今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2014年02月

生きがい


 

004 明日、日本ペンクラブ主催、第30回「平和の日」青森の集いが開催される。浅田次郎日本ペンクラブ会長はじめ、松本侑子、見城美枝子、下重暁子など、錚々たるメンバーが青森市に集い、トークバトルを繰り広げることになっている。今日は、その歓迎レセプションが開催され、僕も青森市まで行ってきた。

 本来であれば、今日のレセプションは、僕のような似非文化人などが出席できるような代物ではなかった。事務局である青森市教育委員会が厳選(?)した、70名程度のこじんまりとしたパーティであった。

 じゃあ、何で僕が出られたかというと、単純に、弘前ペンクラブ会長の代理だったというだけの話だ。

 今、弘前読書人倶楽部内に、太宰治まなびの家の事務局が置かれている。その関係で、このレセプションの案内状が僕のところに持ち込まれた。出欠の返事の締切日も近かったので、取り急ぎ会長に電話で連絡をしたら、お前が代わりに出ろ、ということになったという次第だ。

 正直、会長代理だなんて、荷が重かったし、大儀な面もあった。でも、行って良かった。僕の席の隣が、「千の風になって」の新井満。向かい側にはアーサー・ビナードも座っている。生来のミーハーの僕にとっては、とても得難い経験だった。

 竹下景子もいた。僕は、その手前に座っている何人かの作家の横を素通りして、挨拶に行った。思ったより小柄だったが、やはり綺麗だった。

 今年は、6月には、市民劇場の例会で、栗原小巻もやってくる。これで、もう、思い残すことは無い。

 いや、待てよ。吉永小百合も、まだ、生で見たことがない。酒井和歌子もそうだ。若いところでは、長澤まさみにも会ってみたい。これじゃぁ、まだまだくたばるわけにはいかない。健康に気をつけよう。


(注) 今日のブログは、全て、敬称を省略しました。ごめんなさい。

 

カラダは正直


 昨日の、弘前市民劇場「おはなし会」は面白かった。4月例会で鑑賞する「樫の木坂 四姉妹」というお芝居の作家のお話を聞いたのだ。昭和20年8月9日長崎で被爆し、今もそこで暮らす三姉妹の生き方を通じて、今もなお消えぬ戦争の傷痕を描いたお芝居だ、と僕は理解している。タイトルは四姉妹なのに、なんで三姉妹なのかといえば、一人は亡くなっているのだ。でも、その亡くなった姉妹もまた、物語の中では重要な役割を担っている。
 昨日のお話では、何故、戦後70年近く経った今、長崎を舞台にした作品を書こうと思ったのかとか、震災後の東北と、被爆地広島・長崎の人々の心の深淵に潜む、共通した思い等について、堀江先生は語っておられた。
 いつもであれば、一通りお話を聞いてから懇親会に移るのだが、昨日は、最初から、喉を潤しながらの進行であった。その分、盛り上がったように思う。
 僕はと言えば、至って下世話な方なので、劇の内容よりも、フリーの劇作家の収入や仕事の方に興味があるものだから、アルコールの勢いを借りて、随分と不躾な質問もしてしまった。先生も、アルコールがほどよく廻っていたせいか、快く(?)答えてくれた。
 何せ僕は、昨日も書いたように、既にブログを更新してからの懇親会だ。お喋りの楽しさも手伝って、安心して一人で一本近くワインを空けた(ような気がする)。
 当然2次会にも繰り出した。今となっては、誰と何を話したのかも曖昧なのだが、とにかく楽しく飲んだ。酔って帰ってからブログを書かなくてもいいというのは、これほどまでに心が休まるものだと、改めて実感した。

 が、”好事魔多し”とはこのことだ。今日の糖尿の検査では、案の定、前回よりも数値が大きく悪化していた。おまけに血圧も高めに出た。ガンガンと叱るような主治医ではないが、口調と視線に氷のような冷たさを感じた。
 勿論、昨日一晩の暴飲が原因の全てではない。ヘモグロビンA1cというのは、1~2ケ月間の平均値が出るそうなのだ。振り返れば、2月はよく飲んだ。羽目を外した。ブログにも穴を開けた。食事も不規則だった。
 そういったことが、ほんの少し血を採るだけで、きっちりと数字に表れてしまう。カラダは本当に正直だ。一体誰に似たんだろう?

