今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2011年05月

ダービー雑感

 今日はいよいよ日本ダービーである。
 新聞を見れば、オルフェーブルの2冠達成なるか? それとも サダムパテック以下皐月賞組の巻き返しなるか? といった様相である。皐月賞組以外で印をあつめているのは、目下三連勝中のクレスコグランドやNHK杯2着のコティリオンなど。良血トーセンレーヴの穴人気になりそうだ。
 
 ところで、今回の日本ダービーの出生馬を一覧を眺めて、愕然とした。輸入種牡馬の仔が一頭もいない。皆、数年前、日本のターフで走り、G1戦線を沸かせた名馬の仔ばかりなのだ。

 僕が競馬をはじめた35年前頃には、到底考えられないことであった。当時は、種牡馬といえば、トウショウボーイ・キタノカチドキに代表されるテスコボーイの全盛期で、他にも、インターメゾ・ファバージ・グスタフ・カバーラップⅡ世・など、活躍馬、人気馬の大半…極論すれば99%が、輸入種牡馬の産駒であった。なんとか国産種牡馬を保護しようと、父内国産の重賞レースまで組まれていた。
 僕は、生来の天邪鬼と判官贔屓で、無敗の名馬マルゼンスキーが相手であっても、父内国産のヒシスピードの馬券を買い続けたものだった。天邪鬼と判官贔屓だけではない。高額な外国の種牡馬を買えるような一部の生産者だけではなく、日本の中小・零細の生産者も育てていかなきゃいけないじゃないか、という根拠も薄い使命感や、外国を礼賛するばかりで、日本的なものを否定しようとする当時の(今も…?)風潮に対する自己主張もあったのだ。
 
 その後も、日本競馬界は、大金を投入して、欧米の名馬を種牡馬として輸入し続けた。ラムタラも確か日本に来たはずだ。「・・・はずだ」などと、急に語尾があいまいになったのも、実は、僕も、段々と競馬から遠ざかっていっていたからだ。気がついたら、いつのまにか、ノーザンテーストの時代を経て、サンデーサイレンすの時代になっていた。
 そして今、そのサンデーの仔を中心に、輸入種牡馬の血を引いているとはいえ、日本で生まれ育ち、日本で活躍した馬たちが日本の競馬界をリードしている。35年前、外国産馬にクラシック出走を認めるか認めないかで、激しく口論し、危うく友人を一人失いかけた青くそして苦い経験のある僕にとっては、感慨もひとしおなのだ。

 さて、予想をしよう。
 内国産種牡馬の仔のレースならば、話は簡単なのだ。好きだった馬の仔を選ぶ。これつきる。親子何代にもわたって一つの血統を応援できる。これって、あらゆるスポーツの中でも、競馬でしかできない楽しみ方なのだ。
 他のスポーツ・・・、例えば、長嶋ファンはおそらく一茂に期待はしたのだろうが、残念ながら大舞台に立つ前に球界から去ってしまった。ましてその子どもとなると、僕にはいるのかどうかさえわからない。プロレスだって、力道山の子どもも大成しなかった。現在、橋本真也の子どもが一部では騒がれながらデビューを果たしたが、だいたいにしてプロレス自体がもう下火だ。貴乃花、若貴兄弟のようなケースもあるにはあるが、それはごくごく稀な話で(そう言えば相撲界では、栃東親子の例もあったか・・・)、一般的に、スターの子がスターとなるのは珍しい。
 ところが競馬はどうだ。今回のダービーを見るがいい。出走馬の父親は皆、往年の大スターばかりだ。だから、その往時をしのびながら予想をする。いや、予想と言うのは、適格ではない。新聞の馬名の向こうに、その父たちが、あるいは母たちが走っている姿を再現して、応援する馬を決めるのだ。

 その結果、6番 クレスコグランド、 10番 ナカヤマナイト  16番 トーセンレーヴ の三頭を推奨する。
 実際に馬券を買うわけではないので、ここまでとするが、もし、この3頭のうち、どれかが連にからむようであれば、このブログで、競馬予想を本格的にはじめてみよう。 乞うご期待。
   
