今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2012年07月

審判受難のオリンピック


 ロンドンオリンピックが開催中だ。僕は、スポーツを観戦することは好きだが、今回はあまり熱心に視ていない。
 何せ、時差の関係で、見どころは夜中から早朝にかけての時間帯だ。わざわざ目覚まし時計の力を借りてまで、起きて視る、気力も体力も無い。ミュンヘンオリンピックの時は、まだ高校生だった。毎晩深夜のラジオにかじりついていた。その分、授業時間に、睡眠不足をカバーした。40年も前の話だ。
 だから、僕のオリンピックに関する情報は、地上波テレビのハイライト番組か、翌日のスポーツ新聞。かなりテンポがずれているようにも思われるだろうが、別に一刻を争うような情報でもない。
 さて、柔道といい体操といい、審判の判定が覆されるような事態が続いている。柔道は、たまたま、テレビを視ていた。どちらも有効ポイントをとれず、最後は3人の場内にいる審判による判定となった。明らかに日本選手(海老沼)の方が優勢だったので、最初、相手側の旗が3本上がった時は目を疑った。すぐに、外にいる”ジュリー”と呼ばれる審判員からクレームがついて、再度主審・副審が旗を上げなおしたら、今度は、三本とも日本選手に上がった。
 日本選手が勝ったからよかったようなものの、主審・副審の技量にも疑問を感じたし、同時に、面子というものも心配した。主体的に自信を持って旗を上げたのであれば、一人くらい、自分の判断を貫き通す意地があってもよかったのではないかと、今だから言える。
 体操でも、同じような判定変更があったらしい。こちらも、日本チームの点数が上がり、銀メダルを取れたのだから、基本的には、めでたしめでたしなのだが、喉の奥に魚の小骨がひっかかっているような違和感も感じないわけではない。
 かつて、プロ野球審判 二出川延明は、「俺がルールブックだ」といって、執拗に食い下がる、魔術師といわれた三原監督の抗議を退けた。
 横綱大鵬は、世紀の誤審といわれる行司の差し違えで、自らの連勝記録を、45で中断させられてしまった。双葉山の大記録への挑戦が途切れたのだ。それでも横綱は、「そのように判断されてしまうような相撲をとった自分が悪い」と、何一つ抗議することもなかったという。
 裁く側には裁く側の、自信とプライドがあった。プレイヤーたちには潔さがあった。現代は、デジタル技術の発達で、人間の目より正確な判定を、機器が行えるようになっている。だからといって、審判の権威が損なわれてもいいということは、絶対にないはずだ。
 審判に不満や不服を述べる選手や役員。簡単に覆されてしまう判定。勝利至上主義が産んだ弊害といったら、言葉が過ぎるだろうか?
 まぁ、でも、日本人選手には頑張ってもらいたい。頑張れ!ニッポン!
 