猿には負けない


 今日は、弘前市民劇場の「おはなし会」の日である。4月例会の俳優座公演、「樫の木坂 四姉妹」の作家 堀江安夫さんをお招きして、劇の見どころや、制作の狙いなどを聞かせてもらう。
 このように、市民劇場では、年6回の観劇の他に、劇団の制作の人や、作家、時には俳優にきていただき、鑑賞を深めるための「おはなし会」を開催している。劇団の人と話す機会などめったにあるものではない。これもまた、市民劇場の大きな楽しみの一つだ。
 「おはなし会」は、大体、午後2時と6時の2回行われる。6時の部だと、終了後、そのまま、劇団の人も交えての懇親会へ移行することも多い。一緒に飲めば、昼の部とはまた別の裏話も聞くことができたりして、一層、劇との距離が短くなる。今日もそのパターンだ。
 僕は、いつの間にやら、市民劇場の”宴会部長”にさせられていた。酔った勢いで自分から買って出たという話もあるが、それは置いといて、だから、今日の懇親会にも出席しなければならない。”なければならない”などと、まるで義務のような書き方をしているが、実は好んで出席しているという話も、今は置いておこう。

 ところで、2月に入ってから、ブログの更新が危うくなっている。既に、丸一日、さぼってしまったし、深夜遅くなって、極めて短い文章でお茶を濁した日もあった。
 原因は、全て、酒である。酩酊して、パソコンの前で眠りこけてしまう。これの繰り返しだ。懲りない。反省が無い。このままでは、日光の猿(あの猿たちは、今、どうしているだろう?)にも劣ると言われても、反論のしようがない。
 ようし、ここいらで、僕も、猿より毛が3本多いことを証明しなければならない。同じ過ちは、もう繰り返さないのだ。
 という訳で、早い時間にブログを更新して、これから、市民劇場に駆けつける予定だ。これで、もう、夜中に、朦朧とした頭で、眠い目をこすりながら、パソコンに向かわなくても済む。ゆっくりと作家の話を聞いて、心置きなく懇親会で飲むことができる。2次会だって3次会だって、どんと来い!だ。
 いや、待てよ。明日は、月に一度の血糖値検査の日だ。今から、主治医の、苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶ。困った。
 

思いだした!


 今日も、弘前読書人倶楽部でお留守番。昨日と今日の2日がかりで、一昨日のブックトークの後片付けをようやく終えた。
 今日は、3時頃までは、来客も少なかったので、定例議会の資料等に目を通していた。そこで、はたと思いだした。一般質問の案内をまだこのブログに書いていなかったことをだ。
 実は、先週の金曜日の議会初日に、抽選で、順番は決まっていた。が、その日は、某県議会議員や友人と飲んでいて、酩酊して帰ってきた。ブログを更新する余力は残っていなかった。だから、自分の順番だけ書いて、「他は後日」としてあったはずだ。
 いやぁ、危うく忘れるところであった。改めて、平成26年第一回定例議会の一般質問の順番を記そう。(敬称略)
3月4日 菊池勲 尾崎寿一 小西勇一 石田久 加藤とし子
3月5日 野村太郎 越明男 谷川政人 蒔苗博英 鶴ケ谷慶市
3月6日 石岡千鶴子 三上惇 小山内司 畑山聡 栗形昭一
3月7日 今泉昌一 佐藤哲 伏見秀人 外崎勝康 今薫

