今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2013年10月

秋なのに、「春の嵐」


 10月も今日で終りである。早いものだ。
 10月は、ブックトークを行なったせいか、随分と本を読んだ。数えてみたら、3日に1冊強以上のペースで読んだことになる。世の中には、毎日1冊以上読んでいる人もたくさんいるのだろうから、それくらい大したことがない、と思われるかもしれない。
 そりゃ僕だって、酒を飲みに出掛けなければ、もっとたくさん読めるはずだ。でも、日中は、朝から夕方まで会議や行事に追われ、夜は3日に2回飲んだくれて帰宅しているようだと、まともな本を読めるわけがない。だから、10月は僕にしては、驚異的なペースだったのだ。
 10月の読書の特徴は、”純文学”だ。ブックトークの前に、中学の時読んだヘッセの「車輪の下」と「デミアン」を図書館から借りて来て再読した。再読と言っても、もう45年も前に読んだきりだ。実のところ、中身もほとんど忘れてしまっていたのだが、おそらく読後感は、中学時代と、そんなに変っていなかったように思う。
 ブックトーク終了後、妙に、ヘッセ熱に浮かされて、「春の嵐~ゲルトルート~」も再読した。これはショックだった。中学時代には、これほどのショックを受けた記憶はない。
 物語は、老音楽家が、自分の青春時代を回想する、といった形で描かれている。ゲルトルートという美しい女性に対する愛情。自分を陽の当たるスポットへ引き上げてくれた歌手との友情。やがてゲルトルートは、自分ではなく、その歌手を選び結婚する。主人公の苦悩、ゲルトルートと歌手との破局、そして・・・。
 と僕が書けば、そこいらにある三文恋愛小説のように聞こえるかもしれないが、そこはヘッセである。ドイツの美しい山々や街の情景や、主人公を取り巻く多様な人間模様、そして胸の奥底から絞り出されたような描写に、僕はすっかり魅了されてしまった。
 多分、中学時代には、この物語のタイトルの意味すら、理解出来ていなかったであろう。僕自身、初老と言われるこの歳になったからこそ、新鮮に、そして真剣に読むことができたのだと思う。主人公の葛藤を共有できたように思うのである。
 世の中には、年間、6万点とも7万点とも言われる新刊が出版されているようだ。次から次へと、新しい本やベストセラーに眼を奪われることよりも、たまには、若かりし頃に読んだ本を再読してみるのもいいものだと、改めて感じた。
 なんて、もっともらしいことを書いてはみたが、今日、図書館から、ミステリーの新刊を借りてきた。手帳には、最近の書評で見つけた本の名前が書き連ねられている。11月はまた、しばらく新刊を追いかけることになりそうだ。
 朝令暮改、言行不一致は、僕の得意技でもある。

神様逝く


 川上哲治氏が亡くなられた。93歳だったそうだ。
 「赤バット」、「打撃の神様」、「テキサスの哲」・・・。昭和30年生まれの僕には、そういった打者としての記憶もイメージもない。
 あるのは、「哲のカーテン」、「ドジャース戦法」、「石橋を叩いてもなお渡らない」といった、ジャイアンツV9の監督としての姿だけだ。それも、テレビや新聞等で報道される範囲でしか、僕らは知る術をしらない。
 それでも、”川上”と言えば、僕らの世代が一定の人物像を思い描けるのは、少なからず「巨人の星」の影響があるからだろう。
 星一徹の魔送球を受け、星一徹に引退を促した現役時代の川上。ジャイアンツの監督になってからは、その子 星飛雄馬に入団テストを受けさせた。飛雄馬は甲子園の準優勝投手であり、ジャイアンツを除く11球団がスカウトに押し掛けているにもかかわらずである。
 二軍時代の飛雄馬が、紅白戦で、ホームベースカバーに入ったクロスプレーでの落球を自ら審判に告げ、相手チームにサヨナラ勝ちを許してしまう。そんな物語があった。滑り込んで生還した選手(速水)は、スライディングで落球を誘ったプレーが認められて一軍に昇格。グラウンドで飛雄馬は悩む。あの時、自分が落球を告げさえしなければ、チームは勝利し、自分も今頃は一軍に上がっているはずだ。ああ、自分は馬鹿だ。馬鹿正直過ぎる・・・。と、そこへ、川上監督が現れ、「馬鹿正直こそ尊い」と一括する。その一言で飛雄馬は立ち直り、多摩川にかかる虹に向かって走りはじめる。というシーンが、ものすごく好きだ。
 それ以降も、物語の要所要所で登場する。そのどれもが、厳格で、勝負に徹していて、それでいて人情の機微のわかる人格者として描かれている。僕らの抱いている川上哲治像は、まさしくこの漫画に出てくる監督そのものなのだ。
 「『巨人の星』に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ」という本がある。
 「巨人の星」の研究(?)本としては、一級品だ。川上の「ボールが止まって見えた」という打撃開眼の瞬間についても考察している。
 人生に必要かどうかはともかく、このタイトルのように、僕らは、「巨人の星」で、川上哲治を知り、藤本定義を知り、王や長嶋をも身近に感じることができるようになったと言っても過言ではない。今思えば、野球ファンにとって、バイブルのような漫画であった。
 川上哲治氏の訃報に接し、改めてそんなことを感じた次第である。合掌。

