久々に、「県議会議員選挙挑戦日記」の新編を書く。
3月2日のブログのような事情で、しばらくお休みをいただいていた。別にチクリに怯えていたわけではない。一般質問、常任委員会、予算委員会と続いたので、このブログの原則「議会がある日は議会のことを書く」に従ったまでだ。
今日と明日は、議事整理のための休会日。デスクワークや打ち合わせを行い、日常活動の一環として(これを書いておかないと曲解する人間がいる)、旧知の会社を訪ねたりした。
と、登録をしていない番号から着信があった。おそるおそる出ると、某新聞社からであった。
「もしもし、〇〇新聞ですが、最終学歴を証明するものが欲しいのですが・・・」
最終学歴? 卒業を証明するもの・・・? そんなものは卒業証書しか思い当たらない。あとは卒業アルバムか。
だけど、どちらも45年も前の代物だ。ある場所はだいたい検討はつくのだが、そこに到達するまでが大変だ。以前にも書いたが、僕の書架の前には、買ったままになっている本や、古い資料などが、高い壁を造っている。それを乗り越えなければ、いや、それらを掻き分けなければ、卒業証書を取り出すことはできない。
「何なら、大学に問い合せてもいいですよ」と答えたものの、学生の数ではトップ10に入るマンモス大学の一つだ。45年も前の卒業証明など、おいそれと出せるものなんだろうか。それに、成績まで調べられたらたまったものじゃない。
「弘前三田会の副会長もやってますんで、会長なり事務局長に聞いて見て下さい」とも答えた。だけど、ちゃんと卒業しているかどうかまでは、誰も証明できないだろう。
そこで、意を決して、家に帰ってから、発掘にとりかかった。手前に積まれてある段ボール箱を下ろし、書架最下段の本を何冊か引っ張り出して、ようやく一番奥まで手を伸ばすことができた。
出てきた出てきた。誇りを被った卒業証書と、何十年ぶりかでご対面だ。中を見ると僕は、「法學士の称號を得た」ことになっている。何かとてつもなく恥ずかしい思いだ。
高校の卒業アルバムも出てきた。中学のアルバムもあった。懐かしい反面、何故か恥ずかしく恐ろしい。自分の過去は、どこかに閉まっておいた方がいいのかもしれない。
一番隅っこに、女房の大学卒業証書も眠っていた。旧姓で書かれた名前が記載されていた。
選挙のお陰で、そして某新聞社のお陰で、懐かしい物たちに再会することが出来た。県議会議員選挙に出ようなんてしなければ、おそらく僕が死ぬまで、誰にも知られず、あの暗がりで眠っていたのだろう。(6497)