今朝の新聞を見て驚いた。測定方法を変えたら、岩木山の標高は1624mだったのだそうだ。ショックだった。
だって、子どもの頃から、1625(色にごる)と覚えさせられてきたのだ。当時、山の高さで諳んじていたのは、富士山の3776(みななろう)と岩木山だけだった。(今でもそうか)それが今更違うと言われても、すんなり納得できるものではない。自分の幼少期からの知識を否定されたような気もする。
たかが1mじゃないかと思われる方もいるかもしれない。が、根っからの文系の僕は、たかが1mだからこそ、何も公にして変更しなくてもいいではないかと思うのだ。
ここで思い出すエピソードがある。
かつて弘前公園内の桜は5000本と喧伝されていた。「おそれいったか5000本」といったキャッチコピーが、曖昧な記憶の中にある。
ところが、ある年に数え直したところ約2500本だったことが判明した。
その頃である。ある先輩議員が、「5000本でいいじゃないか。何で吉永小百合の皺を数えるような真似をしたんだ」と議場で質問をした。僕の16年の議員生活で聞いた中でも、秀逸な質問の一つである。
山や桜とは違うが、子どもの頃と現在とで数字が異なっているものに、鎌倉幕府の成立がある。昔は「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えていた。「なんと(710)綺麗な平城京」や「鳴くよ(794)ウグイス平安京」と並び、覚えやすいゴロ合わせだった。それが今は1185年となったのだそうだ。何を以て幕府成立とするかの解釈の変化だったようだ。
まぁ史実はともかく、山の高さといい桜の本数といい、測れば、あるいは数えれば、正しい数字がわかる。その意味では、正確を期すことは、特段悪いことではない。個人的な感傷を別にすれば、より実態に近い数字を知ることは、むしろ必要なことだとも思う。
であれば、弘前市の、桜祭りやねぷた祭りの観客数、ちゃんと正しくカウントし発表したらどうか。人口15万人台の市のほんの一画に30万人の人出だとか、弘前ねぷたの観衆の方が青森のそれよりも多いだなんて、誰が見ても過大とわかるような恥ずかしい真似は、そろそろ止めたらどうかと 考える次第だ。因み、僕の身長は公称165cmだが、実際に測ると164しかない。これは秘密である。(9621)