「政治家とは、言葉で政策や思いを伝えることが仕事である」
 今日出席したある会合で、来賓代表で挨拶に立った中の1人が、そのようなことを話されていた。全くその通りである。
 その方は、次にこう続けた。「政治家の言葉のどの部分をどう切り取って報道するかはマスコミの仕事だ。時として、本意が正確に伝えられないこともある。だから、政治家は一つ一つ自分の言葉で丁寧に 有権者に説明する責任を負う」 それもまた至極もっともだと思う。
 その割りに、政治家の言葉の使い方は、いたってぞんざいだ。今日も、5人の来賓が祝辞を述べたのだが、正直な感想を言わせていただければ、申し訳ないが1人を除いては、いたく空疎に聞こえた。
 何故だろう?と分析の真似事をした。思い当たった節がある。接続詞の使い方だ。
 1人は、やたら”そして”を繰り返して使っていた。例えば、「僕は学校に行きました。そして給食を食べました。そして寄り道もしないで家に帰ってきました」ってな感じだ。
 別の1人は、”また”を連発した。これも小学生の作文でいえば「僕は算数が苦手です。また国語も苦手です。また理科も苦手です」みたいなものだ。どちらも前の文章に付け加えていく意味がある。文章なり挨拶が平板なイメージを与えてしまう。
 これがもし、起承転結がしっかりあれば、”しかし” とか ”ところで” とか ”あるいは” とか、もっと多様な接続の方法が考えられるのではないかと思う。などと似非文法講義をしてしまった。
 政治家の言葉と言えば、最近また気になるものがある。新聞紙上を賑わせている、子育て期間中の”リスキリング”という言葉だ。首相の発言に対し、与野党から反発が出ているようだ。  
 がしかし、”リスキリング”って何だ? ”栗鼠殺し”のことか? 
 今朝、テレビを視ていたら、ご丁寧に「学び直し」と字幕が出ていた。だったら”学び直し”でいいではないか。何でもかんでもカタカナ語にしたり、難しそうな言葉を使えば、賢そうに見えるだの、若者に受けそうだとか、有権者を欺けそうだ・・・などという目論見があるのかどうかはわからないが、政治家の言葉の使い方としては、強く一考を求めたい。
 報告会明後日(2月6日)は、僕の個人議会報告会がある。いつもの通り、市政の課題や僕自身の考え方を、約一時間お話をさせていただく予定だ。できるだけ平易な言葉で、面白くお伝えしたいと思う。
 しかしまあ、僕の頭からだと、どうやったって”難解”な言葉は出てこないんだろうなぁ。きっと。(10495)