今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2015年01月

10 days after


 眼鏡を新しくしてから10日が過ぎた。この間、ブログを読んでいて予めわかっていたらしき人以外で、一目で、「おっ、眼鏡、替えたね」と言ってくれたのは、たったの4人だけであった。
 中に、土手町商店街で、紳士服店を営むYさんがいる。Yさんとは、そんなに頻繁に顔を合わせている方ではない。それなのに、直ぐ気づいてくれた。さすがに、ファッション業界の人間だなぁと感心した。
 あとは、散々である。以前のブログにも書いたように、最初は、「顔がおかしい。酔っているんじゃないか」という人がいた。真昼間からである。
 最近は、「太ったんじゃないか」、「顔が丸くなったんじゃないか」、挙句の果てには「浮腫んできたんじゃないか」という人が多くなった。「いや、眼鏡が小さくなった分、そう見えるんでしょう」と弁解はしているが、実際、測ってみると、明らかに太ってきてはいる。
 さて、1月21日に、眼鏡のことをブログに書いたら、「写真を載せなきゃ駄目でしょ」というコメントをいただいた。近いうちにアップしますと返事を書いておきながら、なかなかタイミングがつかめず、勇気もわかず、実行できないままでいた。ようし、10日後の今日、思い切って写真を公開しよう。
 ジャーン!!
 
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 28日の議会報告会の時の写真である。如何だろうか? 似合うかしら?
 「顔が変だ」、「酔ってるんじゃないか」、「太ったんじゃないか」・・・、同じことは何度も言わなくてもいい。
 この眼鏡が優れているのは、レンズとフレームが、ネジで固定されていない点だ。僕は、近眼と老眼と入り混じっているので、新聞や書類を読む時が大変だった。
 例えば、テレビをかけながら新聞を読む時なんかがそうだ。新聞は、片手で眼鏡をつまんで、額の上にずらして読む。テレビから面白そうな音声は聞こえてくれば、又片手で眼鏡の定位置に戻す。この動作を何回も繰り返す。
 従来の眼鏡だと、そうしているうちに、レンズを固定しているネジが緩んできて、やがてレンズが落ちてしまう。こんな経験を何回も繰り返してきた。
 今度の眼鏡では、少なくともそういうことはなさそうだ。
 
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 今日は、ある会合で、こんなことを言われた。「今泉さん、最近、目つきが悪くなったね」・・・。今までの中で、一番きつい一言だった。

意見が無いってことって有るの? 今日の委員会から


 今日は、議会基本条例策定委員会、選挙事務所予定地の下見、岩木川市民ゴルフ場を考える市民ネットの幹事会、そして夜は、馴染みの居酒屋に顔を出し、という風に、ブログの話題には事欠かない一日であった。でも、自ら決めたルールに従って、議会のことを書こうと思う。
 議会基本条例策定委員会では、昨年12月までに委員会の素案をまとめ公表し、それに対する、議員からの意見と市民からの意見とを募っていた。今日の会議では、そこで出されてきた意見について協議をした。
 実際の議事の流れとは後先になるが、先ず、市民から出された意見(パブリックコメント)について書く。残念ながら、たった4件しか無かった。他のパブコメと比較すれば、”4件も”と言ってもいいのかもしれない。他ではもっと少ないケースもあるだろう。
 でも、僕は、日常活動をしている中で、市議会に対する意見や要望、あるいは不満をよく耳にする。曰く、「情報公開が足りない。何をやっているのかがよく見えない」、「議論が形骸化しているのではないか」、「行政視察は本当に必要か」等々、実に多くの人からご意見を頂戴する。
 そんなことから、もっとたくさんのコメントを頂けるものと思っていた。それだけ、市民の皆さんは、議会の在り方に、関心をもっていただいているものと思っていた。
 その結果が、たった4件である。それも、意見を寄せていただいた4人は、全て、常日頃から、議会や市政に対して、積極的に提言をされている方々ばかりだ。僕は、その方々とはしょっちゅう意見交換をしている。正直言って、折角の機会なので、もっといろいろな皆さんのご意見を聞いてみたかった。
 だからと言って、コメントが少ない原因を、全て有権者の皆さんに押しつける気持ちはない。一番の原因は、1月8日のブログにも書いたように、インターネット偏重の姿勢だと思う。ホームページで募集したからそれでよし、というのでは、これから先も意見は集まらないだろう。
 パブリックコメントと並行して、議員に対する意見も募集した。それに対しては、ある一会派からしか出されなかった。そのことについても、今日の委員会では議論になった。会派の代表が集まって委員会を構成しているのに、今さら会派から修正意見が出されるのはおかしいではないかという指摘もあった。
 でも、僕は、委員会でまとめた素案について、会派として真剣に議論をし、意見を出してきていることは凄いと思う。会派が会派として機能している証だ。
 むしろ、全く意見が無いという方が心配だ。本当に理解して賛同してくれたのか、代表に任せたからそれでいいと思っているのか、そもそもあまり関心がないのか・・・?
 なんてことを書くと、また、議会の中で、先輩方からお叱りを頂戴するかもしれない。まぁ、今さら叱られるのは慣れっこだ。それよりも、反対意見も議論も無い議会って何なんだろう?。それを良しとするのは、自らが、自らの存在を否定しているようなものだと、僕は思う。
 その意味では、今日の委員会は面白かった。委員長と熱く議論を交わした。随分と生意気なことも口にしてしまった。反省、陳謝・・・、でも議論するのが議員の仕事だ。
 

