晦日だったのである。商売をされている方には多忙な日だ。
僕も、書店を経営していた晩年には、それはもう大変だった。端末で、金銭出納の一部始終や銀行残高と、にらめっこをしていた。場合によっては、銀行に走った。
晦日が近くなると、僕の頭の中は、もう数字で一杯になった。支払いの予定、返済の予定、それに対して売り上げはいくらで入金はいくらか…等々。布団に入って目を閉じると、まぶたの裏に数字が浮かんでは消えた。
一時、亡くなった女房が経理の見習いをしていた時期があるが、無事晦日を乗り切って、通用口の鍵を閉めたあと、ちょっとだけ寄り道をして、ビールで乾杯したものだった。
会社が倒産したあと、女房は、すぐに、親戚の経営する事務機屋に勤めることができた。僕は、破産の後始末もあったので、半年ほど家にいたあと、友人の世話になり郊外型の書店に勤めることができた。後にも先にも、完全なサラリーマンを体験したのは、初めてである。
その頃のころの話だ。ある朝、女房がやけに張り切っている。いつもより早く起きて、出勤の準備に余念がない。僕は普段と同じくマイペース。「なんで、そんなに張り切っているんだ?」と思わず尋ねた。そうしたら、「あんた、何言ってるの、今日は月末でしょ!」と一括された。そうだ。彼女は、事務機屋の営業をしていて、晦日には集金のノルマがあったのだ。やっぱり、晦日は特別の日だったのだ。それに比べて僕は、書店の一店員という立場に慣れてしまい、すっかりその感覚を忘れてしまっていた。女房からも、「ついこの前まで、月末といえば、あれほどピリピリしていたのにねぇ」と、あきれられてしまった。
晦日だったのである。もう、頭の中を数字が駆け巡ることはない。でも、今日もそれなりに忙しかった。税金と国保料の支払い、本代等、その他いろいろな支払いもあり、反対にわずかではあるが、集金するところもある。一回で済ませられればいいのだが、なかなか思い通りにははこばず、A銀行の支店を3軒まわることになった。
どこも混んでいた。随分と待たされたところもある。そんな時、気になるのは、待合の椅子の横においてあるマガジンラックだ。支店によっては、週刊誌や雑誌を数種類置いているところもあれば、女性週刊誌や料理雑誌しか置いていないところもある。銀行で発行している刊行物しかみかけない支店もあった。
何もしないで、10分20分、椅子に座って待つなんてことは、僕にはできない。何かを読んでいなければ、時間がもたない。この際、A銀行には、ロビーの雑誌の充実を切にお願いしたい。
と、僕が言える立場にはない。かつて、晦日の度にお世話になって、あげくの果てにはご迷惑をかけてしまったのがA銀行なのだ。雑誌くらいで文句は言えない。今度からはバッグに新書か文庫くらい、しのばせていこう。