今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2015年02月

言行不一致


 一昨日のこのブログで、僕には引越し屋は無理だと書いたばかりだった。それなのに今日は、弘前市民劇場の引越しに精を出した。言行不一致の極みだ。
 以前にも書いたとおり、弘前市民劇場の事務局が、同じ建物の2階から1階へ移動することになった。スペースは若干狭くなる。
 僕の選挙事務所でもそうだし、市民劇場の事務局も同じだが、要は、懐に余裕が全く無い。だから、引越しと言っても、ほとんど自分たちの手で行わなければならない。
 今日は、冷蔵庫・キャビネット・スチールの棚、会議用テーブルと椅子、その他もろもろ、2階から1階へ運び下ろした。
 下ろすと言っても、長く急な階段である。それはそれで楽な作業ではない。
 しかも、市民劇場には、500人を超す会員がいるとは言え、大半が女性である。今日も、男性で集ったのは7人。他に、来ると言って来なかったのが一人、全て運び終わったあと来たのが一人、前を通りかかったけどまだ引越しの最中だったから顔を出さなかったというのが一人、・・・全部僕の友達だ。
 その7人で、えっちらおっちらと、主に重い物を運んだ。階段を何度も上り下りをした。
 疲れた。その疲れた肉体に、アルコール度数44°の泡盛をロックで流し込んだ。函館ワインとやらも1本空けてしまった。だから、このブログも、まだこんな時間なのに、いつもより誤変換が多いかもしれない。ごめんなさい。
 それでも、先日、選挙事務所にコピー機を搬入した時よりもは、疲れが少ない。ひょっとしたら、コピー機以外だったら、僕は引越し屋になれるのではないかと、今日はちょっとばかり自信をつけた、
 ・・・明日の朝になると、その自信はどこへいってしまうのかはわからない。おそらく身体中が痛くて起きられない可能性が強い。
 弘前市民劇場の引っ越しは、来週の月曜日、コピーや印刷機を業者が移動して、ほぼ完了する。電話も開通する。僕の選挙のための事務所も、月曜日から、電話・インターネットが使えるようになる。どちらにも、是非、お立ち寄りい願いたい。

まかない問答


 この2週間というもの、車の中で、落語ばかりを聴いていた。CDをとっかえひっかえ、同じ噺を何度も何度も聞いて、一人で大爆笑していた。
 その間、ラジオのニュースをさっぱり聞かなかった。帰宅も、NHKの7時や9時のニュースに間に合わないことが多い。お陰で、世の中の動きに、すっかりと疎くなってしまった。
 新聞を読むと、またぞろ、政治家と金について紛糾しているらしい。追求される閣僚は、二言目には、「法的には問題ないが、問題になったので返金した」とか、「知らなかったから違法性はない」とか、強弁とも詭弁ともつかぬ言い訳をしているようだ。バレたからといって返金するくらいなら、最初から受け取らなければいいのに、と素直に思う。
 大体にして、賄賂と献金の境目なんてそんなに明確なものじゃぁないだろう。政治家にしてみれば、個々具体的な利益供与を求められてはいないというものの、特定の企業や団体から献金を貰えば、恩義を感じたり、何かの折に情が移ることだってあるだろう(貰ったことがないのでわからないけど・・・)。献金する側にだって、何かの折には、といった期待(下心)が皆無ということはあるんだろうか(贈ったこともないのでわからないけど・・・)? いっそのこと、全ての政治献金を禁止してしまえば、これほどすっきりすることはない。
 政治には金がかかる・・・? 本当かな。系列の議員に配る餅代とか、選挙時の陣中見舞いとか、冠婚葬祭費あるいは地元での会合出席費と、その代理出席のために雇っているような私設秘書の人件費とか、そんなものの話にしか聞こえないこともある。
 今日は、午前中、久々に、カーラジオで国会中継を聴いた。しかしまぁ、何とも低レベルだ。質問する側は、憶測や思い込みで、ただヒステリックに攻撃する。ただ「お前は悪い」と印象だけで喋っているようにも聞こえる。
 答弁する側はもっとひどい。「言葉の使い方に気をつけろ」とか、「それはお前の党でもやってたじゃないか」とか、開き直りや責任転嫁のオンパレードだ。まるで子供同士の口喧嘩みたいで、聞くに堪えない。
 あきれ果てて、昼食をはさんで午後からは、また落語にした。喬太郎の「錦木検行」を、繰り返し2回聴いた。ほろっとする、とてもいい噺だった。
 そんな訳で、ここのところ、頭の中は、熊さん、八っつあん、ご隠居さんで一杯である。来週の一般質問壇上で、思わず、「毎度ばかばかしいお笑いを」とやってしまいそうだ。「おあとがよろしいようで」と、退席させられるかもしれない。

