今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2014年10月

素晴らしき仲間たち


 実は、昨日の、弥生スキー場跡地についてのブログを書いたあと、小・中・高校の同期、M君と夕食をともにした。読書人倶楽部の副代表のKさんも一緒だった。取り敢えず書くだけ書いといて、帰宅してから更新をクリックした。
 会食があまりに楽しかったので、つい2次会まで行ってしまった。おかげで今朝は、多少頭が重かった。
 M君は、この10月から、弘前市の理事として迎えられた。その前までは、日本を代表する超一流企業に勤めていたのだから、そこを辞して弘前に帰ってくることは、大きな決断だったろうと思う。
 さすがに、民間のトップ企業の第一線で働いてきただけあって、考え方が斬新だ。弘前の将来についても、独特の視点を持っている。大いに勉強になった。
 実は、M君とは、小学校1年から3年まで、同じクラスであった。大学の附属だったので、実験的試みなのだろうか、少人数校でもないのに、複式学級があった。1年生と2年生が、同じ教室で授業を受けるのだ。先生は1人である。一学年は、男子8名、女子8名の、たった16人。だから、女子はともかく、男子については、今でも名簿順に名前を挙げることができる。
 中でも、M君の家には、よく遊びに行った。附属なので学区はない。彼は、電車かバスで通学していた。
 一方の僕は、前にも書いたが、家から一番近い学校という理由で、親が附属に入れたくらいだ。街のど真ん中に住んでいたので、どこへ行くにも、徒歩で用が足りた。
 だから、彼の家に行く時、バスに乗ったり電車に乗ったりするのが、もの凄く楽しみだった。
 西弘前駅(今は駅名が変わったが)の周辺は、当時は何もなかった。線路を挟んで、広大な原っぱが広がっていたような記憶がある。街中育ちの僕には、そんな環境も、とても魅力的だった。
 何日か前のブログで、僕は、学区があるのは羨ましいと書いた、それは、学校が、町会や地域の共通のシンボルとして存在することに対する羨望でもあった。
 でも、附属には附属の別の素晴らしさがある。学区がないことで、子どもたちの行動範囲は広くなる。小中一貫なので、より深い交友が産まれる。思い出を多く共有することができる。
 黒石で校長先生をしているS君も、たまに帰省すると必ず連絡をくれるK君も、読書人俱楽部会員のMさんも、皆、附属からの友達だ。癌と闘っているK君も、今年のゴールデンウィークに突然読書人俱楽部を訪ねてくれたA君も、何冊も自著を出版しているFくんも、現在僕の主治医であるO君も、この間飲みに誘ったYさんも、クラスこそ違え、小学校で一緒だった。もう50年にも及ぶ知己である。成績も素行も、全て知られているような、そんな感じだ。
 皆、素晴らしい仲間なのである。

 今日から、読書人倶楽部のNさんが、長期の休暇に入った。1週間ほど、正午から僕が店番をすることになった。そうしたら、さっそく、Koさん、F君、T君、Kuさんらが、訪ねてきてくれた。読書人倶楽部の友達は、学校も年齢も交友年数も皆違う。
 これもまた、素晴らしい仲間なのである。
 
 

