
タイトルでおわかりのように、超がつくくらい有名な浮世絵「東海道五拾三次」を全点展示した企画だ。しかも、1832年、最初に出た保永堂版と、その15年後に描かれた丸清版が、それぞれ並べて展示されている。同じ場所を描いても、構図や色合いが全く違うのは素人の僕でもわかる。
その上、それえぞれの場所で、大正年間と現代に撮影された写真も隣りに慶事されていて、見比べてみることができる。これは、美術ファンならずとも、旅行好きの人にとっても、必見の特別展だろうと思う。
思えば、江戸時代の庶民も、こうした浮世絵を見て、行ったことのない遠い旅の先に、思いを馳せていたのだろう。浮世絵は、今でいう絵葉書きや「るるぶ」の役割を果たしていたのかもしれない。
と書いたものの、最近”絵葉書”なるものを、滅多に見なくなった気がする。いつでも何処でも簡単に写メを送れる時代になったからだろうか。
閑話休題。解説してくれたのは、今年から赴任してきた学芸員のOさん。なんと僕の親友のお嬢さんだ。だからといって褒めるわけではないが、とてもわかりやすく面白い話をきかせていただいた。
例えば”歌川広重”という名前。”安藤広重”という浮世絵師の名も目にしたことがある。勿論同一人物だ。
ただ”安藤”は武家の苗字で本名。もともとは火消しの家柄だったのだが、絵の世界に入る際に”歌川”にしたのだそうだ。まぁ、早い話が、落語家になって”林家”や”柳家”を名乗るようなものなのかと、勝手に解釈をした。
もう一つ、さっきも書いたように、今回の展示は1832年の保永堂版と、その15年後に描かれた丸清版が並んで展示されていた。そこで素朴な疑問を抱いた。広重は15年間に2度も東海道を往復したのだろうか? だとすればもの凄い健脚だなぁと。
答えは、いとも意外なものだった。広重は一度も東海道を踏破していないのだそうだ。その以前にも東海道を描いた絵や図はたくさんあり、それを見て作製したという話だった。
その話を聞いて、益々僕は驚嘆した。見ていない物を本物らしく表現する。それこそがプロの才能だと感じたからだ。
中学校時代、授業中に、書いていない作文を朗読した強者がいた。いわゆる”弁慶の勧進帳”だ。50年以上経った今、巷では僕だということになっているらしいがそれは違う。そんな芸当をやったのは、今日の解説員のお父さんだったと、僕は朧気ながら記憶している。違ってたらごめん。(7327)
まさに、見ていないものを本物らしく表現する、プロの技術です。
一方、私の楽器を製作したイギリスのフォルテピアノ製作家David Winstonさんは、1823年にウィーンで作られた楽器を解体修理し、その時に時期を見ながら自ら設計図を作成、そして製作し、オリジナルと全く変わらない品質の楽器を一年かけて作り上げました。
彼の第一号であるその作品は、その後に作った同じタイプの楽器を含めても最高の出来だそうで、それを現在、ここ100年で最高のピアニストであるロシアの演奏家から譲り受けた私が使っています。
一見、2人の楽器製作へのアプローチは随分違うようです。しかし、これには現実的な問題が多いような気がします。
つまり、イギリスでエリザベス女王の楽器の調律や修復を行うWinstonさんは、200年前や300年前の楽器を扱う仕事が日常的に入り、それを自分でチェックして図面を作成することができます。彼はハンガリーにあるベートーヴェン本人が使ったピアノも修理しています。
一方弘前出身の方は、遠く離れた日本に住んでいるので、なかなかそういったお仕事は入って来ません。結果、直接見てはいないものも、広重がそうだったように、別の情報源を通して再現するわけです。
江戸時代にもし鉄道があれば、広重もまた、各地の景色を写生しに行ったのかもしれない、みたいなことを考えました。
この展覧会、私も見に行きたいです。でも、それこそちょっと遠いので、図録を誰かに買ってもらって我慢することになりそうな可能性が高いですが。。。