今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2015年07月

謎の携帯電話料金  今日の委員会から


 5年ほど前に、図書館後援会の総会で、小一時間ほど講演したことがある。その時に、若者の本離れの要因の一つとして、携帯電話を挙げた。昔は、電車の中で、大学生が漫画雑誌を読んでいることが、若者の”活字”離れの象徴のように言われた。しかし、今は、漫画すら読まない。電車の座席で、相当数の若者は、携帯電話(スマホ?)の操作に余念がない。
 かくいう僕も、特に最近は、ちょっとした時間があれば、スマホを取り出すことが多い。メールをチェックしたり、ニュースを見たり、ブログのコメント欄を読んだり・・・。
 だけど、その割に、料金のことは気にしていない。確か、通話料は定額でかけ放題にしていたはずだ。ただし、通信料には限度があるらしい。実のところ、アナログ人間の僕には、その辺の区別もよくついていない。
 今日の、政務活動費調査検討委員会では、その使途として、携帯電話料金を認めるかどうかについて、議論が交わされた。僕は、認めるべきではないという立場で、最初に発言した。
 だって、これほど曖昧なものはない。私用なのか、政務活動のために使用したのか? 料金設定はどうなっているのか・・・?
 政務専用の電話を持てばいいというような話もあった。でも、それだって、どんな通話や通信が政務で、どこからが私用なのかは、区別はつかないし証明もできない。
 私用分と政務分を案分するという考え方もあるが、案分の基準がわからない。単純に50%だとか30%だなんて決められるものでもないだろう。
 この携帯電話料に限らず、ガソリン代だとか人件費だとか、明確に区分できないもの、用途があやふやなものは、最初から認めない方がいい、というのが僕の基本スタンスだ。以前も書いたが、今から9年くらい前には、当時の政務調査費の使途の正当性を巡って、訴訟も起きている。解釈の違いによって、既に使ってしまっていた分まで、返還命令を出されたケースもある。そんないざこざを二度と繰り返してはならない。
 ある議員は、ルール上は認めるだけは認めておいて、使うかどうかは個々の議員に任せればいいではないか、という意見を述べた。僕はそれにも反対した。何故なら、最終的に問われるのは、個々の議員というよりも、そういうルールを自ら決めた弘前市議会という組織の姿勢だと考えるからだ。市民の議会不信を、徒に招くようなことは、避けるべきだろうと思う。
 なんてことも含め、今、検討は進んでいる。やがて、正式に、有権者の皆さんに意見を伺う”パブリックコメント”も実施される予定だ。どしどし、ご意見を寄せてほしい。
 こういう議論になると、つい力が入る。喉の調子が悪いのも忘れ、熱弁をふるってしまった。おかげで、夜になったら、痰がよけいに絡むようになった。
 あっ! 痰に赤いものが・・・!? 
 いやいや、なんのことはない。単にスイカを食べたあとだっただけの話だ。

私は貝になれない


 再び、大学病院の耳鼻咽喉科を訪ねた。今度は女医さんだった。…深い意味は勿論無い。
 まずは、ここ3週間の喉の症状を聞かれた。とにかく痰が絡んで、声が出ないことに閉口しているのだと答えた。普段はこんな声じゃない。もっと美声なんだと強調したが、女医さんにはピンときていないようだった。
 前回受診した際に撮ったX線写真でも、鼻水の検査でも、特段異常はないとのことだった。念のために今日も、鼻から管を入れて喉の奥まで調べてもらった。その映像をモニターで見ながら、ポリープや他の異変はどこにもありませんと言われた。そう言われても、自分で自分の喉の写真を見るのは初めてだったので、何が正常で何が異常なのかはわからない。
 ただ、ものすごく腫れているのだそうだ。使い過ぎではないかという。なにも喋り過ぎというばかりではない。例えば、痰が絡むので「ン、ンーッ」と咳払いをする。これも、実は叫んでいるのと同じくらい喉に負担がかかるとのことだ。そういうことも含めて、吸入や内服薬を続けながら、喉を休ませていれば、そのうちよくなるだろうと言われ、診察室を後にした。
 だけど、喉を休ませろたって、職業柄、それは難しい。今日だって、病院を出てまっすぐ、市の上下水道部に行った。下水の悪臭についての市民からの要望を伝えるためだ。原因とか、今後の市の対応について、打ち合わせをしてきた。
 その足で、そのことを僕に話してくれた土手町の商店主のところを訪ね、さっきの打ち合わせの内容を報告した。まぁ、なんとか解決に向かいそうだ。
 いったん家に帰ってから、今度は、中学校の同期会の打ち合わせのため、会場となるホテルを訪ねた。昨日の実行委員会で出たいくつかの課題や要望を、ホテル側に確認した。
 ・・・と、なるべく喋らないつもりでも、最低限、口に出して主張しなければならないことが、一日の内にはそれなりにある。時に、荒げるまではいかないまでも、声を高めに訴える場面だってある。言葉を発して交渉する、考えを伝える、相手を質す、これが今の僕の与えられた仕事だからだ。
 「Oyster of a man」 という英熟語を、中学か高校で習ったような気がする。牡蠣のように無口な人という意味だったと記憶している。
 そもそも僕は、基本的に無口な性質ではないかと思っている。(まぁ、誰も信じてくれないだろうなぁ。そう言っている本人だって、俄かには信じられないもんなぁ) 寂しがり屋で、常に誰かと言葉を交わしていなければ不安になる、という人も中にはいるらしいが、少なくともそういうことはない。
 だから、声を取り戻すためにも、本来の自分(?)に帰って、僕は貝になりたい。でも、現実は、「私は貝になれない」。
  