追伸 
 今日のブログは、「巨人の星」を読んだことの無い人には、チンプンカンプンだったかもしれない。申し訳ない。でも、是非一度読んでみていただきたいお薦めの漫画なのだ。単なる野球漫画ではない。人間の生き方をも考えさせられる名作だ。僕は、当時からアンチ巨人だが、この漫画だけは愛読していた。
  

楔型文字の衝撃


 所用で県庁に行ったついでに、青森県立美術館まで足を伸ばし、開催中の「エジプトと古代文明展」を観てきた。前々から気にはなってはいたのだが、青森市は近いようで遠い。今日のように、何かのついででもなければ、つい行きそびれてしまうこともある。
 展示は、エジプト文明、オリエント文明、ギリシア・ローマ文明、インド文明、中国文明、中南米文明、そして日本の縄文文明の7つの部屋に分かれている。各部屋の前には、来観者の理解を助けるために、それぞれの文明の年表が掲示されている。遠い日の世界史の授業を思いだす。
 高校時代、世界史は得意な方であった。教科書の欄外の小さな文字で書かれてあることや、写真や図版のキャプションまで暗記して、友達と競ったものだった。大学入試でも世界史を選択した。
 それなのに、40余年経過した今では、基本的なことすら、ほとんど憶えていない。同じ頃憶えた、プロレスラーの名前や必殺技、歌謡曲の歌詞などは、忘れることなく、すぐ口をついて出てくるというのに。受験のための詰め込み教育の限界を、自ら露呈しているようなものだ。
 幸いにして、平日の夕方だったせいか、館内はガラガラだった。お陰で、展示品を観ては年表に引き返し、そして又展示品を観る、という往復運動を、誰に気兼ねすることなく何回もできた。その時は、なんとなくわかったような気がして会場を一巡したが、家に帰って来た今では、もうすっかり忘れてしまっている。
 レプリカではあるが、ロゼッタストーンや楔型文字を、初めてまじまじと見た。文明を伝える文字の力というものを、改めてしみじみと実感した。
 今まで、僕は、自分の字のことを「楔型文字だ」と称してきた。あまりにも下手くそなので、自分でも読めなくなることもある。読解が難しいという意味で、そのように自称してきたのだ。
 でも、実際に見た楔型文字は、僕の字なんかよりも、ずーっと緻密で整然としている。これは、今までの非礼を、楔型文字に謝らなければならない。
 これからは自分の字を誰かに話す時は、オーソドックスに、”ミミズが這ったような”とでも言おうか。いや、待てよ。ミミズが這ったって、僕の字よりはまともだろう。
 結局、ミミズにも叱られそうだ。困ったものだ。

