今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2011年06月

6月議会を終えて

 今日で、6月定例議会が終了した。
 今議会は、今までになく大人しい議会であった。
 思い返せば、4年前の6月議会では、M議員の質問に対し、通告外を理由に市長が答弁を拒否し、あまつさえ「もっと勉強して来い」と説教までのたまうというハプニングがあった。
 3年前の6月には、僕に対する懲罰動議が可決された。最初の決議は”陳謝”だったのだが、僕がそれを拒んだため、再度懲罰が下され、出席停止となってしまった。僕がこれまでの議員歴の中で、たった一度だけ一般質問に立たなかった(立てなかった)のが、その時である。その年の6月はそれだけではない。僕に対する懲罰動議のことを、今は県議となったS議員が自分のブログに書いたところ、その内容がよくないという理由で、問責決議をくらった。
 6月議会に限らず、いつもいつも議会の度ごとに、これまではなにか事件があったような気がする。懲罰はその時の1回だけであったが、問責決議はその後もあった。誰かの発言をめぐって議会が空転したことも何度かあった。議長の議事の進め方に対し、疑義を呈したり、その妥当性を質したりする”議事進行動議”は日常茶飯事の感もあった。
 それが、今回は実にスムーズだったのである。確かに”議事進行動議”は1回あるにはあったが、すんなりと片付いた。まるで質問のための質問のような稚拙な質問を繰り返す議員もいなくなったためか、質疑もスピーディーに終わった。
 これがいいことなのか? と首を傾げるむきもあるだろう。会議の時間短縮はいつの世でも求められることだが、かといってあまり議論のない議会も、その存在意義を疑われてしまいかねない。自分のことを棚に上げて敢えて言わせてもらえば、新人には、ヤジや議事進行を恐れず、もっとバンバンと質問してもらいたかった・・・。
なんて、随分と僕も歳をとったものだ・・・。
 9月議会には、平成22年度の決算認定もかかってくる。定住自立権や、3月議会で凍結されていた「岩木川河川敷ゴルフ場」への指定管理料の案件も出てくるかもしれない。何より、今議会で議長が提案した「議会改革特別委員会」の設置が、9月議会では前進するのであろう。(この件については、明日以降、詳しく書きたい)
 徒にもめ事を作りたいとは決して思わないが、言うべきことを言って、それがきちんとした論争の種になるのなら、議員冥利に尽きるというものだ。頑張ろう。
 6月議会の話題をもう一つ。クールビズの件。とうとう僕は、背広にネクタイで通した。暑いことは暑かったが、別に我慢できないほどのものでもなかった。僕の他にも数人(片手で数えられる程度)の議員がネクタイを外していなかった。その中の一人が「議場は何より神聖な場なのに、ポロシャツなんてとんでもない」と話していた。背広にネクタイが神聖かどうかは別にして、背広を脱いだ開襟姿で、センスをパタパタさせながら会議に臨んでいる議員の姿は、僕にはどうにも恰好良くは見えなかった。
 ついでに言えば、市の理事者側は全員揃いのポロシャツ姿であったのだが、ポロシャツの裾は、ズボンの下に入れたほうがよいのか? 出したほうがよいのか? 僕にはよくわからない。普段着では僕も外に出しているが、少なくとも公式の場ではどんなものなんだろう?
 ファッションセンスがほとんど0に近い僕には、そんなことも気になってしょうがない。だから背広にネクタイが一番簡単でいいのだ。
 

ブログを更新するということ

 毎日何かを書くということは、つくづく大変なことだと思う。今日は、午前中、創設を目指している「たか丸君文学賞」についての打ち合わせ、午後は読書人倶楽部の会員拡大と連合三田会の広告取りで、市内を歩き回って終わった。敢えてブログに記すような印象的な事件も無かった。こういう日には、何を書いたらいいのだろう?
 と、ここまで書いたら、昨年お亡くなりになった、岩木山を考える会事務局長 三浦章男先生のことを思い出した。先生は、とにかく毎日ブログを更新されていた。それもしっかりした内容で半端じゃない分量を書き続けておられた。毎日、先生のブログを読むのが楽しみであった。当時、もし自分でブログを始めたならば、三浦先生のように毎日必ず更新しようと心に決めていた。
 ところが、実際にやってみると、こんな有様だ。毎日どころか、一週間も十日も間隔を空けることもざらだ。先生の足元にも及ばない。今更ながら、先生の意志の強さ、責任感に頭が下がる思いだ。

 ブログを書く、ということを意識して時間を過ごすのとそうでないのとでは、見えてくるものが違うのかもしれない。今日だって、同じ時間に同じところを歩き回っていても、何かを書こうという意識で歩いていたなら、きっと、いくつもの印象的な事件に遭遇していたに違いない。