寝る前の儀式


 実は、昨日の午後から、大変なことになっていた。もともとおかしかった喉の調子が、一層悪くなったのである。声がほとんど出なくなってしまった。
 そういえば昨日は、ブログにも書いたように、市内の文化財の修復や工事の現場を視察して歩いた。マスクもつけず、土埃の中で、質問をしたり、議員同士であれこれ話をしながら見学した。
 視察終了後は、委員会を開催し、教育委員会と意見交換を行った。委員長だから、声を出さないわけにはいかない。
 その後は、別の課の職員が訪ねてきて、ちょっとした打ち合わせを行う。と、こんな感じで、午前中は喉を酷使した。
 それがいけなかったのだろうか。精一杯しゃべっているつもりが、内緒話をしているくらいの声量にしかならないのである。近くの医者に行ったら(喉の専門ではないが)、過労のせいだろうとのことだ。とにかく休めと言われた。
 世の中の医者から言われる言葉の中で、「休め」というのが、一番聞きやすい。反対に一番聞きづらいのが「酒を控えろ」だろうか。
 僕は、喜々として、夜の8時半には布団に入った。こんなに早く就寝態勢に入れたなんて、何年か前の入院時以来だろうか?
  さて、簡単に布団に入ると書いたが、僕の場合、その前に必ずやらなければならない儀式のようなものがある。それも複数。歯を磨く、パジャマに着替えるなどという一般的なものをのぞいてもだ。
 まず、ブログを更新する。毎日更新と言うのが原則だが、ここのところ、以前に比べて、穴を開ける回数は減っているはずだ。
 次に、睡眠導入剤を飲む。基本的には1錠だ。もう、長い間の習慣になっている。
 それから、鼻の下と、顎から喉にかけて、ビックスヴェボラップをたっぷりと塗る。これは、この4月に喉を傷めてからの習慣だ。先輩が、これが効くよと買ってきてくれた。
 そして、その上から、マスクをする。睡眠中の喉を守るために、これも数年前から続けている。ビックスヴェボラップを塗ったあとマスクをすれば、これはもう一種の快感である。刺激が強くて、中毒にもなりそうだ。 
 夏場は、加えて、蚊取り線香をつける。女房が生きていた頃は、線香の匂いが服につくといって許してもらえなかったが、やっぱり僕は、旧式の日本人である。「にっぽんの夏、金〇の夏」というコマーシャルが、今も頭から離れない。
 最後に、スマホのアラームと、スリープマイスターをセットして、枕元に置く。ここまでが、睡眠のための僕の儀式だ。
 昨夜もいつものように、儀式を完璧にこなしてから、布団に入った。ところが寝付かれないのである。0時近くまで漫画や雑誌をめくり、それでも眠くならないので、睡眠導入剤を半錠追加した。それで、眠ったのが、今朝のスリープマイスターのデータによると、夜中の2時過ぎなのだそうだ。うーん、5時間以上も布団の上で悶々としていたのか・・・?
 思い当たる節はある。昨日は、完全休肝日にしたのだ。そうだ!だから、きっと、寝つきが悪かったんだ。やはり飲むものを飲まなければ・・・。(とても数日前まで断酒宣言をしていた人間の言葉とは思えない)
 今日は今、中学の同期会の打ち合わせから帰ってきた。喉の調子もまだ本調子ではないので、1次会だけで、それもビールを一杯飲んだだけで切り上げてきた。でも、たったそれだけでも、今夜は充分眠られそうな気がする。
 さてと、ブログの更新も終わったし、そろそろ次の儀式に入ろうか。