 

議長選&選挙違反  今日の地元紙から

 今日は、地元紙に、弘前市議会に係わるニュースが二つ、大きく報じられた。

 一つは議長選の結果。
 昨日行われた弘前市議会議長選で、投票用紙に苗字しか書かれていない二票が無効と判定され、最大会派の推す候補が一票差で敗れたことが、大きく政治面を飾った。ぞの中で、ある地元紙に、「(弘前市)議会の議長選挙は、公選法には準じず、独自ルールで行われている」と書いてあった。
 別に僕は、どちらの候補の肩を持つわけではないが、「公選法に準じない」などと言われると、異論をはさまないわけにはいかない。
 地方自治法第118条には、はっきりと、地方自治体の議会内の選挙にも、公選法のいくつかの条文を準用する、と明記されている。公選法を全て準用する必要はないが、少なくとも自治法で定められた「公選法第46条第1項及び第4項、第47条、第48条、第68条第1項並びに第95条の地方議員に関する規定」は、遵守しなければならないだろう。
 その中の第68条は、まさしく「無効投票」に関する規定なのだ。つまり、いささかくどい書き方で恐縮だが、票が無効か有効かに関しては、地方議会の選挙とは言え、公選法を準用しなければならない。
 そこで公選法だが、公選法では苗字又は名前だけ書いたものを、無効とはしていない。そればかりか、どの候補に投じたものであるかが特定されれば有効である、というようなことも、以前聞いたことがある。
 今回落選した候補の苗字は、34人の議員中、たった一人である。苗字さえ記入されていれば、誰に対する投票なのかは明らかなのだ。だから、今回無効とされた二票も、法律上、当然に有効なのだ。
 繰り返すが、今更、当選した人、落選した人のどちらか一方に与するつもりでこれを書いているのではない。ただ、弘前市議会で、きちんとした議長選挙のルールを作ってこなかったつけが、今回の騒動になってしまった。議長立候補制も含めて、まずはルール作りを急がなければ、ということを今一度言いたかったのだ。

 二つ目は、過日の弘前市議会議員選挙において、逮捕者が出てしまった、という記事。
 上位当選した議員の身内の人間が、昨夜、供応買収の容疑で逮捕されたとの記事が、社会面で大きく扱われていた。
 身内から逮捕者を出してしまった議員は、政策にも明るく、研究熱心で、人柄も温厚な尊敬出来る先輩の一人である。ご本人が関わっているようなことは100%無いものと信じるだけに、先輩の胸中を察すると、言い表す適切な言葉を見つけることができない。
 選挙運動中、僕の事務所にも、おかしな人が来て、「どこそこの陣営では1000円会費で4000円分飲ませた。別の陣営では同じ会費で5000円分飲ませた・・・」などと、まことしやかに聞かされたことがある。僕には全く縁のない世界の話なので、生半可に聞き流してお帰り願ったら、その人は二度と事務所に現れなかった。
 そんなことが事実かどうかは知る由もないが、そのような話を言いふらして歩く有権者がいること自体、弘前市の政治意識の低さが如実に示されているような気がして、とても悲しくなってしまう。
 買収だけではない。以前にも書いたが、事前運動、文書違反など、小さな違反は列挙に暇がない。おそらく、弘前市に限ったことではないだろう。大体にして、公選法自体、現在の選挙の実態をカバーしきれていない。
 国全体で、選挙の仕組みについて考え直さなければならない時期にきていると、思う。

