今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2016年01月

ビバ! メキシコ


 弘前読書人俱楽部の例会から帰ってきた。いつもは”ブックトーク”と言って、講師から本の話を聞くのだが、今日は、渋谷伯龍さんが講師となり、古い新聞をネタに、当時の思い出を話し合った。
 この件については、明日、詳しく書こうと思う。近日中には、読書人俱楽部のブログにもアップする予定だ。
 それで、今日は、メキシコの話。
 百石町展示館で、「メキシコ オアハカの民芸と イサイア・ヒメネスの動物木彫り」という催事が行われている。読書人俱楽部の会員でもあるAさんが、それに一枚加わっている。
 Aさんからは、昨年、メキシコ土産だということで、プロレスラーの覆面をいただいた。その恩義もあって、午前中、会場に足を運んだ。
 展示会の様子は、下の写真の通り。僕がいつも議会報告会を行う厳かな(?)会場が、見違えるほど賑やか彩られていた。
 
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 展示されているのは、展示会名のとおり、メキシコのオアハカという都市周辺の民芸品が中心だ。壁面には、現地の様子や料理の写真が刑事されている。
 2メキシコ木彫品は派手な色遣いが特徴のようだ。猫や兎、亀、それにドラゴンのような動物などが並んでいたが、正直言って、あまり可愛らしいものはない。
 いや、可愛らしさとか、美意識とか、価値観とかが、根本的に違うのだろう。それが文化というものだ、違っていて当たり前なのだ。その違いを認め合い、理解し合うことが、何より大切なことなのだ。そういう観点で、こういった展示会は意義深いものがある。
 僕は、勿論、メキシコに行ったことはない。知識もほとんどない。
 かろうじて知っているのは、ルチャリブレと呼ばれている独特のプロレスのことだ。”かろうじて”というのは謙遜かもしれない。ミル・マスカラス、エル・ソリタリオ、レイ・メンドーサ、エル・サントetc、プロレスラーの名前なら20人くらいはすぐに出てくる。
 もう一つ知っているのは、橋幸夫の「恋のメキシカン・ロック」という歌だ。小学生の頃のヒット曲だったろうか。今聞いても歌っても面白い。
 しかし、この歌が「メキシカン・ロック」と名付けられていることに、きっと、メキシコ人もロックファンも腹を立てるだろう。それほど、メキシコにも、ロックにも、程遠い曲であることは間違いない。

