2007年09月

2007年09月25日

『仏教』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


インドに行った目的は

「悟りを開く」

ことでした。実は。(キモチワルイトカイワレソウ・・・)


今の自分の器のレベルに限界を感じ、次のステージに足を踏み入れるのにはどうしたらいいか?それを考えていたときに、たまたまいろんな偶然が重なってインド行き決定。


で、インド行く前日に仏教の本を買って勉強してたら、仏陀の教えの根源=人間存在の原理は大きく3つ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1、<諸行無常>
⇒全てのものは変化し続けており、永遠に普遍なものはない
2、<諸法無我>
⇒全てのものは「原因」と「結果」によって生じたものであるため、実態はない。独立して存在できるものはないので「自我」も「執着」もない。
3、<涅槃寂静>
⇒この二つの真理を用いて世を見渡せば、あらゆる煩悩を滅し、苦の存在しない悟りの境地=涅槃 が訪れる
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


・・・あれ、1と2って 既に自分の中に実感ある。。誇大妄想でなければ。。

よくよく本を読むと、実は「悟り」の境地は仏陀のみが行き着いたものではなく、最高の悟り 阿羅漢 に達したものは仏陀の弟子でも500人以上だということで 実は身近・・・まではないにしても 悟りの道は以外にも人々に開かれていると知る。

でも3番は 難しいなぁ。精神は比較的落ち着いてるけど、煩悩ありまくりだし、なにより自分だけ苦しみのない世界に行ってもな。
ここのジレンマが、大乗仏教と小乗仏教の分かれ道だったんでしょうか?
僕は まだ良いや 向こう側の船には乗らない。

それは超小型の救命ボート 


で、とりあえず悟りは保留。
目的にしてたブッダガヤも旅の時間の都合上、中途半端にすっ飛ばしてバラナシ(ガンジス川のあるインドの聖地・聖なる死の町)に直行。


でも仏教のことをきちんと勉強するきっかけになっただけでもインドの価値はあったのかも。

以下、自分の中で印象に残ったこと。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
★仏教には実は神様がいない。仏陀は神格化されたが、実は人間として悟りを開き 最後まで人間として教えを広め、80歳で死んだ=入滅したれっきとした人間。

★仏陀は解脱を説くことから、生まれ変わりの思想の持ち主かと思いきや、それは古代ヒンドゥーの時代からあったもの。実は彼は、弟子に宇宙のことや死後の世界の存在についての質問を受けた時、
「明日のことや未来のことなど分からないことを考えてもしょうがない。現世で正しい生を行い、解脱することが重要だ」
と答えたとのこと。

★キリスト教は最後の審判の時にイエスを信じていたものが救われ、信じないものは救わないが、仏教では教えに反するものも迷いの表れ からの行為であると見守り、裁かなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


正直、インドに行ったことでカルチャーショックや、価値観が変わったこと、自分の中の何か大きな変化や 成長などは残念ながらあまりありません。あったとしても、この日本にいた場合とどれほど違ったかは不明なところです。

それでも 無理矢理何かを学んだ気になって正当化せず、自分と向き合って生きたいと想います。
(これこそが自己正当化なのか・・・?w)



ちなみに僕のもっとも尊敬する宗教家の一人、クリシュナムルティは、ある教団の幹部から見出され(ダライ・ラマみたいな感じですね)英才教育を受けた結果、指導者として崇め奉られましたが、そんな状態に嫌気が差し、3,000人あまりの団員がいた自らの教団を解散したという素晴らしき変人です。その後フリーの宗教家・哲学者・教育者として世界を講演。


いまじんがフリーでやっていくことに寂しさと疲れを感じた時、
彼の言葉を思い出したいものです。

「真理は権威を持つものではなく、まして集団に属するものではありえない」

「宗教や組織によって真理に到達することは不可能である。自分は追随者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である」

imagine001 at 01:17コメント(2) 

2007年09月21日

インドからタイ経由帰国しました。

なんか色々考えたけど適当な順番で書いてきます。第二回くらいでヘタレるかも…


タイの空港出発ロビーでオリエンタル美人見つけました。

多分日本人なんだけど、やや色黒で細くて、普通にセレブな女子大生みたいなワンピース着てるのに何故かタイ空港で一人。しかもすっごい無表情。


気になってしょうがないのですっごいチラ見してたら目があった。向こうもまっすぐ見返してくる…3秒ほどで頭がショート。恥ずか死

結局入管チェックとか荷物受け取り場所もたまたますぐ近くにいたのに話しかけきれず……。海外で旅しても、ヘタレは治らないようです。。
ナンパ?して恥じかくくらい、なんてことないはずなのにね。Joy-Box.3のモデル頼みたかったな


インド人は、幼い子は美人なのにある程度の年齢になると消えます。
タイ人はみんなスタイルがすっごい良くて大学生になると普通にキレイ(ちなみに女子大生に制服があって、白ブラウスにタイトスカート。もへ)

多分インドは宗教的な貞操観念の為に若いうちセックスもしくは恋愛ができないから、女性ホルモンの分泌が少ないんだと想いまふ。


タイで飛行機乗る前に有名な夜遊びストリート『パッポン』を散策見学。ジャパニーズはめちゃくちゃ声かけられる。もともとはヴェトナム戦争時に米兵の息抜きとして作られたとか

女性至上主義な僕は、売買春とか女子割礼とか絶対許せないんですけど、タイには日本人向けの売春ツアーすらあるとか。



帰りのタクシーで運転手のおっちゃんに「パッポンに行くような日本人は好きか?」と聞くとたどたどしい英語で答えてくれました。「嫌いだね、あいつらは金もって、カラオケして、酒飲んで、女の子としゃべって、そしてホテルにつれて帰るんだ!」というようなことを言ってました。