I am tired

 今日は、弘前市臨時議会が開催され、議長、副議長、常任委員長、同副委員長、議会運営委員長、同副委員長、議会推薦農業委員等の選出が行われた。
 ・・・疲れた。
 別に、選ばれた議員に異論があるわけではない。経済文教常任委員会副委員長以外は皆、見識も人格も立派な方々ばかりだ。でも、その選び方が、どうにもさっぱりしない。
 ・・・疲れた。
 結局、水面下での多数派工作や会派間での調整で決まってしまう。それが議会、と言ってしまえば、それまでかもしれない。でも釈然としない。
 ・・・疲れた。
 議長選の投票との交換で自分のポストを得た無所属議員もいる。各会派の人数と投票における得票数を見れば、考えるまでもなくわかる。それが政治家、と言ってしまえば、それまでかもしれない。でも釈然としない。
 ・・・疲れた。
 僕は、経済文教常任委員会副委員長になったが、決して自ら求めたわけではない。ポストに関しては「求めず断らず」というのが基本的なスタンスだ(確か今の内閣の官房長官もそんなことを言っていた・・・)。議員になる前からもそうしてきたし、どのポストであれ、なった以上はベストをつくしてきた。PTA会長もJC理事長も、商店街でも書店組合でも・・・。議員としてでも、議会の中のポストでも、その姿勢は崩さない。
 でも、今日はとても疲れた。 

 ”I am tired”
 中学校1年生の時に、英語の教科書で見た言葉が、急に浮かんできた。
 
 疲れただけで、飽きたわけではない。明日から元気を出して一生懸命頑張ろう。

議長選

 明日(19日)は、改選後初の弘前市議会臨時議会が行われ、そこで新しい議長が選出される。
 選出といっても、その方法は極めて不透明だ。
 正式に立候補をする人がいて、その人たちが所信を公の場で表明した上での投票で選ばれるのではない。会派ごとに自会派の候補を決め、電話などで多数派工作を行っている。僕ら無所属議員には、誰と誰が議長候補で、その方々がどんな議会運営方針をもっておられるのか、公式には知らされてはいない。ただ、ご本人はもとより、それぞれの会派に属する他の議員や、市議以外の関係者(?)等から、さまざまに依頼がくるのでわかるようなものだ。
 極端な話、誰も正式に立候補するわけではないので、誰に投票してもかまわない。僕のような、ようやく2期目を迎えたばかりの若輩者が、自分で自分に投票したっていいのだ。
 そんなのおかしいじゃん、と考え、議長立候補制の実現について、昨日まで自分なりに動いてみた。議長経験のある大先輩や、今回の候補者と目される方をはじめ複数の議員にも訴えてきた。僕の意をくんで、議会事務局ともかけあってくれた先輩議員もいらっしゃったようだ。
 結果、今朝、議会事務局から引導を渡されてしまった。曰く、明日の議長選では無理ですと・・・。

 議会事務局がバイブルとしている、「議会運営の実際」という20巻以上にも及ぶ本があって、その中に、「地方自治法は議会の選挙で公職選挙法を準用していますが、第86条の4(立候補の届け出に関する規定)を準用していません」 「・・・よって現行制度では立候補制を採用していませんので、法的には実施できません」と書かれているのだ。
 でも、実際には、立候補制のもと候補者の所信表明を行っている自治体が、平成21年12月31日現在、全国806市中 100市存在する。
 では、そういった自治体ではどうしているのか? 
 例えば、流山市では「立候補者所信表明演説会実施要項を議会内で定めている、千葉市では「議会改革検討協議会委員において取り扱いを申し合わせた上で実施する、というように、それぞれの議会で、①立候補にあたっての推薦人の有無 ②所信表明の持ち時間 ③一般公開の有無 といった事項を予めルール化した上で行っているのだ。しかも、さっきも書いたように、立候補制は法的に認められていないので、所信表明を本会議の中で行うことは出来ない(・・・らしい)。 だから、またまた例を引けば、流山市では「立候補者所信表明演説会」、千葉では「正副議長選考会」という形で本会議とは別に行っている。本会議の休憩中に行っている自治体もある。言うまでもないことだが、そういった所信表明の場をどのような形にするのか、ということも事前に取り決めておかなければならない。何よりも、立候補をどこが(誰が)受け付けるのか、というjことも決めておかなければならない。
 
