今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2014年01月

外国人は〇〇が苦手


 このブログのコメント欄の常連さんのM君から情報をいただいて、「外国人を対象とした津軽圏観光地モニタリングツアー ~青森港魅力アップのための意識調査」結果報告会に行ってきた。
 この調査は、昨年9月21日、県内在住の外国人20名が参加して行なわれた。青森市、黒石市、弘前市の観光地約10ケ所をめぐり、参加者の意見や感想をまとめたものである。
 僕は、所用で30分ほど遅れた。僕が入室した時には、ちょうど、黒石市のこみせ通りの分が終わって、弘前の観光地の調査結果発表に移るところだった。
 それぞれに、興味深いデータが発表されていた。弘前市の観光施設の中では、やはり”弘前城”が、最も高く評価されていた。
 ただ、さすがに外国人である。ドライなんだろう。お世辞とか、気遣いと言うのは少ない。中には辛辣な(?)なものもあった。
 例えば、弘前が”売り”にしている洋館。これは西洋人にには、不評だったようである。外国人が日本に来て求めるものは、いかにも日本らしい城郭や神社仏閣であって、わざわざ日本まで来て、模倣の西洋館を見たいとは思わないのだそうだ。うーん,、一理ありそうな・・。。
 同じ理由で、弘前市が売り出そうとしている"アップルパイ”にも、否定的な評価があった。いわく、西洋人にとっては、あまりにも日常的な食べもので、観光資源としてはどうか? というものだった。うーん。と、言われてもねぇ・・・。
 原因は明らかだ。20名の外国人中、アメリカが14名。他にもイギリスやオーストラリアなども含めれば、所謂”西洋人”が8割を占める。非常に偏ったサンプルだ。
 今、弘前市でもインバウンド対策に力を入れているが、対象は、台湾・中国・韓国の3ケ国だ。その面では、今回の調査そのものが、今現在の実効性を持っているものかどうかは、疑問に思われる部分もある。
  それにしても、面白かったのは、外国人が苦手な食べもののことだ。昼食に出された”天ぷら御膳”。ざるそばに握り寿司、茶碗蒸しと天婦羅。この中で、外国人が最も食べられなかった物は何だとお思いであろうか? 
 僕は、単純に、寿司だと思った。だって、ぼくの知っている外国人は、ほとんど、生ものは口にしないからだ。会場の中には、同じように考えた人も、複数いらっしゃったようだ。
 ところが、正解は、”茶碗蒸し”なのだそうだ。なんでも、プリンと錯覚して箸を(匙を?)つけるらしい。そのギャップに閉口しているとのことだ。そんなぁ、自分たちで勝手に先入観を抱いただけの話ではないか・・・。
 ことほど左様に、国を問わず、外国人と日本とでは、生活習慣や基本的価値観が、当然のことであるが異なる。今日の報告では、英語によるおもてなしだとか、他言語の案内表示とかの必要性を説いていたが、その必要性はそれとしても、肝心なことは、観光客欲しさに迎合することだけは、やめるべきだということだと思う。
 今日の外国人の意見の中に、Castle(城)は、ヨーロッパの大きな城郭を基準にするので、弘前城は、”城”と呼ばずに、弘前“公園”に統一してPRすべき、というものもあった。
 そのような暴論に対しては、毅然として、「No」と言わなければならない。日本には日本の、津軽には津軽の価値観や良さがある。そのことに誇りをもって、たとえ英語が話せなくても、外国人から評価されなくても、僕らは堂々としていればいいだけの話だと思う。
 ・・・と、英会話が全くできない僕は考える。
 

キャンティー


 東京六本木に、1960年に開業したイタリアンレストラン「キャンティー」。そこには、その当時から、皇族をはじめ、数多くの政財界や文化人・芸術畑の著名人が通っていたそうだ。そんな大物に混じって、まだ駆け出しの、いや駆け出しにすらなる前の、若い芸術家・実業人の卵も出入りをしていたそうだ。その後の日本の文化を築き上げていった画家・写真家・作曲家・作詞家・歌手・俳優・デザイナー・建築家等々。中には、既に鬼籍に入られた方もいる。彼らは、夜な夜なそこに集っては、夢を語り、互いの才能を刺激しあい、そして人脈を広げていった。大袈裟な言い方をすれば、一時期の日本の大衆文化は、キャンティーから産まれたと言っても過言ではない。
 といったようなことを書いた本を、立て続けに読んだ。「ザ・タイガース」と「安井かずみがいた時代」の2冊だ。読めば読むほど、羨ましいという思いが強くなった。

