今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2015年05月

今泉本店・日本ダービー・ブックトーク  三題噺のような予想


 真剣にダービーの予想をしようと思っていた。新聞を数紙買って、隅から隅まで読みつくして、血統も調べて
本気になって当てようとした。だって、このブログでは、丸二年以上、外してばかりのような気がするからだ。
 でも、今年は調子がいい。ブログに書かなかった皐月賞なんかは、的中させている。もし、ブログに書いていれば・・・、なんて「タラ・レバ」が、ここのところ続いていた。
 そこで、馬券師としての僕の名誉のためにも、ここはズバリと当てるところを、ブログの読者の皆さんにもお見せしたい・・・と、一昨日までは思っていた。
 ところが、昨日の「今泉本店同窓会」である。妙に、感傷的になってしまった。昨日の今日と言うことに、何か因縁があるのではないか。と、無理やりこじつけたくなった。
 店を閉めて、もう15年にもなるのである。そこで、15年前のダービーの勝ち馬を見る。アグネスフライトだ。母馬も祖母も、GI馬だ。全弟には皐月賞馬もいる。黄金の血統といわれた。
 今年の出走馬の中で、この馬に匹敵するのは、一番人気ではあるが、⑭ドュラメンテしかいない。こちらは、母馬、祖母、曾祖母まで、4代にわたってG1レースを制覇するという、超良血一族だ。本人(?)の皐月賞の勝ち方も強かった。配当は少ないが、この馬を外すわけにはおかない。
 単なる”こじつけ”だけではなく、もともと僕は、良血統馬が好きなのだ。僕自身は高血糖人なのではあるが・・・。
 今日の予想には、もう一つの要素がある。実は今日は、弘前読書人俱楽部のブックトークの日なのだ。秋田県在住のMさんに、絵本についてのお話しをいたくことになっている。
 そこで、絵本に関連した名前の馬がいないか、出馬表を見てみたが、浅学の僕には見つけることができなかった。じゃぁ、次の手でいこう。よし、こんなのはどうだ? 馬名・父馬名・母馬名のなかに、「ブ・ッ・ク・ト・-・ク」の6文字が含まれている馬を探してみよう。
 そしたら1頭だけいた。⑰キタサンックだ。馬名の中にブックは既にある。母馬の名が、シュガーハート。そして父馬の名がブラッタイド。これでブックトークが全部揃った。これも何かの縁であろう。
 ということで、⑭の単勝と⑰の単勝、そして⑭⑰の馬連にしよう。それに⑬⑭と⑦⑭の馬連も少し・・・、真剣にあてにいくはずが、今回もまた、こじつけ馬券とゴロ合わせ馬券になってしまった。
 
 さて、今日は、この予想を載せるために、ブックトークが始まる前に、ブログを更新している。講師のMさんには大変申し訳ない。読書人俱楽部の話題を待っている読者の皆さんの期待をも裏切ることになる。
 それで、今日のブックトークのことは、明日の、弘前読書人俱楽部のブログに掲載することにする。どうぞお楽しみに。