街を歩けば


 県庁まで行ってきた。締め切りをとうに過ぎていた書類を届けに行ったのだ。こってりと絞られてきた。
 青森市までは電車で行った。電車のいいところは、本を読む時間が出来る。瞼が重くなってきたら、そのまま眠ればいい。
 その代わり、ドアトゥドアの自家用車と違い、駅まで、そして駅からは、歩かなければならない。まぁ、歩くと言っても県庁までだ。10分そこそこだろうか。これが、目的地が県庁ではなく、リンクステーションホールだったりすれば、最初から車で行っていたかもしれない。
 009道すがら、気になる光景にであった。新町にある複合ビル アウガの前のことだ。自転車が数台横倒しになっていて、その上に雪がどっさり積もっている。天候から推察すれば、少なくとも放置されたのは今日ではないだろう。
 アウガは、青森県にお住まいの方ならご承知の通り、多額の負債を抱え、経営改善計画策定もままならず、青森市政のお荷物にもなっているとの報道が、つい先日なされたばかりだ。
 でも、正面入り口のすぐ脇、メインストリートに面した場所が、こんな有様になっているのに、経営陣も、管理者も、あるいはテナント入居者の誰一人として片付けようとしていないのだから、経営が悪化するのも、さもありなんだ。
 帰りは、弘前駅から自宅まで歩いた。まぁ、こちらも15分くらいだ。ほぼ、大通りに沿って一本道である。
 その、たかだか15分くらいの通りの両脇に、いつのまにか、塾・予備校等が6軒も並んでいた。少子化だなどと言われているが、教育産業は繁盛しているようだ。
 福岡市に”親不幸通り”という一画があったと聞いている。かつて予備校が集中していたことから名付けられたと誰かから聞いた。だとすれば、駅から弘前公園に延びるこの通りも、”親不幸通り”と名づけられるのだろうか。
 いやいや、今の世の中、塾や予備校に通い、目標に向かって、真面目に勉強をしている子供達は、決して親不幸なんかじゃない。中・高校生時代に、しっかりと基礎学力を身につけておくことは、将来の夢を実現するための第一歩なのだ。
 ということを、自分でも中・高校生時代に気づいておくべきだった。後悔先にたたず・・・。
 たまに街を歩けば、いろいろなことを発見する。

選挙へGO!


