ロンドンオリンピックが開催中だ。僕は、スポーツを観戦することは好きだが、今回はあまり熱心に視ていない。
何せ、時差の関係で、見どころは夜中から早朝にかけての時間帯だ。わざわざ目覚まし時計の力を借りてまで、起きて視る、気力も体力も無い。ミュンヘンオリンピックの時は、まだ高校生だった。毎晩深夜のラジオにかじりついていた。その分、授業時間に、睡眠不足をカバーした。40年も前の話だ。
だから、僕のオリンピックに関する情報は、地上波テレビのハイライト番組か、翌日のスポーツ新聞。かなりテンポがずれているようにも思われるだろうが、別に一刻を争うような情報でもない。
さて、柔道といい体操といい、審判の判定が覆されるような事態が続いている。柔道は、たまたま、テレビを視ていた。どちらも有効ポイントをとれず、最後は3人の場内にいる審判による判定となった。明らかに日本選手(海老沼)の方が優勢だったので、最初、相手側の旗が3本上がった時は目を疑った。すぐに、外にいる”ジュリー”と呼ばれる審判員からクレームがついて、再度主審・副審が旗を上げなおしたら、今度は、三本とも日本選手に上がった。
日本選手が勝ったからよかったようなものの、主審・副審の技量にも疑問を感じたし、同時に、面子というものも心配した。主体的に自信を持って旗を上げたのであれば、一人くらい、自分の判断を貫き通す意地があってもよかったのではないかと、今だから言える。
体操でも、同じような判定変更があったらしい。こちらも、日本チームの点数が上がり、銀メダルを取れたのだから、基本的には、めでたしめでたしなのだが、喉の奥に魚の小骨がひっかかっているような違和感も感じないわけではない。
かつて、プロ野球審判 二出川延明は、「俺がルールブックだ」といって、執拗に食い下がる、魔術師といわれた三原監督の抗議を退けた。
横綱大鵬は、世紀の誤審といわれる行司の差し違えで、自らの連勝記録を、45で中断させられてしまった。双葉山の大記録への挑戦が途切れたのだ。それでも横綱は、「そのように判断されてしまうような相撲をとった自分が悪い」と、何一つ抗議することもなかったという。
裁く側には裁く側の、自信とプライドがあった。プレイヤーたちには潔さがあった。現代は、デジタル技術の発達で、人間の目より正確な判定を、機器が行えるようになっている。だからといって、審判の権威が損なわれてもいいということは、絶対にないはずだ。
審判に不満や不服を述べる選手や役員。簡単に覆されてしまう判定。勝利至上主義が産んだ弊害といったら、言葉が過ぎるだろうか?
まぁ、でも、日本人選手には頑張ってもらいたい。頑張れ!ニッポン!




