今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2013年06月

有朋自遠方來 不亦樂乎


 学生時代の友人が、東京から、わざわざ弘前まで訪ねてきてくれた。明日、仙台で会議があるのだそうだ。一日早く出発し、仙台を通り越して新青森まで来て、その上奥羽本線に乗り換えて、弘前まできてもらえる。これを”わざわざ”と言わずして、何と言おう。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。
 実は3~4年前も、彼は、弘前に来ている。突然「今、弘前の駅前にいるんだけど」という電話がかかってきた。その時は、残念ながら、日程が詰まっていて、会うことはできなかった。だから、今回は、万難を排して、彼と会う時間を創った。
 旧交を温めるということが一番だが、今回の彼の来弘の目的には、弘前読書人倶楽部を見てみたいということもあったとのことだ。以前に僕が上京したとき、さんざん吹いてまわったせいで、友人には倶楽部の存在を、なんとなく知っていてもらっている。
 そこで、昼食のあと、読書人倶楽部へご案内した。そして、手元にある記事や、昨日の総会資料などをみせながら、倶楽部の由来や活動を説明した。
 図書室のような形態をとっているけれど、実は、いろいろな人が集って交流を深めることを目的としている。そのために、1~2か月に一度ほど、作家や落語家をよんで話を聞いたり、音楽を楽しんだり、会員の講話を聴いて勉強をする。その後は、皆で食べながら飲みながら懇談をしている・・・ということを、実際に冷蔵庫を開けてみせながら、お話をした。
 そうしたら、彼も、東京で同じような活動をしているという。ある一室を借りて、月に一回、日本の伝統や文化について、その道の専門家を読んでお話を聞く会を、ずーっと続けているというのだ。講話のあとの懇親会というところまで一緒だ。今ではほんの数人しかいなくなったと言われている”幇間”を呼んでその芸を披露してもらったり、江戸時代から続く老舗商店の店主の話をきいたりしてきているのだそうだ。さすがに東京だ。お招きする講師の数も幅も大きい。
 ただ、そうやって、「人が集まる」、「一緒に学ぶ」、「懇親を深める」といった場を創りたいという思いは共通している。そしてまた、継続していくことの価値や難しさについても、お互い理解し合うことができた。
 彼の会は、毎月第4木曜日の夜なのだそうだ。お誘いを頂戴した。何とか時間をみつけて上京し、是非一度参加してみたいものだと思う。

気が付いたら翌日


 今日、というか、もはや」昨日、弘前読書人倶楽部の年次総会が開催された。
 総会そのものは、なんら問題も無くく、シャンシャンと終了した。何回かこブログでも書いていたように、理想的な総会であった。総会は議論する場だなんて、民主主義を吐きちがえた青臭いfっ論理だと思う。その点、読書人倶楽部の会員には皆大人であった。改めて感謝したいと思う。
 ところで、今、こうしてPCに向かっているのだって、既に日付けを跨いでいるのはよ-く分かっている。言い訳するつもりは、ない! わけでもない。
 実は、読書人俱楽部総会後の懇親会で盛り上がって、しこたま呑んでしまった。懇親会後は、実質のオーナ-である関さんと、二次会に行って、又呑んだ。
 その席には、僕の初恋の人以上の特別の女性も同席してくれた。いつもに増してワインのピッチが上がってしまった。
 家に帰りついて\からも、その余韻jひたって、時が過ぎるのも忘れていたいた。気が付いたら既に、時計の針は、0時を廻っていた。
 ごめん。その時点で、日内更新の野望はついえた。おまけに、いそいで書こうにも、酔っ払ていて、思うように指が動かない。書きたい言葉と全然違う言葉が、ディスプレー上に表われる。その度に僕は、己が指とPCのキーボードに怒りの罵声を投げつけながら、このブログを打ち続けたのだ、
 などと言い訳を書き連ねているうちに、もはや午前1時が近づいてきた。僕自身、体力・気力の限界だ。
 明日から、又、日付内の更新を目指すとして、今日のところはご容赦いただきたいものだと思う。

