地元の小学校の卒業式に参列してきた。学区内町会長の1人としてである。
つくづく感じるのだが、小学校の卒業式の風景も随分と変った。もっとも、比較しているのが、僕らの頃・・・つまり60年近くも前からとだから、当然と言えば当然なんだろう。
①児童の名前が変った。いわゆる”キラキラネーム”と言うのだろうか、特に女の子の名前にはいつも感心させられる。今日の卒業生名簿には振り仮名がついていたので助かったが、それが無ければ読めそうにない名前も散見された。
大体にして、昔から日本では、子どもの名前と言えば、太郎と花子に代表されるように、男は”郎”、女は”子”が多かったように思う。でも、今日の卒業生の中には、”郎”のつく子も”子”のつく子も 1人もいなかった。
②服装が変った。これまた特に女の子の場合だ。振袖に袴姿が多い。数えたら17人中10人が和装であった。少し前に卒業式を終えた別の小学校の教員に聞いた話だが、振袖袴でなかった児童は4人だけだったそうだ。
来賓として参列していた民生委員の人の話では、レンタルで10万円くらいはかかるという。たった一日の式のために10万円もかけるなんて・・・。
保護者の教育に係わる経済的負担を減らそうと、給食費の無償化が進められ、更には算数セットなどの学用品も無償にしろなどという声も上がっている一方、10万円もする、それも一回こっきりの衣装だなんて、何か腑に落ちないものを感じるのは僕だけだろうか? ちなみに、男児の羽織りはかま姿は1人だけだった。
③歌が変った。昔は卒業式の定番ソングと言えば「蛍の光」と「仰げば尊し」だった。が、ここ数年、それらの歌を聞いたことがない。何やらJ-POP風の曲が歌われている。
まぁ、確かに、今時蛍の光で本を読む人はいないだろうし、さすがに教師の側から「仰げば尊し我が師の恩」などと歌わせるのにも気まずさを感じたのかもしれない。
余談だが、僕は小学校低学年の頃、意味もわからず、”我が師”ならぬ”和菓子の恩”だと思っていた。「ふるさと」の”うさぎ追いし”を”うさぎ美味しい”と勘違いしていたようなものだ。
④送辞・答辞がない。代わって、いわゆる”呼び掛け”が、卒業生、在校生からそれぞれ送られる。卒業生の場合、全員がひと言ふた言ずつ代わる代わるに声に出して、一つの文章を読み上げるという形式だ。
実は僕は、これはあまり好きではない。全員が大きな歯車の一部に組み込まれているような、没個性の象徴のように思えるからだ。それよりだったら、成績優秀で先生のお眼鏡にかなった優等生に、送辞や答辞を読ませた方がいい。僕ら全く縁の無い児童はただ黙って聞いているだけで済む。
などと感じたままに書いてきた。それにしても、小学校というのは、授業に出なくても、九九を覚えられなくても、みんな卒業することができるところらしい。現に、出席日数が足りなかったことを理由に、親が進級させないでくれと訴えた裁判で、裁判所がその訴えを認めなかった例がある。
それに、親の転勤で遠くに引っ越す子どもならいざしらず、大半が学区の中学校に進学し、仮に私立や国立の中学校に行く子がいたにしても、近所には住んでいるわけだから、さほどセンチメンタルになる必要もなさそうにも思うのだが、今日もハンカチで目頭を押えている保護者の姿を何人か見かけた。親が我が子の成長を喜ぶ気持ちは、やはり格別のものがあるのだろう。
なんて、捻くれたことばかり書いていると、来年から、招待されなくなってしまうかもしれないな。(1779)