 昨日までの暖かさはどこへやら、今日は一転、真冬の寒さが戻ってきた。よりによって、僕の議会報告会の日に・・・。自分では、日頃の行いが悪いとは思ってもいないが、今年は、僕が何かをしようとすれば、天候が崩れる。先日、気まぐれで買ったナンバーズ4も外れた。どうも神様との相性がよくない。
 そんな天候の中でも、約60名近い皆さんが集ってくれた。常連さんもいらっしゃれば、あまり見かけないかたもいらっしゃった。本当に有り難い。
 報告の内容は、12月議会のことが中心だった。その他に、弘前市議会が取り組んできた議会改革の流れについても時間を割いた。議会制度等調査特別委員会は解散したが、まだ、道半ばであることを説明した。
 最後に、4月の統一地方選のことをお話させていただいた。勿論、今日の場で「自分に投票してくれ」と言うのは、事前運動にあたり、ルール違反の誹りを免れ得ない。世の中には、戸別訪問や年賀状等で、既にそれに近いことをしている立候補予定者もいるらしいが、僕はあまり感心しない。
 僕が、今日、力を入れたのは、このところの選挙の、投票率の低さだ。例えば、4年前の市議会議員選挙だって、投票率は50,83%。その前の選挙より9ポイントも率を下げている。昨年の弘前市長選も、暮の総選挙も、目を覆うばかりの低さであった。
 投票率が下がれば、特定の地盤持った候補者、大きな組織・団体をバックに従えた候補者に極端に有利に働く。そうなれば、一部の地域・組織・団体の声だけが市政に反映されてしまうことにもなりかねない。
 多種多様な住民の声を、丁寧に市政に届けるためにも、各界各層から、しがらみをもたない、考え方の柔軟な議員が選ばれるような選挙であってほしいと願う。そのためにも、投票率の向上は、何にも勝る課題なのである。。
 今日は、とにかく、ご家族ご近所誘いあって、是非、投票に行って下さい、ということを強調した。「僕に一票入れて下さい」とは言わなかった(つもりだ・・・多分・・・違ってたらごめんなさい・・・))。いずれ時が来たら、正々堂々と言おう。
 

書くこと 話すこと


 怒涛のように続いた新年会ラッシュも、一息をついた。今日は、珍しく、夜の街にも出ず、パソコンに向かっている。もっとも、全ての新年会が終わったわけではない。2月上旬まで、何やかんやと、まだ残っている。
 さて、今年、数々の新年会に出て感じたことを書く。それは、話す時間についてのことだ。
 ある宴席でのこと。主催者が挨拶をして、来賓の祝辞が二人からあって、さらに賞を受賞された方からの挨拶もあった。その後がようやく乾杯である。ところが、その乾杯の発声に壇上にがった人のスピーチの長いこと長いこと・・・。ゆうに5分は超えていた。
 ビールの泡はすっかり消えてしまった。料理は目の前に並んでいる。あとは、飲みがら食べながら交流をはかるだけ、という段になってのこの乾杯の長さには、正直いって辟易とした。
 この人は、弘前を代表する名士の中の一人なのだが、場の空気を読めていない。あるいは、勘違いをしている。乾杯の発声とは、気の利いたことを一言二言添えて場を和ませ、あとは皆さん存分に楽しんで下さいというスタートの合図のはずだ。「ヨーイ、ドン!」の「ヨーーーーーーーーイ」が過ぎれば、誰だっていいスタートはきれないだろう。きっと。
 又、別の会では、こんなこともあった。その会は、少人数なので、乾杯のあと、参加者が一言づつテーブルスピーチをするというものであった。
 人数が少ないと言っても20人近くはいる。会全体の時間を考えれば、自ずと一人当たりに許される時間はわかろうというものだ。にも拘らず、一人で10分以上喋っていた人がいた。
 礼儀として、誰かがスピーチをしている時は、箸が止まる。隣同士のお喋りも中断する。そんな様子は見えているはずなのである。だから、これも、大いなる勘違いだろうと思う。
 じゃあ、何分くらいなら適当か? などという明確な指標はない。自分が何を求められているか、周囲の人の雰囲気はどうか、なんてことを、敏感に感じ取る感性が必要なんだろう。
 文章を依頼される場合には、大概の場合、テーマが与えられ、原稿用紙何枚以内と長さも指定される。ちょっとくらいならともかく、指定された条件を大幅に逸脱することはルール違反だし、そんなことを続ければ、やがて依頼もこなくなるだろう。
 話すことだって、基本は同じはずだ。ただし、長さやテーマは、自分に委ねられることも多い。だからこそ、その時々に応じて、的確に自己判断をしなければならない。
 などと生意気なことを書いてしまった。書いた以上は、僕も気をつけなければならない。明日は僕の議会報告会。自分では1時間でまとめようと思っている。えっ? 長い!?  だって明日は挨拶ではない。僕の話を聞いていただく会だ。短ければ短いで、「手抜きだ」とお叱りを被ることだって起り得る。
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