大学時代の友人K君が亡くなったのは、2019年の暮れも押し迫った頃だった。在京の仲間達はすぐに墓参りに行ったらしい。僕も、そのうちにと考えていた。
 ところが、その翌月からのコロナ騒動である。今から思えば、社会全体が異様なまでに 反応し、県を跨いだ移動の自粛が呼び掛けられた。ずーっと心に引っかかっていた。
 それが漸く実現した。ことの始まりは、9月に弘前に遊びにきたサークル仲間の一人との居酒屋談義だ。出てくる話題が、健康に関することばかりだ。自分たちの病気だけならいざしらず、誰が入院している。あいつはどこが悪い、彼も検査で何かがみつかった・・・。もうそういう歳なのである。
 そんな話をしているうちに、何か”きっかけ”を作ってでも、会える時に皆であった方がいいねとなった。そこで出てきた”きっかけ”というのがが、K君の墓参りだったのだ。
 西日暮里駅前に集合した。同期の友人7人と、K君の奥様の計8人で、駅から徒歩5分ほどの寺を訪ねた。それぞれ線香を手向けたあと、墓前でワインで献盃。それが終わったあとは、上野に場所を移してまた献盃。
 酒を飲んで楽しく語らうのが、何よりの供養になる、と故人が言っていたかどうかはわからない。でも、奥様が持って来た彼の遺影も、心なしか喜んでいるように見えた。
 さて、今日のタイトルである。正直言って、びっくりした。お寺の狭い境内に、それこそ隣との隙間がないくらいにビッシリと墓石が立ち並んでいるのである。お盆やお彼岸の時などは、通勤電車なみに混雑するのではないかと思うくらいだ。
 しかし、冷静に考えれば、畳2枚ほどのその墓地だって、弘前だったら、ちょっとした宅地を買えるくらいの地価なのかもしれない。そう思えば、都心にお墓があること自体、恵まれていると言えるのだろう。
 かと思えば、数年前訪れた、叔父の墓がある富士山麓の霊園などは、広々として眺めもいい。反面、墓参りは一日仕事になる。新宿から電車に揺られ、途中からバスに乗り換え2~3時間。朝ホテルを出発して帰ってきたら、もう夕方になっていた。
 その点、弘前は便利だ。行こうと思えばいつでもお墓に行ける。お盆などでも、寺院街の車道は渋滞するが、墓地の中は、満員電車ほどに混み合うわけでもない。
 かなり前になるが、青年会議所時代に、「魂のふるさと弘前構想」を考えたことがある。岩木山を望む景色のいい場所に、別荘付霊園を整備して、県外の人を呼び込み、交流人口を増やそうというものだ。今でも悪くないアイディアだとは思うのだが・・・。(6088)