協議なき協議会 今日の議員全員協議会から


 弘前市議会定例会は、今日が最終日。市長提出議案は全て滞りなく可決承認され、議会制度等調査特別委員会からの中間報告が読み上げられ、無事に閉会した。
 本会議終了後、議員全員協議会が行なわれた。議題は、「平成26年度 青森県に対する重点要望事項」について。毎年、6月議会の最終日に行なわれている恒例の会議だ。
 最重点要望事項は、「地域の実情に応じた特色のある子育て支援事業に対する財政支援等について」、「平均寿命の延伸に向けた取り組みについて」、「雪対策関連の特区(構造改革特別区域)の創設及び道路除排雪における国、県、市町村の協議会設立について」の3項目。これらについては市長自ら説明した。
 つづいて、重点要望事項24項目の内の、新規の4項目については副市長から説明があった。その中に、弘前大学に来ている留学生への支援に関する項目があった。僕は、この一年間、読書人倶楽部の活動を通して、何人かの留学生と直に接する機会を持ついことができた。下手な日本人学生よりも、というよりか、僕の学生時代よりも、と言った方が正確だが、遥かに真面目に勉強している彼らを間近で見ていて、何とか応援したいという気持ちが強かったので、市の説明を聞いて、とても心強く感じた。
 ところで、今日は、全員協議会という名称ではあったが、実際には”協議”がなされるような会議ではない。ほとんど一方的に、市側の説明を聞く場だ。少なくとも、県への要望について、議員各自からも提案を聞いて、一緒に練り上げようという場ではないことは確かだ。
 僕は、議員になったばかりの頃、当然、全員協議会というのは、そういう話し合いの場所だと思っていた。だから、当選してすぐの6月議会(だから前市長の時)の最終日の全員協議会で、市側から、一通り県への要望事項の説明を受けた後、すぐに勢いよく挙手した。自分なりに考えて、弘前市にとって、県に何を要望すればいいのか、提案しようとしたのだ。
 ところが、当時の議長は、僕が何も言う前に、「一番議員(僕のことだ)に申し上げます。ここはそういう場ではございませんので」と、いきなり釘を刺した。繰り返すが、僕が一言も発する前である。もうそこで、、全員協議会とは、協議する場所ではないということを、しっかりと教えられたような気がした。
 断っておくが、当時の議長を批判しているのではない。僕に釘を刺したタイミングといい、その口調といい、何ともいえない包容力があった。僕は、別段腹を立てるでもなく、振り上げた手を、ごく自然に下ろすことが出来た。以来、個人的には、とても親しみを感じている。
 それはそれとして、協議しない協議会というものには、ずーっと疑問を感じてきた。今日も、何一つ協議されることなく30分足らずで終わった。中で、一年生のK議員が、要望したことの経過や結果についても、議会に説明してほしいという要望を述べていた。もっともなことである。僕もそう思う。
 でも、それについても、いいとも悪いともいう議論一つなく、協議会は終わった。全員協議会というのは、単なる形式なのか、アリバイ作りなのか? その点では「対話と創造」を掲げる現市長政権の今も、前市長の時と、大差がないように思えてならない。