自分にはなれない職業


 昨日は、中学校の頃、プロレスラーになりたかった話や、今は落語家にあこがれているなんて戯言を書いた。その他にも、東京スポーツの記者とか、競馬の予想屋とか、なりたかった職業はいくつかある。還暦近くなった今だって、時には、そんな昔見た夢に浸たったり、今と全く違う境遇にいる自分を想像したっていいではないかと思う。
 ところが、今日は、厳しい現実を突き付けられた。僕には、たとえなりたいと思っても、絶対になることができない職業があることを、思い知らされた。

 今日、選挙のための事務所にコピー機を搬入した。弘前読書人倶楽部に置いてあった、全く使っていない機械を、運びこんだのだ。運搬には、友人のKaさんとN君が手伝ってくれた。
 いやはや、コピー機の重いこと重いこと。上下に2パーツに分かれるのだが、それでも尋常な重さではない。まるで象を持ち上げるような(持ち上げたことは勿論ないが)、そんな感覚だ。
 もっとも、ほとんど、KaさんとN君が運んでくれた。 N君は、若いし、見るからに力がありそうだが、Kaさんは、コピー・事務機の販売が本職とは言え、僕より一つ年上だ。社交ダンスが趣味という、一見華奢な体つきである。
 そのN君やKaさんは、息一つ切らしていないのに、僕はといえば、時たま手を添えたくらいなのだが、ほとほと疲れ果ててしまった。あれから9時間以上経った今でも、両肩に重みがどっしりと残っている。
 今、考えて見れば、給紙トレイに紙が入ったまま運んだ。失敗した。その分、いくらかは重かったのだろう。まぁ、僕にとっては、どっちみち、象のような重さには変わりはない。
 
 今日、わかったこと。僕は事務機器屋にはなれない(書店時代は扱ってはいたが)。引越し屋にもなれない。とことん力仕事には向いていない。
 よくそれで、プロレスラーになろうなんて考えたものだと、自分でも思う。でも、その頃は、同級生をカナディアンバックブリーカーで担ぎあげ、ブレーンバスターでマットに叩きつけていた。今は昔・・・。はぁ 