どしゃ降りの雨の中で  今日の常任委員会から


 弘前市議会経済文教常任委員会で、市内の文化財の視察を行った。
 朝一番に、国指定史跡堀越城跡の整備工事状況を視察した。ここは、現在の弘前城が建てられる前まで、津軽氏の居城だったところである。為信は、ここを拠点として、津軽一帯を平定した。
 弘前市は、平成24年から、この史跡の整備に入っている。本丸・二の丸と整備は進み、今年中には、三の丸の整備も完成する予定だ。来年度からは一般公開も計画しているそうだ。
 安っぽい(?)復元の建物などは造らない予定だそうだ。その変わり、柱があった場所には石等がおかれ、往時の居城の間取りや広さをしのぶことができる。かえって想像力が刺激されるように思う。
 次に訪れたのが、重要文化財旧偕行社の保存修理工事現場だ。ここは、弘前にかつてあった第8師団の、商将校さんたちの交流や厚生を目的に建てられたものである。第2次世界大戦後、アメリカ軍に収容されなかった数少ない軍関係施設で、従って米軍によってむやみに改修されることもなく、明治・大正時代の生活様式などがそのまま残されている貴重な建物だ。
 なんて、受け売りだけ書いても仕様がない。ぼくにとっては、幼い頃、ここで音楽教室の発表会が行われたことが、懐かしい思い出だ。記憶に間違いがなければ、朝の連続テレビ小説「おはなかん」のロケ地にも使われたはずだ。
 そして最後は、旧偕行社の向かいにある、太宰治まなびの家。正式には、旧藤田家住宅という、大正時代からの和風住宅だ。太宰が旧制弘前高校時代に、ここに下宿をしていたことから、現在、「まなびの家」として、ペンクラブが管理している。
 僕は、役目がら、しょっちゅうここに来て、解説員のM君とは話をしているのだが、考えてみれば、きちんとM君の解説を聞いたのは初めてのような気もする。ところどころにユーモアも交えていて、なかなか面白い。M君の解説によると、太宰のお小遣いが、現在価格に換算すると月50万円なのだそうだ。議員報酬より高いではないかと、苦笑いも出た。
 視察を終え、市役所に戻ってから会議を開催し、教育部長から、市の文化財行政に関する課題等について話を伺った。一つには、埋蔵文化財発掘の調査員や、歴史関係の学芸員等、専門の人材を確保して育てなければならないこと。また、また、埋蔵文化財の保管場所が手狭になってきていることなどの指摘があった。委員会の話し合いの中でも、そういった面に対して、議会としても、後押しをしていきたいという前向きな結論が出された。
 と、いう感じで、有意義な半日だった。目指すところの「行動する常任委員会」の初っ端としては、まずまず成功だったと思う。
 ところが、全日程終了後、昼食の蕎麦屋に入る前に、雨が落ちてきた。やがてそれはどしゃ降りとなり、僕はそこでしばらく足止めをくらってしまった。
 蕎麦屋の窓越しに、アスファルトにたたきつけられる大粒の雨を見て、視察が午前中でよかったと、つくづく感じた次第である。

不思議なカフェ体験


 アッヂー! うだるような暑さだ。朝の天気予報では、33度まで上がると言っていたが、実際はどうだったんだろう?
 学生時代ならば、こんな日は、悪友たちと喫茶店へ逃げ込んだものだ。アイスコーヒー1杯で、朝から夕方まで居座った。
 で、何をしていたかというと、トランプ。当時、「大貧民」というゲームが流行っていた。それを陽が翳る時間まで延々と何時間も続けたのだ。
 勿論、それだけでは飽きる。そこで、ちゃんと罰ゲームも考えた。点数をつけ、何回か毎に集計する。そして、最下位だった人が、1位だった人が指名した相手に、電話をかけるというものである。当然のことながら、赤の他人に電話させるような真似はしない。例えば、日頃馬が合わないクラスメートだったり、口もきいたことがない憧れのマドンナだったり、かつてふられたことのある彼女だったり、あるいは苦手科目の先生など、突然電話をかけても不自然ではない(不自然か?)相手を指名する。他愛もない遊びだが、用も無い人に電話をかけるというのは、これはこれで、充分にスリル満点の罰ゲームだった。
 まぁ、こんな風に、絵にかいたような怠惰な青春を送っていたのである。
 しかし、さすがに、60歳を過ぎると、そんな馬鹿なこともしていられない。ましてや、一応は公人(?)という立場だ。 書類を役所に届けたり、支持者のお宅を訪問したり、いくつかの打ち合わせに奔走して、暑い暑い日中を過ごした。
 役所に出す書類を点検するために、途中、小洒落たカフェに入った。まだ午前11時になろうとしている時分だった。
 席につくなり、大学生のアルバイトとおぼしきウェートレス(今でもウェートレスって言うんだろうか?)が注文を取りにきたので、メニューもろくに見ずにアイスコーヒーを頼んだ。そしたら、その女子大生は、小首を傾げて「お一つですか?」と聞いてきたではないか。
 一つも何も、僕一人しかそのテーブルにはいないのである。僕が、一気にアイスコーヒーを2杯も飲み干すような人間に見えたのだろうか? それとも、こういうお洒落なカフェに一人で入ってくるおじさんは珍しく、誰かと同伴でくるのが当たり前なので、遅れて彼女でも入って来るのだろうと思ったのだろうか? だとすれば、よけいなお世話だ。60歳過ぎのおじさんが一人で来ちゃあいけないんですかい、って毒づきたくもなる。
 いやいや、それとも、僕の隣には誰かが座っていたのかもしれない。それがウェートレスには見えて、僕には見えなかった・・・。
 となると、急に背筋が寒くなってくる。何とも奇妙なカフェであった。
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