今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2015年06月

戻らないのがルール  今日の予算委員会から


 弘前市議会では、一般質問の際は、一問一答制を採り入れているが、予算委員会等は、一括方式のままである。つまり、例えば3つの事項を質問しようとする時は、最初に、それを全部質問してしまう。それに対して、理事者側も3つの事項全部の答弁を行う。再質問もそれに対する答弁も、再々質問もその答弁も、一括して行われる。
 その中の一つの項目に絞って質問し、答弁を貰い、さらに再質問と答弁をする繰り返す。それが一通り終わってから、次の項目の最初に戻って質問をする、ということは出来ない。いいか悪いかは別として、そういう決まりになっている。
 今日の予算委員会で、K産党会派の新人議員が、この誤りを犯した。最初に2つの項目を採りあげますと宣言しながら、一つの項目の質疑を続け、次の項目に移ろうとしたところを、委員長から指導を受けた。最初、新人議員は、よくその事情を呑み込めていなかったようにも見受けられた。
 僕も、8年前、最初に質問に立った時、同じようなことをしたことがある。その時は、議場で、先輩議員から強くたしなめられた。今回のようにやんわりとではない。罵声に近い野次も飛んできたような記憶がある。
 言い訳をさせてもらえば、だって僕は、当時、全くの無所属だったのである。だれも、そんな議会のルールの細かいところまでは教えてくれなかった。
 それに、随分と尖がった新人だったのだろう。先輩議員とはよく衝突をした。懲罰動議を喰らったこともある。無所属議員ゆえに、相談できる仲間も少なく、でも、そういう経験の中から、いろいろと覚えていった。
 それに比べると、今日の新人議員は、さきほども書いたように、会派の一員である。他に、ベテラン議員が2人もいる。そういったことは教えてもらえなかったのであろうか?それとも、慣習を破ろうとする確信犯・・・? などと、他の会派のことながら、心配したりもした。
 議会に限らず、世の中には、いろんなルールがある。時代にそぐわなくなったものもあれば、最大公約数の良しとするものとは異なるものもある。おかしなものであれば、変えていく努力は、いつの時代でも必要である。
 一方で、悪法もまた法なのである。いきなりの掟破りは、徒に秩序をこわして終わるだけということだってある。先ずは守った上で、その是非を議論すべきだろう。
 ・・・なんて、8年前の僕からは、とても考えられない発言だ。大人になったなぁ。だって還暦だもん。
 

デヴュー  今日の常任委員会より


 委員長になって初めての、経済文教常任委員会が開催された。可もなく不可も無く・・・いやいや、可が無いことは明らかだが、不可はいくつあったかわからない。
 委員長の手元には、事務局が作成してくれた口述書が置かれている。「ただいまから経済文教常任委員会を開会します」からはじまって、大体がその通りに読んでいれば、大過なく過ごせるようになっている。8年前、初めて常任委員会に出た時、委員長のそばに座って、そのからくり(?)を知った。あっ、これだったら、委員長は簡単にできそうだなと、身の程知らずにも思った。
 冗談じゃない。緊張するものである。今日、口述書が目の前にあったって、どぎまぎした。却って、そこに書かれてある通りに読もうと思うから、逆にたどたどしくなるのかもしれない。
 今日は、条例案1件と、請願2件を審査した。委員長は、基本的には討議にも採決にも加われない。可否同数の場合だけ、自分の意志を示すことができる。これもまたきつい。
 例えば、今日の請願は、TPP交渉に反対をするものと、米価の安定を求めるものであった。いずれも、僕個人としては、これまででもそうだったように、その趣旨には賛成である。採択すべしという立場である。だけど、委員長としては、それを言うことはできない。
 委員会終了後、協議会を開き、現場の声を聞く委員会運営について、各委員のご意見を聞いた。概ね賛意を得られたものと思う。取り敢えず、手始めに文化財の改修・整備について、現地視察を行うことで了解を得た。
 その後、教育委員会との懇談会を開催した。弘前市の教育基本計画について説明を聞き、意見交換をした。最初から、活発な意見が飛び交った。「弘前らしい教育とはなにか」とか「学区の再編について」「小中一貫教育の是非」等、委員長が制御するのが大変なくらい、各委員から積極的に発言があった。
 何か結論を出そうとかいう懇談会ではない。いろんな立場のいろんな意見を出し合い、問題意識を共有することが目的だったと思う。その意味では、有意義で面白い会議であった。
 あまり面白くて、今度は、夜やろうというアイディアも、懇談会終了後、非公式で出てきた。夜の懇談会(?)は、僕の最も得意とするところである。是非実現させたいものだ。
 そんな具合に、僕のデヴュー戦は終わった。長嶋茂雄は、金田正一に、4打席4三振を喰らった。それに比べれば、少しはましだったかなぁと、自画自賛している。