 僕は、つごう7年間、首都圏で暮らしていたのだが、残念ながら、キャンティーには行ったことが無い。学生時代には、六本木でアルバイトもしていた。誠志堂やアマンドの前で待ち合わせをしたことは何度もある(男とだ)し、友達のマンション(これまた男友達のだ)に泊まりに行ったこともある。でも、そんなレストランの存在すら知らなかった。仮に知っていたところで、僕には、そこに出入りするような才能も無ければ金も無かった・・・。
 今日、読書人倶楽部で、先日ブックトークをしてくれた若手女流小説家と打ち合わせをした。如何に、彼女の本を多くの人に読んでもらうか、彼女の才能を伸ばしていくことができるのか、といった内容であった。
 彼女には新作を書くことを強く勧めた。そして、僕は僕なりに、彼女が作家として歩んでいくために、協力できることを提案し約束をした。
 キャンティーと読書人俱楽部を比べること自体が、甚だ失礼で、ナンセンスなことは、十二分に承知している。規模もステータスも違う。第一、読書人倶楽部には、美味しいパスタも無い(ワインならある)。
 でも、かつてのキャンティーのように、弘前読書人倶楽部の交流の中から、新たな才能が産まれ育っていったとしたら、こんな嬉しいことはない。キャンティーの100万分の1にも満たないとは思うが、読書人倶楽部も、そういった形で、弘前の文化に足跡を残すことができれば本望である。

読書人倶楽部では今


 今日は午後中、弘前読書人倶楽部で過ごした。予め打ち合わせ等の約束をしていたのは二人だけだったが、その他にも、絶え間なくお客様が訪れてきてくれた。昨日、ブログに書いた風邪が、まだ抜けきっていないので、早めに家に帰ろうと思ったりしたが、結局、午後6時の閉館時間寸前まで、俱楽部にいることになった。これは、ある意味、嬉しい悲鳴である。
 読書人俱楽部などと、大そうな名前はついているが、ここは、静かに本を読む場所とはちょっと違う。本を核にして、人と人とが行き交う場所を創りたい、というのが設立の趣旨でもあった。いろんな人が出入りし、そこに交流が産まれることが、おそらく本を寄贈してくれたSさんの思いでもあったと理解している。だから今日のような、千客万来(白髪三千丈のような誇張だが)の日は、大歓迎なのである。
 人が集まれば、情報も集まって来る。会員が係わるイベントも、現在、倶楽部に案内パンフレットを置いて、来られた方にPRをしている。そのいくつかを、順を追って紹介しよう。
 2月3日には、弘前落語ふぁん俱楽部主催のヒロロ寄席、柳家喬太郎独演会がある。開演は午後6時半。場所はヒロロ4階のホールだ。喬太郎師匠は、今、週刊文春に「川柳のらりくらり」という連載を持っていて、僕は毎週欠かさず楽しみに呼んでいる。前売り券は2500円。弘前読書人倶楽部でも扱っている。
 2月15日は、午後2時から、「一度限りの声と舞踏 白・交響」というイベントがある。詩の朗読と現代舞踏のコラボの他、4人のアーティストによるトークも行なわれる。翌日には、その出演者たちと、真冬の十三湖を訪ねるというプログラムも用意されている。会費は2000円。場所は北常盤駅にある”コミュニティー・カフェ ぽっぽら”という所だそうだが、僕はまだ行ったことがない。
 さらに、3月に入ると、1日、午後1時から、日本ペンクラブ主催の「平和の日 青森の集い」が行なわれる。ペンクラブ会長の浅田次郎氏や女優の竹下景子さんをはじめ、錚々たる顔ぶれが青森文化会館に揃う。入場は無料だ。僕も行ってみようと思う。ただし、これには、役所(青森市教育委員会)がからんでいるせいか、参加希望者は、往復葉書かE-mailで予め申し込まなければならない。それを面倒くさいと感じるのは、僕がものぐさなせいだろうか?
 おっと、よそ様のイベントだけ紹介して、肝心の読書人倶楽部のイベントを書くのを忘れていた。読書人俱楽部2月のブックトークは、23日午後4時から。講師は、川柳作家の高瀬霜石さんだ。絶対に面白い話になること間違いない。このことについては、いずれ日を改めて、詳しく書いてみたい。
 さて、今日もブログを早めに書きあげた。さすがに3日連続の休肝日はつらい。あとはゆっくりとワインでも飲んで、冬の夜を楽しもう。きっと明日になれば、風邪も治っているはずだ。
 
 
 
 