美しい国日本 
金に物言わせて 女はブランド買い物 おっさんは買春 若者はタビビト気取り。日本は好きだけど 日本人として恥ずかしく想いました。

大学生がボランティアで出会った途上国の少女の笑顔は瞳は輝いていた。
その彼女が大きくなり売り飛ばされ日本人に処女を奪われ金の慰みものになる。

それが現実
(あるアーティストのパクり)


結局空港で降りるときに約束の値段より少しだけ多く払って、日本人として謝って、そんで「少しだけ 日本人を変えてみせます」おっさんと約束。



そういや エイズウイルスをアフリカ・南米にばら撒いた<彼ら>は、そこに「エイズは処女とセックスしたら治る」というようなデマを広めて、現地では幼い少女がHIV感染者にレイプされる事件が後を絶たないとか。狙いはまんまと感染拡大。

そういや 昨日興味本位でレイプAV借りてみたら マジ吐きそうだった。あんなの見て興奮するやつの気がしれん・・・・。



女性を尊重出来ないオトコなんて みんな死ねば良い。

そう考える僕は 絶対デスノートを拾ったら 使っちゃう側の人間だと想います。


…インドあんま関係ねえ…


imagine001 at 20:37コメント(0) 
教育問題・平和問題・環境問題・・・

そういうことに意識を向けて生活してると、よく「視野が広いね」とか、「俺は自分自身のことで精一杯だよ」とか言われる。

それは、たまに微妙に距離感を感じさせる言葉でもある。


いつも違和感を感じるのは 僕は別に世界平和の為に生きているわけじゃないし、地球の裏側の会った事もない人の為に尽くすような人間じゃない。

ただ、繋がっているだけなんだ。
世界の裏側と 自分の生活が。
正確には 繋がっていることに気づいてしまっただけなんだ。

もし世界のことに対して 目と耳を塞いで、口をつぐんだ人間になったとして、それでもし自分と家族だけは平和に暮らしていけるならきっとそうするだろう。

けど、そうじゃない、


就職活動中の学生に言いたい、この先の日本と世界に、安定した職業 なんてない。1部の超エリートを除いて。

世界を旅する学生に言いたい、世界をその足で回って見て、それで本当の世界が見えてくるわけでない。

目には見えないものの方が圧倒的に多いし、何より、実際に世界を見て国際交流しなければ理解しあえないのであれば、この先の未来、絶対に世界平和などあり得ないから。(それだと、世界中の人が世界1周しなければならなくなる)


実際に触れ 体験することは確かに重要だ

きっかけはそれでいい
けれど それは僕たち日本人が いかに想像力を失ってしまったかの証明でもある。


殴られたことがなければ、
人を殴ってしまうのか?
戦争に参加した者でなければ、
戦争の恐ろしさに気づけないのか?
レイプされたものでなければ
被害者の女性の気持ちはわからないか?


それではあまりに 愚か過ぎる


僕たちは想像力を持っていた はずだ

だから 人間なのだ


もっと マシな未来を創造できるはず
できなければ ならない

imagine001 at 01:27コメント(0) 

2007年09月06日

自分の教育理念をあげるとするなら、それは
<re−constraction>=解体・再構築
という一単語に集約される。


その方法については、以前書いた通り、
<空間=雰囲気 による教育(伝達)>


つまり、Joy−Boxやイベント等で
その人の周りに形成される空間が、非常に消極的に
(現在の価値観に疑問を抱かせる・
新しい価値観に触れるきっかけを創る 程度)
働きかけ、それによって教え込むのではなく、
本人自ら自分を解体し−再構築する というステップを狙っている


それはもちろん他者に対してもそうだけれど、
自分にとっても 自分にとってこそ 必要なプロセスになっている。

僕はもともと器が小さい人間で
コミュニケーション力が低い人間で
頭の回転が遅く 要領が悪い
だから何かをしようとすると 常に自分にオーバーペースを課し
暴走し、壊し、拾い集めてつなぎ合わせ、器を拡張してきた。

それはまるで 筋トレによる筋肉の消耗と 超回復のように
瀕死の状態で仙豆を食べたサイヤ人のように(そうか?)


けれど年寄りが頭が堅くなるのは当然のことで、
時が経つにつれて自己の解体が難しくなってくる。
揺らぐことを常に意識していても 
これまでの体験が自分を正当化する


8月末にあった野外フェス「Seaweed fes.2007 in 百道」は
その規模のでかさに対して、中身がついていかず
久々に組織に属し人のイベントを手伝ったけれど
自分の限界を見て、パンク かなりの打撃をうけヒビが入った。

8月中旬〜下旬にJoy−Boxで開催してたイベント
opracafe写真展「ただ、きみをあいしてる」では
オーナーに同名の映画のDVDを借りて、観て、
流れ込む登場人物の感情に押し流され 崩壊。
ついでに宮崎あおい=里中静流 のかわいさがトラウマになる

9月1日にあったMy Wonder World のCD「アイ」
完成記念イベント主催ライブで急激な変化を遂げた親友を見て
悔しさと同時に 足りなさを認め 成長を決意。 破片を拾い出す。


これまで誤魔化してきた自分
あいまいに逃げてたもの
怖くて踏み込めなかった領域

そして人と誠実に向き合うこと


もう迷わない なんて 言わない けれど
感傷的になるのはみっともないけど 俗な自分も認めるしかない


9月の半ばから行くインド。
そこで最終的に自己を組み立てなおし、次の次元まで昇華する
(実際は多分ずっと腹壊して下痢だけど。。。)


10月の食育イベント、市役所前ブース出店は、
「リンク!スマトラ チャリティコンサート」 以来 
自己 過去最高質・最大規模のものにします。


imagine001 at 13:10コメント(2) 
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