我が家では、地方紙しかとっていない。全国紙は、何か大きなニュースがあった翌日か、あるいは、コンビニで興味深そうな見出しが眼に飛び込んできた時だけ、都度購入する。
配達されてくる地方紙はまだ、朝食の前後に、眼を通す時間がある。だけど、コンビニで買ってきた全国紙ときたら、目的とした記事を読んでしまえば、他のページにはほとんど眼もくれずに、部屋の隅に積まれていくだけだ。いや、正確に言えば、部屋のあちこちに投げ捨てられていくだけだ。読んだ活字の数だけを考えれば、全体のほんの数パーセントにすぎないだろう。うーん、もったいない。
週刊誌もそうだ。母が「週刊文春」を定期購読していて、僕は、新しい号が入ると、お下がり(1週前の号)をもらって読んでいる。他に、週刊ポストや現代を、やはり見出し(グラビア?)に魅かれて、たまに買う。
こちらも、全ページを読むわけではない。就寝前に、お気に入りの連載や、興味のある記事を斜め読みして、雑然と枕元に積まれていく。時に、トイレに持ち込んだりもするものだから、そこにも何冊か放置されている。これもまた、読んだページは、全体の50%くらいかもしれない。うーん、もったいない。
そろそろ、町会の、資源ごみの回収が近づいたので、今日は、夕刻のひと時を、古新聞・古新聞の整理にあてた。
新聞はいい。無条件に束ねて縛りあげた。
問題は週刊誌だ。いざ捨てるとなると、急に中を確かめたくなる。パラパラとページをめくると、面白そうな見出しが飛び込んでくる。毎週読んでいるはずの連載記事も、初めて見るような錯覚に襲われる。つい読み返してしまいたくなる誘惑を、可能な限り封じ込めるのに、多大なる努力を要した。
実際は可能でない場合の方が多かった。特に、各週刊誌に必ず掲載されている書評(ブックガイド)の記事。これは、一通り再読した。そのページの前後に掲載されている出版広告にも眼を通した。
眼を通しただけでなく、紹介されている中から、面白そうな本のタイトルと出版社名を手帳に書き留めた。20数冊の週刊誌を束ね終わった時は、手元に、15冊の、「これから読みたい本リスト」が出来上がった。
たかが、その程度の週刊誌を束ねるのに、1時間強もかかってしまったが、このリストが出来上がったおかげで、さきほど言った”もったいない”感が、だいぶ薄れていった。何となく、今日は、充実した時間を過ごしたような気分だ。