猛暑の中の報告会


 暑い! 東海林さだお風に言えば、「あぢーっ」といったところか。暑さの苦手な僕には、毎日が死闘の連続である。
 そんな猛暑の中、第21回の議会報告会を開催した。無謀にも、オリンピックの開催中であった。当然、来場者数は激減することを覚悟していた。事実、当日になって、友人から、暑さのため外出を控えたいというメールもいただいた。
 それでも、いつもよりは多少少ないとはいえ、50人を超す方々にお集りいただいた。感謝の念に堪えない。007
011 報告の内容は、これまでと大差はない。前半は自分の一般質問を、後半は議会改革の流れを中心にお話をした。
 それよりも、この報告会を続ける意義について、今日の席上ではないが、ある方から、疑義を呈されたので、そのことについて、改めて、僕の考えを述べてみたい。 
 その方は、「自分の地域選出の議員は、毎日地域に顔を出して、議会の話もよくしてくれる。3ケ月に1回しか報告会をやらないお前より、そっちのほうが偉いではないか」という意見あった。
 僕は、すぐ返事を出した。先ず、”地域選出の議員”という発想が違っている。制度上、弘前市議会議員は、弘前市全体が一選挙区なのだ。特定の地域の利益誘導をするための議員という考え方自体が、僕とは相容れない。
 次に、ここまでは字数の制限もあってネット上では書き切れなかったが、議員が常日頃から周囲の人に議会の話をすることは、ごく当たり前の話で、それを偉いと言われても、実は返答に困る。僕だって、特定の地域というものはないが、毎日のように、あちらこちらで、議会や市政の話をしている。およそ”議員”と名がつく以上、当然の責務だ。
 ただ、僕の場合は、そもそも自分を選んでいただいているのは、特定の地域ではなく、弘前全体の皆様だと考えているので、せめて定例議会の終了後くらいは、新聞等を利用して市全域に呼び掛けて、今議会で何が話し合われているのかといったことをお話させていただきたいと思っているだけだ。考えてみれば、それだって、別に特別なことでもなく、議員として当然と言えば当然のことだと思う。
 加えて言えば、立ち話や、何かのついでに、あるいは顔見知りの人と個人的に会話を交わすことの必要性も認めたうえで、それらと、今日の(いつもの)ように、一時間以上、数十人の不特定の方を前に、資料を用意して、系統立てて報告するのでは、同じ議会の話をするのでも、その意味合いは相当違っているのだろうと思う。
 だから、どっちが偉いなんて比較そのものが、既にナンセンスだと思うし、その毎日自分のお住まいの近所に顔を出して議会の話をしているという議員にも、是非、オープンな形での報告会を実施していただきたいと望むものである。情報が入れば、是非聴衆として参加したいと思う。
 その方からは、「ブログなんて書いている暇があったら、市民の声を聞く時間にあてろ」というお叱りも頂戴した。ご心配なく。ブログを書くのに、そんなに時間を費やしているわけではない。
 今日も、報告会を終え、スタッフや親しい方との懇親会で充分に皆さんのご意見を拝聴して、帰宅したあと、このブログを書いている。アルコールが入った分、誤字脱字は多いかもしれないが、すくなくとも市民の声に耳を傾ける時間を犠牲にしてまで、ブログを書いているわけでない。
 逆に、ブログを続けていれば、コメントやメールで、見ず知らずの方からもご意見がいただける。支持者や知人からのものとは別に、それはそれで、とても大切なご意見だと思う。

日曜日の午後は


 日曜日の午後は、読書人倶楽部にいる。常駐スタッフのNさんがお休みだからだ。一ケ月も前からわかっている用件であれば、Nさんに休日の調整を頼むこともあるが、そうでなければ、よほどの場合を除き、読書人倶楽部を優先している。
 今日も、朝から、地元消防団で土手町の流雪溝に水を流すという作業があった。でも、着替えや準備の都合もあって、途中で抜けざるを得なかった。
 午後には、青年会議所主催の「わげものビジョン」の第3回目が行われたはずだ。当初は、2週間前の土曜日に行われる予定であった。過去2回とも出席してきて、話の結び方に興味があったので、その時点では、出席の返事をだしていた。ところが、日程が変わって、日曜日開催ということになったので、残念ながら欠席することになった。話し合いの結果だけでも知りたいと思う。
 それ以外でも、日曜日の午後にお誘いをいただく行事が結構あるが、さっきも書いたように、調整できない場合は、基本的にお断りしている。選挙という審判を受ける立場で、こんな優先順位でいいのだろうか? と不安にならなくもないのだが、今のところ、弘前読書人倶楽部の運営に、軸足を置いていきたいと考えている。
 その代り、打ち合わせや相談事には、出来るだけ、読書人倶楽部に足を運んでもらうようにしている。今日だって、開館してすぐから、何人かの方と、倶楽部で会う約束を入れていた。ここには、パソコンもコピーもFAXもあるし、何か調べたいと思えば各種辞典もそろっているので、打ち合わせにはとても便利だと、自画自賛している。
 約束した以外の方も、ちらほらと顔をお見せになる。日曜日の度に、溜まったデスクワークを持ち込んではいるが、お客様と話していると、そっちはなかなかはかどらない。でも、僕にとっては、皆さんとの対話の方が、よっぽど重要だ。デスクワークなんて、やらなければやらないでいるうちに、やらないまま済んでしまっているものだって、少なからずある(なんて、言い切ってしまっていいんだろうか?)。人との出会い以上に大切な仕事なんて、そうそうあるものではない。
 まぁ、なんだかんだ言って、結局、4時を過ぎれば、飲み会が始まる。集まってくれた仲間たちと、楽しく盃を酌み交わしていれば、あっという間に閉館時間の7時になってしまう。飲み足りない時は、もう一軒、足を伸ばすこともあるが、今日はここでお終い。ついさっき、解散となったので、酔っぱらって朦朧とした頭で、このブログを書いている。
 このようにして、僕の日曜日の午後は過ぎていく。先週も、今週も、きっと来週も・・・。

