23年前に、経営していた書店を倒産させた。負債総額も地方都市にしては小さくなく、たくさんの人に迷惑をかけた。いつまで経ったって償えるものではないことはわかっている。今でも申し訳ないという気持は忘れたことはない。
 一方で、たくさんの人に助けていただいた。金銭的なことばかりでない。優しい声をかけてくれた人、僕が社会に復帰する後押しをしてくれた人等々、そのご恩の形は様々だが、どの人への感謝も、決して忘れることはない。 
 その中の1人にSさんがいる。Sさんは、当時市内で発行されていた「V弘前」というタウン誌の編集者だった。僕は破産処理を終え、友人が経営する書店に勤めていた頃だったと思う。
 どんなシチュエーションだったかは曖昧になってしまったが、あるとき、「今泉さん、うちのタウン誌に本についてのコラムを書きませんか」と声をかけてくれた。願ったり叶ったりである。僕は二つ返事でOKした。
 以来、多分、議員に初当選して間も無い頃までだったと思う。毎月1回、わずか200文字くらいの短い短いコラムだったが、僕は書き続けた。
 200字の中で、本を紹介しオチまでつけるというのは、けっこうな難題ではあったが、それを継続したことで、文章力は少しは向上したのではないかと自画自賛している。
 実は、倒産してしばらくの間に、僕が知っているだけでも2回、「今泉は自殺した」という噂が市内を飛び交っていた。あるとき友人から電話がかかってきて、それに出たとたん、「あー良かった。生きてた」と言われたこともある。電話をとらなかったらどんなことになっていたのか、今思えば恐ろしくもあり、愉快でもある。
 そんな状況の中で、あのコラムを読んで、僕が生きていることを知った市民も多かったことだろう。往往にして自分の耳には良い言葉しか聞こえてこないものだが、それを分かった上でも、それなりに好評だったと勝手に思い込んでいる。
 そのSさんに、今日、ひょんなところで会った。以前にこのブログに書いた「弘前に寄席を復活させよう」というプロジェクトで、協賛金をお願いしにある企業を訪問したところ、受け付けにいた女性が「今泉さん、Sです」と声をかけてきた。突然のことで驚いたが「V弘前の」と言われて思い出した。あれからもう20年も経っている。コロナ対応でマスクをしていたが、面影はしっかりと残っていた。
 あの後、僕が議員に当選することができたのも、コラムを長期間連載させていただいたお陰だと思っている。あのまま、書店を閉めたあと、社会からフェイドアウトしてしまっていたら、今の僕は無かったと言っても過言ではない。
 そんな恩人であるSさんに再会できた。それだけで今日は、とても幸せな気分で夜を過ごしている。(4378)