昨日のことである。僕が太宰治まなびの家の閉館準備をしていると、固定電話の着信音が鳴った。恐る恐る出ると、日本一の発行部数を誇るY紙の記者からであった。「まなびの家について取材をしたい。明日から3日間はこちらにいるので、ペンクラブ会長に連絡をつけてもらえないか」という内容だった。
 「それだったら、ちょうど明日、ペンクラブの指定管理事業実行委員会がありますよ。それには会長も必ず来ますから」 僕は、会長の都合も聞かず、安請け合いをしてしまった。
 ところが、今朝になって確認をしたら、実行委員会は、来週16日に延期になったという。 しまった! 謝ろうにも、僕はY紙記者の電話番号を知らない。そこで、急遽、会長にまなびの家にご足労いただくよう連絡をした。もし万が一、会長の都合が急につかなくなったりした場合に備えて、僕も約束の時間に間に合うように車を飛ばした。
 結局、取材は、会長と僕と常駐解説員のKa君の3人で受けた。記者は青森市出身だというので、津軽弁でも構わないという。それで随分と気楽に質問に答えることができた。
 会長は、太宰が下宿していた頃の藤田家(家主)の話や、道路拡張に伴い取り壊されそうになったこの家を、ペンクラブの先輩方が保存運動を起して守ったことなどをお話しした。来館者数の推移や最近の傾向、あるいは感想などは、Ka君が説明をした。
 僕は、弘前ペンクラブが、指定管理を受けるに至った経緯を補足した。また、話を進める中で、僕がかつて書店を経営していたと言うと、お店の名前を覚えていてくれた。そこから、弘前の景気や街造りのことにも話題は及んだ。僕は、地方都市のご多分に漏れず、弘前も人口の減少が加速していることを伝えた。
 会長が帰ったあとも、その話は続いた。「どうして、若い人は、東京に出て行くんでしょうかねぇ?」 と記者は訊く。「日本のような極端な一極集中は、世界でも珍しいのではないか」とも話す。
 確かに、働く場所が無い、という原因もあるだろう。でも、働く場所があったからといって、人口流出が0になるかというと、必ずしもそうとは言い切れない。色んな意味で、若い人の都会(東京)に対する強い憧れは、根強いものがあるのではないか、と生意気にも僕は答えた。
 「例えば・・・」と僕は居住まいを正して続けた。「僕の場合、プロレスを観たくて東京に行ったようなもんなんですよ」
 嘲笑されるかと思ったら、意外なリアクションがあった。
 「えっ、プロレス? 私もプロレスが好きなんですよ。誰のファンですか?」
 「猪木です。猪木対ストロング小林の伝説の一戦を生で観ました」
 「私も猪木ファンなんですよ。私は、IWGPの決勝で、猪木がハルク・ホーガンに失神させられた試合の現場にいました」
 もう、太宰そっちのけでプロレス談義である。今日の太宰と猪木の対戦は、僕の判定では、どうやら猪木に軍配があがったようだ。
 最後は、また会いましょうと言って別れた。次は、プロレスラーが経営しているホッピー道場で一献傾けながら、徹底してプロレスについて語り合いたいものだと思った。(3864)