 言われてみれば当たり前のことだ。そういった当たり前のこともわきまえず、今朝事務局から教えてもらわなければ、明日の本会議で、いきなり立候補者所信表明の要望をするつもりでもいた。徒に議会を空転させるだけで、かえって、これから議会改革を進めようという動きに、悪影響を与える結果になったかもしれなかった。 

 まずはルール作りだ。幸いにして、今回、議長立候補制にむけて動いてみたところ、制度の壁にはぶち当たったものの、複数のベテラン&若手議員にも賛同をいただいたような感触を得ることができた。議長選に限らず、今まであまり親しく言葉を交わすことが無かった古参の方々とも、「議会改革」というテーマで話をすることができた。その輪を確実に広げ、ルール作りをしていこう。その第一歩は確かに踏み出すことは出来た、と思う。
 

「議論のプロ」になるために

昨日のブログで「議論のプロ」という言葉を使ってしまった。勿論、今の僕が、“プロ”と呼べるような代物ではないことは自覚している。ただ、議員である以上、研鑽を重ね、プロに近づいていきたいと、漠然と考えている。
 そこで、今日は、「議論のプロ」になるために、最近に呼んだ本を三冊紹介したい。

① 「ことばでたたかう技術」 加藤恭子著 (文藝春秋)
 アメリカで長く暮らし、フランスにも留学した経験をもつ著者が、日本人と欧米人の”議論”に対する認識の違い(パーセプションギャップ)を中心に、ことばで伝えること、ことばで説得することの必要性を説いた一冊。
 欧米では、小学生の頃から、教育課程の中で、ディベートのトレイニングを行い。論理的な弁論の技術を教えているらしい。今年から、日本では、小学校でも英語が必修となったようだが、この本を読むと、単に英語が喋られるだけでは、国際人とはなり得ないことがよくわかる。
 僕は、予てから、小学生への英語必修化には反対だった。まず母国語(日本語)をもっともっとみっちりと教えるべきだ。日本人は、書くにしても、話すにしても、そして聞くこと読むことも含めて、正しい日本語を使えるようにならなければならないと思う。母国語で自分の考えを正確に伝えることができないうちに、他国の言語を学ぶなんぞ、本末転倒も甚だしい。
 ・・・・と、中学・高校時代に、英語に苦しめられたことを思い出しながら、一人憤慨しているのである。
加藤 恭子
文藝春秋
発売日:2010-12-07


②「わが記者会見のノウハウ」 佐々淳行著 (文藝春秋) 
 記者会見というのは、正確には議論とは呼ばないのだろう。ただ、わずかな矛盾をも聞き逃さず質問してくるプロの記者と、それに的確に答えなければならない会見する側は、まさしく言葉のリングで戦っている。大相撲よりも真剣勝負なのだ。
 この本では、記者会見の成功事例はもとより、記者への対応を誤ったばかりに、企業の信用を失墜させたり、政治生命を失ったりしたような失敗事例も数多く紹介されている。
 今の僕の立場で、記者会見などということは、ちょっと想像できないが、そのような場面に立たされたら、もう一回この本を読んでみようと思う。

③「弁論術」 アリストテレス (筑摩書房 世界古典文学全集第16巻)
 難しかった。さっぱりわからなかった。ほとんど頭に入っていない。本を読むにしても、分相応のものを選ばなければならない。高校時代の友人が、関西の大学で哲学を教えているらしい。よくやるものだと、改めて感心した。
 ごく僅かな記憶をさぐれば、この中で、“弁論術”が必要となる主な場面として、法廷と議会がとりあげられていた(・・・ような気がする)。アリストテレスの昔から、やっぱり議員は「議論のプロ」でなければならなかったのだと、冒頭の決意を新たにした。それだけでも、読んだかいがあった(・・・ような気がする)。
 それにしても、難しかった・・・。
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