母親は、人を比較し、優越をつけ、差別するクセのある人だ。

いつだったか、まだ私が独身で実家に住んでいた頃。
家に母親の実弟(私から見た叔父さん)が遊びに来ていた時のことだ。
叔父さんには、数歳年の離れた姉弟の子供が二人いる(私から見たいとこたち)。
仮に姉の名前を〇子、弟の名前を〇男としよう。
その叔父に、母親が、
「あんた、もし〇子と〇男が同時に海でおぼれたら、どっちを助ける?」
と、聞いたのだ。
叔父は意外にも「〇子」と答えた
そのあとの母親の反応ははっきり覚えていないが、このやり取りをそばで聞いていた私は、叔父が娘の方を選んだことに驚いた。
宝物である男の子ではなくて、娘の方を選ぶなんて!
びっくりした。
こういう時の私の驚きというのは、たとえば今までトマトは赤だと思っていたのが、急に青と言われたような、
当たり前のことを否定されたという驚きだ。
そして、驚きと同時に妙なざわざわした違和感も感じた。

それにしても、一体あの母親という人は、どうしてこんな答えに困るようなことをわざわざ聞いたりするのだろう
子供のうちのどっちを助けるか、なんて話をするのは、冗談でも、人間の品がないと私は思う。
あの質問に対して、母親はどんな答えを期待していたのか。
それは私が一番よく知っている
あの時私が感じたザワザワ感はこれが理由だ
母親の期待していた答えと、叔父の答えが違った
その時に母親がとっさに感じたであろう違和感を、その母親の歪んだ価値観をたっぷり浴びた私も同じように感じたのだろう

あの女の中には、間違いなく「歪み」がある。
自身も農家の長女として生まれ、「女か」とがっかりされ、すぐ後に生まれた弟は周囲に歓迎された、という生い立ちを何度も私に語っていた。
生まれたことを、その性のために喜んではもらえない女の子。
対照的に、喜びをもって迎えられる男の子
そのどうしようもない歪みを内部に抱えた母親は、その歪みを娘に正確に引き継いだ。
私は娘をもたなくてよかった
幼い頃から自分の意志とは無関係に植え付けられてしまった価値観。
それを自分の内部から引っぺがすのは、努力だけでは限界がある

しかし、母親はどんな目的であの質問をしたのだろう。
娘と息子。極限の状態の時に親はどちらを助けるか。
ソフィーの選択ではないが、一体どんな答えが母親にとっての正解だったのだろうか
「そりゃあ、息子に決まってるよ」
「女なんかより、男の子の方を助けるに決まってるじゃないか」
そんな答えを仮に叔父がしたとして
「ほらやっぱりね。そうでしょう。私の価値観は間違っていない」
そういうふうに満足したのだろうか