カタカナ言葉の氾濫


 今朝の産経新聞に、面白い記事が載っていた。岐阜県の71歳の男性が、「外国語を多用しているため、内容が理解できず、精神的苦痛を受けた」として、NHKを訴えたというのだ。
 裁判で勝てるかどうかは別にして、その男性の気持ちはわかる。氏は、「日本語を大切にする会」というものを結成しているようだ。申し込み用紙を送っていただければ、入会してもよいとさえ思っている。
 もっとも、僕もこのブログでも、よくカタカナ語は使っている。たまに、覚えたふりをして、タイトルに英語をつかうこともある。
 言い訳するようだが、僕は、少なくとも、自分では、一般的に使われている言葉を、使われている意味の範囲内で使おうと、意識はしている。先日はご批判も受けたが、ごく普通の国語辞典に、見出し語として載せられている言葉を、そこに記されている意味で、日常会話や私的文章の中で使う分には、ある面、致し方がないような気もしている。好むと好まざると、それだけ外来語が、生活の中に入り込んできているのも事実だし、いろいろな言葉を手の内に取り入れて発展していくのも、日本語の特色の一つだと思うからだ。
 ただ、あまりにも頻繁に、それも英和辞典を引かなければわからないような言葉や、辞典を引いてもにわかにはわからないような和製英語が、公的な場で使われているのには、正直言って閉口している。
 弘前市の施策もそうだ。スマートシティー、ドリームゲート、インクルーシブ教育等々、次から次へとカタカナ語が出てくる。老若男女問わず市民全体に、その趣旨・内容を理解してもらわなければならないはずなのに、趣旨以前に名前の意味から、その理解を妨げているように感じられるものもある。
 今議会でも、先輩議員が、「スマートシティー」ってどんな意味だ、と聞いていた。その疑問は、おそらく多くの市民が感じていることだろうと思う。
 大体にして、僕は、小学校から英語を必修にすることにすら反対である。小学生には、もっと、正しい、美しい日本語を教えるべきだと思う。国際化と称して多国語をペラペラと話すことはできても、自国語すらまともに話せない書けない国民を育てることが、安倍総理の言う「美しい国」づくりとなるのか。僕は大いに疑問なのである。
 と言いながら、僕も、この程度の文章しか書けない。酔っぱらって書けば、平気で誤字や誤変換を見過ごしてしまう。まず、自分自身で、もう一度、日本語を勉強しよう。
 というわけで、今日、紀伊国屋へ行って「日本人のための日本語文法入門」という本を買って来た。別の書店から買ったプロレスの本を読み終えてから、じっくりと勉強しよう。
  

日展へ行ってきた


 弘前市議会、今日と明日は、議事整理のため、休会となっている。
 僕は、弘前読書人倶楽部の週末の総会に向けた準備、太宰治まなびの家の月末事務、夜は弘前市民劇場の会議、といったスケジュールの合間を縫って、弘前で行われている、「日展」を観に行ってきた。市議会議員へも案内状が届いていたし、個人的にも興味があったし、母親が観たいと言っていたので、親孝行も兼ねて、会場の県立武道館まで足を運んだ。
 いやぁ、凄いものだ。あの広い武道館のアリーナが、全て展示場と化していた。パネルが迷路のように組み立てられ、そこに見上げるような大作が、ずらっと飾られていた。会場に足を踏み入れると、先ずは、その迫力に圧倒される。
 順路に沿ってしばらくしてから、ようやく気がついたのだが、いつもはスリッパに履き替えて入っているアリーナを、外履のまま歩いている。下を見ると、入口からアリーナ全体にカーペットが敷き詰められている。大きなパネルの設置といいカーぺとといい、大変な準備作業だったことだろう。
 会場は、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5つの分野に、大きく分けられている。中で、特に魅せられた作品を挙げれば、日本画では「未知の遥睨」 「灯点し頃」、「show
 window」、洋画では「風の通るところ」 「残雪の山と丘陵」、彫刻では「参上」、工芸美術では「Sweet Breeze」などだ。書は、残念ながら、僕には難しすぎた。
 弘前もしくは周辺にお住まいの方は、是非ご覧になっていただきたい。僕の好みがわかろうものだ。
 いや、僕の好みなど、どうでもいい。きっと、それぞれに、心をひかれる作品に出逢えることと思う。
 それにしても・・・、とここで嘆息。こういった期間限定のイベントだけでなく、弘前市内に、常時美術作品を展示する専用施設が欲しいと思うのは、僕だけであろうか。武道館は立派な建物だが、やはり競技施設であって、美術を鑑賞する施設としては違和感がある。いつでも本物の美術品と触れあうことができる環境というものは、子どもたちの心の教育にとしても、間違いなく必要なものだと、僕は考えるのだが・・・。
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