今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2012年10月

別れ

 
 ”華”が死んだ。我が家の愛犬だ。
 ”華”は、17年前のちょうど今頃の季節に、鶴田町の鶴の舞橋付近の売店から連れてきた。捨てられていた2匹に、売店の人が、餌を与えていたのだ。ところが、秋も深まり、もうそのシーズンは店じまいをすることになった。そこで、翌日には保健所に電話をして引き取ってもらおうと相談していたらしい。たまたまそういう折に、僕らがその売店に立ち寄って、事情を聞かせてもらうことが出来た。
 二匹のうち、一匹は、フランクフルトソーセージを差し出しても、寄ってこなかった。つかまえようとしたら茂みの向こうに逃げて行ってしまった。もう一匹は、いともたやすく寄ってきた。それが”華”だった。
 以来、ずーっと傍にいた。車が好きな犬で、岩崎海岸まで一緒にドライブにも行った。
 我が家で出産も体験した。四匹の仔犬が生まれた。三匹は貰われて行ったが、一匹は残った。今も家にいる。
 今年の夏、最初に具合が悪くなったのは、この仔犬の方だった。いろいろ調べてもらった結果、拡張型心筋症と診断された。でも、毎日、薬を飲ませているせいか、その後、症状はおさまっている。
 ”華”の様子がおかしくなったのは、10月の中旬であった。実際は、もっと早くから悪かったのかもしれないが、仔犬にかかりっきりで、異常に気がつかなかったのかもしれない。医者に連れて行ったら、内臓が炎症をおこして腹水が溜まっているとのことだった。
 薬を貰ってきたが、”華”は、なかなか薬を飲まない。仔犬の方は、ジャーキーやハムに薬をくるんでやると、何の疑いも無く食いついてくるのだが、”華”は、最初の数日間その手にのってきただけで、それ以降は、頑として口を開かなくなってしまった。
 容態が明らかに悪化したのは、先週末あたりからだ。今週に入ってからは、水すら飲まなくなった。歩くこともままならなくなってしまった。日曜日を除き、毎日医者へ連れて行ったが、快方に向かうことはなかった。
 そして今日、医者から帰ってきて約一時間後、息をひきとった。僕らが愛した優しい目は、ぱっちりと見開いたままであった。
 明日、11月1日は、1(ワン)が3つ重なることから、”犬の日”と定められているらしい。なんとも悲しい”犬の日”を迎えることになった。

YEGとの懇談


 弘前商工会議所青年部(YEG)と、市議会経済文教常任委員会との情報交換会が行なわれた。経済文教委員会は、毎年、市の体育協会との懇談会を行なっているほか、今の委員長になってから、農業委員会やJAの方々との懇談を積極的に開催してきた。弘前市議会には4つの常任委員会があるが、ここまで積極的に活動をしている委員会は他にないだろう。
 今日の会議では、商工会議所青年部が主催しているイベントへの補助金のこと、入札制度のこと。駅前再開ビルのこと、道路の渋滞のこと等、様々な意見が、青年部側から出された。一見、経済活動とは関係が薄そうな子どもの挨拶の問題まで提起された。
 僕ら議員側からも、それらに対して、それぞれの体験に基づいた考えや回答が述べられた。双方に共通して根底に流れていたのは、地元の税金が域外資本資本に吸い上げられてしまうような世の中は変えなければいけないということ。地元の企業が経営に専心し、雇用を拡大していけるような地域社会を創らなくてはならない、ということであった。
 もっともな話だ。僕もこれまで、市議会において、何度も何度も市内業者の窮状を訴え、入札や各種助成制度について、質問をし提案をしてきた。いくつかは実現をし、いくつかは未解決ながらも、検討は続けていただいているものと思っている。
 実際に民間の経営に携わっている方々から、生の声を聞くと、また違った感慨がある。皆生き残るために必死なのだ。杓子定規な行政側の価値観や規制・制度では、なかなか従来仕組みをいじらないことには、どうにもならないことも多い。
 ただ、こういった声を直接聞くことができたことだけでも、今日の会合は大きな」意味があったと思う。
 二次会、三次会と流れてきて、こんな時間になってしまった。今日中の更新にまにあうだろうか?

・・・・8秒遅れたらしい。残念!!