 忙しさを口実に視野が狭くなっていた自分を、猛烈に反省して、これからできるだけ間をおかずに書こうと、決意を新たにした。この期に及んで”毎日更新”と言いきれない自分に情けなさも感じるが、最初からできないことを約束すよりはましかなぁと自己弁護を付け加えて、決意表明とする。

 
 
 



弘前読書人倶楽部、昨日の記事への追加

 昨日、弘前読書人倶楽部の場所を書き忘れた。 住所; 弘前市和徳町4-3 朝陽橋袂、というか、津軽漬の鎌田屋の近所というか、そのあたりである。車も2台~3台は停めることができる。お近くの方は、是非覗いて見て欲しい。 蔵書のジャンルは多岐に渡っている。その分類も独特だ。伝記、日本人論等、公立図書館の10進分類法とも違う、ここならではのものもある。
 そういった事務的なこともさることながら、昨日書き忘れたことには、もっと情緒的なこともある。本に対する思いのことだ。
 僕には、自分の蔵書を離散させたくない、売り払われてしまいたくない、という関さんの気持ちがよくわかる。我が家でも今、3月に亡くなった女房の本を処分もできず、まだ手つかずのままでいる。実際、今まで読んできた本の履歴は、その人の人生そのものなのだ。自分の部屋の書架に並べられた本の背表紙を見ているだけで、人は人生を振り返ることが出来る。「あの頃は、こんな本を読んでいたっけなぁ」「この本を読んだ頃にはあんなことがあったけなぁ」「この作家を好んで読んだ時代もあったけなぁ」などと、一瞬のうちに、タイムスリップすることができる。写真は姿を写す。本棚は自分の心を写したアルバムなのだ。
 だから、関さんのように、自分の蔵書をそのままの形で残したい、活用したい、と考えている人は他にもたくさんいるのだろうと思う。そのような皆さんの希望に応えたい。本に託した思いを次の世代に残したい、そんなことのお手伝いができればという密かな夢が、この読書人倶楽部事業には込められている。
 でも、残念ながら、今のスペースでは、無制限に皆さんの蔵書をお預かりするわけにはいかない。いつの日か、そんな夢を実現するための、壮大な(?)社会実験の第一歩なのだと、自分では位置付けている。

弘前読書人倶楽部

 今日のテーマも、本当は、もっと前に書かなければならないことであった。昨日も言い訳したように、議会やら疲労やらで、書かないままに至ってしまった。重ね重ね、猛省・陳謝・・・。

 去る6月19日に、「弘前読書人倶楽部」が発足した。弘前初の会員制読書クラブである。場所は、朝暘橋の袂。室内には、約5000冊の蔵書と、読書をしたりちょっとした打ち合わせができる程度の椅子・テーブルが並んでいる。売りは、コーヒーやビールを飲みながら本を読み、おしゃべりができること。読書好きの気軽なたまり場にでもなれたらの思いでオープンさせた。
 蔵書の送り主は、関さん。東京の上場企業のオーナー社長だった方だ。とにかく読書が好きで、これまで、本を置くためだけに、自宅とは別にアパートを借りていたというくらいだ。アパートって言っても東京の話である。弘前だと一軒家が2軒以上借りられそうな家賃だと聞いた。
 その関さんから、自分の蔵書を弘前のために役立てて欲しいと、僕の友人が相談を受けた。東京の人間が何故弘前なのか? という話は長くなるので省くが、縁があって何度も足を運ぶうちに弘前が好きになった、くらいのことは書いてもいいだろう。関さんが、青森公立大学で教鞭をとられていたことも、縁の一つだ。
 最初、僕は、その友人から相談を受けた時、ごく簡単に、大学や公立図書館に寄贈をすればいい、と考えた。でも、お会いして直接話を伺うと、どうも違う。自分の蔵書を中心に、若い人(関さんの年齢からみれば、昭和30年生まれの僕でも充分若いらしい)が集って語り合える場所を創りたいというような希望であった。
 僕も、その友人も、根っからの文化系だ。本に囲まれて、ビールでも飲みながら談笑できる場があったらどんなに楽しいかと、すぐにその話に乗ってしまった。
 それから一年。大勢の人に相談をし、無理なお願いを繰り返し、ご迷惑をかけながらも、この度のオープンにこぎつけることができた。有難いことに、これまた大勢の方から、物心両面でのご協力を頂戴できた。ただただ感謝あるのみである。会員も、発足後1週間ではあるが、順調に増えている。
 とは言え、一部では、会員制として会費を徴収することに批判的な意見もあるらしい。ただ、はっきりと言わせてほしい。読書クラブ、あるいは図書館なんて事業は、それ自体全く利潤を産むものではない。維持するためには、そこに価値を見出してくれる同好の士の協力が不可欠なのだ。間違っても、そこで小遣いかせぎをしようとか、儲けようなんてスケベ心は微塵も持っていない。
 年会費6000円が高いか安いか、それは人それぞれだろう。月に直せば500円。1時間くらい時間がふと空いたときに、喫茶店に行ってもコーヒー一杯500円、パチンコ屋に行けばいくらかかるかわからないこのご時世、本を読みながら暇をつぶせればそれでいい、と考える人には是非入会を検討してみてほしい。
 年会費 6000円。 定休日 毎週火曜日。 開館時間 正午から19時まで。残念ながら、まだ倶楽部のホームページなどはない。いまのところ、問い合わせは、電話・FAXとも、1072-33-4033まで。
 よろしくお願いします。