連続記録


 おかしな天候が続いている。今日の最低気温は-4度、最高は+4度であったらしい。明け方のー4度はまだしも、日中の4度は、この季節には珍しく高い方だ。
 それが一転して、明日は、最高でもー2度という真冬日に逆戻りだ。その上なんと、明後日は、予報では、+6度とか7度という数字が記されている。
 こんなにも寒暖の差が激しいと、体調を崩す人も大勢いるだろう。実際に、今日、友人の医院に寄ったら、待合室は超満員であった。いつもなら、診察室でお喋りをしてくるのだが、今日はさすがに長居はできなかった。
 かく言う僕も、とうとう風邪をひいてしまった。朝から鼻声で、ときおり咳もでる。午後に市民劇場の事務局に行ったら、部屋に入るなり、風邪をひいたでしょと、見破られてしまった。それだけ、症状が顔に出ていたのだろうか。今、こうしてパソコンの前に坐っていても、何となく、この後、熱も上がりそうな気配もしている。
 原因はわかっている。日曜日の読書人倶楽部だ。
 ストーブを点けたつもりで、デスクワークをしていた。最初はそれほど寒いとは思わなかった。ところが、段々と足元から冷え込んで来たので、温度調整目盛りを高くしようとストーブの傍までいって、初めて点火していなかったことに気がついた。読書人倶楽部のストーブは、点火まで4工程あるが、どうやらその内の一つを忘れていたようだった。三度目の冬を迎えているというのに、なんという間抜けな話だろう。猿でも、もう少しもの憶えがいいかもしれない。
 そんな訳で、ブログの更新も早々に、布団に潜り込むことにしたい。本当は、こんな日は、酒でも飲んで寝るに限るのだろうが、理由あって、今日は休肝日だ。なんと、昨日と二日連続になる。今年になって初の快挙だ。パチパチパチ。
 その代わり、睡眠導入剤をいつもより多く飲んでみようか。って、そっちの方が、遥かに健康に悪そうだ。
 

自治基本条例市民検討委員会、再開


 弘前市自治基本条例市民検討委員会が再開した。この委員会は、昨年の7月に、それまでの討議をまとめた「中間報告書」を提出した。その後。これまでの間、この中間報告に対する、議員や執行機関・各種団体・市民の意見を募っていた。今日の会議資料をみれば、なんと99もの意見が寄せられたのだそうだ。
 その中で目を引いたのが、「廃案にすべし」という意見が6通も寄せられていたことだ。文言の訂正なんて生易しい意見ではない。片や条例を創ろうとし、片やそんなものは創るべきでないという。この委員会の存在理由に係わる重大な意見なのだ。
 今日の委員会では、一つ一つの内容まで、深くは言及しなかったが、本来であれば、そのような意見が出される理由や根本的な考え方について真剣に議論しなければならない。その上で修正するところは修正するなどして、廃案を望む人達にも、きちんと条例の意義と目的を理解してもらえるよう、委員会としての総意をまとめる必要があるだろうと思う。次回以降、協議が深まっていくものと思われるが、字句や文言に囚われるだけでなく、本質的な議論をしてもらいたいものだと思う。
 今日の委員会を傍聴していて感じたことがもう一つ。言葉の定義って難しいなぁということだ。正確に測ったわけではないが、「協働」とか「市」、あるいは「コミュニティー」という言葉の定義だけで、40~50分くらい、議論していたように思う。
 聴きながら、ふと、思ったのは、「まちづくり」という言葉の意味。青年会議所時代から、自分でもさんざん使ってきたが、いざ条例に読み込むとなると、その示す範囲はあまりにも広く、漠然としたものに感じる。誰もがわかっているつもりで簡単に使ってはいるが、人それぞれに思い描く意味に微妙に差がある、そんな言葉のようだ。となれば、”まちづくり条例”だとか、”まちづくりに参加”などとは、安直に書くことは難しいのではないか。まずは、ことばの意味の範囲を、しっかりと定めなければならないのではないか、なんてことを考えながら、議論を聞いていた。
 これから、この委員会は、提出された99の意見について検討を加え、3月末までに最終報告書をとりまとめていかなければならない。毎週会議が招集されるような、かなりハードなスケジュールが組まれている。委員の皆さんには、大変御苦労様としか言いようがないが、僕も出来るかぎり、傍聴に参加したいと思う。
 基本的に、これまでも、この会議に参加した日は、休肝日にしていた。これから毎週傍聴するとなれば、とりあえず週一日の休肝日を確保することができる。目標は週二日。はて、あとの一日をどうやって捻出しようかしら。
 
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