忘れてはいけない場所


 「弥生スキー場跡地問題を考える市民ネットワーク」という団体の会議に出席をしてきた。略称「弥生ネット」だ。ネットワークというくらいだから、いくつかの市民団体の代表によって構成されている。
 そもそもは、市も出資する三セクが、岩木山麓の森や土をひっぺがして(?)スキー場を造ろうとしたことに端を発する。そのスキー場計画は、見通しの甘さもあってか、工事半ばで頓挫した。ところが、その跡地を市が公金を投入して買い取った。そればかりか、その地に、大型児童館という新たな箱モノを、巨額の税金を使って建てようという計画が持ち上がった。
 冬になれば、身の丈を超すような雪に覆われる場所に、児童館を建ててどうしようというのか? これ以上、自然を破壊してはならない。これ以上無駄な公共投資はやめさせなければならない。と、そこで結成されたのが、この弥生ネットであった。
 その後、この跡地の件は、前々々回の市長選の争点の一つになり、児童館計画の白紙撤回を訴えた候補者が当選をした。それからでも8年経っている。スキー場計画が頓挫し、山裾がほったらかしにされてからだと、もう10数年は経過していることになる。自然の回復力というものはおそろしいもので、その間にも、木々や草花は、どんどんと成長し続けている。
 そういった経緯を踏まえ、この弥生ネット運動も、随分と様変わりをしてきた。今では、反対のための団体から、積極的に利活用しようということを話し合う団体になった。
 勿論、箱モノを建てようというものではない。回復した自然の力を、子どもたちや多くの市民に実体験してもらえるような場所として活かせないかと検討をしているのだ。木や草にはなるべく手をかけず、最低限の安全を確保し、誰もが気軽に散策できる森というものを考えている。
 そのためにも、工事途中のまま残されている、人工の構築物(ロープ塔や小屋の残骸)など、危険物を撤去しなければならない。また、刈り払い程度の簡単な遊歩道の整備も必要だろう。
 以前、議会で、僕は、この跡地に対する市の方針を問うたことがある。っていうか、毎年1回は必ず採りあげてきた。前回の質問時には、今年度予算では、取り敢えずは、跡地内の危険物を撤去するという答弁であった。今日の会議でもその話題がでた。
 そこで、今日、担当課に、電話で失礼かとは思ったが、その状況を尋ねてみた。そうしたところ、まさに今、現在進行中だということであった。
 うーん、本当はすぐにでも、現地を見に行きたいところだ。でも、理由あって、来週一杯までは身動きがとれない。何とか雪の積もる前に、状況を確かめに行ってみたい。
 弥生の跡地には、しかし、回復しきれていない場所も残されている。山肌を削ってコンクリートで固められた所だ。また、本来岩木山には生息することのなかった白樺が植えられ残ってもいる。
 人間が、経済を優先するあまり、大切な自然を冒涜した”破壊遺産”として、僕らは、この場所を決して忘れてはならない。
 

Nさんとの対話


 大学病院で、会計を終えると、Nさんから声をかけられた。Nさんとお会いするのは、本当に久しぶりだ。
 Nさんは、女性中心の市民団体の代表を長く務められていた。僕が、議員になる遥かに前からお付き合いさせていただいている。美しい容貌と鋭い舌鋒が印象的な魅力ある女性だ。
 弥生スキー場跡地を市が買い取って大型児童館を建てようとした問題や、周辺地域住民の声を無視して新興住宅地に全天候型スポレク施設を建てようとした問題の時は、一緒反対に運動をした。Nさんたちの頑張りもあって、その運動は実を結んでいる。
 病院内のロビーの長椅子に並んで腰をかけて、しばらく話をした。体調を悪くされて、その市民団体の代表を辞されてからもう数年になる。Nさんも、僕が糖尿だということは知っている。場所が場所だけに、先ずは、お互いの健康を気遣う言葉から会話は始まった。Nさんは、以前、ご自宅でお会いした時よりも、だいぶお元気そうに見えた。
 そのうちに話題は、来年の統一地方選のこと、今の市政のこと、そして岩木川市民ゴルフ場のことへと進んだ。Nさんも、ゴルフ場の破綻処理に関する市の施策、すなわち一企業の清算配当金に公金を投入することには大反対だという。僕は、その件をめぐる議会での議論の様子や、議員の賛否の実態などをお話した。
 Nさんは、4年半前の市長選の時は、所属する市民団体を挙げて、今の市長を積極的に応援した。それだけに、岩木川市民ゴルフ場に関する市長の姿勢や施策には落胆し、相当厳しい目を向けている。
 そのゴルフ場についてである。市民92人が提出した「特別清算補助金」の支出を差し止めを求めた住民監査請求が、この度、市の監査委員会によって棄却された。その報告と、今後の対策を話し合う市民集会が18時から開催され、僕も行ってきた。どうやら、今後、闘いは司法の場に移っていくことになる。
 僕は、住民監査請求の請求人でもなければ、訴訟の原告にもならない。何故ならば、請求棄却の文書にもあるように、今となっては、特別清算補助金を可決した弘前市議会の一員なのだ。不本意ながら。勿論、僕は反対討論を行い否決にまわったのだが、起立多数で議会が認めてしまった事実は如何ともしかたがない。
 ただ、この監査請求→住民訴訟といった動きは、関心をもって見守り続けたい。そして、これからも、「おかしいものはおかしい。駄目なものは駄目」と、信念を曲げずに主張していこうと思う。
 