28.48


 今朝の新聞で、八戸市長選の記事を見て、びっくりした。現職が圧倒的に有利だったのは、最初からわかっていたのことなので、当落の結果については、驚くに値しない。驚いたのは、次の2点である。
 一つは、86歳の無所属の新人が、1841票も獲ったこと。政治基盤も持たないこの候補者は、街頭演説等、まともな選挙運動を一切しなかったと聞く。それでいて、この票数は、ある意味、凄い。
 二つ目は、どのニュースでも報じられているが、投票率が極端に低かったことだ。28.48%。4人に一人強しか、投票に行っていない。これは、県内の市部の選挙で、過去最低だったとのことだ。
 棄権した7割を超す有権者の行動を、どう捉えるのか。ある人は、現職に対する不信任の表れだという。事実、今回の選挙は、他に有力な候補もなく、自民党・公明党・民主党が相乗りをし対立軸もない、いわば現職の信任投票の色が濃かった。その選挙で、有権者総数の22%しか得票できなかったことは、そのように言われても致し方ない面もある。
 だけど、僕は必ずしもそうとは思わない。投票率の低さは、一人当選者の責めに帰すべき問題ではないと考える。敗れた対立候補にも、その責任はある。
 本当に勝つ気で闘ったのか? ある候補者の、選択肢を与えられてよかった、などという談話を新聞で読んだが、その程度の思いで選挙に出たのであれば、それは有権者に対して失礼な話だろう。
 ましてや、もう一人の候補者は、さっき皮肉を込めて書いたが、何も選挙運動をしなかったそうだ。これでは、投票率など上がりっこない。投票率を左右するのは、立候補者全員が、選挙と言う一大政治イベントを如何に盛り上げるかに全身全霊を傾けるか否か以外に、他には無い。その点では、勝敗よりも観客の評価を最重要視するプロレスを、少しは見習って欲しい。
 などと、評論家のようなことを書いてしまったが、来年は、我が弘前市でも、市長選挙が行われる。こちらは、さすがに、評論家気取りではいられない。リングに上がらなくとも、場外乱闘くらいには加わる準備が必要だ。少なくとも、場外乱闘で投票率が上がるのであれば、喜んで悪役を引き受けてもいい。反則の限りを尽くして、最後はベビーフェイスの必殺技の前に屈する。それは高校生の時代からお手の物だ。ただ、本当の悪役と思われてしまっては、たまったもんじゃない。
 4年前の今頃は、既に当時の現職に対して、有力な新人(今の市長)が名乗りを上げて、積極的に活動を始めていた。新聞も、当時の市長が、雨の中、秘書に傘を差させて走ったことなどを面白おかしく取り上げて、それなりに翌年の選挙に向けて、盛り上がりを見せ始めていた。
 だけど、今回は、今のところ、全くの無風状態だ。どこからも、何も、動きは見えない。もともと弘前市は、投票率のあまり高くない地域だ。このままだと、八戸の記録をも更新しかねない。少なくとも、現職だけでも、そのつもりがあるのであれば、早く立候補を表明すればいいのになぁと思う。それだけでも、多少は、選挙モードに火が付くのではないか。
  
 

ブックトークのお知らせ


 久しぶりに弘前読書人倶楽部で半日を過ごした。先週の日曜日、上京のため、スタッフのNさんに当番を代わってもらった。だから、中一週しか空いていないのだけど、随分と懐かしい感じがした。夕方からは、いつものメンバーに、新入りのプロレスファンのS君も加わって、ワインを酌み交わしながら、楽しいひと時を過ごした。
 読書人倶楽部にいたのだから、読書人倶楽部のことを書く。11月のブックトークの講師が決まった。大館市在住の映画評論家 小松宰先生だ。
 僕自身は、先生の講話を、2度ほど聞いたことがある。
 最初は、弘前文学学校の特別講義の時。大きな手振り身振りで、三島由紀夫のことをお話しされていた。
 2度目は、一昨年の12月。弘前読書人倶楽部と弘前文学学校が共催して、先生の講演会を開いた。季節がらテーマは「忠臣蔵」についてであった。先生は、おそらく、話したいことがたくさん頭の中に詰まっているのだろう。話題は忠臣蔵だけにおさまらず、あちらこちらに枝葉が広がっていった。それはそれで、とても面白かった。
 先生は、大館に住んでおられながら、弘前市とは縁が深い。先ほども触れたが、弘前文学学校の専任講師もされている。又、NHKカルチュア弘前教室でも、映画に関する講座を持っておられる。そして勿論(?)、弘前読書人倶楽部の会員でもある。
 弘前の地方紙 陸奥新報には、先日まで、「剣光一閃」という、時代劇の評論を連載されていた。この連載をまとめたものが、来月、出版されるそうだ。全国の書店にも流通されるとのことなので、弘前以外にお住いの、このブログの読者の皆さんも、書店で見かけたら、是非手にとってみてもらいたい。
 とにかく、お話の上手な方なのである。言葉が、音楽のように、まるでリズムやメロディーを伴うかの如く、発せられていく。話題も豊富だ。読書の量だって、半端なものではないはずだ。
 少なくとも、先々週の僕のたどたどしいブックトークよりも、数倍は面白いに違いない。是非大勢の方に聞きにきてもらいたい。会員の方以外でもOK。一度参加していただいて、それをきっかけとして、会員になっていただければ、幸甚である。

 弘前読書人倶楽部11月例会 ブックトーク
 日時  11月17日(日) 午後4時から
 場所  弘前読書人倶楽部(和徳町4-3)
 講師  小松宰(映画評論家)
 会費  2000円  トーク終了後の懇親会費 飲み放題だよ

 実は、12月の予定も決まっている。女流作家だ。日を(月を)改めて、このご案内もブログで行う。お楽しみに・・・。

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