新しい明日へ


 何とも仰々しいタイトルだ。ドラマの最終回、小説の最終章にも使えそうな感じだが、そんな大そうなものではない。勿論、今日の首相所信表明演説で、野田が何回も喋ったという「明日への責任」などとも、一切関係が無い。
 単に、昨日の天皇賞を外した心の痛手から立ち直って、新しい一週間を前向きに生きようという決意を表したにすぎない。もっとも、反省して、ブログで競馬の予想をするのは、しばらくお休みする。次に披露するのは有馬記念になりそうだ。
 さて、今日から始まった新しい週、早速、新しい出会いがあった。日頃からお世話になっている方に同行していただき、青森県中南地域県民局の局長を訪ねたのだ。
 局長は、昭和28年の早生まれというから、歳で2つ、学年では3つ、僕の上にあたる。そのような先輩に対して人物評など失礼千万にあたるのかもしれないが、誠実で、考え方が柔軟な紳士然とされた方であった。僕の私的な、身勝手なお願いにも、真摯に耳を傾けてくれた。行政マンにありがちな杓子定規な感じは全く無く、問題解決に向けて心を配っていただいた。
 局長室を後にしてから一時間もしないうちに、「先ほどの件で・・・」と電話をいただいた。それだけでも恐縮してしまうのに、さらにその2時間後、再度連絡をいただいた。真剣に、そして即座に、僕のお願い事項に取り組んでくれていることが、ひしひしと伝わってきた。
 行政に携わる人は、いや議員も、かくあるべきと痛感した。弘前市の葛西市長のセールスポイントの一つは「スピード感を持って」だが、市役所の対応の中には、残念ながら、そうとは言い難いケースも散見される。市役所批判ばかりではない。僕自身も、いろいろ相談や依頼された事項について、自分の中で難易度や優先順位を斟酌しているうちに、思わぬ日数が経ってしまっていたということも、一度や二度ではない。ここは大いに反省をしなければならない。
 聞けば、局長は、僕の家のすぐ近くにお住まいのようだ。歩けば5分足らずの距離だ。ちょうど、局長のお住まいから2分、僕の方から3分のあたりに、たまに行く居酒屋がある。近いうちに、そこで、一献傾けることを約束して帰ってきた。
 僕は野田とは違う。「近いうち」と言ったら「近いうち」なのだ。特に酒を飲むこととなれば、それはもう本当に近いうちになるだろう。

恩知らず


 昨日今日と、さいたま市で、恩人の通夜告別式が執り行われていた。僕は、弘前での打ち合わせや先約が複数入っていて、参列できなかった。本当は、それらをすべてキャンセルしてでも、駆けつけるべきだったんだろうか? なんて恩知らずなんだろうか?
 恩人というのは、須原屋の高野嗣男会長。埼玉県下ナンバーワンの書店の経営者だ。僕は、大学を卒業してすぐ、その須原屋に入り、2年間修行させてただいたのだ。
 当時は、全国の書店の二世(ボンボン?)に、業務のいろはから業界のABCまで、カリキュラムを組んで指導するというシステムが、須原屋にはあった。期間は2年間。その間に、専門書から児童書、あるいは支店まで、3ケ月くらいのスパンで交代しながら、各売り場を経験する。返品や荷捌きの部署、あるいは教科書配送の部署にも配属になる。そうやって現場で実務を学ぶ。その他に、週に何回かは、朝の業務前に、簿記や経済、業界の基礎知識等の座学もあった。簿記の授業は、会長(当時は社長 以下略)自らが教鞭をとられた。又、実際に、取次店や出版社を見学しに行かせていただいたこともある。
 僕の場合、それまで、自分の家の手伝いなどほとんどしたことがなかったから、見るもの聞くもの、皆初めてであった。文字通り0から仕込んでいただいた。簿記も生まれて初めて学んだ。お蔭で、財務諸表の見方はわかるようになった。
 僕らのような書店の跡取り息子は、研修生と呼ばれ、全員、会長の自宅の敷地内にある寮で暮らすことになっていた。僕が入った時、同期は6人、一年先輩には8人の研修生がいた。全室個室とはいえ、風呂も食堂も一緒だし、支店勤務の人以外は、全員同じ時刻に同じ場所へ出勤し同じ時刻に帰ってくる。文字通り寝食をともにする仲間だった。朝、授業が無い日に、荒川の河川敷で野球もした。夜は、寮内の食堂で飲んだり、近所の居酒屋で飲んだり、とにかくよく飲んだ。そんな毎日を、一年二年と過ごすのだ。不思議な連帯感が生まれてくるのも自然の成り行きだ。
 又、2年制なので、一年上の先輩を通してその上の先輩方と、その上の先輩方を通してさらにその上の先輩方と、というふうに面識が広がっていく。おそらく、僕らの後輩も同じように感じていてくれているのではないか。
 だから、今でも、同じ青森県から修行にいった同期のI君とは、お互いに書店を止めてしまった今でも、連絡を取り合っているし、後輩のO君も、ここのところ会っていないが、以前はたまに行き来をしていた。このブログを熱心に読んでくださっている先輩もいらっしゃる。いつも、僕ら後輩のことを気にとめていて下さって、いろいろな情報を教えていただいている。僕が会社を倒産させてしまった時に、わざわざ心配して青森まで来て下さった先輩もいらっしゃるという。そういう絆の有り難さは、今でも忘れることはない。
 高野会長と最後にお会いしたのはいつだったろう? 確か、僕が県の書店組合の理事長に就任して間もない頃だった。浦和のお寿司屋さんに連れていっていただいた。僕の理事長就任を、心から喜んでいただいた記憶が残っている。
 しかし、時の流れは残酷だ。その数年後、僕は店を閉めた。同期6人の中で、今も書店を経営しているのは一人しかいない。競争の激化、金融機関・取次店などの締付けの中で、淘汰されていってしまった。結局、高野会長の恩に報いることはできなかったのだ。
 ・・・こうして、パソコンに向かい、キーボードを打っていても、後悔の念が、次から次から沸き起こってくる。僕は、何はさておいても、告別式に参列すべきだったのではないか? 書店人として恩を仇で返す結果となったんだから、せめてこういう時くらい、恩返しをすべきではないか・・・。
 でも、もう終わってしまった。この上は、いつか必ず、ご自宅を訪ねて、線香をあげさせてもらおう。このことは、自分で自分に約束をする。約束を違えたら、僕は一生、今日のこの後悔を背負って生きることになる。
 

