議場令和5年第1回弘前市議会定例会が閉会した。正真正銘、最後の舞台に臨んできた。
 最終日の今日も、出番があった。委員長として、常任委員会での議案審査の過程と結果を、檀上で読み上げるという仕事だ。何回やっても緊張する。それに、短ければまだしも、報告文が長くなると、集中力が薄くなるし、目もしょぼついてくる。何度もつっかえつっかえ、お役目を終えた。
 以前にも書いたが、僕は意外と涙もろいタイプなのだ。ドラマやドキュメンタリーを視て、目頭が熱くなることもある。
 今日も、最後の登壇だと思うと、途中でひょっとしたら涙ぐんでしまうのではないかと、読み始める前にはちょっぴり心配した。でも、全くそんなことはなかった。考えてみれば、僕は自分の卒業式で泣いたことはない。他人には感情移入しやすいが、自身のことについては無頓着なのかもしれない。
 さて、4期16年の市議会議員生活を振り返ってみよう。
 定例議会は16✕4=64回あった。一般質問には63回立った。
 出来なかった1回というのは他でもない。1期目の2年目か3年目のことだ。言葉尻を捉えられたようなかっこうで懲罰動議を出された。当初は「議場における陳謝」という裁定だったが、僕はガーシーと違い、それを最初から拒否をした。そうしたら今度は、ちょうど一般質問にかかる期間で「出席停止」をく言い渡された。
  ちょうど、市民文化祭の開催主体について問題が起こっていた頃だ。僕は、他の議員に自分で調査した内容等を託して、その裁定には従った。今となっては、それも懐かしい、そしてそれだけ先輩議員たちから疎まれていたくらいだったとしたら、ある意味誇らしい思い出だ。
 議会報告会は、最初の選挙の時からの公約だった。議員であれば、自分が議会でどの課題を採り上げて、どんな発言をしたのかを報告することは、最低限の責任だと考えていたからだ。  
 その「出席停止」で質問をしなかった議会の後も、報告会は開催した。喉を痛めてドクターストップがかかった時と、コロナで会場を抑えられなかった数回以外は、なんとか続けられたと思っている。
 けっこう好き勝手に暴れてきた。16年間、3人の市長と、誰に対しても、決して阿ること無く是々非々という同じ立場で向かい合ってきた。だから皆から嫌われた。
 だけど、反対のための反対をしてきたわけではない。特に、予算案には、修正案や付帯決議案を提出してきた。平和都市宣言採択等、たくさんの同僚議員に助けてもらい実現することができた。
 議場外でも、議会改革や、会派の枠を超えた議員同士の勉強会、市民と議員の意見交換会等を仕掛けてきた。そういう意味では、歴代の4人の議長には、心から感謝を申上げたい。
 とはいえ、市議会議員の任期は、まだ2週間ほど続く。当然、このブログは書き続けるし,皆様からの市に対する要望や苦情があれば承る。
 どうぞ、これからも、お付き合いのほどをよろしくお願いします。(5443)