木村故木村守男さんのお別れの会が行なわれた。議員をやめているにも拘わらず案内状をいただいたので、それだけで恐縮してしまい、何としてでも行かなければと思っていた。場所は青森県立武道館。大勢の弔問(?)客が祭壇に列をなしていた。
 木村さんは、今さら言うまでもなく、弘前を含む選挙区の衆議院議員だった。青森県知事まで務められた。その評価には色々あるかもしれないが、政治の世界では大きな足跡を残した方だ。 
 僕自身も、政治的スタンスは必ずしも一致するわけではない。木村さんが国会議員だった時も知事だった時も、あるいは僕が市議会議員だった時だって、政治的な係わりは一切と言っていいくらい無かった。
 でも、個人的には深いご縁がある。それは遠い僕の中学校時代まで遡る。
 当時、木村守男さんは、青森県議会議員だった。その時代に、うちの店(今泉本店ビル)の3階に事務所を構えてくれていたのだ。言わば、テナント料を払って下さるお客様だった。
 でも、僕自身、遊びたい盛りの中学生だったので、1階2階の書籍売場ではよく立ち読みをしたりしたが、3階以上に上がっていくことはなかった。だから、建物内で顔を合せたことはない。
 初めて会ったのは、近所の床屋の中だった。隣の散髪台にいたおじさんが、妙に馴れ馴れしく話しかけてくる。
 「君はどこの中学校だね?」
 「附属中学校です」
 「おー、では僕の後輩だ」
 別れ際に、握手をされ、名刺を渡されて、初めて県議会議員だとわかった。だけど、選挙権もない中学生に対し、これほど丁寧な対応をするなんて、すごい人だと感心した記憶がある。
 書店経営時代もお世話になった。ある年、その頃は国会議員になっていた木村氏が、政治資金パーティーを開催した。その時の引き出物に、何の本だったかは忘れたが、1000冊以上を購入してくれた。
 そうなれば、こちらもお礼をしなければならない。僕は、2万円だったか3万円だったかのパーティー券を握りしめ、会場の市民体育館に出かけていった。
 いやはや、もの凄い人数だった。会はビュッフェ形式である。掻き分け掻き分け進んで行っても、なかなか料理テーブルまでは辿りつくことができない。ようやく料理の前に立った時には、もうあらかたテーブルの上は空になっていた。何かは忘れたが、一口だけ食べた。今までで最も高価な食事だったような気がする。
 他にも、紀伊国屋書店が弘前に出店してきた時や、僕が青年会議所の理事長を務めた時にも面白いエピソードがある。最後にお会いしたのは、附属中学校の同窓会総会の時だったか・・・。
 そういった思い出を一つ一つ書いていけば、一週間分のブログの分量になってしまいそうだ。それらは、また機会があれば紹介するとして、今日のところは、木村守男氏のご冥福をお祈りして、パソコンを閉じよう。(7932)