涙の同窓会


 中学校・高校等の同窓会、あるいは、所属していたサークル・団体のOB会などには、これまでも随分と出席してきたが、今日ほど感動した同窓会は無かった。実は「今泉本店」の元社員の集りだったのだ。
 昨年秋にも、昔の社員が集って会を開いてくれた。それは、僕が社長を務めていた時期の、役員であったり幹部社員の方々ばかりであった。
 今日の会は、もっと広範だ。昭和32年に入社したという人から、昭和60年代に入社した人まで、在籍期間も、部署も、役職も違う、約20人の人が参集した。
 中には、僕が入社する前に、既に辞めてしまっていた人もいた。僕が高校生の頃、秘かに憧れていた元女子社員もいた。
 お店を倒産させてしまってから、もう15年にもなる。当時勤めていた社員には勿論、多大なご迷惑をかけた。その時点で既に退職されていた皆さんにも、さぞやご心労をかけてしまったことと思う。
 そうした、社長失格の僕にも、こうして声をかけていただけることがたまらなく有り難い。また、既に無くなってしまった会社なのに、「今泉本店」の名前の下に、多くの人が、忙しい時間を割いて集ってくれたことに、ただただ胸が熱くなるばかりだった。
 出席者一人一人が、簡単に近況や、その後の体験をスピーチした。「その後いくつかの職に就いたが、今泉本店が私の人生の原点だった」と言ってくれる人もいた。「忘れられない青春だった」と言ってくれた人もいた。その一言一言に、僕は、込み上げてくる涙を隠すように、ビールのグラスを口に運んだ。お陰でいつもより早く、酔いが進んだ。
 参加者のスピーチの中に、よく、同期生は誰と誰だった、なんて言葉がでてきた。そう言えば、昔は、新卒の定期採用をしていたんだっけ。
 晩年は、経営に余裕もなく、欠員がでれば、随時募集をするといった形になってしまっていたが、今日の話を聞いていて、同期の仲間という存在も、愛車精神を醸成する一つの要素になっているんだなぁと、改めて感じた。
 先月の選挙でも、知らずに訪れた先で、「娘(親戚)が昔、今泉にお世話になっていた」などと言っていただいたことも、一度や二度ではない。また、何の気なしに立ち寄ったお店で、「社長!」と声をかけられたことも何度もある。見れば、元の従業員だ。そうして、今泉を辞めた皆さんが、いろいろな場所で一生懸命働いているのを目にすれば、それだけで嬉しくなる。何よりも、呼び止めてくれるその気持ちに、心を打たれる。
 15年前、会社を閉める時に僕は、不届きにも、「日本一元気な倒産者になろう」と、心の中で誓った。今思えば、ご迷惑をかけた債権者の皆様には、失礼千万の話だったに違いない。
 でも、今は、秘かに心の中で思っている。そういった元の社員の皆さんに支えていただいて、僕は「日本一幸福な倒産者」かもしれないって・・・。
 生意気で不遜で、そして甚だ傲慢な物言いを許して欲しい。何せ今夜は、あまりにも気持ちよく酔っているのだから。
 
 

文化人にはなれない


 「北奥氣圏」という同人誌がある。志が高く、書かれている内容も高度で難解だ。
 そんな、あまり一般受けしそうも無いような同人誌が、昨年、創刊10周年を迎えたことは、このブログでも書いた。
 なんて、他人事みたいなことも言っていられない。今年から僕も、その同人に加わってしまったのだ。
 ことの発端は、昨年の10周年記念パーティーの2次会の席である。同人誌編集長から、同人にならないかと誘われた。
 そこは、酒も充分入っている。二つ返事で引き受けてしまった。消防団と言い、今回の同人と言い、僕を口説き落とそうとしたら簡単だ。いいだけ酔わせてから話をすれば何でも首を縦に振る。・・・なんて自分で自分を宣伝してどうするんだ?
 そもそも、僕は、そんな同人に加われるほど、巷間喧伝されているような(どのように喧伝されているかは知らないが)、真面目な文学青年ではない。むしろ、文学とは縁遠い生活を送ってきた。
 誤解を避けるために言えば、少なくとも中学生までは、文学少年であった。おそらく、同期のなかでも、本を読んでいる冊数は、決してひけをとらなかったであろう。
 ところが、高校に進学してから、プロレス少年へと変身した。その後、大学へ行ってからは、競馬青年&アイドルオタクへと成長(?)し、今日に至っている。肩書で言えば、落語中年というのが、最近付け加えられただけで、”文学”という趣味(?)は、中学生時代に置き忘れてきたままだ。
 今日は、その同人誌の、今年度第1回目の、編集会議が行われた。発行月日、原稿締切日などが、いかにも手慣れた感じで決められていく。特集のテーマは「寺山修司生誕80年」なのだそうだ。
 うーん、困った。寺山修司と言えば、僕にとっては、当たらない競馬の評論家のイメージしかないからだ。その競馬と寺山と僕との係わりは、既に、この同人誌でも書いてしまっている。
 はてさて、何を書こうか? このようなテーマを与えられれれば、つくづく僕は、非文化人だということを、思い知らされる。
 寺山が好きだったテンポイントのことでも書こうか。でもテンポイントのことを書き始めれば、紙数が何枚あっても足りない。それに、また、忘れてかけていた、青春時代の恥部を曝け出しそうだ。

 

