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      弘前市議会議員有志と、学生さんたちの意見交換会を行った。三年越しに実現した催しだった。議員8人、学生20数人、大学先生方3人と、総勢30人強があつまり、6つのテーブルに分かれて、和やかにお互いの考えを話しうことができた。
      三年半前にTa議員と会派を組んだ時から、やりたい、やろうと話し合っていた。そのつもりで、知り合いの大学関係者にも、協力を要請した。
      ところが、くだんのコロナ禍に巻き込まれてしまった。2年間、もどかしい思いで過ごしてきた。
      そうこうしているうちに、僕らの任期も、あと半年を切った。悔いを残さないためにも、なんとしてでも行いたい。そんな思いで、議長とも相談をしながら、9月から準備をスタートさせた。
      本来であれば、議会の公式行事として、大多数の議員が出席しての、こうした市民との意見交換会を開きたいと、常々考えている。でも、議会という組織でとなると、意思決定までに時間がかかる。場合によってはできないことだって考えられる。そこで今日は、日頃から活動を共にすることの多い、若手議員が中心となって有志の会を結成し実施した。お陰で僕は、議長に次ぐ年長者となった。
     考えてみれば、学生さんたちは20歳前後である。成人式のあと、誰とどこに飲みにいこうかなんてことを楽しみにしている人もいるくらいだ。下手をすれば、孫と言ってもいいくらいの若者たちばかりだ。
     それを如実に感じたのは、最初に名札を作った時だ。フルネームではなく、あだ名(愛称)を書けと、コーディネーターの先生から指示があった。僕は「ジュリー」と書こうとして、"ジ"までペンを進めた。そこでふと気になって、周りの学生さんたちに「君たち、ジュリーって知ってる?」と聞いてみた。そしたら誰も知らないという。僕は泣く泣く"ジ"の濁点を黒く塗りつぶし、「ショウチャン」と書いた。その時点でひとり浮いてしまったような気がする。
      対話のテーマはー「10年後の弘前」である。10年後の弘前がどういう街であって欲しいか、そのために自分たちに何ができるかといった内容で話し合った。
       多くの人に共通していたのは、弘前という街、具体的には、りんごや岩木山や街並みや文化には誇りを感じているということだ。反面、それらが全国にあまり知られていない。発信不足だということを残念に思っている人も多かった。
       何よりも、若い年代の人が流出していっている現状に対する危機感は、僕の参加した2つのテーブルではほぼ全員が持っていた。働く場所が無い。遊ぶ場所が無い。買い物する場所が無い・・・。10年後、今日参加してくれたみたいな若者たちで溢れかえるような街をつくるためにも、 そのような声に僕ら議員は耳を傾けなければならない。今日のような 会合を、1回きりにせず、これからも続けよう。
     と決意を強くして、夕方の列車で上京するために、ジュリーは、最後の講評を聞かずに会場を後にした。終了後の学生さんたちとの打ち上げにもでたかったんだけどなぁ。一人寂しくホテルの1室で飲むビールは苦い。(5611)