弘前市6月定例議会中間報告

 しばらくぶりの更新になります。ずーっとサボってて申し訳ありません。
 6月議会が始まって、なにかにと忙しくなって・・・  言い訳ですね・・・。
 加えて、3月以来の疲れがなかなか抜けなくて、会合などがない日は、夕食後、すぐ眠ってしまったりして・・・言い訳ですよね・・・。
 今日から、パンツのひもを締めなおして、また書き始めます。

 で、その6月議会のことである。6月20日から23日まで一般質問が行われた。今回の一般質問の見どころ聞きどころは、何といっても、4月の統一地方選で初当選した8人の新人のデビュー振りであった。
 個人的な感想を述べれば、8人8色、それぞれに個性が表れていて面白かった。全員、声が大きく、元気がいいのが良い。冒頭書いたように、倦怠感が全身からにじみ出ている(であろう?)己と比べて、活き活きとしている。
 ただ、決して100点満点ではない。まず、棒読みではなかったものの、原稿に頼りすぎの傾向がある。朗読ではなく自分の語り言葉で質問するべきだろうと、僕は思うし、少なくとも自分では実践している。
 もう一つの減点要因は、”質問”というよりは”演説”が多かったように思える点だ。一般質問というのは、行政全般に渡って、市民の代表として、理事者側に、基本姿勢や具体的施策を問いただす場だと考えている。だから、質問する人間の視線や言葉は、理事者側に向けられるものだろうと思う。ところが、今回の新人の質問の中には、われわれ議員や傍聴席に向かって自分の考えをアピールしているような感じのものもいくつかあった。まぁ、考え方の違いと言ってしまえばそれまでだが、僕にはそんな点が気になった。
 などと辛口のように聞こえるかもしれないが、全員、十分合格点なのだ。物おじせず堂々としているところなど、僕も見習わなければならない。

 一般質問終了後、何人かの新人議員とも話あったのだが、その中で、現行の一般質問のやり方に対して、変えていかなければならない、という意見が多く出された。
 今のやり方は、まず、質問者が議場中央の質問席に登壇し、3つから4つ、多い人だと8~10の項目に渡り一気に質問を読み上げて(?)しまう。それに対して、理事者側から市長・副市長もしくは担当の部長等が、そのすべての項目に対して、代わる代わる答弁書を読み上げる。その答弁を聞いた質問者は、再質問を、今度は質問席ではなく自分の席から、何点かに渡って行い、それに対して、また質問された項目すべてについて答弁が行われる。同じようにして、再々質問と答弁が繰り返される。質問はそこまで、つまり、質問席での質問、再質問、再々質問の3回までしかできない。持ち時間がいくら余っていようとも、あとは、意見なり要望を述べて終わらなければならない。
 今回も、新人のKさんが、その仕組みを知らず、4回目の質問に入ろうとして、時間半ばで議長から持ち時間を打ち切られてしまった。Kさんは、項目ごとに再質問をしようとしていたのだが、今の制度だと、再質問・再々質問も複数項目一気に済ませなければならない。
 こんなやりかただと、一つ一つの項目に対して、議論が深まらないばかりか、傍聴している方だって面白くないだろう。一つの質問に対して一つの答え。持ち時間の範囲内で、何度でも質問し追求できる「一問一答制」に変えていかなければ、一般質問の場は形骸化する一方ではないかと思うのである。

 今の議長は、就任の際に、「議会改革を推進する」ことを明言した。その点について、先日の議会運営委員会である議員が質問したところ、「6月議会には間に合わないが、9月議会から取り組みたい」旨の答弁をした。その言葉に大いに期待すると同時に、こちらからも積極的に仕掛けていきたい。議会改革の課題は多いが、その一つが「一問一答制」の導入であることは間違いがない。
 
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