10月も今日で終りである。早いものだ。
10月は、ブックトークを行なったせいか、随分と本を読んだ。数えてみたら、3日に1冊強以上のペースで読んだことになる。世の中には、毎日1冊以上読んでいる人もたくさんいるのだろうから、それくらい大したことがない、と思われるかもしれない。
そりゃ僕だって、酒を飲みに出掛けなければ、もっとたくさん読めるはずだ。でも、日中は、朝から夕方まで会議や行事に追われ、夜は3日に2回飲んだくれて帰宅しているようだと、まともな本を読めるわけがない。だから、10月は僕にしては、驚異的なペースだったのだ。
10月の読書の特徴は、”純文学”だ。ブックトークの前に、中学の時読んだヘッセの「車輪の下」と「デミアン」を図書館から借りて来て再読した。再読と言っても、もう45年も前に読んだきりだ。実のところ、中身もほとんど忘れてしまっていたのだが、おそらく読後感は、中学時代と、そんなに変っていなかったように思う。
ブックトーク終了後、妙に、ヘッセ熱に浮かされて、「春の嵐~ゲルトルート~」も再読した。これはショックだった。中学時代には、これほどのショックを受けた記憶はない。
物語は、老音楽家が、自分の青春時代を回想する、といった形で描かれている。ゲルトルートという美しい女性に対する愛情。自分を陽の当たるスポットへ引き上げてくれた歌手との友情。やがてゲルトルートは、自分ではなく、その歌手を選び結婚する。主人公の苦悩、ゲルトルートと歌手との破局、そして・・・。
と僕が書けば、そこいらにある三文恋愛小説のように聞こえるかもしれないが、そこはヘッセである。ドイツの美しい山々や街の情景や、主人公を取り巻く多様な人間模様、そして胸の奥底から絞り出されたような描写に、僕はすっかり魅了されてしまった。
多分、中学時代には、この物語のタイトルの意味すら、理解出来ていなかったであろう。僕自身、初老と言われるこの歳になったからこそ、新鮮に、そして真剣に読むことができたのだと思う。主人公の葛藤を共有できたように思うのである。
世の中には、年間、6万点とも7万点とも言われる新刊が出版されているようだ。次から次へと、新しい本やベストセラーに眼を奪われることよりも、たまには、若かりし頃に読んだ本を再読してみるのもいいものだと、改めて感じた。
なんて、もっともらしいことを書いてはみたが、今日、図書館から、ミステリーの新刊を借りてきた。手帳には、最近の書評で見つけた本の名前が書き連ねられている。11月はまた、しばらく新刊を追いかけることになりそうだ。
朝令暮改、言行不一致は、僕の得意技でもある。