青年会議所時代の友情というものは不思議だ。
 例えば、小中高、あるいは大学時代の友だちには、全員ではないにしろ、年齢、学年、クラス、部活といった同類項をみつけることができる。公立の小学校や中学校であれば、それに”学区=近所”といったものも加わる。
 そこへいくと青年会議所には、”弘前及びその周辺で仕事をしている”以外の共通点はない。年齢もまちまち、生まれも育ちも異なる。仕事の内容も立場もみんなそれぞれだ。  
 そんな20歳から40歳までの若者が、「明るく豊かな地域社会を創ろう」と集い、研修や様々な事業を企画・運営し、一緒に汗をかくことで、そこに友情が生まれる。どんな大企業の御曹司だって、入会すればまずは一兵卒だ。キャリアと能力に応じて、色々な役割や役職が与えられる。 
 その時の付き合いが、卒業して28年経った今でも続いている。困ったときには助けあえる。喜びをわかちあったり、時には年甲斐もなく破目を外して大騒ぎもする。
 ただ、残念ながら、友情を続けることができなくなったケースがある。志半ばで、鬼籍に旅立ってしまっ友たちだ。病に斃れた友、不慮の事故で亡くなった友、悲しいことに自ら命を断った友もいる。
 I君も、そんな中の一人。僕が理事長を務めた時に、専務理事の重責を担っていただいた。
 誤解を恐れずに言えば、理事長というポストは、事業が動き始めてしまえば、単なるお神輿である。担ぐのはメンバー。そのメンバーをリードし、変な方向へ行かないようにするのが専務の役割だ。その意味で、最も重要かつ難しいポストだと思っている。
 その専務を、I君は、僕の時も含めて2度も勤め上げた。それだけ実務能力に優れ、メンバーをまとめあげることができる人格者だった。彼を慕っていた人は多い。
 2月6日は、そのI君の命日。亡くなったのはもう27年前のことだ。それなのに、今でも、この日は特別の日として、僕らの心に刻まれている。
 僕や、同じく彼に専務を務めてもらったT君が中心となって、毎年2月6日に、偲ぶ会を行ってきた。
最初の頃は毎年、段々と頻度は少なくなってきてはいたが、それでも途切れることなく続いていた。
 ところが昨年までのコロナ騒動である。しばらく開催できないでいた。
 それを、先日、倫理法人会とやらのN君から、是非、復活させて下さいと言われた。そこで今年は、告知期間も短かったが、取り敢えず復活させた。
 人数は少なかったが、i君と親しかった仲間が集って、しめやかにということはないが、賑やかにi君のことをあれこれ話題にして、酒席は続いた。
 おかげでかなり酔っ払った。パソコンを前にうとうととしてしまった。気がついたら、もうこんな時間だ。毎日更新には間にあわなかったが、なんとかご容赦を。申し訳ありません。(4080)「