 以上の20名が登壇する。当初21名の予定であったが、一人、怪我で、通告を取りやめた。時間はいずれも、午前10時からである。
 僕は、市の財政のこと、岩木川市民ゴルフ場のこと、災害時の避難態勢のこと、先人・偉人の顕彰のことの、4項目を通告した。
 岩木川市民ゴルフ場のことは、12月議会に引き続き採りあげることになる。12月の段階では、市長に対し「この問題は、のどに刺さった魚の小骨のように、致命傷にはならずとも、あとあとまで心に障り続けますよ」と警告をして最後にするつもりであった。ところが、市民団体の請願書や公開質問状に対する、あまりにも誠意のない対応に腹が立ち、さらには、この度発表された「岩木川市民ゴルフ場利活用計画」のいい加減な内容にあきれ果て、再度質問することにした。
 このゴルフ場の件については、僕も含め、4人の議員が採りあげている。市民の間では、今一関心が高くないようだが、議会内では、市の姿勢に危機感を抱いている議員も複数いるということだ。
 その他では、自治基本条例についてや、教育行政についての質問が目立つ。十人十色という言葉がある。20人登壇するから20色とまではいかないが、それなりにバラエティーに富んだ内容になっているので、聴いていれば面白いと思う。インターネット中継もいいし、アップルウェーブの録画中継もいいが、やはり生で観る感動(?)は格別である。お時間がある方は、是非傍聴にお越しいただきたい。
 お陰さまで、3時以降は、会員の皆さんが途切れることなく来てくれた。飲みながら雑談をし、さっき家に帰ってきた・・・。 
 あっ、又、思いだした。インターネット中継があるんだ。その前に床屋に行かなくては・・・。

ソチに乾杯


 ソチ冬季オリンピックが閉幕した。日本の、金メダル1、銀4、銅3という成績を、皆さんはどのように感じられているであろう。僕は、けっこう頑張ったなぁと、評価している。 
 女子ジャンプ、女子フィギア、男子スピードスケート等、メダルの期待の大きかった種目でのとりこぼしもあったが、オリンピックという重圧の中で、精一杯闘った結果なのだから、健闘を讃えたい。僅かの差でメダルを逃した上村愛子の最後に見せた晴れ晴れとした表情、フリーで復活した浅田真央の笑顔、そして高梨沙良の悔しさの中にも次への決意をにじませたコメントが、とても印象的であった。(女子ばっかりだなぁ。)
 期間中、首を傾げざるを得ないコメントを、スポーツ新聞で読んだ。森元総理の論ずるに足りない暴言(呆言)ではない。むしろ、これから、本格的に論じられるかもしれない可能性もあるので、とても気になったのだ。
 それは、オネェ(オバン?)キャラで売り出しているある教育評論家のものだ。オリンピック前半、羽生や平野など、10代から20代前半の若い選手の活躍が続いた頃の話だ。その評論家いわく、彼らは皆、ゆとり教育世代だというのだ。ゆとり教育は、著しい学力の低下が問題視され、悪評のうちに方向転換させられた。しかしその評論家は、まるで今回の若異世代の活躍は、まるでゆとり教育の成果の如くコメントしていたのだ。
 なんという単純な、なんという我田引水なものの見方だろう、と思った。ゆとり世代だろうが、団塊の世代だろうが、全共闘世代だろうが、しらけ世代だろうが、詰め込み教育世代だろうが、いつの世にも、天才は生まれる。人の数十倍・数百倍努力をして道を究める秀才もいる。それだけのことだ。メダルを教育の成果と結び付けるのであれば、札幌五輪の日の丸飛行隊は、長野五輪のジャンプ陣は、イナバウアーの荒川は、皆ゆとり教育を受けて育ったとでもいうのだろうか。
 一握りの天才・秀才の活躍をもって、国家全体の教育方針までを論じようと言うのは、あまりにも危うい話だと、僕は思うのである。
 むしろ、同じ新聞に載っていた、漫画家やくみつるのコメント、「10代の選手がインタビューに答える時の”〇〇っす。”というのを改めるよう指導しろ」という方に共感が持てる。メダリストたちの偉業に敬意は表しつつも、言葉づかい、マナー、長幼の序などは、しっかり教えていく。それが教育ではないだろうか。
 などと面倒くさい話はこれまでにして、あとはテレビで総集編を観ながら、祝杯を上げよう。乾杯!
 
 
 
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