僕の好きなミステリーの一つに、G.Kチェスタトンの「見えない人」という作品がある。「ブラウン神父の童心」の中に、収録されている。
 人間の心理の隙間をついたトリックで、一般的にも高い評価を得ている。あまり詳しく書くとネタばれになってしまうが、要は、視角には入っていても、「見える」「見えた」と認識されない人(物)があるということだ。
 今日、友人から、「今泉さんの家にティーカップソーサーはないか?」と尋ねられた。茶話会を行いたいとのことだ。
 しかし、正直なところ、ティーカップソーサーなどと言われても、一瞬、何のことかわからなかった。話を聞いて、セットになった紅茶用のカップと皿のことだとわかった。お恥ずかしい。
 が、僕は、自分の家の中で見たことがない。第一、自宅で紅茶を嗜むなんてことは無い。と断言できる。コーヒーも焙じ茶も滅多に飲むことはない。飲むにしても、何でもかんでも、一つのカップで済ませている。かつて馴染みにしていた寿司屋から貰ったものだ。
 それでも一応探してみると言って帰ってきた。そしたらあるわあるわ。毎日食事を摂っている居間の食器棚にも、応接間のサイドボードにも、2階の自分の部屋にも・・・。どれも普段目にしている場所に何種類も置いてあった。
 つまり、ティーカップソーサーが、僕にとっては”見えない物”だった。関心のない物、縁のない物は視角には入っても視覚されないということなんだろう。
 そう言えば、参議院議員選挙が公示された。にも拘らず、今日は、ポスター掲示板を一つも見なかった。
 家に閉じこもっていたわけではない。それなりに、中心街や車通りの多い道路を走っていたのにだ。
 ひょっとしたら、前を通り過ぎていたのかもしれない。でも、「見た」とか「あった」とかいう感覚はない。
 それだけ、今回の選挙に、僕が無関心ということか? いや、そんなことはない。
 一応、政治の世界の端っこに身を置く立場だ。無関心だなんてことを言ってたら、それこそ僕が、皆さんから”見えない人”になってしまいかねない。くわばら、くわばら。(6956)