今日は、中学時代の恩師を囲む勉強会「ひこばえ塾」の日。1~2ケ月のペースで、弘前読書人俱楽部を会場に開催されている。教え子の誰か、またはその友人知人などをチューターに、その人の専門とする講話を聴いて、互いの教養を深めようという会だ。
 チューターは
弘前市立郷土文学館企画研究専門官のKuさん。中学校は別だが、高校の同級生だ。僕と違って、彼は真面目な優等生だったから、高校時代にはあまり親しく口をきいた記憶はない。今では、弘前ペンクラブの仲間として、月に一度は顔を合わせている。
 
今年度の文学館の企画展は、「花はくれない 佐藤愛子が描いた父・紅緑」というものだった。その準備や記念講演会などの裏話や、展示資料から垣間見られる紅緑のエピソードなどを、「佐藤紅緑生誕150年に学ぶ」と題して1時間ほどの講話をいただいた。国民的少年小説「ああ玉杯に花うけて」の作者として有名な紅緑だが、演劇人としても映画人としても、日本の歴史に残るような功績を残していることにも触れていた。
 いやはや、大したものだ。知識量が半端ではない。それによく調査し勉強もしている。さらには、与えられた時間内で、きちんと話をまとめられる話術にも関心した。なるほど”専門”を持つということは凄いことだと、今さらながら感心した。
 今日は他にも、以前、何冊も本を上梓したF君も来ていた。紅緑と映画・演劇については、彼がKu君に資料を提供したのだそうだ。
 元市立病院院長のTo君もいた。当然のことながら、医学の道での”専門家”である。次回はTo君がチューターを務めることになった。
 いやいや、僕の周りには、まだまだ”専門家”はたくさんいる。それぞれが、その道を究めようと、日々勉学に勤しんでいる。研究や実践を続けている。
 翻って僕は一体何なんだろう? 愚にもつかない雑学の知識はそれなりにあるとは思っているが、”専門”と胸を張れるものはない。プロレスだって競馬だってアイドル歌謡だって、どれも中途半端だ。仮にそれらの専門家になっても、少なくても弘前市では、どこからも声はかからないだろう。
 いや、誤解のないように。決して僻んだり卑下したりしているのではない。そういう専門知識を持った仲間がいることに誇りを感じているのだ。
 そういう仲間がいることで、知らなかった知識を学ぶことができるし、新しい分野への興味も湧いてくる。こういう友人関係は大切にしなければならない。
 僕もいつかは、〇〇の専門家といわれるようになりたいものだ。そのために今日も、プロレスの本でも読んで寝よう。(6559)