まぢながサミットで考えた


 弘前市には、所謂「自治基本条例」がある。その制定までには、「市民検討委員会」を設置して、長い期間をかけて議論を重ねた。他都市の条例を安易に下敷きにすることなく、文字通り一条一条、一字一句を自分たちの言葉で積み上げてきた。僕のこのブログでも、その経過については、過去に何度か紹介したことがある。
 その条例は、昨年の4月に施行された。題して「協働によるまちづくり基本条例」。確かに、先に述べた制定過程からして”協働”そのものであったと思う。
 しかし、ともすれば、こういった理念条例は、制定することが目的となってしまい、制定後は人々の意識から遠ざかってしまうことがある。そうなってはいけないと、議会でも、多くの議員が訴えた。
 今日は、施行1周年を前に、”協働”の意味を確認するための「第1回まぢながサミット」が開催された。僕は、午後のワークショップには参加できなかったが、第一部の基調講演と事例発表を聞いてきた。
 市長の挨拶が、このサミットの意義を、端的に表していた。「まちづくりの主役は行政ではない。行政と、市民や企業等、地域に暮す人皆が、まちづくりのプレーヤーなのだ」といった内容だったと思う。「地域の課題を、地域の人々と行政が一緒になって解決する」、それが”協働”の考え方だと、僕は解釈した。
 基調講演は、東北芸術工科大学コミュニティーデザイン学科講師の丸山傑さん。傑と書いて”すぐる”と読むそうだ。
 丸山先生は、実際にご自身で経験された、山形県や長野県、それに香川県の事例をもとに、市民が積極的に係るまちづくりの手法について、1時間ほど講演された。なるほどわかりやすかったし、面白かった。
 だけど、どれも現在進行中のプロジェクトだ。完成された事業ではない。
 とまれ、まちづくりというものには、”完成形”はない。”まち”は生きものなので、常に変化を繰り返している。よくなることもあれば、悪くなることもある。数年前に聞いたまちづくりの成功事例を実際視察に行ったはいいが、目を覆うような惨憺たる現状になっていることに、がっかりした経験も一度や二度ではない。
 その意味でいえば、丸山先生たちの仕事はエンドレスだ。延々と続く。だからこそ、”協働”を理解する人を育てることが大切だ。東北芸術工科大学コミュニティーデザイン学科では、そのような人材の育成に努めているそうだ。
 丸山先生の今日の話で、印象に残ったことがある。本当は、ここに図をかければいいのだろうが、残念ながら僕にその技術はない。そこで文章で書く。
 まず、オリンピックの旗は5つの輪からなっているが、その中の3つだけを思い浮かべて欲しい。互いに一部分が重なり合った3つの円である。一つは「自分のやりたいこと」の円、もう一つは「自分でできること」の円、最後の一つは「地域から求められていること」の円とする。
 「自分のやりたいこと」の円と「地域から求められていること」の円だけが交わり合った部分は、いわば”趣味”である。誰しもが持っている。
 同様に、「自分のやりたいこと」の円と「地域から求められていること」の円のみが交わる部分は”夢”だと先生は言う。やりたくて、求められても、出来なければ、それは夢でしかない。
 もう一つ、「地域から求められていること」の円と「自分でできること」の円のみの交わりは、”労働”なのだそうだ。どんなに求められていることでも、それが自分のやりたいことでなければ、働かされている感が強くなるということなんだろう。
 そして、3つの円が全部重なり合う部分、つまり3つの円の中央にできる三角形のような部分、ここが成功する企画のポイントだとお話しされていた。つまり、やりたいし、出来るし、地域のニーズもある。このような事業こそが”協働のまちづくり”には必要だ、とおっしゃっていたように僕は捉えた。
 翻って、自分のことを考えてみよう。いくつもの事業や団体に首を突っ込んでいる。でも、それらが、本当に自分でやりたいことなのだろうか? 自分でできることなのだろうか? 地域から求められていることなのだろうか・・・? もっとつきつめれば、自分では何をやりたいのか、何ができるのか、地域から自分に何が求められているのか、ここは一度立ち止まって、じっくり考えなければならない。
 うーん、今日は、珍しく哲学的(?)な話になってしまった。とにかく、今一番やりたいこと。それは布団にもぐりこんで、読みかけのプロレス雑誌をめくることである。



パソコン難民


 実は家のコンピュータが動かなくなった。先週のことだ。
 視察から帰って、このブログを書くために立ち上げようとしたら、何やらかにやらで起動しない。
 もっと”実”を言えば、我が家の恥を晒すようだが、一時、手違いで電話を止められていた。幸いにして、その件は解決したのだが、それでもパソコンは動かない。
 そこで、ここ1週間は、読書人俱楽部にいた日を除いて、スマホでブログを更新していた。とにかく、やりにくい。
ここのところ、せっかくいただいたコメントに、返信できていないのも、そのせいなのだ。
 今日は、読書人俱楽部のパソコンを使っている。だから、まとめて返事を書いた。コメントを寄せて下さった皆様、本当にごめんなさい。
 パソコンでだって、指を10本使っているわけではないが、それでも複数の指を動かしている。ところが、スマホだと、一本しか指を使えない。それも、僕の場合、親指だ。そのやりにくいこと、やりにくいこと。
 文章にも、書いてる本人が違和感を持っている。お気づきの読者もいるかもしれない。横書きの文章の、行の左端が揃っている。つまり、書き出しを一文字空けていないのだ。
 僕はこうみえても、弘前文学学校の臨時講師だ。家庭教師をやっていたこともある。作文にはうるさいのだ。文節の最初の書き出しは、1文字分空けなければならないと、生徒たちには教えてきた。
 それなのに、スマホだと、それが出来ない。いや、できないことはないのだろうが、面倒くさい。いやいや、簡単にできる人もいるのだろうが、僕には難しい。それがもどかしい。
 今日は、いつものIT美少女のSさんに、読書人俱楽部にきていただいて、復旧をお願いした。さすがに僕のパソコンのお師匠さんだ。メーカーに直接電話をかけて、いろいろと試みてくれた。
 でも、結局、上手くいかなかった。修理するにしても、数万円かかるらしい。直すべきか、買い替えるべきか、それともこのままにしておこうか?
 やっぱり、パソコンがないと不便だ。基本的にデジタル人間の僕は、そうたいして活用しているとは言い難い。せいぜい、ネットで情報を得たり、原稿や資料を作成するくらいだ。それにしたって、書くのでも読むのでも、スマホよりはパソコンの方が、すーっと楽だ。パソコン難民の暮しから、早く脱却したい。
 ここは、買うしかないか。いっそのこと、念願のタブレット端末にしようか。どちらにしても、痛い痛い出費だ。