名画の花束


 時間の合間をみて、博物館で開催されている、特別企画展「名画の花束」を観てきた。平日の午後だけに、中にいたのは、僕と数人だけだった。
 まぁ、僕は、芸術に関するセンスも教養も、ほとんど持ち合わせていない。小学校の時の図工の成績は2だった。だから、これから書くことは、単なる素人の感想と思っていただいてもよい。
 何と言うか、寄せ鍋のような展覧会であった。洋画も日本画も、油彩も水彩も版画も、ルノアールもピカソも棟方志向功も奈良美智も、同じ部屋の中に展示されている。風景画も人物画も抽象画も混じっている。何か、観ていて落ち着かない。
 それはそれで楽しいという向きもあるだろう。僕も寄せ鍋は嫌いではない。でも、同じ鍋ものでも、すき焼きと寄せ鍋のどちらをとるかと聞かれれば、すき焼きと答える回数の方が多いと思う。
 9月の議会で、博物館を、もっと小中学生に利用させてほしいと提案した。それに対して、「名画の花束展」では、児童生徒の利用を促進するような企画を考えているという答弁があった。
 その企画の一つとして、児童生徒向けの展示解説が、土曜日に行なわれているという。また、土曜日の午前中には、児童生徒と一緒に来館した保護者も無料になるそうだ。とてもいい事業だとは思うが、残念ながら、土曜日には、時間をとれそうにもないし、連れていくような子どももいない。
 児童生徒向けに、解説プレートの中の漢字には、ルビがふられていた。これは、大人にとっても有り難かった。
 ただ、気になったのは、やはり児童生徒向けに、一般に知られているタイトルとは別の、分かりやすいタイトルがつけられていたことだ。例えば、うっかり書き留めてくるのを忘れたが、モネの「睡蓮」にも、大きく別のタイトルがつけられていて、「睡蓮」は小さく添えられていただけだった。
 これは、いささかサービス過剰だったのではないかと思う。というよりも、子どもたちが間違えて憶えてしまう危険性がある。
 人名や物の名前などは、子どもの頃に一度思い込んでしまうと、なかなか頭の中で修正がきかない。長じてから恥ずかしい思いをすることだってある。ここはやはり、難しくても正式なタイトルを教えるべきなのではないかと思った。
 うーん、しかし、今日は、頭の回転がにぶい。幼いころに間違えて思い込んでいた事を、大人になってから口にして、恥をかいた自らの事例を、さっきから思い出そうとしているのだが、なかなか出てこない。記憶力の衰えを感じる。間違いだろうがなんだろうが、もう新たに何かを覚え込むということはできないのかもしれない。

議員の視察について  今日の委員会から


 議会基本条例策定委員会が開催された。いつものことながら、活発に意見がかわされた。
 当初は、わずか半年余りで条例を策定しようという姿勢に、僕は批判的であった。でも、会議を6回重ねるうちに、実に丁寧な議論をしていることに、今は感心をしている。
 1章ごとに、条文案を一つ一つについての意見を出し合う。それについて議論をする。その場で結論がでるものもあるが、保留になったり宿題となったりするものもある。
 次の会議では、保留・宿題だったものばかりか、結論が出たと思われる部分まで、前回議論したことを、また一つ一つ確認する。それが終わってから、別の章に移っていく。
 と、このように、手間暇をかけて議論が進められている。0から創り上げたかった僕にしては、少々物足りなさものこらないでもないが、でも拙速という批判はあたらないと思う。
 今日僕は、議員の行政視察について、条文に明文化するように提案した。今討議している素案には、一言も触れられていない。
 なにせ、今、議員の視察は、世間の注目の的である。青森県内だけをとっても、M市の議員は、視察先で泥酔して、タクシーの運転手と口論になり、車を破損したというニュースもあった。I村の議員は、視察中に大相撲見物に行っていたらしい。
 こういう事件が報道されるたびに、有権者の議員に対する信頼は損なわれていく。こんな有様なら、視察と称して税金を使って何をしに行っているんだ? という疑問や怒りはもっともなことにも思う。
 また、議員が視察に行っているということを知らない人も大勢いるかもしれない。そういう制度があることは知ってはいても、どの議員が、いつ、どこへ、何の目的で視察に行ったのかは、「市議会だより」にほんの少し掲載されているくらいだ。
 これでは、議会の信頼回復はおぼつかない。
 だからこそ、せっかく議会基本条例を制定するのであれば、しっかりと条文に盛り込むべきだと思うのだ。少なくとも、行政視察という制度の目的(例えば、議員の政策形成のため・・・とか)、市民に対する報告義務くらいは、最低限、明示する必要があろうと考えている。
 あんまり嘆かわしい事件が多すぎて、視察そのものを不要という意見も、市民の皆さんの中にはあることは知っている。でも、僕は、他都市を視察することは、充分に意義のあることだと思う。要は、それをきちんとオープンに報告するか、市政にどのように反映させていくのかが大切だ。
 何よりも、議員個々の、視察に臨む姿勢が問われているのだと思う。
 
 
 
 
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