磯の鮑の・・・


 下土手町商店街振興組合の総会後の懇親会にご招待いただいた。ご招待って言ったって、僕は、気持ちの上では、店を閉めてもう15年も経つのに、まだ商店街の一員のつもりでいる。だから、来賓なんて言われても、なんだか面はゆい。
 実際に、先月の選挙でも、土手町の人達の声援は、ことさらに暖かかった。何か所かで数回演説をしたのだが、わざわざ店の前まで出て来て聞いてくれた人や、店の中から手を振ってくれた人も大勢いた。今にも消えそうなかすれ声で演説をしていたら、心配して喉に効くという薬を飲ませてくれたお店もあった。やっぱり、この街が、僕の故郷だと、改めて痛感した。
 ところが、世の中には、いろいろなことを耳に入れてくる人がいる。「土手町を〇〇候補が挨拶廻りをしていた」とか、「どこそこの商店は、××議員を応援していた」とかといったあんばいである。
 勿論、その人は、悪気があって言っているのではない。僕にとって有意義な情報だろうと思って、教えてくれているのだろう。
 でも、いいではないか。「土手町の人は僕を応援してくれている」というのが、仮に、僕の一方的な片思いであったって・・・。
 考えてみれば、選挙というものは、多かれ少なかれ、ある意味、方思いが無ければ、そもそも立候補すらできない。立候補する側が、あの人は自分を応援してくれている、という信頼感を持っていなければ、逆に相手から信頼を得ることも難しい。
 何千人、何万人という人にプロポーズをして、そのうち願いが成就するのが2000人。あとの数千人は、片思いで終わる、といった世界のような気もする。
 だから、例え誰が仲を裂こうとして、どんなことを言ってきたって。僕は土手町商店街に、ずーっと好意を寄せているし、向こうも僕を好いていてくれると信じている。その思いがあるから、ずーっと仲良しでいることが出来る。
 ん? 上の文の、”土手町商店街”のところを、特定の女性の名前と入れ替えても、意味は通じるぞ。うーん? 誰にしようか? 
 って悩むほど、僕はプレイボーイではない。言わずもがなである。
 話がそれた。そんなことで、今日は、僕と下土手町商店街との、言わばデートだった。お互いに愛を語り合うほどではないが、楽しく有意義な夜を過ごした(意味深?)。
 既報のとおり、お蔭様で、この度市議会において、経済文教常任委員長という大任を拝命した。商店街に関する施策は、まさに守備範囲である。これからは、こちらからデートに誘う回数が増えそうだ。
 
 

義憤


 先日も書いた、ある有料老人ホームの話だ。今日、当事者のSさんが訪ねてきて、某県議会議員に引き合わせた。その議員は、当該福祉法人とご縁があるように聞いていたからだ。
 改めて、話をおさらいしよう。Sさんは、その施設と、今年の2月19日に、入居契約を結んだ。終の住処にするつもりだと、施設長にも伝えていた。
 それが突然、3月28日か29日になって、施設長から口頭で、建物が耐震基準を満たしていないので、5月中旬までに退去してもらいたいと告げられたという。退去の理由や条件は、全入居者に一斉に文書で示されたのではなく、個別に口頭で行われたという。
 こんな馬鹿な話があるはずがない。入居して1ケ月足らずで、一方的に退去を命じられるなんて、社会通念上考えられるものではない。
 理由が耐震云々であれば、今にわかったことでもあるまい。そんな事態があるかもしれないとわかっていれば、Sさんは契約しなかったであろう。施設側は、3月下旬の理事会で急に決まったと弁明しているが、入居している高齢者に多大な負担と心労をかけるようなことを、短期間の思い付きで決めるなんて、責任上も道義上も通る話ではない。
 そもそも、耐震基準云々は、今にわかったことでもあるまい。すぐにでも退去させなければ危険だと認識している建物に、退去命令の1ケ月前に、新規に入居者を入れること自体が、問題ではないか。まさか、その1ケ月間に、何か外部要因でもあって、急激に危険度が増したとでもいうのだろうか。僕の記憶では、弘前市では、その間大きな地震等はなかった。
 何より、僕が不信感を抱くのは、そのような非情かつ非常識な措置をしておきながら、施設側に、それに対する、謝罪とか誠意とかが、ほとんど感じられないことだ。二言目には法律を持ち出して、自己を正当化する。Sさんも、その態度に、立腹されていた。
 今、市内には、至るところで、高齢者用の施設が増えている。確かに需要も又増えているし、社会的な必要があってのことだろう。だけど、経営者が、単に金儲けの手段としてしか考えていないようなケースがあってはならない。社会福祉法人の”福祉”の意味を、特に経営する側は、よく考えてみる必要がある。
 少なくとも、僕は老後、今回のような態度の施設には入りたくない。友人や知人にも、お薦めはしない。いや、世の中の人全員に、そんな施設には入居するなと、強く訴えたいくらいだ。だって、いつ何時突然に(入居して数カ月も経っていなくても)、一方的に退去させられるかもしれないんだよ。安心して老後を過ごせないではないか。
 それくらい、珍しく、義憤にかられているのである。
 
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