演劇・プロレス・落語、そして政治


 昨日も選挙事務所の話を書いた。その前にもあーたらこーたら書いたようにも思う。何のかんのといっても、この時期にもなれば、気にならないと言えば嘘になる。
 でも、今となれば、自分がこれまでやってきた議員活動や日常活動を、皆さんにどう評価していただけるかということに尽きる。だから、例えば、弘前読書人倶楽部であったり、弘前市民劇場であったり、弘前ペンクラブであったり、今まで普段から行っている活動は、できるだけ従来通りに続けていきたいと考えている。
 と言いつつ、昨日も書いたように、そろそろ時間と身体が限界を迎えつつある。さすがに4月のスケジュールには、一考を要するであろう。
 今日は、弘前市民劇場4月例会「満月の人よ」の制作者、トム・プロジェクトの森さんのお話を聴く会が設けられた。会社を設立した当初の苦労話、プロデュース公演のメリット・デメリット、「満月の人よ」の見どころ、俳優さんのこと、作家・演出家のことなど、1時間半にわたり、たっぷりと内輪話をお聞かせいただいた。
 その中で興味深い話があった。映画と演劇の違いについてだ。
 映画は、仮に観客が0であっても、スクリーンに映像は流れる。客の反応で、役者の演技が変わることは絶対にない。
 ところが、演劇は、観客の反応が、舞台上の演技に即反映される。拍手、笑い、視線等、客席から無言(無音ではないが)の批評が、役者のモチベーションを高めていく。だから、同じ脚本を同じ演出で何回上演しても、二つとして同じ芝居はないし、初日と最終日では、観客の目に晒された分、間違いなく最終日の方が、いい芝居になっているという。
 同じことは、プロレスでも言える。プロレスラーだって、実は観客を相手にファイトをしている。観客によって決着は変わる!?・・・なんてことを書いたからって、プロレスがショーだっていうつもりはない。
 最近はまっている落語でも、中でも特にはまっている柳家喬太郎師匠が、「同じ噺でも、初日より千秋楽の方が出来がいい」と、何かの落語会の千秋楽で枕にふっていた。でも、さすがに喬太郎師匠である。すかさず「千秋楽は疲れてますけどね」と落としていた。
 ふと思った。僕ら政治に携わる人間の演説だって、聴衆がいるのといないのとでは大違いだ。聞いて下さる方の、うなずいていたり、あるいは首を傾げていたりといった、ちょっとした仕草が、演説の出来に大きくかかわってくる。
 そんな意味では、舞台役者も、プロレスラーも、落語家も、政治家も、皆、共通点がある。観る人、聴く人、声援や批判をくれる人によって、育てていただいている。
 そう言えば、僕には、そのような職業に対する、潜在的な願望があったのだろう。中学生の頃は、本気に、プロレスラーになりたいと思っていた。ブルワーカーを買って肉体改造に取り組み、ランニングやうさぎ跳びで足腰を鍛えた。ところが、当時の日本プロレスの入門条件をみると、どうやったて身長が足りない。ってことにして諦めた。
 今は、もし生まれ変わって来られるのであれば、落語家になりたいとすら願っている。(ほんとにはまっている) 聴く人の心を魅了する、こんな素晴らしい仕事をしてみたい。いや、落語家の修業も厳しいそうだ。僕に耐えられるかどうか・・・? 何か理由を見つけて、すぐに諦めてしまいそうだ。
 今はまず、演説で、聴衆の心をとらえられるよう、頑張ろう。そして、一般質問で笑いをとれるよう・・・。
 今までも、いろいろと枕をふったり、くすぐりを入れたりしているのだが、なかなか議員の笑いをとることができない。顰蹙だけを買っている。
 うーん、稽古が足りないんだろう、きっと。・・・おいおい、一体、何の稽古何だ!?

分身の術


 選挙に使用する事務所が、いよいよ動き始めた。
 先週半ばに暖房が入ったので、早速土曜日に、事務所スタッフの顔合わせを行った。
 昨日は、電話線の工事が終わった。でも電話機はまだ無い。
 明後日は、コピー機も運びこむ予定だ。来週早々には、インターネットも使えるようになる。コピー(複合機)とパソコンが無ければ、仕事がはかどらないのが今の時代だ。
 もともと、電子レンジや冷蔵庫は揃っていた。炊飯器もある。スタッフの方が、気を利かせて、栓抜きやワインのコルク抜きも持ってきてくれた。一体、何のための事務所だか、我ながら心配にもなる。
 ともあれ、段々と、事務所としての体裁が整いつつある。皆で少しずつ、わいわいと作り上げていければいい、と自分では思っている。そうしているうちに、あっという間に4月が来そうだが・・・。
 拠点ができれば、その分、僕自身が忙しくなる。今日も、事務所と、弘前読書人倶楽部の両方に、それぞれ2回ずつ顔を出した。明日も、午前中は事務所に行くが、午後からは弘前市民劇場の打ち合わせやらイベントが続く。その他にも日常活動もあるし、原稿もいくつか依頼されている。
 来週からは、議会の一般質問も始まる。再来週は予算審議だ。質問事項の整理や調査もしっかりとやらなければならない。
 それと、暇な時はそうでもないが、忙しくなればなるほど、何故か無性に本を読みたくなる。学生時代、試験が近くなれば、逆に遊びにいきたくなったような、あの感覚だ。今も、読みかけの本、未読の本が数冊枕元に積まれている。
 そんなことを考えると、からだが二つあっても足りない。
 そう言えば、昔の忍者漫画に、分身の術というのがあった。でも、あれは、超高速でからだを動かすことで、相手に残像を見せるというのがカラクリらしい。冗談じゃぁない。そんな疲れる真似はしたくない。
 それに比べれば、孫悟空の術は簡単そうだ。確か、髪の毛を1本抜いて息を吹きかけると、無数の悟空が飛び出して、縦横無尽に飛び回るというのだった。
 しかしまぁ、この薄くなってきた頭から、髪を抜いていったらどうなってしまうんだろう。せっかく、染め始めたばかりなのに・・・。
 
 
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