秋は七つの顔を持つ


 ”芸術の秋”なのである。今日、市立博物館で行なわれている「ヨーロッパ絵画名作展」を観てきた。
 この絵画展、9月8日から開催されていたのだが、議会があったり、いろんな行事や会議が入ったりして、足を運ばないでいるうちに、明日が最終日というところまできてしまった。今回は観られないのかな、と半分はあきらめかけていた。でも、数日前、行きつけの飲み屋に入ったら、展覧会の図録が置いてあった。カウンターでワインを舐めながら、そのページをめくっているうちに、無性に行きたくなった。今日だって、実は別の予定が入っていたのだが、それをキャンセルして、ようやく観に行くことができた。
 ”読書の秋”なのである。博物館の帰り、図書館に寄った。読み終えた本を二冊返し、新たに一冊借りてきた。こいつに手をつける前に、先週借りてきた井上ひさしを読まなければならない。紀伊国屋で買った文庫本もまだページを開いていないし、読みかけの新書もある。
 このように、枕元に本が何冊も積まれている状態に、何とも言えない幸福感を覚える。反対に、手の届く範囲に、本が一冊もなければ、安心して眠りにつくことなどできない。
 ”食欲の秋”。 そんなの年がら年中だ。
 ”スポーツの秋”。 こちらはとんと縁が無い。
 ”行楽の秋”。 時間も金もない。
 “収穫の秋”。 もっぱら恩恵を享受するのみである。
 と、ここまでで秋の顔は六つ。最後の一つは、そう、”競馬の秋”である。(我ながら強引だなぁ)
 明日は、いよいよ天皇賞。先々週・先週とブログで予想を公開したところ、運かまぐれか実力か、連続して的中した。そこで、つい調子に乗ってしまい、今週も予想を書くと約束してしまった。
 ところが、明日は、業務多忙につき、発走前にブログを更新できそうにない。そこで、一日早く、今日これから予想を立ててみよう。
 今回の天皇賞の構図は、3歳馬VS古馬。人気の面では、デビュー以来負けなしの⑯カレンブラックヒルや、ダービー二着馬④フェノーメノの3歳馬に軍配が上がりそうだ。
 でも、走らせればどうだろう? 例えば、甲子園を沸かせた高校球児が、一年目からプロで活躍するケースは、絶対に無いとは言い切れないが、可能性としては決して高くは無い。あのダルビッシュだって、プロ一年目は5勝しかできなかった。
 そんな訳で、僕は、4歳以上の実績馬に期待する。エアグルーヴの仔⑥ルーラシップと、トゥーザヴィクトリーの仔⑱トゥーザグローリーは、心情的に外せない。昨年の一、二着馬、⑮トーセンジョーダン、⑬ダークシャドウも実力は充分だ。
 この4頭の組み合わせの馬連でどうだろう? いや、自信は無い。ワイドにしようかな?
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