11月30日、午後6時。弘前市役所前には、防寒服に身を包み、手には懐中電灯を持った人々が、およそ百人ほどであろうか、白い息を吐きながら集っていた。これから、一斉カラス追い払いが始まるのだ。僕も、わが家の懐中電灯を手に、その人だかりの中にいた。
市長の合図と共に、全員、手にした懐中電灯を高くかかげスイッチを押した。その光を、外濠の土塁上に並ぶ木々の上のカラスの群れに照射しながら、追手門から亀甲方面に向けて皆で歩いたのだ。幾重もの光の線が、梢にとまるカラスを射抜いて進んだ。思わぬ光の波状攻撃にカラスたちは・・・。
一つわかったことがある。カラスにも、敏感なカラスと鈍感なカラスがいることだ。光を当てられ、すぐに逃げ出すカラスもいれば、何人もが同時に光を浴びせかけても、少しも動じないカラスもいる。考えてみれば、人間にだって、一旦寝入ってしまえば、近所で火事が起きようと、目を覚まさない輩もいる。
僕は、東門から、公園の中に入ってみた。いつも、外濠のカラスしか見ていなかった。ひょっとしたら、内堀に沿った茂みも、やはり塒になっているんではないか? そんな不安がわいたからだ。
その心配は杞憂に終わった。園内の梢上に、カラスの姿をみつけることはなかった。そのかわり、外濠を追われたカラスの大群、まさに大群と呼ぶにふさわしいおびただしい数のカラスが、天守の上空を旋回していた。それは、何とも異様な風景であった。
帰りは、また、追手門から外濠沿いを歩いた。とうとう最後まで逃げなかったのか、あるいは再び戻ってきたのか、堀の向こう岸の木々の上には、カラスの黒い影が点々としていた。
市長は、開会の挨拶の中で、「市民との協働」という言葉を使っておられた。確かに、大勢の市民が、今日の追い払いに参加した。それを成果と言えば、それにも一理はある。
でも、実際にこれで、カラスはいなくなるのか? カラスの糞害を無くすることができるるのか? と言えば、その効果には、疑問符をつけざるを得ない。
いやいや、このブログで、いくら疑問符をつけたって何も解決しない。疑問は疑問として、今度の一般質問で、しっかり質していこうと思う。
ここで一句。「冬空や 闇を照らして 烏追う」。 ついでに一首。 「面白く やがて虚しきカラス追い 明日には帰る ものと知りつつ」。やっぱり、短詩・定型詩は難しい。もう止めようっと。
今日のタイトルを、”カラス”でも”烏”でもなく、”鴉”にしたのは、昔読んだ、麻耶雄嵩の小説を思い出したからだ。さっき見た天守閣上空のおどろおどろしい雰囲気を現すのには、この字が一番当てはまるような気がする。