ことばの力


 昨夜のことである。途中まで書きかけたものが、何かの拍子に、パタッと消えた。どこをどうクリックしても、復元されない。最初から打ち直す根性も無く、日付変更線も迫ってきたので、あきらめてしまった。
 書きたかったことは、ことばの力についてだ。
 昨日、平川市で行われた「北東北読み聞かせシンポジウム」に参加した。その中で、刺激的な言葉多数であった。例えば、ある読み聞かせグループが、会場の大きさを考慮してか、絵本を開くかわりに、そのページを舞台中央のスクリーンに映し出した。すると、あとの講評で、本のページを画像に映し出した段階で、これはもう絵本ではなくなる。といった手厳しい評を受けた。絵本という物は、文を書く人も絵を書く人も、両手で開いてみることを前提に書いているそうだ。文字の並びも、絵とのバランスも。大きなスクリーンに映った絵本のページからは、そういった細かな気遣いが感じられない。
 絵本の読み聞かせの際、あまり絵を見せることにばかり神経を集中させなくてもいいという話も出た。言葉の流れと、その読むときのリズムなどで、想像させることも必要なのだそうだ。
 語尾が大切だということも聞いた。これは、日常会話でも気をつけなければならない。
 言葉は、相手と心を通わせる道具でもあるし、時に相手を傷つける武器にもなる。そんなニュアンスのことも聞こえた。
 とにかく、絵本の読み聞かせというイベントを通じて、ことばについて、いろんなことを考えさせられた。それも話し言葉について・・・。
 その話し言葉を今、半ば失っている。話したくても声が思うように出ない。感情を込めて、声に抑揚をつけた放し方が出来ない。困ったものだ。
 今日は、弘前読書人倶楽部の通常総会だ。記念講演の講師には、元日本経済新聞論説委員という石塚先生をお招きした。その影響もあっていつになく大勢の会員の参加があった。
 本来であれば、代表として、挨拶をし、議長を務め、講師の紹介をしなければならなかった。しかし、30人近く集まった、縦に細長い部屋で、マイクも無しに、僕の声が後ろまで届くわけがない。
 そこで、今日は、議事では楽をさせていただいた。その代わり、懇親会の部では、その分もカバーすべく、張り切って飲んだ。
 はてさて、明日の朝の喉の調子はどうだろう? 

予告

パソコンが駄目です。明日、書きます。ごめんなさい。

自転車の恐怖  今日の一般質問から


 一般質問最終日の今日は、4人の議員が登壇した。内、2人が、自転車のことを採り上げた。
 一人は、自転車のルールやマナーの教育について訴えた。もう一人は、それは自転車利用者の権利を中心に訴えた。自転車に乗る人が危険を感じないように、専用レーンを設置して欲しいというのが、議論のテーマだったように思う。
 ぼくは前者に近いことを考える。あまりにもルールを守らない自転車が多すぎる。横列走行、一時停止無視、信号すら無視、後方未確認のままの斜め横断、夜間の無灯火運転、ヘッドホンをつけながら、あるいは片手で傘をさしながら・・・。
 決して一部の自転車乗りだけを論っているとは思わない。少なくとも、右側通行をしたり、信号を無視して交叉点に侵入してくる自動車は、自転車と比べるまでもなく、ほとんど見かけることはない。
 今日も、弘前大学周辺のさほど道幅の無い2車線道路で、左側前方からも右側前方からも同時に、自転車が向かってきた。彼らは当たり前のような顔をしている。まるで危険など感じていないようだ。自動車を運転しているこちらの方が怖かった。 自らルールもマナーも守らず、危険だから市でなんとかしろという論法は、本末転倒のような気がしないでもない。少なくとも、皆が、左側を縦列で走行する、停止する場所では停止する、降りなければならないところでは降りて引いて歩く、歩行者や児自動車にも気を配る、といったことを心がければ、危険を感じることは、今よりも数段少なくなるだろう。先ずは、それが最優先課題だと思う。
 別の道路では、元市議会議員が、堂々と右側通行をしているのを目撃した。赤いズボンだから、すぐわかる。
 範たるべき大人がこうだから、学生や生徒に、強いことが言えない。何とも嘆かわしい世の中である。
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