  

僕の健康法

僕の三大疾病は、糖尿病を別格にすれば(勝手に格付けしてもいいのだろうか)、睡眠障害と、便秘と、皮膚掻痒症である。そのうちの二つが、今、治りつつある。
睡眠障害については、以前もこのブログに書いた。最近は、寝つきもよくなり、眠りも深くなった。寝過ぎではないかと思うくらい、長時間眠っていることもある。
尾籠な話で恐縮だが、お通じもよくなった。昨年の秋口が最悪だった。出ないは、腹が張るはで、死ぬほど苦しい思いをした。
今だって、腹は充分に出ているが、前ほどの膨満感はなくなった。この調子でいけば、ホックがかからなかったズボンが、履ける日も近い。
それもこれも、歩き初めてからだ。年頭にも書いたように、今年は意識して歩いている。今日だって、1万3千歩も歩いた。
年の目標を1日平均7千歩としたが、今月は今日までで、平均8千歩以上を記録している。あと3日間、1歩も歩かなくても、今月の目標は達成だ。なんて書くと、そもそもが怠け者なので、本当に明日から寝てばかりになりそうなのが、自分でも怖い。
皮膚掻痒症は、どうしようもない。腕や足には、自分で市販の薬を塗っているが、背中には手が届かない。誰か、薬を塗ってくれる女性は、いないだろうか。
とにかく、歩くことで、こんなにも体質改善が為されるとは、今更ながらビックリだ。今日の糖尿の定期検査でも、主治医から褒められてきた。エッヘン。
そこで、謎かけ。健康管理とかけて、漢文の勉強ととく。その心は、杜甫(徒歩)から始めればいいでしょう。
えっ? 面白くない? せっかく考えついたのに。トホホ(・・;)

アウガ考

青森市に行った。全くの私用だ。行きも帰りも、JRを使った。
昼過ぎに青森に着いたので、まずは腹ごしらえと思い、駅間を見渡した。ちょっと見た感じでは、気のきいた食堂はないようだ。
ラビナ(駅ビル)の最上階にあったレストラン街も、いつの間にか無くなっていたようだ。まったく、弘前といい青森といい、街の玄関口とも言うべき駅ビル内に、落ち着いて食事の摂れるスペースが無いなんて、何て言うか、がっかりだ。
所期の目的を果たし、時間が余ったので、アウガに入った。巨額の赤字を抱え、青森市のお荷物とも言われている、三セクが経営する複合ビルだ。
地下が魚菜市場、1階から4階までが、衣料・雑貨を中心としたショッピング施設、そして5階から上が、図書館等の公共施設となっている。ショッピングフロアの中にも、法律事務所や開業医もあるという、複合ビルと言いながら、実は雑居ビルだ。
複合(雑居)が全て悪いというのではない。ただ、今日も、定休日と称して、営業を休んでいるテナントが、僕が見た範囲内でも、2軒あった。おそらく(違っていたらごめんなさい)、先に挙げた法律事務所や医院は、日曜日には休むのだろう。そのような、テナントの都合で、あちこちが、バラバラに閉まっているようなショッピングビルに、果たして魅力があるんだろうか? 複数のテナントが集まっていることのアドバンテージを発揮できるのだろうか?
僕も、書店経営時代には、テナントビルに支店を出したことがある。その時は、当然ながら、定休日はビルに合わせていた。自分勝手に休んでいるようなテナントは、一店も無かった。それが、ルールであり、条件だったと記憶している。
今のアウガのように、テナントの我儘を許している、いや、何でもいいから、とにかく空きスペースを埋めなければならないので、テナントの個々の事情を許さざるを得ないアウガには、もはや商業施設としての再生は無いような気もする。先日の有識者からの答申にも、そのようなことが書かれていたのではないか。
食事処の無い駅ビルといい、アウガといい、あるいは弘前のシティといい、駅前のテナントミックス型商業施設に、明るい未来を見出せないと感じるのは、もっと言えば、僕だけであろうか。
そうだ、お前だけだ、と言われれば、素直に謝る。ごめんなさい。
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