落語家がやってきた


 先日のこのブログでもご案内したように、今日は、柳家小きん師匠が、弘前読書人倶楽部に来てくれた。師匠のトークイベントには、約30人の会員の方が、集まった。小さな倶楽部なので、30人も入れば、もう満席である。多少窮屈な思いをかけてしまったのかもしれない。
 当初は、テーブルを囲んで、普段着の噺家さんとの交流を持てれば、くらいに考えていた。いつもの読書人俱楽部での茶話会(酒話会?)の延長くらいに考えていたのだ。
 ところが、直前になって、一転した。下の写真の奥に見えるような”高座”を、急遽しつらえたのだ。副代表のKさんが、台やら座布団やら屏風を用意してくれた。
 007(開場前の会場の様子)
 そしたら、前日に倶楽部を訪ねてくれた師匠がこの会場を見て、これなら落語ができる、ということになって、今日は、特別に、二題、滑稽噺と人情噺を演じていただいた。
面白かった。ご来場の会員の方も、大喜びであった。
 お噺のあとは、飲みながら食べながらの懇親会。これも大いに盛り上がったらしい。”らしい”というのは、実は、僕は、拠無い事情で、懇親会が始まる頃には、会場から離れていた。帰ってきたのは、もう「宴もたけなわではございますが・・・」といったタイミング。駆けつけ3杯どころか、ワイン一杯飲む間もなく、中締めとなった。
 その分、二次会に行って、師匠とゆっくりと、盃を交わした。岩木山を毎日見ることができる弘前市民は幸せだという話や、弘前のラーメンの話等々、いろいろな話題を肴に酒は進んだ。”等々”とか”いろいろな”と書いているのは、今、この時点で、僕が相当酔っ払っているからだとお察し願いたい。
 001ところで、今日は、事前の取り決めで、公演中の写真撮影はしなかった。懇親会の模様も、その場にいなかったので写真は無い。代わりに、二次会での師匠と僕の写真をアップしておこう。
 えっ? 師匠はともかくお前の写真は要らない、って? まぁそう言わず、たまには僕の顔も見ていただきたい。
 ・・・、明日からアクセス数が激減するような予感がする。





土用の丑の日に


 今日は、土用の丑の日なんだそうだ。全国的に鰻を食べる日らしい。テレビのワイドショーでは、今年は鰻の値段が高騰していて、各地で影響が出ていると報じていた。
009
            (街角でみかけたポスター)
 昨日、あるスーパーマーケットを覗いてみてびっくりした。魚売り場も惣菜売り場も、あたり一面、所狭しと鰻のかば焼きが並べられている。普段は、鮮魚を置いているスペースまでつぶして、鰻の売り場としていた。
 こうまで押しつけられれば、いささか不快感も覚えてしまう。まるで、丑の日に鰻を食べなければ日本人じゃない、と言われているような錯覚すら感じる。
 一体、どうして、日本人はこうなんだろう? 誰かが〇〇だ、と言えば、皆がわーっとそれに飛びつく。バレンタインのチョコレートといい(これが一番腹が立つ!?)、恵方巻きとやらといい、右向け右で、一斉にそっちを向いてしまう。主体性も何もあったものじゃない。
 もともと土用の鰻だって、所説はあるにせよ、夏場の売り上げ減に困った鰻屋の販促手段だったというではないか。丑の日に”う”のつくものを食べればよいと、平賀源内が、知り合いの鰻屋のために流布させたという説もあるらしい。”う”がつくだけだったら、”うどん”でも”ういろう”でもよかったではないか。
 こうも簡単に、業界の手玉に乗せられて、それが古式ゆかしき伝統だと信じて疑わない。そんな日本人の一面が、僕には時おり心配になる。
 その割に、書店業界が、本を贈る日としてPRした”サンジョルディーの日”は、あまり広まっていない。やはり、食い物でなければならないのだろうか?
 伝統と言えば、端午の節句の”菖蒲湯”だとか、冬至の”柚子湯”とかは、温泉場では行なわれているというニュースは耳にするが、現在一般家庭ではどうなんだろう? ”菖蒲“業界(?)とか”柚子”業界なんていうのはあるのだろうか? なんてことまで気になってしまう。
 とかなんとか言いながら、夕方、行きつけの料理屋から、鰻のかば焼きを買ってきて食した。僕も、実は、俗物そのものなのである。
 
 
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