大晦日なのである。テレビ番組も、報道される全国の話題とやらも、それ一色だ。
毎年思うことがある。今夜と、例えば8日前の夜と、さらに言えば、半年前の晦日の夜と、一体何が違うのだろう? 明日になれば、単にカレンダーを取り換わるというだけではないのか。何で、カウントダウンや花火やらと、世界中が大騒ぎをするんだ? 区切りの年を越えるというのであれば、誕生日の前の夜こそ、それぞれが、無事に歳をとることができたことに対し、祝杯をあげて、年が経ることの意味を考えればいいのではないか・・。
なんて、へそ曲がりなことをこぼしても始まらない。世の中に倣って、今年1年間を振り返ってみよう。
今年、僕の一年は、”俳句”、”落語”、”プロレス”の3つのキーワードに尽きる。勿論、選挙もあったし、お陰様で当選させていただいて、議員活動にも気持ちを新たに取り組んだ。でも、こうして過ぎし1年を思えば、その3つの言葉が、まず頭に重い浮かぶ。
俳句は、正確には、昨年の12月に句会デヴューをした。俳句を作るのでさえ初体験である。そこで、ビギナーズラックにもめぐまれて、そこそこ評価をいただいた。それで、すっかりはまってしまった。
以来、2ケ月に一度の句会に4回連続で毎回出席もした。10月は、読書人倶楽部のイベントと重なり出られなかったが、投句だけはした。その10月の句の一つを、なんと、天にとっていただいたのである。いやぁ、嬉しい。天にも昇るような心持とは、こんなことを言うのだろう。これで、益々深みにはまってしまいそうだ。
12月はお休みだったので、次の句会は1月。何やらまた、スケジュールが重なっていそうだが、投句だけは欠かさず続けよう。
落語は、今年最大の収穫である。この歳になって、こんなにものめり込むとは、考えてもみなかった。
ことの発端は、2月に弘前で行われた、柳家喬太郎師匠の独演会である。その前から、小きん師匠とお付き合いをさせていただいたり、もっと前の話をすれば、小学生の頃には、「寿限無」を諳んじていたくらいだから、落語には縁があった。でも、2月以来、僕が、車の中で聴くCDは全て落語、読む本もほとんどが落語関連の本、といった具合に、落語漬けになってしまった。
最近では、喋りかたも、落語口調になっているんではないかと心配だ。「冗談言っちゃぁいけねぇ」なんて、気がつけばよく使っている。議会で、つい、落語言葉が口に出ないか、気を付けなければならない。
プロレスは、今年、弘前で、4回観戦した。 内、1回は、自主興行である。そう、趣味が高じて、とうとう会社まで設立してしまった。このブログでも紹介した「津軽プロレス」である。
9月の自主興行第一弾「プレ旗揚げ大会」は、そこそこ成功した。 11月にはビデオ上映会も開催した。次はいよいよ、本格的な旗揚げ戦だ。今のところ、来年の4月を予定している。詳細は、決まり次第、このブログでも紹介する。
ということで、この3つの趣味は、 来年も引き続き、僕の時間の中で大きなウェートを占めることになりそうだ。でも、俳句や落語のように、来年になって、突然に目の前に現れてくる、新しい人生の愉しみが他にもあるかもしれない。いや、是非、そうあってほしい。今年以上に来年が、充実した年になることを心に期して、2015年最後のぶろぐを閉じる。
今年1年間、ご愛読、有難うございました。来年も、よろしくお願いします。