5年ほど前に、図書館後援会の総会で、小一時間ほど講演したことがある。その時に、若者の本離れの要因の一つとして、携帯電話を挙げた。昔は、電車の中で、大学生が漫画雑誌を読んでいることが、若者の”活字”離れの象徴のように言われた。しかし、今は、漫画すら読まない。電車の座席で、相当数の若者は、携帯電話(スマホ?)の操作に余念がない。
かくいう僕も、特に最近は、ちょっとした時間があれば、スマホを取り出すことが多い。メールをチェックしたり、ニュースを見たり、ブログのコメント欄を読んだり・・・。
だけど、その割に、料金のことは気にしていない。確か、通話料は定額でかけ放題にしていたはずだ。ただし、通信料には限度があるらしい。実のところ、アナログ人間の僕には、その辺の区別もよくついていない。
今日の、政務活動費調査検討委員会では、その使途として、携帯電話料金を認めるかどうかについて、議論が交わされた。僕は、認めるべきではないという立場で、最初に発言した。
だって、これほど曖昧なものはない。私用なのか、政務活動のために使用したのか? 料金設定はどうなっているのか・・・?
政務専用の電話を持てばいいというような話もあった。でも、それだって、どんな通話や通信が政務で、どこからが私用なのかは、区別はつかないし証明もできない。
私用分と政務分を案分するという考え方もあるが、案分の基準がわからない。単純に50%だとか30%だなんて決められるものでもないだろう。
この携帯電話料に限らず、ガソリン代だとか人件費だとか、明確に区分できないもの、用途があやふやなものは、最初から認めない方がいい、というのが僕の基本スタンスだ。以前も書いたが、今から9年くらい前には、当時の政務調査費の使途の正当性を巡って、訴訟も起きている。解釈の違いによって、既に使ってしまっていた分まで、返還命令を出されたケースもある。そんないざこざを二度と繰り返してはならない。
ある議員は、ルール上は認めるだけは認めておいて、使うかどうかは個々の議員に任せればいいではないか、という意見を述べた。僕はそれにも反対した。何故なら、最終的に問われるのは、個々の議員というよりも、そういうルールを自ら決めた弘前市議会という組織の姿勢だと考えるからだ。市民の議会不信を、徒に招くようなことは、避けるべきだろうと思う。
なんてことも含め、今、検討は進んでいる。やがて、正式に、有権者の皆さんに意見を伺う”パブリックコメント”も実施される予定だ。どしどし、ご意見を寄せてほしい。
こういう議論になると、つい力が入る。喉の調子が悪いのも忘れ、熱弁をふるってしまった。おかげで、夜になったら、痰がよけいに絡むようになった。
あっ! 痰に赤いものが・・・!?
いやいや、なんのことはない。単にスイカを食べたあとだっただけの話だ。