不良を五月雨式に起こしている。全員が一気になるのではなくて、今日は誰、明日は誰。幸い一日程度で回復し復帰してくるが、ケータリングの昼食などが問題なのだろうが、それ以外でも常に気を抜いてはいけない。昨日も現地スタッフが鉄補給のための石(本当にその辺にころがっているような石なのだ)を持参して、食べてみろと勧められたら食べないわけにはいかない。かみ砕くとざらざらした砂のようになり、決しておいしいとは思えないのに、これがやめられないのだとはどういう味覚をしているのだろうと思ってしまう。その石だって決して衛生管理をされているとは思えないので恐る恐る口に入れた。加えて、押し寄せる患者の多くは風症状を持ってくる。マスクをしているとはいえ、免疫のない日本人には試練だ。
それでも真夜中にペインキラーと抗生剤と眠剤を速攻で飲んで(日本ではこんな服薬は決してしない)、熟睡した結果、なんとか復活した気分。今日も予定通り任務を全うできそうだ。
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歯科の二人と小児科の三人そして看護師の二人は朝からコトレンゴへ行き、子供たちのメディカルチェックを行う。残り組はプムワニで午前中診療をする。
来てみたら、半日で閉めるはずなのに長蛇の列。コトレンゴに向かうはずだった小児科医も急遽加わって朝の波を処理してから出発となった。

ロキソニンなくなりました〜。パラセタモールも終了で〜す。目薬なくなりました〜。次々と薬剤師の青山さんの悲痛な声が響く。いつもは金曜日で終わるクリニックが土曜日の午前にまで延長し、さらに予想を上回る受診者で薬の在庫処分もいよいよ底をついた格好だ。
最後に薬局の棚卸をして、午後にコトレンゴで合流。

HIV陽性の孤児たちが暮らす孤児院は遠い昔イタリアの聖職者コトレンゴによりはじめられた団体が管理運営している。昨年初めて訪問してから、稲田先生とマジュマが子供たちのカルテをエクセルに整理し、定期的にサポートするようになった場所だ。初めて医療キャンプに参加した仲間たちにもここの存在を知ってもらい、余裕があれば、子供たちとスキンタッチ交流をしてほしい。そんな意図で全員が集合するようにしたのだ。
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ついてみると先発隊は昼食もとらずに子供たちの健康状況、栄養状況、口腔状況、そしてCD4などのデータのチェックをしていた。その傍らで、我々は診療の終わった子供たちと折り紙を折ったり、小児の体重測定を手伝ったり、小児科、歯科には申し訳ないがのんびりと過ごさせてもらった。しかしナイロビ郊外にあるコトレンゴセンターの立地条件は素晴らしい。空気もおいしいし優しい。プムワニとはえらい違いだ。外に出て思いっきり深呼吸をした。
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とにかく、これで医療キャンプは終了した。小さくはない疲弊感と脱力感が残るが、達成感もそれに等しい。これがまた来年へのモチベーションになるのだろうか。そんなことを考えていた。
夜はエチオピア料理だ。復活したおなかを満たすのはどの肉料理だろう。


ilfar946 at 00:06|Permalink